11.セリアン様の思案
セリアン様の試行錯誤はつづいていた。
ということはつまり、わたしとの婚約解消は検討状態のまま棚上げになっているのである。
結婚したいのかと尋ねられ、図らずも失神によって話をはぐらかしてしまったわたしは、薄々意識にあがってくる本音に気づかないふりをしながら理屈をこねあげた。
顔を見ると失神するという問題以外にも、社交性や容姿の観点からわたしはふさわしくない、という理屈だ。
ウィナ・サーマン様へお手紙を出してペンダントをお返しし、少しだけ盛りあがっていた自信は、話を聞いたエリナの盛大な拍手の音によってかき消された。
「犯人を名指しして、証拠の品を送りつける! しかも即日! いや~、クロウディアがそんなやり手だったとは思わなかったよ! ウィナ様も縮みあがったでしょうね!」
「……え?」
そんなつもりはない、というのはなんの言い訳にもならない。よろこばせるつもりで怖がらせたのならそれは選んだやり方が悪かったのだ。
やはりわたしは前途洋々たる侯爵家ご子息の妻になるような人間ではない。
わたしはそのことを再確認した。
……しかし、セリアン様もまた、空気の読めなさに関しては一目おかれる方だ。
「ぼくも社交はそれほど好きじゃないんだ。昔から家柄や顔のことであれこれ言われたし……。結婚したら領地をもらってのんびり暮らすつもり」
社交性や協調性および容姿の欠点を挙げてみたものの、そう言ってほほえまれてしまった。
やはり美しい人には美しい人なりの悩みがあるのだ、とわたしは納得した。お茶会で見た、令嬢たちの熱視線。セリアン様はあれにあてられつづけてきたのだ。
とはいえ。
「領地でのんびりって、無理でしょう?」
「え、どうして?」
「放っておかないでしょう……社交界のほうが」
セリアン様をサロンや舞踏会に招待することができれば、当然人が集まり、主催者の評価はあがる。
いくらセリアン様が乗り気でなくとも、毎日多くの招待状が届くだろう。そのなかには断れない立場の相手もいるはずだ。
「招待状そのものを受け取り拒否すればいいんだよ」
「いやダメでしょう!?」
「……ダメかな?」
不思議そうに呟かれるとダメじゃないような気がしてくる。いやいや。
わたしは眼鏡をなおして首をふった。
「ダメでしょう……」
「そっかぁ。じゃあ出席しないとといけないね。でもクロちゃんはそういうのが負担なんだ」
「……えっと……負担とかじゃなくて、ふさわしくないという話です」
負担か、と言われると、もちろんものすごく苦手で負担だ。
しかしもしわたしがエリナのような性格でも、やっぱりダメなものはダメだと思う。
「セリアン様のお隣にならぶのはですね、やはりそれなりに大きな家の、美しいまたはかわいらしいお嬢様のほうが……」
文句が出ないだろう、という続きの言葉は飲みこむ。
いくらひきこもる予定といってもすべてを絶交渉とはいかないし、公式な場にはでなければならない。そんなときにわたしはやはり足をひっぱるのだ。どうしたらそのことをセリアン様に理解していただけるのか。
「みんなそう言うけどさ、結局ぼくはこの歳まで結婚したいと思える人に出会えなかった。てことはその基準は間違っていると思うんだ」
いや、無理かもしれない。
自説を披露するセリアン様の声には、それなりの自信がただよっていた。
これはあれだ、小さいころから言われすぎたせいで逆にいまさら少しくらい言われてもなにも思わなくなっているやつだ……!
わたしの内心の苦悩に気づかず、セリアン様は「それに」と朗らかな声色で話を続ける。
「クロちゃんはかわいいよ」
「……家に鏡ないんですか?」
皮肉や嫌味ではないということはわかった。わたしの返答も嫌味や当てこすりの類ではない。ただただ単純にひたすらに心底からの疑問だった。
「鏡……あるけど……?」
セリアン様も、どうしてそんなことを聞かれるのかわからないという困惑をにじませて答えをかえす。
そうか、自分の顔を見て育ってしまったせいで、美的感覚が少々特殊なのかもしれない。
お茶会であのご令嬢方が言っていたことは、当たっているのかも。
「ほら、問題は解決したね?」
わたしが悩んでいるうちに、セリアン様は答えはでたとでも言いたげに手を打った。
いえ、なにも解決しておりませんが。
癖であるらしい小首をかしげる仕草をしながら、アイスブルーの瞳がわたしをとらえる。
「クロちゃん。ぼくはずっと考えてるんだよ、どうしたらクロちゃんがぼくの顔を見ても気絶しなくなるか……」
ほら、最後の問題にされてるし。
って、言ってるうちに、目をあわせたものだから――意識が――。
「眼鏡を外して暮らせば……」
倒れかけたわたしの眼鏡に手をのばし、セリアン様はひょいと取り去ってしまう。
相かわらず次の行動が読めないお方である。
セリアン様のお顔が見えなくなったのとびっくりしたのでわたしの意識はなんとかたもたれた。でも近いのは困る。見えなくなった分、気配が……なんかすごい。空気が輝いている。
「ぼくのこと、見られる?」
「えっと……はい」
わたしはセリアン様をじっと見上げた。あの日、雑貨屋で会ったときと同じ、輪郭だけがぼんやりと見えていて、麗しの美貌や表情はなにもわからない。
ただ、いまでは記憶の中にセリアン様のご容貌が蓄積されているため、若干の脳内補完がかかり、空気が煌めいて見えるのだ。
「たしかに失神することはありませんが……これではセリアン様のお顔がわかりません」
「でも顔を見たら失神するから、どちらにしろわからないんじゃない?」
「……」
正論すぎる。
わたしは必死に抗弁を考える。
「でも、あまり遠く離れてしまってはセリアン様のお姿自体ほかの方と見分けがつかなくなってしまいますし……それに……」
端的に不便だ。
しかしそれを、わたしのために一週間ウサギの仮面をつけてすごしてくださったセリアン様に申しあげる勇気はもてなかった。
どうしたものか、と上目づかいにセリアン様を見る。しかし視界がぼやけまくっているので、当然ながら得られる情報はなにもない。
ふと、セリアン様がほほえんだ気がした。
つられて、わたしもへらりと愛想笑いを返す。あぁ、しまった。厳しい表情をしていなければならない状況なのに。
セリアン様の腕が動く。
眼鏡をもっていないほうの手で顔を覆うと、セリアン様は「ふむ……」とため息のような呟きを漏らした。
「どうされたのですか?」
「いや……うん、たしかに眼鏡はとらないほうがいいね」
あっさりと自論をひるがえすと、セリアン様の手がわたしの顔に眼鏡をかける。指先がふわりと髪をくすぐった。
とり戻した視界に映るセリアン様は、なぜか頬を染めてはにかんだ笑顔を浮かべていらっしゃって。
「あぶないから……いろんな意味で」
美しい中にもどこかかわいらしさをただよわせる謎のほほえみに、わたしの意識はブラックアウトした。
あぶないのは、あなたの顔面だと思います。





