一話
アルファポリスからの転載となります
タイムリープをしてしまった。と口にする人間の言葉を真に受ける者は、果たしてこの世界に何人いるだろうか。
仮にいるとしても極少数の物好きくらいだろう。
胡散臭い宗教に傾倒した変わり者。人を疑う事を知らないバカ。
若しくは、実際にタイムリープを体験したと宣う極一部。などなど。
時間遡行なんてする筈も、ましてや出来る筈もない。これこそが常識であり、当たり前。
だから俺自身も信じる事が出来なかった。
己が時間遡行なんて馬鹿げた事に巻き込まれてしまった、なんて事実を信じる事は、出来なかった。
いや、俺の場合は違うかもしれない。
なにせ、信じられない。ではなかったから。
俺の場合は、信じたくない、だったから。
タイムリープとは時間遡行だ。
「今」という時間から過去に遡る行為。それを人はタイムリープ若しくは時間遡行と呼ぶ。
時間遡行を体験したという事それ即ち、これから起こる「未来」を知っている事に他ならない。
だからこそ、知っている未来に重なり合っていく「今」を実感している俺は驚愕を禁じ得ず、こうして眉間に皺を寄せて思案をせざるを得なかった。
「……はぁ」
華美な装飾溢れる一室。
ホットコーヒーの注がれたマグカップをコトリ、と机に置き、白い息を吐き出した。
閑散と静まった部屋には己以外の誰もいない。
普段なら寂しいなどと思うところであるが、今回ばかりはそうも言ってられなかった。
どこかのお偉い学者は書物に書き記した。
起こる事象の全てに、例外なく何事も原因が存在する、と。
俺の体験してしまったタイムリープに原因を見出すならば、きっとアレが最たる原因なのだと言い切れた。何より、その出来事を境に「未来」の記憶は途切れていた。
断言出来る。
俺がタイムリープをしてしまった理由は、従姉の死だと。
どうしても受け入れる事が出来ない「あの時」の俺が起こした執念なのだと。
どうしてあの時。自分はなんで。どうすれば良かったのか。従姉さんはちゃんと「今」生きているのだろうか。
決壊したダムの如き勢いで、滂沱に溢れる感情が己の頭の中に雪崩れ込んできていたが、不思議と取り乱す事はなかった。
「今」の俺の齢は数えで10丁度。
しかし、人という生き物は己自身が体験した経験によって、精神の成長が促される。であるならば、遡行を体験した俺が遡行前の記憶を引き継いでいる事つまり、精神年齢も引き継いでいる。その事実に他ならず。
こうして10歳らしくない態度、思考、平時と変わらない精神状態を維持ている異常性。それらが遡行してしまったと決定付ける最たる理由でもあり、感謝すると共に、従姉の死が「未来」にて起こり得る出来事なのだと再認識させられ、己をさらに蝕んだ。
「俺が、」
鮮明に思い出される迫る凶刃。
庇う従姉さんの姿。
崩れ落ちる華奢な身体。
手にべっとりと染み込む唯一無二の家族の鮮血。
「俺が、守らないと」
その通りだ。
従姉さんを死なせない為には、俺が守るしかない。
守られるのではなく、守る。
「でも、時間は限られてる」
時間が遡行する事となったあの日はいつだったか。
真に己のモノと断言出来ない記憶を無理矢理に引き出し、俺が出来る最善の手段を選び、掴み取る。
「……10年。10年、だ」
必死に、絞り出した記憶。
声にはどうしても悔恨のような色が篭ってしまう。
戦場に駆り出されるようになったのが20の時。
あの時の俺はまだ頼りなくて、上役の方が気を利かせて従姉と離れ離れにしないでくれたんだっけか。
確かその前年に俺の両親が戦死していて、精神面の問題もあって一緒になるように働きかけてくれた。と、いつかの酒の席で誰かと話した記憶が己自身のモノとして存在していた。
「みじ、かいな……」
10年。
声に出してみると不思議と長く感じてしまう。
けれど、たった10年だと心の中で訂正が入る。
10年で、従姉さんを守れるのか。救えるのか。
自問自答が始まって、不安が掻き立てられて、そして俺はまた、ため息を吐いた。
既に夜は更けている。
豪邸と呼んで差し支えのないこの家には俺と、従姉さん2人で住んでおり、両親とは訳あって住まいを分けられていた。
従姉さんが他人を頼りたがらない性格である事もあって、使用人は今は1人しかいない。両親と一緒に住んでいた際には他にも何人かいたが、全員両親について行く事になっていた。
だから実質、従姉さんと2人暮らし。
従姉さんは俺より2つ年上で12歳。
夜が更けたこの時間に起きているはずもなく、人様に到底見せられないような陰鬱な表情を見せずに済んで良かった。
それだけが、不幸中の幸いだった。
残された時間は、あまりに少ない。
加えて、だ。
10の子供が、強くなろうと試みる。
思うだけならばタダであるし、容易でもある。
が、実行に移そうとすると様々なしがらみに囚われてしまう。
当たり前の事だが、がむしゃらに剣を振るったところで剣の腕は上がらない。確実に上達させようと思うなら、師事する人間が必要だ。ならば、軍人にでも頼めばいい。
そんな考えに帰結しかけたが、俺はすんでのところで却下した。
この身は貴族である。
位もそれなりに高位であり、仮に強くなりたいからと軍の人間に頼み込んだ場合、間違いなく成人と同時に軍に突っ込まれる。
俺の願いは、従姉さんを守る事。
間違っても、御国の為に戦う事ではない。
だから案を却下した。
ならば、どうするか。
本でも読もうか。それとも、今から多くの人間を雇い入れようか。そんなことも考えたが、全てにかぶりを振る。
他人任せなんて、信用が出来なかった。
己自身しか、俺は信じられなかったのだ。
裏切り。
そんな光景も、いつかの記憶に点在している。
だからこそ、その案も実行しようとは思えなかった。
当たり前と思える考えが浮かんでは、それではダメだと頓挫、頓挫、頓挫。
でも、やれる事はやっておかなくちゃいけない。
でないと、後悔する。
死んでも死に切れないし、そんな事は絶対に許さないと、俺の中の俺が声を張り上げ、慟哭を続ける。
そんな折だった。
「——ユウ?」
ガチャリ。
ダイニングルームの扉が、親しみ深い声と共に押し開けられた。
寝巻きと思しき厚着の服の袖から見え隠れする白魚のような細く、白い指。
白磁の如き白い肌にこれ以上なくマッチした扇のように広がる白銀糸の長髪は、肩付近で切り揃えられている。
俺が、彼女を見間違える筈はない。
反射的に、少しだけ俺の目が見開いた。
寸前まで寝ていたのだろう。
光に目が慣れていないのか、眩しげに目を擦っていた。
「従姉、さん」
言葉に、感情がこもる。
今迄にないくらい、深い親愛の意が無意識のうちに込められる。
「……寝れないの?」
ダイニングルームで、夜遅くにホットコーヒーを椅子に座りながら飲む10歳の少年。
自分の現状を思い返し、寝れなくて目が覚めて、ついでに喉も潤そうと考えた人間の典型的な状態だなと思った。
従姉さんの指摘は最もである、とも。
「寝れ、ない。ああ、うん。寝れない。そう、寝れなかったんだ」
一度は言葉を否定しようとして。
でも、やめて。
次に己に言い聞かせ、説得して、最後は言い訳をした。
入り混ざる感情が俺の行為の邪魔をしようと騒いでいたけれど、今日だけは。
今だけはと、胸中で言い訳をすると、漸く煩くわめいていた何かが静まった。
それはまるで、今日だけだと言わんばかりに。
「ふぅーん」
隠し事をするなんて、気にくわない。
目が口ほどにものを言っていたが、あえて言及するつもりはないのか、それ以上、触れてくる事はなかった。
「なら、一緒に寝よっか」
桃色の瞳が、俺を射抜く。
当たり前の日常。当たり前の光景。当たり前の幸せ。
この時の俺にとっては、「当たり前」であるはずの光景は、あの時の俺にとっては「当たり前」ではない。
失われた光景であるがゆえに——。
「っ、て、ユウっ!? なん、で泣いてるの? もしかして、怖い夢でも見た!?」
一筋の涙が、頰を伝った。
「あ、れ……?」
頰の辺りがなんだか熱いなとは思っていた。
従姉さんに指摘されて、目元に手をあてると水っ気があって、そこで漸く自覚をしてしまったが最後。
刻々と視界が歪んでいく。
「なんで、おれ、泣いてるんだろ」
心配をかけまいと、慌てて涙を拭って、拭って。
なのに、涙は一向に止まってくれない。
身体が言うことを聞かない。まるで、自分の身体じゃなくなったみたい。そんな不思議な感覚に陥った。
「どう、して——」
アレは記憶だ。
「今」の現実ではない。
実際に従姉さんは目の前にいる。
俺の目の前から居なくなってない。ちゃんと、居てくれてる。
なのに、なんで、俺は泣いてるんだろう。
泣いて従姉さんを困らせる必要なんてどこにも無いのに。
そう思っている最中。
後頭部に、柔らかな感触が感じられた。
次いで、何かに引き寄せられるように顔が押し付けられる。
「大丈夫、だよ」
声が聞こえた。
従姉さんの、声だ。
「大丈夫だから、ね?」
そこでやっと、従姉さんのかいなに抱かれていると自覚した。
従姉さんの温もりだと、分かって、安堵に包まれた。
「……うん」
小さく返事をしながら、脱力する。
ずっと身を任せていたくなるような安堵に身を委ねる。
叶うならば、この幸せがいつまでも続きますように。
そんな祈りをどこかに向けながら。
「もう、少しだけ、このままが良い」
「ユウはワガママだねえ」
ほんの少しだけ、呆れが混じってたけど、言葉を境に僅かに従姉さんの腕の力が強まる。
出来れば、もっと強くが良い。なんて本音は流石に隠したまま今日だけは、従姉さんに甘えても良いよねと、己自身に言い訳をした。




