30.歪んだメサイアコンプレックス
ついに神輿を担いだ男たちは急な石段にさしかかった。
依り代は勾配に沿って大きく傾き、下方の担ぎ手たちはいっせいにうめき声を洩らす羽目になった。荷重のかかり方が根本的に違うのだ。
男たちの苦鳴は、さながら地獄で鬼どもに虐げられる亡者のそれに近かった。
担ぎ棒を肩につけた男衆たちとは別に、先行する四十人が綱で神輿を結び付け、バランスを取りながら綱引きの要領で引っ張りあげて援護する。これで負担がかなり減るはずだ。
さらに先陣を切るのが寒川と海道だ。
「どうした、おまえら。こんなところでへこたれるんじゃない! しっかり神輿を担げ! 歯を食いしばって持ちあげんか!」
寒川が唾を飛ばしながら発破をかける。
男たちは負けじと、うおおおっ!と唸り声をあげ、神輿を支え、押し出し、そして牽引した。
それにしても、担ぎ手にとっては苦役を強いる道のりであった。
微動だにしない上條を包んだ筵を抱いた神輿は、じりじりと石段を登っていく。
いつの時代もこうして運んできたのだ。――海道 史郎は思った。
手練れの古老たちが初参加の若者たちをサポートしている。
体力面は衰えたが、なんども秘儀を経験してきた。
先人たちの知恵を受け継ぎ、その顔には自信がみなぎっている。
かたや壮年の者や、経験値の乏しい若者の働きもなければ神事は成り立たない。
初参加の十代後半のニキビ面でさえ、仲間と溶け込んで神輿と一体化している。
人馬一体ならぬ、人神輿一体。
老いも若きも欠けてはいけない担ぎ手たちなのだ。
きっと今回も、うまくいくはずだ。
海道はそう確信していた。
はじめ、上條が〆谷に入り込んできたときこそ抵抗されたものだが、いずれおさまるところにおさまる。
物事はそんなものだ、と石段の上から神輿を見おろしながら思った。
いかなアジア競技大会において金メダルを二つ獲り、将来を嘱望された元スプリンターとはいえ、ふつうの人間と同じように上條はあっけなく溺死した。他愛もない最期だった。
ちょっとばかり脚が速かっただけにすぎず、強靭な生命力を宿していたわけではなかった。
むしろ歴代の異人たちと比べ、いささか大人しすぎたかもしれない。
いずれにせよ頃合だったのだ。
お民の生まれ変わりである密が選んだのだから、神之助と同義の人物であるはずだ。そう信じるしかあるまい。
海道は前に向きなおり、唇をへの字に曲げ、昏い眼で石段を登った。
苦しんでいるのは、神輿と格闘する男衆だけではない。
海道もまた苦役という名の重い十字架を背負っていた。
◆◆◆◆◆
――おれこそがずっと〆谷を守れると思っていた。
ひいては滅びへと突き進んでいく世界を救えると信じていた。
おれは神になりたかった。
なのに、しるしは与えられなかった!
資格すらなかっただと?
あれほど待ち焦がれたのに!
これほどの残酷な仕打ちはあろうか?
おかげで神になれず、さりとていまさら人間に戻るには遠く来すぎていた。
このうえにおいては突き進み、鬼になるしかなかった。
――親父よ。
生まれついて、人生のアドバンテージを陣取ったような高慢ちきだった親父よ。
あんたの不肖の息子はあいにく思惑どおりに大成しなかったが、計らずもこうして人工的に神を生み出すことに関与しているとは皮肉な話だよな。
おれはどれだけ、あんたに認められたかったか。
◆◆◆◆◆
機能不全家族の環境で育った海道 史郎は、長い時間をかけて屈折した人格になった。
早くから母を亡くし、父からの愛情もろくに授からなかった。
鬱屈した感情は、祭りの秘儀の中心になることで自己肯定感の貧しさの埋め合わせができると思った。
ここに歪んだメサイアコンプレックスが形成されたのだ。
「エッサ!」
「ソイヤ!」
男たちのかけ声が一層必死さを増す。
ありとあらゆる力が総動員し、難所を越え、ついに神輿は〆谷神社の境内にたどり着いた。
社殿までの道をしずしずと進む。
拝殿をすぎ、背後の本殿に運ばれ、そこにおろされた。
担ぎ手たちはその場にくずおれ、力尽きたように誰もが座り込んだり、寝転がった。
余力のある者がハシゴを使い、三角錐の構造物の上におさめられた筵の束をおろしにかかった。上條の遺体を包んだ簀巻きである。
たっぷり水を吸ったうえ、中の遺体はぐったりしているのでかなりの重さがある。三人の男たちはうめきながら、なんとかご神体を傷つけることなく地面にまで引きずりおろした。
海道を筆頭に、寒川が続き、本殿に入った。
筵を担いだ男たちは室内の奥に進んだ。
祭壇には先代のご神体は取り除かれている。空いた空間に上條を包んだ筵を立てかけた。
「やれやれ、これで新たなご神体の安置がすんだ。大仕事だったな」
「これで神之助明神のお怒りが鎮まってくれたらいいが」
「だな。高いリスクを冒してまで神之助役を殺したんだ。ご利益がなくては困る」
担ぎ手たちの身勝手な発言が、そこかしこであがる。
やがて本殿の入口から、白い装束をつけた男が入ってきた。宮司であろう。
誰であろう、朝比奈その人だった。烏帽子をかぶっているが、額に及ぶほどの包帯を巻いていた。
どうやら囚われの上條を助けるふりをして海道が殴りかかった際、一命だけは取り留めたようだ。多少なりとも手加減をしたのかもしれない。
朝比奈は黒い紋付き袴を着込んだ男たち六人を従えていた。氏子衆らしい。
一同は玉串を祭壇に捧げた。
やおら朝比奈は厳粛な声音で、祝詞を唱えはじめた。
それを機に、その場にいる男たちは顔を引き締め、姿勢を正した。




