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灰色の蜜柑

作者: 森 千博

普通のことが普通に出来ない「またしてもさ」に、私は遠慮の無い隠れ笑いと残暑見舞う茹だる日差しの中で、くらくら泣きそうに項垂れていました。人生の居心地が悪すぎるから、居心地の良い仕事なんぞにありつけるはずもなく(そんな事は贅沢だとか誰でもそうなんだとか言われましても、やはり当たり前が何回やっても何一つ出来ないという事は大変悲しいものです。)二十二個目の仕事の約一年における最終日のその日にて。



暑い熱い、熱過ぎる。それは頭の前方から天辺にかけての部位が尋常でなく、背中は風邪のような寒気がして足先にいたっては真冬の川を渡っている気分に錯覚させる程のちぐはぐさで皆目訳がわからない。それは何千人に一人という指定難病を二つも患っているせいなのか、そこからの自律神経の暴走のせいなのか、普通の人に対しても「大変危険な暑さです。命を守る行動をして下さい」とアナウンサーが真面目な眼差しで訴えかけているくらいなのだから私なんぞには暑過ぎるうえに辛過ぎて泣きた過ぎて消えてしまい過ぎるのだ。



そんな中でも一回り年上の先輩ご両人は昔のひと特有の頑丈さの故なのか「体力のお化けの権化」とでも言いましょうか、二回り以上年下の22歳の後輩青年には、ほぼ半年で仕事内容において圧倒的に置いて抜かれる始末で、5歳下のほぼ同期の奴に至っては顎先で指示され使われて、沸騰と凍結が紡いだ悪寒に吐き気がとめどない毎日でしたが、それも今日で最後。



私は52年前の冬の日に帝王切開で生まれた。あと数時間遅かったら命の火が二つとも消えていたらしく大量の輸血をした母、保育器の中で何度も鼓動が止まった私、それでもまわりの懸命の助けの末、まるで今この「新しい生活様式」推奨の世の中の医療現場で命懸けで働いている人々と同じのように、今も生きていられるのはあの人達のおかげ、それを忘れてはいけないはずなのに医者の告白「この子は二十歳まで生きられないかもしれません。そしてなんらかの脳の障害は免れないでしょう」という言葉の紛れも無い「半分の本当」に半世紀以上も翻弄され愚弄され、救いを求めても救われることなど露も無かった。



私は多分グレーゾーンだろう。母に至っては診断を受けたわけでは無いが、このとても長い今までの総ての物言いや応対を見てみると限りのないクロだ。それが最近になって理解できた。「母ちゃん、なんで今そんなこと言うんだよ…母ちゃん、なんで?なんでなんだよ」という、あの頃の小さい自分の溢れる涙が少しだけ乾いていく感じがする。現在の見た目だけは草臥れた中年の大人の自分の、母は更に年老いて草臥れて腰も曲がって横になってばかりいる。この歳なら当たり前だろう。私がもしくは貴女がもう少し白みがかっていれば、今頃は孫に囲まれて貴女の歳不相応な無邪気さで笑っていたのだろうか。



それでも二人とも生きている。消えたくて消えそうで、申し訳なくても、それでも懸命に。



23年前に骨になった祖母ばあちゃんが、そういえば言っていたね、と貴女が教えてくれた言葉「生きていく人、まだ役目が残っている人には神様が手をかざしてるんよ、その人の命の炎が消えんように神さんが手をかざして守ってる」





「これは凄い棘やな」そして「これをやるのはアイツやな」と遠慮の無い含み笑いとともにの親方とまわりの者達の言葉。柑橘系の木には身に刺さるほどの鋭く尖った棘がある。こんな身状態の私にこれをやれと言うのか、それを見て笑うのか。相変わらずの、もしくは西陽でそれ以上の異常な暑さにくらくらして今にも倒れそうなのを耐え忍んで私は「剪定」にかかった。



なんでやるのか、悔しいからか、最後だからか、見かけ高いプライドからか、そのすべてからなのか。一年間しか持たなかったが庭木の剪定の仕事をしてきた。なかでも多かったのが「途中伐採」というものだった。少し古い住宅の門の横で大きく伸び繁っている木、これを半分くらいに切ってくれと。立派なのに勿体ない、いや〜落ち葉のことなんかで近所がうるさいんで、まわりもみんな小さくしてますから、途中でバッサリ切ってますから、どこの街路樹も「纏足」のように先っぽを容赦なくちょん切られている、あの国道沿いも、私の家の近所にある昔によく遊んだ神社の鎮守の森さえも、後から開発された住宅街の面々のたっての苦情から。



私は出来る限りの枝葉を残して実も残した。背後からの罵声、それがどうした。サッパリと綺麗な庭とその家と、ともすればそこに住む潔癖過ぎる人々が常に監視を怠らずに正義の名に塗り込んだ誹謗や中傷を当たり前として攻め入り鎮座する世の中がもう既にそこに来ている。私の家は本当にボロッちくてね、そのバラックの中でさすがにいろんなものに絶たれそうになりながらもギリギリで息をしている者もいる。それが悪いというのなら、誰かの迷惑というのなら、鑑賞に耐えないというのなら。



ああどうか、世界が綺麗過ぎるものだけで囲まれていきませんように



罵声の後に続いて剪定バサミが飛んできた。私の指に当たり一個の蜜柑の実が地面に堕ち、る寸前で、もう片一方の手で掬い(すくい)上げた。怪我をさせてしまったことに動揺して固まっている、綺麗から外れてまわりに合わせた清潔を装う物たちを私は私の世界から追い出して



その実に血で汚れた手をかざした。




最後まで読んでくださってありがとうございます。ご意見や感想などを頂けると幸いです。

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