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8.町村 密につきまとう影

◆◆◆◆◆


 眼下に天の川のような夜景が見渡せるイタリアンレストランの特等席だった。

 上條からエンゲージリングを送られたとき、密はまちがいなく人生最上の幸せに包まれていた。

 隣りのテーブルで食事をしていた見ず知らずのカップルや老夫婦から、温かい拍手と賛辞までもらったものだ。

 誰も彼もが祝福してくれた。

 それほど上條のプロポーズは拙くとも、誠実さとひたむきさで人をふり向かせた。


 そのあとのホテルでのことを思い出すたび、密は頬を桃色に染める。

 抱かれたときのとろけるような愉悦。

 男の真っすぐな愛。


 二人ですごす時間のなんともいえない居心地のよさ。

 ますます上條しか考えられなくなった。

 まさか自身が、ここまで恋に溺れるとは思わなかった。


 このままぶじ結婚できたら、背負っている十字架の重荷も、多少なりとも軽くなるのではないか。

 そのためには、いずれ上條に真実を伝えなくてはなるまい。

 伝えることにより、もしや彼は腰が引けてしまうかもしれない。

 いや――上條ならきっと受け容れてくれるはずだ。

 彼ならどんな苦難にも立ち向かって、私を守ってくれると、密は信じた。信じることができた。


◆◆◆◆◆


 『rencontreランコントル』での仕事に張りが生まれた。

 それなのに水を差すのはあの男(、、、)である。

 いまだにストーカー行為をされていた。

 上條のことも知っているはずだ。きっとデートの現場も監視されたにちがいない。

 じっさいに見られた意識はないのだが。それとも夢中になっているうちに気づかなかっただけか。


 店から道路を挟んだ真向かいの、雑居ビルと歯科クリニックの間の路地に、男はいた。

 密が店先で仕事をしているところを微動だにせず見守っていた。

 相も変わらずニット帽を目深まぶかにかぶり、メガネとマスクをつけた人物が佇んでいるのだ。

 夏だというのに暑苦しい恰好をしているので、嫌でも人目につきそうだが、なぜか暗がりでうまく擬態していた……。


 付きまとわれるようになってから半年になる。

 被害届を出したものの、これといった実害が発生していないため、所轄の警察も及び腰だ。

 相手に警告すら発してくれていないのが現状である。

 密自身、単に思いすごしではないか、と思うこともあったので強気に出るのも引け目を感じた。


 いちど店長に相談したことがある。

 ならばと店長自身が男のもとへ歩み寄っていってくれた。

 男は勘づいたらしく、足早に去っていった。


 しかしながら数日経てば元の木阿弥もくあみだった。

 遠巻きに店で働く密を、ひたすら見つめているのである。

 密も上條と同じく、後手にまわったのが事態を悪くしたようだ。


◆◆◆◆◆


 上條と結ばれた夜から数日経ったある夜。

 『rencontre』は定休日のため、マンションの部屋でくつろいでいた。

 シャワーを浴びた密はノースリーブのシャツをつけ、首にタオルをかけた。

 冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出し、グラスに注いだ。


 窓際のポトスに水をやってから、ソファベッドに腰をおろし、テレビをつけた。

 民間放送局が、タイミングよくこれから報道特集をはじめるところだった。

 突如、液晶画面に角が生えた怖い形相がアップで映し出され、度肝を抜かれた。


「うぉおおおおおおっ! 泣ぐ子はいねがー! 怠け者はいねがーっ!」唸り声とともに、鬼面の男が自宅にあがり込むシーン。家人は中年の男女と、小学生低学年の男児だ。その迫力ある姿を見るなり、男児は悲鳴をあげて大泣きする。「親の言うこど聞がねガキはいながー? こごの嫁っ子は朝起ぎするがー、すねがー? うがぁあああああっ!」


 秋田県男鹿(おが)半島周辺にて、年中行事で現れるナマハゲである。

 全身(みの)をまとったナマハゲが出刃包丁を振りかざす。

 強烈なインパクトがあった。いくら包丁は木で作られ、銀紙で貼りつけられた作り物とはいえだ。

 BGMとともに、落ちついた年配女性のナレーションが入る。


「二〇一八年一〇月二十四日のことです。文化庁は国連教育科学文化機関ユネスコの無形文化遺産に推薦していたナマハゲなど、『来訪神らいほうしん仮面・仮装かそうの神々』について、事前審査をしていた評価機関が、登録を勧告したと発表しました。そして今年、五月二十七日。霞が関にある文化庁六階講堂において、認定書伝達式が行われ、晴れて日本の神々は世界に認められたのです」


 テレビはナマハゲのほか、ヤシ科の常緑高木であるビロウの腰蓑こしみのをまとい、怪獣みたいな大型の仮面をすっぽりかぶったものや、全身泥まみれの、これまた蔓草つるくさをまとい、のっぺりとした仮面を持って、顔を隠した異様な姿を映し出す。

 それぞれ画面下部には『悪石島あくせきじまのボゼ』と『宮古島のパーントゥ』のテロップが入った。


 思わず密は、そのショッキングなビジュアルに釘づけとなった。

 ナマハゲは有名なのでわかるとして、そのあとのボゼやパーントゥなど、まさか現代日本でこのような行事があるのかと驚かずにはいられなかった。

 なおもナレーションは続く。


「『来訪神』とはすなわち、『客人マレビト』だとも言われています。古来より、遠方からやってきた客人は仮面をかぶり、仮装した異形の姿で現れ、私たちに豊饒ほうじょうや幸福をもたらすと信じられてきたのです。行事の際、その地域の住民らが神に扮するのが一般的です。これらは日本に限らず世界各地でも見られる民俗行事ですが、日本の場合、民俗学者・折口おりくち 信夫しのぶによって、これをマレビトとして定義したのです」


 ここで明朝体のフォントでタイトルがかぶせられる。


『我々はどこから来て、どこへ行くのか? ――【仮面仮装の神々が異界よりやってくる】』


 密は生乾きの髪をタオルでごしごしやりながら、食い入るようにテレビを観た。

 冒頭部分から二〇分ぐらいまでの内容をまとめるとこうなる。


 ――昨年、ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、①男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)をはじめ、②吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)、③米川の水かぶり(宮城県登米市)、④遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)、⑤能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)、⑥見島のカセドリ(佐賀市)、⑦甑島こしきじまのトシドン(鹿児島県薩摩川内市。※2009年に登録済)、⑧薩摩硫黄島さつまいおうじまのメンドン(同県三島村)、⑨悪石島のボゼ(同県十島村)、⑩宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)の一〇の来訪神行事である。


 日本における同行事には、いまだ無形文化遺産に登録されていないだけで、他にも以下のものがノミネートされている。

 沖縄県沖縄本島・八重山列島各地のミルク、沖縄県石垣市(石垣島)・竹富町(西表島・小浜島・上地島)のアカマタ・クロマタ、沖縄県石垣市(石垣島)のマユンガナシ、沖縄県竹富町(波照間島はてるまじま)のフサマラーなどである。




 ナマハゲやトシドンは主として冬の行事(大晦日、正月、小正月や節分など)であるのに対し、メンドンやボゼ、パーントゥなどの鹿児島・沖縄などの離島では夏の行事(農業収穫祭のとき)であるのが特徴的である。


 冬のそれの場合、旧暦の一年最初の満月である正月十四、十五日の小正月の夜に、来訪神がやってくるとされる事例が多い。反対に、旧暦七月十五日を中心とする盆行事のように、先祖の霊と同一視されている来訪神が子孫のもとにやってくる、という信仰に由来している。


 むろん来訪神行事のなかには、仮面をつけず、仮装しない行事だってある。

 上記した一〇件やほかの行事も、伝承者の熱意、行事の学問的価値、民俗文化財としての重要さは同じであり、無形文化遺産制度の理念でもあるのだ。

 来訪神行事は主に農村部で行われ、毎年、仮面、装束や杖を新しく作り、地域の若者や子供、厄年の者が身につけて神役に扮するのが共通している。行事が終われば、それらの道具を破棄するのも同じだ。


 神役は集落の家々を訪れては、各家で同様の儀礼をくり返し行う。

 ナマハゲのように勉強しない子供を叱りつけたり、持参した縁起物を配ったり、かわりに家人からもてなしの歓待を受け、帰りに家の人から餅などをもらう贈答習俗ぞうとうしゅうぞくも見られる。


 冬の行事の場合、唱え言などによって、秋の豊作など一年の幸せをあらかじめ祝い、言霊信仰ことだましんこうのように、現実のものにしようとする考えが背景にあるのだという。

 または厄年の男が、各家を訪れることによって自身の厄を落とし、訪問した家族の厄を祓う行事もある。

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