九話
敗残兵。
それは敗戦国となり、散り散りになってしまった兵士の事を指す言葉だ。
機を窺い、一矢報いようと身を潜めているものもいれば、戦争とは無縁の生活を送ろうと試みる者、他国の兵士に混ざる者など。
現状の違いはあれど、彼らは全員が戦勝国であるカシェレア王国を恨んでいる。そして、人権を無視した奴隷の扱いに激怒していた。
「敗残兵?」
「でしょうね」
ぱっと思い浮かんだ言葉を口にすると、セシャリアが隣で逡巡なく同調した。
「で、貴方はどうしたい?」
彼女が指差した場所はここからだと少しばかり距離がある。
虎視眈々と身を潜めているにせよ、俺が標的ある可能性は限りなく低い。何故なら、そのすぐ近くにセシャリアが見つめていた貴族たちがいたから。
我が物顔で奴隷を連れて歩く者たちが比較的近にいたから。
狙っているとしても、恐らくその者達だろう。
だから彼女は問うた。
どうしたい? と。
俺が好意で誰かを助ける善人ではないと知っているからこそ尋ねた。
他の貴族がどうなろうが知った事ではないと捨て置く俺だからこそ、あえて尋ねた。
そしてセシャリアは、俺が頷こうが頷くまいがどんな返事をしたとしてもそれを肯定するだろう。
彼女の興味は結果ではなく、俺がどんな考えをもってして答えを決めるのか。その一点にしか向いていないのだから。
「俺は」
見過ごそうが、見過ごすまいが、どちらを選んでも俺に利があり、害がある。
見過ごせば、視線の先に映る貴族が運悪く命を落とし、それを深刻視した上層部がそれなりに警戒度を高めてくれるかもしれない。
しかし、それを引き起こしたものがフィーネに害を与える可能性もある。なにしろ、数日後には学園祭があるのだ。
下手人がそれに目をつける。
そんな事も十分に起こり得る。
見過ごさなければ、見過ごした場合とは真逆の利と害を得る事ができる。簡単な話だ。
だから俺は。
「俺は、追い払おうと思う。フィーネに何かあった時、死んでも死に切れないし、大事になって学園祭が中止にでもなったらフィーネが悲しむ」
「そう」
帰ってきた返事は、淡白なものだった。
「だから行ってくるよ『エンチャント』」
身体に巡る魔力が熱を帯び、白い膜が全身を包み込む。
慣れた感覚。安心感に包まれる。
——俺にとって、一等大事なものはただ一つ。
俺が常日頃から口ずさむフレーズがセシャリアの脳裏を過ぎり、その言葉がひどく笑いを誘った。
歪みきったその在り方に、どこまでも彼女は嗤う。
「その自己犠牲精神は、やっぱり異常過ぎるわ」
理由を言うが早いか、保険にと『エンチャント』を使用し、目的を果たさんと歩き出す俺の背を、セシャリアが感情のこもった瞳で射抜く。
「過剰なくらいに『喪失』を恐れてる。まるでもう二度と、失わないようにと己自身に厳命を行うかのように。全ての行動理由を従姉に仮託している。だからやっぱり、貴方は壊れ切ってるわ」
行動する理由に、自己の都合なんて一切の余地も含まれてはいない。だから本当に、修復なんて不可能な程に壊れてる。
そう口にするセシャリアであったが、彼女の顔に嫌悪といった感情はない。むしろ、比較的好意に映るような妖しい微笑み。
「ねえ」
ぽつりと。
「ユウ・セスタリア」
彼女は俺の名前を呼ぶ。
「貴方の目には一体、何が見えてるのかしらね?」
風に攫われてしまいそうな程に小さな呟き。
ひとりごちるように声に出されたセシャリアの声が、俺に届く事は無かった。
* * * *
「——許せねえ……ッ」
薄汚れた衣服に身を包んだ男性は怨嗟の声を洩らしながら、ぐっと得物を握る手に力を込める。心なし手は怒りに震えており、彼の憤怒は計り知れないものだと傍目から見ても明らかだった。
「確かに、到底許せるものじゃない。が、解放するにせよ、今は無理だ、耐えるんだ」
「なら、アンタはあの行為を黙って見過ごせと!?」
「そうは言っていない。だが、こんな昼間から貴族を殺して奴隷を解放? 無謀も甚だしいだろうが。だから機を待てと言っている」
「だからってよ……ッ」
「あくまで、俺たちの目的は4日後だ。今騒ぎを起こしても俺たちにとって損にしかならない。お前も納得して付いてきた筈だろう? 今日のところは様子見に徹すると……」
質素な服装の男性2人。
血の気の多そうな赤髪の男性からもれ出る殺気さえなければ何処にでもいる一般市民となんら変わらない2人組。
ただ、街中の。それも建物の死角にて、武器に手を掛けながら殺気を撒き散らす成人男性とくれば話は変わってくる。
「ん? どうし——」
不自然に会話を途中で止めた相方の行動が不可解だったのか。
血の気の多かった男がどうしたのだと尋ねようと首を向ければ、瞳に映る第三者の姿。
「その話、詳しく聞かせてくれないかな」
不敵に笑う少年が1人。
「子ど、も……?」
声を掛けてきたのが14歳の子供である事が信じられないのか。呆気にとられる2人組であったが、それも束の間。
身なりの整った姿。
貴族らしい服装。子供にしてはやけに落ち着いた口調。
平民の子供らしくない立ち振る舞い。それらの条件から、正しく俺の正体を看破した片割れの男が忌々しげに叫ぶ。
「く……、そッ。貴族か……!!」
「だが、従者は見当たらねえ。ならここは——」
始末する。とでも言いたかったのか。
けれど、俺が彼らの発言を律儀に待ってやる義理は何処にもない。
足に力を入れ、大地を踏みしめた。
一足で、比較的厄介に思える冷静そうな男との間合いを詰め、握り拳を作った右手を引きしぼる。
「こい、つッ……」
肉薄を許した男であったが、咄嗟に身を捩り、射程の範囲外に身体をずらそうと試みる、が。
「もう、遅い」
狙うは鳩尾。
一撃で昏倒させんと、一切の容赦なく拳を振り抜き、重々しい男と感覚が腕を走り抜けると同時、標的だった男の足が僅かに浮遊。
「ぁ、がッ……!?」
眼球がせり出し、苦悶に塗れた声と一緒に肺に溜まっていた空気が吐き出される。
「てめえッ」
数秒遅れて事態を察した片割れの男が目の色を変えて俺を睨め付け、渾身の一撃を食らった男を助けんと動くが——。
「そこまでよ」
艶のある声と共に、ゴウッ! と、唸りをあげる風切り音が男の首筋に添えられる。
「死にたくなければ抵抗はやめなさい?」
視覚化できる程に圧縮された風の刃。
魔法を己の手足のように扱う魔法師——セシャリアによって生み出された風の魔法剣がいつの間にやら首筋に添えられ、薄皮一枚を既に斬り裂いていた。
「……か、はッ、……はぁっ、はぁっ」
苦しそうに胸を押さえながら膝をつき、前のめりに倒れて空気を貪る男を見下ろしながら俺はもう一度言葉を繰り返す。
「詳しく、聞かせてもらえないかな?」
再び静謐となった建物の陰の下。
事情を知っているであろう男を見つめ、問い掛ける。
「……、はっ」
しかし、返答は嘲笑を孕んだ掠れた笑い声。
「誰が、言うものか。くそ貴族」
彼の出した答えは、拒否だった。
子供だからナメられているのか。
そんな事を思うと、胸の奥からモヤモヤとした黒い感情が湧き上がる。
人を傷つける事に躊躇いは勿論ある。
けれど、フィーネの身の危険を考えれば、
「そ。じゃあ、あんたはいいや」
俺が次に移す行動は決まっていた。
答える気がないなら、ここで始末してしまえばいいだけの話。
それが少しでも脅しに繋がってくれれば、セシャリアが動きを止めてくれている男の方が口を割ってくれるかもしれない。
無理なら無理で、脅威になり得る存在を排除出来たという事で納得しよう。
それが俺の出した結論。
「ばいばい」
今は得物を携帯してはいない。
だから、魔法を使う。レガシィに教わった殺傷力のある魔法を。
手に魔力を込め、男の頭部に狙いを定めて——。
バリンッ。
何かが割れたような音が、ちょうどその時、目の前から轟いた。
「詰めが甘いな貴族の、がき」
嘲笑うように、息も絶え絶えだった男が気丈に哮る。
まるで『エンチャント』の時のように、目の前の男と、セシャリアが動きを止めていた男を薄い膜が包み込み、身体が透けていく。
「転移、結晶」
唖然と、セシャリアが言葉を声に出した。
しかし、直ぐに驚愕に染まった表情は平時のものへと戻っていく。目の前の現象に対し、理解の範疇は超えていないと言わんばかりに。
「物知りだなそこの魔法使い」
薄れて、消えて行く。
まるで元よりそこに居なかったかのように、粒子となって姿が掻き消えていく。
逃すまいと手で掴もうとしても、既に時遅し。俺の手は空を切る。
「悪いが、墓場はもう決めてるんでな」
そんな言葉だけを残して、本当に跡形もなく2人組の男は俺たちの目の前から消え去った。
『転移結晶』
言葉から大方の意味は掴めていたがそれでも、彼女の方へと視線を向ける俺と。もう一度、心底面倒臭そうに嘆息するセシャリアだけがその場に残され、後は何一つ残ってはいなかった。




