12.お兄様たちの困惑(前編)
セリアン視点です。
「セリアン、あぁ、おれたちのかわいい弟よ!!! 婚約おめでとう!!!」
そんな叫び声とともに、色とりどりの花びらがセリアンへと投げつけられた。
ぱらぱらと落ちてくる七色の欠片のむこうに立っているのは、縦にも横にも大柄で貫禄のある男と、すらりとした長髪の男。
「ありがとう、兄さんたち」
セリアンが笑顔で礼を言うと、長髪の男は満面の笑みでセリアンの頭を撫でた。
「あいかわらずリアクションが薄いな、弟よ! そういうところが好きなんだけどな」
「ありがとう、オズワルド兄さん」
大柄な男はそんな二人を腕組みをしたまま眉を寄せてながめている。筋骨隆々たる体躯に短く刈りそろえられた髪、父親譲りの鷲鼻と鋭い眼光。
二人はセリアンの兄たちだ。大柄で無口な男は、ロイヒテン家の長男ニール・ロイヒテン。長髪の男は次男オズワルド・ロイヒテン。
リアクションが薄いというならニールのほうだとセリアンはいつも思う。逆にオズワルドはいつでも陽気で明るく、スキンシップが激しい。
自分は兄さんたちのあいだをとった性格なので、三人のなかで一番普通だ、というのがセリアンの自己評価だった。
「セリアン、お前あいかわらず自分が一番普通だと思ってるんだな」
オズワルドにむにむにと頬をこねられた。
「やめへよ、にいひゃん」
顔をそむけつつ、どうしてバレたんだろうかと考える。
「顔に出てるぞ。お前リアクションは薄いけどなんでも顔に出るからな」
そうなのか。
「うん、そうだ」
ニールはそんなやりとりをしかめ面で睨んでいるが、幼いころからいっしょだった弟たちはニールが内心では仲のよい様子を喜んでいることを知っていた。
「今日はどうしたの?」
オズワルドから離れたセリアンは、兄たちの意図を薄々とは感じつつも、そしらぬふりで尋ねた。
婚約してからというもの、会う人会う人、皆ものめずらしそうに「本当に結婚する気なのか」と尋ねてきた。
王都に住んでいる友人たちにはだいたい「そうだよ」と返事をし終わって、気を抜いていたところに、最後に遅れて兄たちが領地からやってきたのだ。
用件はわかりきっていた。友人たちと同じ、婚約についてだ。
婚約を知らせる手紙を書いたのは二か月前。両親からはすぐに許可をするという返事がきた。「ニールとオズワルドが驚きすぎて椅子からひっくり返った。近いうちに会いたいそうだ」という追伸付きで。
きっとニールが忙しくてなかなか動けなかったに違いない。本当はすぐにでも駆けつけたかったのだろう。
「そんなの、当然、お前の婚約者に会いに来たんだよ!」
にぱっと笑顔をふりまきながら、セリアンの想像どおりの台詞をオズワルドは告げた。
「……」
「……」
「……」
セリアンはなにも答えなかった。
オズワルドの笑顔はキープされている。しかし誰もなにも言わない。
微妙な沈黙が流れた。
胸に手をあて、どうやら自分は兄たちに婚約者を紹介したくないようだ、とセリアンは悟った。
理由はわからない。なにせ婚約者ができたという経験自体はじめてのことなので、最近のセリアンは自分でもいろいろとわからないことが多い。
胸が痛くなったり、動悸がしたり、かと思えばものすごく嬉しくなったり、情緒不安定である。
普段のんびりとした弟のかもしだす微妙な空気に、オズワルドの表情が曇った。
「ま……まさか……兄さんたちに婚約者を紹介しないつもりか?」
胸に手を当て、よろよろと数歩進みつつ膝をつくオズワルド。
スポットライトがあったら彼を照らしだしていたに違いない、とセリアンは思った。
「もちろんいつかは紹介するよ」
「いつかっていつだよ?」
「うーん……」
クロウディアがこの個性的な兄たちを見ても驚かないくらいに親しくなれたら、だろうか。
そう考えて、会わせたくない理由に思い至る。
「彼女に嫌われたくないんだ」
ただでさえ婚約解消を言いだされている身だ。やけにテンションの低い兄とやけにテンションの高い兄を紹介して、家ごと面倒くさい一族だと思われるのは避けたい。
どうやらクロウディアはセリアンを相手にするだけでも大変みたいだから、変わり者の兄たちは余計だろう。
セリアンの台詞に、オズワルドは大袈裟にソファへとくずれおちた。
「おれたちと会わせると嫌われると思ってんのかよ、ショック……」
「オズワルド兄さん、人は誰でも自分を客観的には見られないから」
「励ましてる口調でトドメを刺すな。というのはおいといて」
なにかを脇におくジェスチャーを挟みつつオズワルドは正面からセリアンに笑顔をむける。
「本当に大切に想っているんだな。お前にそんな人ができるなんて、兄さんは嬉しいぞ」
「たいせつ……?」
うんうんとうなずく二人の兄に、セリアンは首をかしげる。
大切というのはどうだろうか、と思う。婚約者クロウディア・ベッカーは、セリアンの顔を見ると気絶する。刺激が強すぎるらしい。婚約者をたびたび気絶させる行為はあまり大切にしているとはいえない。
セリアンはどうにかしてそのハードルをのりこえたいのだけれど、いまのところ目途はたっていない。
不思議そうな顔をするセリアンに、オズワルドは目を見ひらいた。
「まて……まさか、セリアン……自覚なしか?」
自覚?
オズワルドを見つめるセリアン。
見つめあう二人。
今日はやけに沈黙が多い。
「おー、見事に無自覚の顔だな。ド天然だとは知っていたが」
どんな顔をしているのだろうかと考えて、クロウディアに「家に鏡ないんですか?」と尋ねられたのを思いだした。
「……大丈夫なのか?」
ニールが今日はじめて口をひらいた。真顔だが、セリアンのことを心配しているのは声色から伝わる。
セリアンはまた首をかしげた。
「大丈夫、というのはどういうことですか、ニール兄さん?」
ニールは少し戸惑った顔をしてから、巨躯をセリアンにむかってかがめる。
「セリアン、つまり君は、そのお嬢さんのことを、好――」
「待って、ニール兄さん!!」
ニールがなにか言いかけたのを、オズワルドがさえぎる。
「うん、自分がどう思われているかは考えている……独占欲もちゃんとありそうだ。セリアンが自分で出会い、自分でプロポーズし……相手のお嬢さんもセリアンがド天然であることは理解しているはず……うん、うんうん」
静止のために突きだした腕をそのまま腕組みの形にもっていくと、オズワルドは隣でぶつぶつと呟き、それからパチンと指を鳴らした。
「もちろん大丈夫ですよ、ニール兄さん。セリアンは昔から自分でよく考えて決める子だった。おれたちの自慢の弟です。セリアンが選んだ相手なら間違いない」
さわやかな笑顔で言いきるオズワルドに、ニールも「そうか、そうだな」とうなずいて背筋をのばした。
「きっとよい娘なのだろうな」
ニールの重みのある声がクロウディアへの信頼を示す。
セリアンは嬉しくなって、思わず破顔した。
「うん、とってもかわいいんだよ」
瞳が見えないほどのぶあつい眼鏡をしていてなお、くるくると表情ゆたか。
眼鏡を外せばセリアンに物怖じしなくなり、好きなものを語ってくれたり、じっと見つめてくれたりする。まっすぐな視線には妙な媚やセリアンを手にいれようとする傲慢さはない。
はじめて会ったときから、クロウディアはほかの誰とも違った。
クロウディアのコミカルな動きを思いだすだけで勝手に口元がゆるんでしまう。
このあいだほほえまれたときなどは、胸の奥がきゅうっとなったものだ。
「……」
「……この顔で、マジで自覚なしか……」
「……なに?」
にこにこしていたら、兄たちは瞠目の表情を浮かべた。
尋ねれば、「いや、なんでもない」とごまかされる。顔がひきつっているように見えるのは気のせいだろうか。
「本当になんでもないんだ。わかった、今日はもう帰るよ。婚約者のお嬢さんにはまたあらためてゆっくりとお目にかかろう」
「うん、領地にも遊びに行くよ」
オズワルドはうなずくと、最後にセリアンの手をガシッと握った。
「お前にそんな顔をさせる御令嬢、くれぐれも逃がすんじゃないぞ!! いいか、引くな! 押して押して押しまくれ! 兄さんたちは応援する!」
「ありがとう、ニール兄さん、オズワルド兄さん」
握ったままの腕をぶんぶんふりまわすオズワルドの背後で、ニールは帰り支度をはじめていた。本当に忙しいなかを抜けてきてくれたらしい。
もう婚約者を紹介しろとも言われないし、セリアンは安堵の面持ちで二人を見送った。
***
セリアンの部屋を出たあと家族や使用人たちへの挨拶を終え、ニールとオズワルドは馬車へ乗りこんだ。
「ベッカー伯爵家へ」
御者に告げるオズワルドに、ニールが眉をあげて疑問を表す。
「大丈夫ですよ、ニール兄さん」
オズワルドは先ほどと同じように答えた。
「セリアンのあの性格を知ったうえで、あの子の中でまだ芽生えたばかりの想いをいっしょに見守ってくれるだけの気概のあるお嬢さんです。我々が突然お邪魔してもご迷惑にはならないでしょう。それに、セリアンは自分がお嬢さんを好きだとも気づいていないですからね。セリアンをよろしく、と心を込めてご挨拶にうかがうのが兄の務めというやつです」
セリアンを骨抜きにした令嬢を一目見たいという本心を押し隠し、オズワルドは流暢に語る。
なるほど、とうなずいたニールは座席に背をもたれさせた。
オズワルドも動きだした馬車の窓から外に景色を楽しむ。
「ようやくセリアンにも春がきましたね」
「あぁ」
二人とも、心の底から喜んでいた。
昔から末弟は、顔がよかった。
なまじ顔がいいせいで、性格もよいのだと勝手に期待されること幾星霜、成長してからは遊び慣れているのだと誤解されること星の数ほど。そういった扱いにセリアンは慣れきっていたが、もちろんよろこんでいたわけはない。
セリアンにあんな幸せそうな顔をさせるのだから、婚約者はそういった誰とも違うのだ。
歳は下だというが、きっとセリアンの顔に動じず、また、セリアンの性格にも動じない、精神的に非常に成熟した令嬢なのだろう。
二人の頭の中には、やさしく、冷静で、包容力満点の、聖母のような女性像ができあがっていた。
訪問を告げられた婚約者クロウディア・ベッカーがぶるぶるおびえながら姿を現すなんて、想像もしていない二人であった。





