二話
従姉さんさえいれば良い。
従姉さんだけは失いたくない。
従姉さんだけは——。
従姉さんだけは————。
俺にとって、彼女は何を犠牲にしても守りたい大切なひと。
初恋のひと。大切な家族。恩人。母親代わり。
彼女をあらわす言葉は数え切れないくらいある。
けれど、一括りにするなら「大切なひと」これが一番、しっくりとくる。
だから、従姉さんを守る為であれば、どんな犠牲も厭わない。
たとえそのせいで血道を這うように生きなければならないとしても、構わなかった。それで従姉さんが救えるならば。
それで「今の幸せ」が得られるならば。
たとえ貴族として恥じるべき行為だろうが、俺は慚愧の念を抱くことすらない。むしろ誇る。
「当たり前」に縛られた結果、守れませんでした。ではダメなのだ。なにより、殺したくなる。
己自身を、これ以上なく殺したくなるし、許せなくなる。
だから俺は、バカな手段を選んだ。
本当に、バカな手段を。けれど俺は、後悔なんてしていない。
きっと、いや。
絶対に、この手段こそが正しかったと他でもない己自身が確信していたから——。
* * * *
「こ、のっ!! 奴隷の分際で、なんだその目は——ッ!!!」
晴れ上がった空の下。
怒気に塗れた声が「当たり前」の光景として鼓膜を揺らし、首輪を付けられた無抵抗の男に向けられた蹴り上げる音が続く。
ここは、カシェレア王国。
昨今の戦争にて連戦連勝を続ける戦勝国であり、大国。
それでもって、奴隷制が認められている国のひとつだ。
敗戦国の臣民。
主に軍人や、それに準ずる人間。その配偶者、捕虜。
それらの人間に人権は有らず、戦争に貢献した軍官及び貴族の奴隷として扱われる事は常であり、「当たり前」の常識である。
名の通った軍人。
亡国の姫。そういった名の広まった人物を奴隷にする事は特に、主人のステータスとして扱われ、優越感に浸る事が出来る。
ゆえに、奴隷を連れ歩くものは多い。
加えて、気にくわない事があれば先のように、理不尽な暴行を加える事も問題がないという利点もある。なにせ彼らには人権は無いのだから。
壊れてしまえば次の奴隷をあてがえば良い。
多少、名の広まった人物であれば惜しまれる事もあるが、壊れてしまったのならその程度だったのだと勝手に納得する貴族もまた、大半であった。
「いつ、も!! いつもッ!!! 僕を見下したような目を、しやがって——ッ!!」
首輪をつけられた成人男性が10歳そこらの子供に足蹴にされている。奴隷制が認められていない国でこんな事をしてしまえば極刑は免れないだろうが、生憎とカシェレア王国では認められている。
だから、誰も助けないし、誰も気に留めない。見咎めない。
「父上もそうだ!! どいつも、っ、こいつもッ」
蹴り上げる音が苛烈に高まり、僅かに血が舞う。
けれど、足蹴にされる男は悲鳴をあげる事もなくただじっと己の首輪に繋がれた鎖を手にする少年を見据えるのみ。
それらの行為が余計に少年の癇癪を掻き立てたのか。
終いには懐に手を伸ばし、乱雑に何かを取り出す。
降り注ぐ日光を反射し、ギラリと輝いてみせる凶刃。
刃渡り10cm程の短剣だった。
「……ふ、ふはっ、そうだ。その生意気な目を潰してやろう。二度と僕にそんな目を向けられないように、斬り刻んでやる。父上からはこの奴隷を壊すなと言いつけられてたけど、そんなの、関係ない。父上が甘やかすからだ。殺されないと分かってるから、こうも付け上がるんだ」
ゆらゆらとした足取りで奴隷の男に近寄って行く。
がしりと血と砂に塗れた頭部を掴み上げ、目に狙いを定め——
「やぁ、アストル。今日は良い天気だね」
ピタリと。その手が止まった。
「…………」
僅かな逡巡。
少しだけ考え込んで、何を思ってか、少年は短剣を懐にしまい込んだ。
なにより、その行為に驚きを禁じ得なかったのは奴隷の男。
どれだけ痛めつけられようと顔色ひとつ変えなかった男の表情が、はじめて変化を見せた。
「やあ、ユウ! 久しぶりじゃないか!! 以前、僕のうちに遊びに来てくれてからもうかれこれひと月だ。妹もユウをまた連れて来てくれないかと煩いんだが、また遊びに来てはくれないかな?」
先ほどの癇癪はどこにいったのかと問い質したくなるような変わりっぷりである。
奴隷の男はその代わりように渋面を見せるも、主人の対応から、その相手もまた、貴族なのだと判断。
再び、感情を顔から消した。
「ああ、もちろんだよ。だからお父上にはまたお世話になると言っておいて貰えるかな」
「僕らの仲だ! そんな堅苦しいのはやめにしようじゃないか。そうだ! ちょうどこの近くに新しく出来たスイーツの店があるんだけど——」
これでもか、といった具合にアストルと呼ばれた少年は早口にまくし立てる。
だが、ユウ——俺の注意はアストルではなく、連れられていた奴隷の男に終始向けていた。
「——どう、かな?」
伺い立てるように首をかしげ、じっと見つめられる。
そういえば、アストルは甘党だったか。なんてどうでも良い事を思いつつ、俺は小さく笑う。
「あー、申し訳ないんだけど今日は用事があってね」
「用事?」
「そ。とは言ってもいつものなんだけどね」
いつもの。
俺という貴族はある界隈ではそれなりに知られていて、「いつもの」なんて曖昧な言葉でもある程度の会話は通じてしまう。
表立って口にする者はひとりとして存在しないが、実しやかに噂されている二つ名は——
「……また、壊したのかい?」
「そ。また壊れちゃったから、その補充に」
——壊し屋。
壊すとは即ち、奴隷の事を指す。
つまり、使い物にならなくなった。という事である。
「んん。なら仕方ないか……。い、や。そうだ! 僕も一緒に行ってあげるよ! そういえば僕の奴隷もてんで使い物にならなくてね。新しいのをって思ってたところなんだ」
「そっ、か」
そう口にする俺の口角は、僅かにだがつり上がっていた。
しかし、アストルは気付かない。親しい者でも気付かないようなほんの僅かな変化だったから。
けれど、数秒の時間にも満たない間に見せた微笑はひどく歪んでいて、どうしてか、奴隷の男だけがその変化に気付けていた。
「あ、そうだ。ねえ、アストル」
さも。今まさに思いついたかのように。
「その奴隷。もし良かったら俺に譲って貰えないかな?」
俺はそう口にして、人当たりの良い笑みを貼り付ける。
「え」
まさか己の奴隷を欲しがられるとは思わなかったのだろう。
驚愕に目を見開き、素っ頓狂な声が上がった。
「だって、ほら。アストルも凄い蹴りつけてたのに全然壊れる気配なかったし、ね? だから俺にぴったりかなーって思って」
それに、と言葉を続け。
「壊れたのって随分と前でさ。結構、その、溜まってるんだ。早く家に帰って発散したくて仕方がなくてね」
だから、ほら。と言って、ポケットに忍ばせていた包みを取り出し、アストルの目の前で中身を開帳する。
「こ、れ」
「今日の買い物代なんだけど……。その奴隷くれたら全部あげちゃおっかなー、なんて」
ちらり、と意味深な視線を向けて見せる。
アストルの目は欲に駆られた獣のような目で中身——宝石を見つめていた。お金に厳しい。なんて話をいつだったか聞いたことがある。両親が不在の俺は兎も角、彼は色々としがらみがあるはずだ。
それはお金も然り。
きっと、この宝石は彼にとって喉から手が出るほど欲しいもの。
知っていてあえて、俺はこうして差し出そうとしている。全ては目的の為に。
「でも、この奴隷は……」
尚も言い淀む。
だから俺は、それらしいウソを彼に吹き込んだ。
「お父上には、自殺した。とか言っておけば良いようん。最近じゃそんなケースは多いとか聞くし。死体は重たかったから川に投げ捨てたとか言ってさ?」
「……そ、そうだよね。ああ、そうだよ。奴隷は奴隷さ。玩具を壊して怒られる程度……」
どうにも、今は他に欲しいものがあるのか、宝石にしか目が向いていない。まるで、暗示をかけようにぶつくさと呟いている。
それに追い打ちをかけるように、俺は手にしていた宝石をアストルに握らせ、奴隷の下へと歩み寄った。
「……何が目的だ」
「それを語る理由は今はないよ。知りたかったら今は大人しくしててくれないかな。戦士アルーヴ」
「——っ」
調べはついていた。
先の戦争において、最後までカシェレア王国に牙を剥き続けた皇族直属の騎士団。その先鋒。
名を、アルーヴ。
基本的に、敗戦国の人間の処遇は捕らえた者が如何様にも出来る。勿論例外も多々存在するが、基本的にはそのルールに従わなければならない。
このアルーヴはアストルの実父によって指揮される私兵団によって最後は捕らえられ、こうして奴隷に堕とされていたひとりだ。
「じゃあ、アストル。この奴隷貰ってくよ?」
「……ぁ、あ、ああ!」
曖昧な返事。
けれど、言質はとった。
瞬間。
ずきりと痛みが手の甲に走る。
じわりと浮かんでくる赤い紋章。
奴隷紋と呼ばれる、奴隷の主人に浮かぶ紋がしっかりと俺の身体に刻まれた。
奴隷は、主人に逆らえない。
それは絶対であり、刻まれた奴隷紋がそれを証明していた。
奴隷紋とは、奴隷を拘束するものであり、譲渡をする際。若しくはなんらかの理由あって主人を変える際は、主に言質を必要とする仕組み。なので先ほど、言質を取ったからこうして俺に権利が譲渡された。
「……おれに、何をさせたいんだ」
戦士アルーヴ。
そう、名を呼んだからだろう。
淀んだ瞳で不快感を隠そうともせずに彼は平坦な声音で問い掛ける。
声を発したのは俺がアルーヴを連れて歩き出し、アストルの姿が見えなくなったのを見計らったからだろう。
「話はうちに着いてから」
きっと、直に目で見ないことには信じては貰えないだろうし、なにより周囲の目がある外でアレを話すのはマズイ。
アルーヴも、俺が外で話す気はないと悟ったのか。
自宅にたどり着くまではそれ以上、口にする事はなかった。
そして、約四半刻程の時間を経て、自宅へと辿り着く。
しかし、入る場所は玄関ではなく、その裏。
しかも大きな屋敷の中、でもなくて、その隣にちょこんと存在する穴のような地下へと続く階段に、であった。
「母屋は、ダメなんだ。露見するわけにはいかないから、こっち」
あからさまに不信感をあらわにするアルーヴにはそれだけ告げ、俺が先行するように地下へ続く階段へと足を踏み入れる。
明かり一つない地下階段。
外に音が漏れないように徹底させた造りで、足音だけが木霊する。
「着いたら説明する、だったと思うが」
不意にそう、アルーヴが口にする。
「まだ着いてない」
アストルがいた時同様、突き放すように返事をするが、どうしてか今回は会話が途絶える事はなかった。
「ひと気もないと思うが?」
「確かにそれは理由のひとつ。けど、最たる理由はそれじゃない」
「……そうか」
そんな会話をしながら、階段を歩く事3分。
「……こんなところに、扉? それに——」
何か他にも言いたげであったが、あえて最後まで言わせる事なく俺は扉を押し開けた。
恐らく言いたかった事の内容は扉の取っ手に血痕が付いている。といった事だろうなと予想しつつ、この4年ですっかり馴染みの深い場所に変わったソコへ足を踏み入れた。
はじめにやってきたのは、これでもか。
という具合に差し込む光。
次いで、鉄の匂い。
目に入った光景は、大きな闘技場に似た場所。
疎らに点在する人の数は目算で5。
「……成る程」
勝手に得心をするアルーヴ。
しかし、きっと彼は勘違いをしている。
恐らく、この闘技場紛いの場所で奴隷同士を戦わせる、などと。
だから俺は声高らかに言ってみせる。
「ようこそ、俺の闘技場へ」
くすくす。けらけら。
男女の笑い声がBGMとして聞こえてくる。
まるで、聞き飽きたとばかりに呆れた笑い声。
彼らに、俺に対する嫌悪感がない事に対して、平時ならばアルーヴは気付いていただろうが、今だけは気づけない。
「戦士アルーヴ。俺はあんたと取引がしたい」
これを口にするのも、かれこれ8回目。
「あんたは今日、あの時をもって俺の奴隷になった。人間らしい生活は最低限保証する。その上で、取引がしたい」
俺が求めている「人間」は、他よりマシな扱いだからと頷いてくれるような楽な連中ではない。
筋の通った面倒臭い人間ばかりだ。
だからこそ、この言葉。
「3年だ。今から3年の間、俺を鍛えて欲しい」
戦うのは俺自身。
ゆえに、「俺の闘技場」だ。
師事する人間は強ければ、強いほど良い。
だから俺にとっては例え師事する相手が奴隷だろうが、強いならば瑣末な事であった。
「その対価であるならば、俺はなんでも払うよ。祖国の「今」が知りたいなら教えてやる。自由を望むなら、3年後に自由を約束しよう。その場合、制約を掛けてもいい。皇族がどうなったのか。それすらも対価とするなら調べ上げてみせる」
「仮に、」
ぽつりとアルーヴが声を落とす。
「仮に、前の主人が憎い。殺す機会が欲しいとおれが望んだとしたら?」
「叶えてみせるさ。その程度なら3年と言わず今からでも」
逡巡なく、答えてみせる。
アイツは、お前にとって友人ではなかったのか。
責めるような視線が俺に向くが、お門違いもいいところである。
「俺が他の貴族と仲を良くしている理由は、今回のように穏便に譲り受ける為。情なんざ欠片も持ち合わせちゃいない」
はっきり言おう。
俺はろくでなしだ。傍から見れば奴隷を助けている優しい貴族と思われるかもしれないが、それは大きな間違い。
単に俺が貰い受けているモノの報酬であり、対価であるだけだ。
現に、己に利益をもたらさない奴隷を譲り受けた事は一度としてないのだから。
俺にとって、一等大事なものはただ一つ。
「あー。ダメよダメダメ。ソイツ、頭逝ってるから何言ってもムリよ。真っ当な答えを期待してるなら、それは一生出てきやしないわ」
くすくすと妙齢の女性が面白おかしそうに、遠間から会話に割り込んで口を開いた。
「……それについては激しく同意します。もっとも、中身は従姉狂いのポンコツ野郎ですが」
続いて、背の低い幼い少女が呆れ混じりに言う。
「従姉狂い。あぁ、確かに従姉狂いだわなァ。なにせ、ポケットには片時も忘れずに従姉の写真を持ち歩くってよォ……ガキかよ!! あ、ガキだったわ」
痩躯の男が指をさして俺を笑う。
「なんとでも言いやがれ」
「ここで照れてりゃ、弄りがいの1つや2つあるってのになァ」
心底残念そうに痩躯の男は頭を悩ましげに掻いた。
「いひっ。ワタシは楽しければそれで万事おーけーでぇす。ユウさんの近くにいると退屈しなくてすみますからねえ。加えて、3年後に願いを叶えてくれる。すぅーばらすぃーじゃないですかぁ!!」
「はいはい。馬鹿は黙りましょうね。はい」
白髪頭の典型的な科学者と思しき風体の男が奇声をあげ、それを諌める露出のひどい褐色肌の女性。
「……こいつらは全員、君が?」
「俺に必要だと判断した人間は例外なく、こちらに引き込んでる。もちろん、全員俺が引き込んだ。誰かの手を借りる。楽ではあるが、それじゃあ信用は出来ない。なにぶん、己の手で成した事しか信用出来ない臆病者でね」
「何が、君をそこまで突き動かす」
「大切なひとをひとり。守り抜きたい。ただそれだけだよ」
言うべき事は、全て口にした。
あとはもう、アルーヴの返事を待つだけだった。
「もう一度、問おうか。俺はあんたと取引がしたい」
これは奴隷と主人の関係を抜きにした、対等な者同士の取引。
「もちろん、たとえ断ったとしても、人間らしい生活を送れる事を保証する。これは脅しじゃない。対等な、取引だ。その上で、答えを聞きたい」
回りくどいやり方だという事に、自覚はある。
けれど、誠意を見せる事にこそ意味があると俺は信じて疑っていない。ゆえに、この場を設ける事を「当たり前」と考えている。
「俺を、鍛えては貰えないかな。戦士アルーヴ」