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6.黒い日傘をさした着物姿の密

 赤い法被姿の寒川は腫れぼったい顔を近づけてきて、鼻息を荒くした。


「いかがでした、密お嬢さんは帰られておりましたか?」


「それが、あいにくと――」


 上條は力ない口調で、町村家で交わしたやりとりを伝えた。

 すぐにでも〆谷集落を出ていくことを付け加えた。


「残念ですな。とても残念です。しかし、密お嬢さんは心配されているような事態に陥ってるとはかぎらないでしょ? もしかしたら、あなたに知られたくない秘密があり、あえてなにも告げず、あなたのまえから去ったのかもしれない」


「知られたくない秘密」


「こう考えてみてはいかがです。――密お嬢さんのなかで踏ん切りがつけば、いずれ上條さんのもとに戻ってくることだってあり得ます。時間が解決してくれるのを待つのです。いまはそっとしておくのも、男としての度量が試されるというわけで」


 その言い分を聞いていて、さすがの温厚な上條も腹が立ってきた。


「よしてください! ただ指をくわえて待っているだけだなんて、僕にはできっこない。なんにしたって、東京に戻ります。ご両親には連絡先を伝えてあるし、なにか手がかりがあれば、電話してくれるよう約束してくれましたので。失礼!」




 上條が公民館横の駐車場に踏み込んだときだった。

 寒川はすかさず前にまわり込み、


「そうおっしゃらずに! せっかく〆谷に来られたんです。夏祭りをご覧になっていってはいかがですか? 開催日まであと二日ありますが、なんでしたら私の自宅を宿として提供しますから、当日までゆっくりくつろいでみては……。もちろん、お代金はよろしいです!」


「僕は遊びにきたんじゃありません! くどいようですが、行方をくらませた婚約者を捜しにきたんですよ? ここに帰ってきてないとなると、他を当たるべきだ。じっとしてなんかいられるはずがない。事は一刻を争うかもしれないんです。もしかしたら最悪の事態だって考えないと!」


 と、上條はまくし立て、両腕をつかんでいだ寒川の手をふり払った。


「ご事情はわかります! 焦る気持ちもわかる。……ですが、いま〆谷を出ていってもらっちゃ困る!」


 寒川は必死の形相で声を荒らげた。

 赤い法被の裾をひるがえし、上條にしなだれかかった。

 たかが夏祭りで、なぜこの男は引き留めようとするのか。


「なんなんですか、あなたは」


「我が実行委員会の定義をご説明しましょう――〆谷夏祭りの文化の振興を通じて、同地域の振興に寄与し、我が県にとって、なくてはならない存在になることを目的とする! 少子高齢化で、地域の古くから伝わる文化が失われつつある昨今、私たちは〆谷の文化の普及に尽力したいのです! 私は夏祭りの実行に命を賭けている! それは〆谷にとって存在意義にもひとしいと言っても過言ではない!」


 寒川の〆谷夏祭りに対する情熱にうんざりした。いささか異常であった。


「あなたはそんなにも夏祭りとやらの推進に熱心のようだが、僕にそれを求めるのはお門違いだ。そもそも僕一人を招いたところで、こんな僻地の祭りだ。どうせ焼け石に水でしょう! 僕を引き留めてる時間があったら、営業にまわった方がはるかに生産的なはずだ!」


「そんなことおっしゃらず、〆谷の夏祭りの日まで、どうか滞在していってください。誠心誠意、あなたをもてなします! どうか気を悪くなさらず――」


 実行委員会代表たる寒川の勧誘のやり方には、首をひねらずにはいられなかった。

 上條にとっても状況が状況である。

 祭りに浮かれている精神的な余裕などあろうはずもない。どう頭をさげられても、のんきに夏祭りとやらを見学する気は起きないのだ。

 こうなったら、この暑苦しい男を押しのけてでも――。




 と、そのときだった。

 公民館と町村家のある東側の斜面に対し、川を挟んで対岸の斜面に、ふと眼がいった。

 西側の斜面にはところどころ古びた家がしがみつく形で建ち並んでいる。

 ほぼ公民館の真向かい側に、砂利の浜から真上にかけて続く石段が続いていた。


 その延長線上には白い鳥居が立っている。

 聖域の向こうには境内があり、こんな貧しい山村にしては立派な神社がうずくまっているのが見えた。

 鎮守の森に抱かれたせいで、ここからは死角になり入母屋造いりもやづくりの屋根しか見えない。

 兎の耳のように突き出た千木ちぎの部分が印象的だった。


 その石段の中腹あたりを、日傘をさした女が登っていくのが眼に飛び込んできたのだ。

 なにぶん遠く、はっきりとは識別できない。黒い日傘をさし、髪をアップにした着物姿の女がしずしずとした足どりであがっていくのである。

 絶望的な過疎高齢化の山村にして、その若い女の後ろ姿は鮮烈でさえあった。


 遠くとも見憶えがある。

 あれはもしや、密ではないか?

 深い関係を築いたからこそ疑いようもない。

 あの女は町村 密にちがいない。確たる自信があった。

 ここからは遠すぎて、大声を張りあげたところで、ふり向きもしないだろう。


 すぐさまスマートフォンを取り出し、電話をかけてみた。

 電源を切っているのか、はたまた〆谷自体が電波の届かない見捨てられたエリアなのか、つながらない。


「密! 密――ッ!」


 苦しまぎれに上條は両手をメガホンにして、声のかぎり叫んだ。

 が、やはり対岸の着物姿はふり返りもせず、石段を登っていく。


 寒川を見た。

 バツの悪い顔をして、歯を食いしばり、眼をそむけた。

 思わず、寒川の胸倉をつかんだ。


「あんたは知ってたんじゃないのか、密が帰ってきたことを! なぜ隠す必要があったんだ?」


 知らぬ存ぜぬでは通用しないと観念したか、


「あれほど目立つ行動は慎むように言いつけていたのに、やっぱりお民さま(、、、、)として覚醒したあの方はとめられないようだ。どうやらボロが出てしまったようですね」と、寒川は薄ら笑いを浮かべながら言った。「密さんは役目を果たし、あなたを連れて〆谷に戻ってきてくれた。これで夏祭りに花が添えられる。役者がそろったのだから」


「なにを言ってる。わけがわからん」と、上條は眼をむいて食ってかかった。声が裏返ったほどだ。男の変貌ぶりに背中が粟立つ思いがした。「あんた、頭、大丈夫か?」


「極めて正常だよ、こう見えてね」


「くそっ……」


 こうしてはいられない。

 上條は寒川の身体を突き飛ばして、公民館の下へ続く道をくだった。

 背後から上條を呼ぶ声がした。おかまいなしに斜面を真下に向い、東西を分ける川までおりた。


 吊り橋がかけられていた。

 不安定な足もとだったが、無我夢中で揺れる橋を渡った。

 眼下には清流が流れている。川幅は八メートルほどで、水は澄みきっていた。黒い魚影が群れをなして流れに逆らって泳いでいるのが見えた。


 橋を渡りきり、西側の斜面に達した。神社まで続く石段を登った。

 鳥居まで続く石段を見あげたが、すでに日傘をさした着物姿はない。境内まで入ってしまったのか。

 アキレス腱が抗議するかのように疼いた。かまわず片脚を引きずりながら駆けあがった。

 ここで密を見失うわけにはいかない。

 寒川が追いかけてくる靴音がした。なぜあの男はこうも固執するのか、理解しがたい……。


「待ちなさい、上條さん! これには深いわけがあるんだ。ちょっとやそっとじゃ君には理解しがたい内容かもしれない。どうか私の話を聞いてくれ! 密さんのことを黙っていたのは悪かったと思ってる!」


 下をふり返ると、実行委員会代表は汗だくになって、息をはずませながらついてくる。

 上條は軽蔑のまなざしを向け、無視して石段をあがることに集中した。


 どうにか上までたどり着くころには、さすがの上條も呼吸が乱れていた。

 境内を見まわしたが、密の姿はどこにもいない。蝉だけが合唱していた。


 やはり密は〆谷に帰ってきていたのだ。

 町村夫妻がまったく関知していないのは解せなかった。それともついさっきにでも〆谷に着いたというのか。


 なんにせよ、〆谷から出ていくわけにはいかない。

 どうにか彼女を捕まえ、事情を知る必要がある。婚約者にすら言えない理由があるのかもしれないが、じっくり話し合えば上條なら理解できると思った。

 密をあきらめる選択肢は考えられなかった。

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