28.「あれこそ伝説の白龍というんじゃあるまいな?」
上條を具にした簀巻きは、そうかんたんに沈むわけではない。
とはいえ四本もの竹竿で小突きまわされたうえ、無理やり池のなかに押さえつけられるのだ。
元スプリンターの身体能力があろうが、筵に包まれた状態ではどうすることもできなかった。
「まさか、沈めるフリをするだけかと思ってたのに……。こりゃひどすぎるよ!」
集団心理が働いた野蛮な行いに、長谷川 修は我が眼を疑うほどだった。
顔をしかめ、男たちの蛮行をやめさせようとするが、しょせんは孤立無援。どうにもならない。
〆谷住民の誰もが、新たなご神体を作るため、殺人行為に躍起になっていた。
良心の呵責など入り込む余地がないほどの熱狂ぶりであった。
さすがの上條の抵抗もむなしかった。
あっけないぐらい、黒々とした水中に没しかけた。
――と、そのときだった。
あたりは篝火に照らされていたので見逃すはずもない。
男たちは池のほとりから見てしまったのだ。
タールのような真っ黒な水底から、細長い二本の物体がゆるゆると伸びてくるのを。
それは白い爬虫類のように見えた。
たしかに白くて長いものだった。
両方の先端が割れた。
と思ったら、簀巻きにがっしと噛みついた。
さながら獲物を捕らえた生物の鎌首のように。
息もつかせず、そのまま水底へ引きずり込んでいった。
誰も彼もが眼を瞠った。
到底この世のものとは思えなかった。
しばらく男たちが惚けて水面を見つめていると、上條が沈んでいった地点で、無数の細かい気泡が断続的に浮かんできた。
が、しばらくもすれば、それも途絶えた。
上條は息を引き取ったにちがいあるまい。
◆◆◆◆◆
「おい、見たか、いまの」
と、壮年の男が眼をしばたたいて言った。
「ああ」老人が手で顔を覆い、指のすき間から池を見ながら洩らした。「ありゃ、いったいどういうこった? こんなことは初めてだぞ」
寒川は眼球が飛び出さんばかりに見開き、
「信じられん。ひょっとして、あれこそ伝説の白龍というんじゃあるまいな? 史郎さんの話を聞かされて間もないってのに、あまりにもタイムリーすぎるだろ」
と言い、かたわらの海道に救いを求めた。
「まさか」海道 史郎はせせら笑ったが、動揺は隠せない。白い顔が引きつっている。「龍だと? それにしてはずいぶんと小さすぎるように見えたが」
「だったらあなたは、本物の龍を見たことがあるのですか。なぜいまの龍が小さいと言いきれるんですか?」
そう反論したのは酒田 亮彦だった。責めるような眼差しで海道を射抜く。
「想定外のことが起きた。池にじっさい白龍が棲みついていたなんて考えもしなかった。……いやいやいやいや、そんなはずはない! 生物学的にあんなものは存在するわけがない。きっとアルビノのウナギか、なにかだったにちがいない。そうだ、ちょうど大ウナギぐらいのサイズだったじゃないか。それで合点がいく。たまたま簀巻きを捕らえ、引きずり込んでしまったのは、単なる偶然にすぎない。二匹の大ウナギがほぼ同時に簀巻きを捕らえ、水底に引っ張っていったんだ。ほぼ同時っていう絶妙なタイミングが気に食わんが、とにかくそうにちがいない」と、海道は酒田に向きなおり、険しい顔でにらみ返した。「どういうことだ? 君が神事に参加してから、えらくケチがつくじゃないか。おかげで、せっかくの古文書を使った神事の完全再現が台なしだ。とんだ参加者だよ、君は」
柴田が汗だくの顔つきで、うしろから海道の肩をつかんだ。
「のんきに議論してる場合じゃねえぞ、史郎! 見ろ、いつまで経っても遺体があがってこない。このままでは祭りの続きができん。神社に祭るご神体がないとあっちゃ、新たな神之助明神が作り出せないだろ!」
「ご神体を回収せんことにゃ、示しがつかねえ!」
と、柴田とそっくりの息子が叫んだ。
そうだそうだ!と同調する声が沸き起った。
寒川がなだめようとしたが、男衆の熱気が勝った。寒川をもってして、コントロールしかねている。
と、まさに次の瞬間だった。
そんな狂騒を、あたかも嘲笑うかのような現象が起きた。
ゆっくりと、水底からなにかが浮いてきたのだ。
先ほどと寸分違わぬ筵の束であった。
水面に達すると、弾みをつけて浮きあがったほどだった。
男たちが魅入られたかのように釘づけになった。
寒川はふり返った。
実行委員会代表は口笛を吹いた。その顔には安堵の色が広がっている。
「やれやれ、よかった。このまま底に沈んでたら、素潜りしてでも取り戻さなくちゃならんとこだったぞ。大ウナギの仕業かなにかは知らんが、上條の遺体が手に入ればこっちのもんだ」
「異人も簀巻きにして沈めりゃ、あっさり死ぬもんだな。ま、昔、脚が速かったぐらいじゃ、こんなピンチから逃げようもないか」
「白龍なものですか。いずれにしろ、奴にとっちゃ丸飲みにするには、いささか大きすぎたらしい。池のなかにおかしなものがいようが我々には関係がない。――よし、とにかく遺体を引き揚げましょう。神事を続けるべきです」
海道が指図すると、男たちは竹竿を使って簀巻きを岸に引き寄せはじめた。
ほどなく上條を包んだそれをすぐそばまで誘導した。
手分けして陸に引きあげた。
筵全体にたっぷり水を含んでいるので、さっきよりはるかに重い。
さしもの異人たる上條も、水中に沈められては溺死は免れなかった。
もはやピクリともしない。
筵を広げて上條の死を確認するまでもない。
ふたたび簀巻きは山車の上方に穿たれた空隙へと運ばれ、立てかけられた。
海道の指揮のもと、上條を乗せた山車は池のほとりの空き地で方向転換させられた。
そしてもと来た道を戻りはじめた。
「エンヤラヤー!」
寒川が発進のかけ声を放つと、山車のまわりに取りついた男衆は気合を入れた。
各々の持ち場で力をこめ、神聖な依り代を押し曳きした。
修は複雑な面持ちで綱を曳いた。
眼のまえで人が殺されたというのに、どうすることもできなかった。
恐妻家である修も、このときばかりは百花の判断が正しいと思った。
こんな怖い思いをするぐらいなら、妻の言ったとおりさっさと新居を引き払うべきだったのだ。いっそのこと名古屋へ帰りたい……。
◆◆◆◆◆
酒田でさえ、罪もない人間を救えなかった無力さを呪わしく思っているのか、苦々しい顔で山車を曳いていた。
全身の筋肉を使って山車を牽引していく。
ピンクのワイシャツの背中が汗でにじんでいた。
自らに苦役を課すことで怒りを押さえつけているようだった。
山車はふたたびもと来た道をたどった。
やや登り坂なこともあり、男たちは歯を食いしばって耐えた。
やがて西側の集落へ渡る吊り橋の真横に達した。
そのあたりの路肩は広く、かなりゆとりのある空間だ。
端には意味ありげに、六本の長い棒が置かれていた。
男たちは山車を停めた。
山車がひとりでに動いていかないよう、車輪には三角形の輪留めが噛まされた。
これから対岸の〆谷神社へと運ぶのだが、橋の幅は狭すぎたうえ、ましてや通れたとしてもあまりの重量となるため、とても通行するわけにはいかない。
車輪のついた台車から、三角錐の屋台の部分とを連結する留め金がはずされた。あらかじめ着脱式の構造になっていたのだ。このような特注の山車は、日本広しといえども他には存在しまい。
まずは木で組まれた三角形の台が運ばれてきた。
『馬』と呼ばれる休台だ。作業しやすいよう現場が整えられた。
その休台から休台へと長い棒が渡された。これが担ぎ棒になるのだ。
手慣れた職人たちによって、六本の棒が格子状に組まれ、麻縄で厳重に固定された。
作業は慎重に進められた。
担ぎ棒がクロスする部分に麻縄で縛られ、ビクともしない強度を保つようになった。
その上に簀巻きを供えた屋台がセットされた。同じく縄で巻かれる。
山車から神輿へと様変わりしたわけである。
こんな改造仕様は、ここ〆谷での神事でしか見られないのではないだろうか?
「よし、担ぐぞ。おまえら、用意せんか!」
寒川が甲高い声でわめいた。
初参加の若者の尻を叩いて鼓舞する。




