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33.「秘儀のとき、かつての上條は死んだ」

「ありがたいね。けど、こんな囲まれた状態で、いったいどうやって?」


 上條はどうにか上半身を起こしてあぐらをかいた。

 酒田 菫はウェーブのかかった濡れた髪をかきあげる。道ばたに自生する野草特有の奥ゆかしさと、華やかさを兼ねそろえた魅力的な女性だった。


「手短にご説明します。いかんせん時間がありませんので」


 菫は対岸を見ながら囁いた。

 一〇〇メートル以上離れた龍の池の向こう岸で住民たちが、やいのやいのと大騒ぎしている。

 いまのところダミーの筵を解いて、上條の死を確認しようともしていないが、いつ入れ替わったのがバレないとも限らない。




 菫と、秘儀に潜り込んだその弟、亮彦はちゃんと知っていた。

 〆谷集落がいかにして生まれたか発祥伝説と、龍の池のエピソード。お民と神之助の悲恋物語と、それを現代の町村 密と異人ストレンジャーとを結び付け、無理やり神之助の非業の死を再現させることで信仰の対象を作ろうとしていることを。


 そこからつなげられた御霊信仰。神之助を殺害した直後、天変地異が発生し、日本各地に甚大な被害をもたらしたことまで調査していた。

 こんな狂気じみた人権蹂躙は、到底見すごせるものではない。

 白日の下にさらし、しかるべき法で裁き、是正させないといけない。


 NPO法人のメンバーは酒田 亮彦以外にもメンバー数人を偽名を使ってまぎれ込ませていた。

 通常の祭りの参加者との見分けの違いは、お手製の黄色い腕章を巻いている者がそれだという。


「是正、ね」上條は不貞腐れた口調で言った。「――それで、おれにどうしろと?」


「どうされますか? 逃げますか、それともやっつけますか?」


「驚いた。やっつける? その選択肢もありですか」上半身を起こして菫の細面を真っ向から見た。「だったら、このままおめおめと神輿みこしにされてたまるか。奴らにひと泡吹かせてやりたい。徹底的に懲らしめてやるとも」


「ですが、敵は多いですよ。とても勝ち目はない。いくら格闘技の経験のある亮彦をはじめ、そのメンバー数人を送り込んでいますが、全員とやり合うのは無謀すぎます」


「スパイをまぎれ込ませていたんだ。用意周到ですね。どうせなら捕まるまえに助けて欲しかった。おかげでたっぷり汚い水を飲まされた」


「決定的な証拠が必要だったのです。亮彦たちがこっそり動画で撮影したはずです」




 上條は右腕を突き出した。


「怒りで力がみなぎっているのがわかる。さっきまであなたと一緒に泳いで、息も絶え絶えだったのに、すっかり回復した。わかるんだ。身体が羽みたいに軽く、力が沸いてくる」


 それを証明するため、やおら立ちあがり、近くの立木まで歩いていった。

 上條は拳を固めると、ふりかぶり、渾身のストレートをヒノキの幹に叩きつけた。

 直径一〇センチはある幹が折れ、上半分が藪の向こうに消えた。

 それだけでは飽き足らず、憤怒の形相で周囲を見まわした。


 足もとにふた抱えはありそうな岩石が地面に埋まっている。

 力士のように股を開いて屈むと、それを抱いて唸った。

 そばで見守る菫が息を飲んだ。

 ゆっくりと、埋没していた岩の塊が浮きあがったのだ。

 上條は歯を食いしばり、声を荒らげた。


 テニスコートをならす整地ローラーなみの大きさだ。重さ五〇〇キロ前後あるだろう。

 上條はパワーショベルみたいに持ちあげると、向こうへ捨てた。もはや人間業を超えていた。

 菫は我が身を抱いたまま、呆気にとられたような顔で、


「神之助に仕立てあげられ、同じ死を再現させることで神之助の怪力がそなわったのでしょうか? まことに信じがたいことですが――」


「秘儀のとき、かつての上條は死んだ。挫折だらけの、どっちつかずだった男が」上條は猫背の姿勢で歯をむいた。そばに寄るのもはばかられるほどの気迫を放っていた。眉間に皺が寄り、額には血管が浮き出ている。悪酔いしたかのように据わった眼を対岸に向け、そして菫を見た。「おれは本当の自分を取り戻した。今度こそ突き抜けてやる」


「まるでサナギから羽化したみたい」


「どうとでも言ってくれ。やるなら、奇襲するのが一番だ。秘儀が完成しかけたところにけしかけて、派手に暴れてやる」


「なら、おあつらえ向きの場所をお教えします。〆谷神社本殿の隠し部屋です。どうせそこに町村 密さんが待っていますから」


「密」上條はまばたきもせず口にした。「そこへ連れていってくれ。どうしても彼女に会わなきゃいけない。彼女も被害者だ。なにがなんでも救わなくちゃ」


「わかりました。でしたらさっそく――」




 そのときだった。

 木立のなかで藪をかき分ける音がした。

 二人は思わず身を硬くした。まさか祭りの参加者たちが不審に思い、こちらにまわり込んできたのではないか。


 藪から誰かが現れた。枯れ枝を踏みしめる音が鳴る。

 男のシルエット。スーツ姿だ。

 すかさず菫がフラッシュライトの光を浴びせた。

 手のひらで顔をカバーしている。眼つきが一般人ではない。皮肉屋らしい笑みを浮かべている。


「悪いがその話、とっくり聞かせていただいた」と、スーツ姿が前に進み出ながら言った。スマートフォンを前にかざしている。いましがたの会話は録音されているようだ。「なるほど信じ難い。この現代に御霊信仰? タレコミのとおり、ホントに前時代的な神事があったとはね。今日び、インターネットで闇のものを炙り出せるご時世に、いままで隠していられたもんだ」


「今度は何者だ」


 と、上條。恰好からして夏祭りの関係者ではなさそうだ。


「ご安心を。少なくとも、あんたの敵ではない。おれは石田っていう、しけた(、、、)記事書きさ」


「記者がうまく神事に潜り込めたものね。どうしようってわけ?」


「たしかにこんな祭りはどうかと思うね。ここは犯罪者の巣窟じゃねえか。落ちぶれたが、おれだって元聞屋(ブンヤ)の端くれだ。世間さまのやることに口出しできる立場じゃない。けどよ、新たな被害者が出るのを黙って見すごすわけにはいかねえ。――遠慮なくやっちまえよ、上條さん。この村の悪事を放っておくわけにはいくまいよ」

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