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27.平家一門の開拓の歴史

 海道は山車の横を通りすぎ、前方へと人垣を縫うように歩いていった。

 総勢八十人を超す男衆が山車をあやつっていた。

 誰もが必死の形相で声をあげ、蒸し暑い八月半ばのこともあって、恐るべき熱気を放っている。


 初参加の酒田や修も例外ではなかった。

 〆谷住民、元住民、その身内や関係者たちと一体感を味わっていた。

 それは祭りに命を賭ける男ならではの、原始的なグルーヴ感とも言えた。




 やがて前方の右手に、楕円形の窪地が見えてきた。

 針葉樹に囲まれているが、すぐそれ(、、)とわかる名所であった。

 満々と水をたたえている。


 日が落ちたせいで水の色は黒いものの、日中はヒスイ色が広がり、まったく水底を透過しない天然の水がめ(、、、)だった。

 不気味な池だった。

 波紋のひとつすら発していない。


 学校の、一般的なグラウンドがすっぽりおさまるほどの大きさである。

 周囲にも篝火が一定の間隔に立てられ、赤々と燃えて水面にも映り込み、禍々(まがまが)しい彩りをそえていた。

 ――これが龍の池だった。




 男衆は山車を池のほとりまで到着させた。

 老人たちはもとより、働き盛りの男たちまでもが依り代をとめるや否や地面に這いつくばり、肩で息をした。


 肉体的疲労からではない。

 狭い道から神聖な山車を逸脱させないよう、コントロールする方が神経をすり減らせたからだ。緊張から解放された疲れだった。

 小休止する暇もなく、神事は続いた。

 海道が池のまえに立った。


「これより『はじめの(、、、、)神事(、、)』を行うが、そのまえに――」と、海道 史郎は古文書の中ほどの頁を開いたまま言った。篝火の炎を反射して、メガネのレンズがきらりと光った。「先日、〆谷神社の地下室から見つかった文献によりますと、じつに興味深い事実が明らかになったのです。神事からいささかそれてしまいますが、これはぜひともみなさんと共有したい。よろしければご説明いたしますが、いかがでしょうか?」


「どんな事実がわかったとおっしゃるんで?」


 と、裃を着こなした古老のひとりが眼を細めた。


「史郎さん、男どもは見てのとおりだ。この際、休憩がてらその話をお聞かせ願いたい」


 音頭方として指揮した寒川が石垣にもたれた姿勢で言った。


「だったら、いま一度、龍の池についておさらいする必要があります。ここに池の伝承が書かれた立札があります。それを読んでみましょう」と、海道は池の縁に立つ立て看板の文章を読みはじめた。「昔、龍の池には恐ろしい白龍(、、)が住み着いていた。年に何度か池の水をあふれさせるほど害をするので、占い師に見てもらったところ、赤い鯉をにえにし、毎年夏の時期に祭礼をやるべし、さすれば怒りもおさまるとの託宣をいただいた。なかでも池につながる落合おちあいで赤い鯉を(じめ)にし、それを供することが重要だと告げる。そこからこの土地を〆谷と呼ぶようになった――」


 それに対し、曳き方として加わっていた酒田 亮彦が座り込んだまま、


「古くから伝わる龍の池の伝説と、ここ〆谷の名前が生まれた由来ってわけですね」


 と、言った。


「さよう。ですが文献によりますと、じつはこんな真相も隠されていたのです。――かつてこの地に、たいらの 清盛きよもりの孫にあたるたいらの 維盛これもりと、一門や家臣、その家族である女子供たちが流れ着いたというのです。時は一一八四(寿永三)年の二月、維盛は一ノ谷の戦いの前後、ひそかに戦線から逃亡した。『玉葉ぎょくよう』(公家である九条くじょう 兼実かねざねの日記)によると、たしかに三十(そう)ばかりを率いて南海に向かったとされているから、まんざらデマでもないのでしょう。のちに維盛は高野山に入って出家。熊野三山を参詣して三月末のことでした。熊野の那智から沖に漕ぎ出して補陀落渡海ふだらくとかいぎょうに出立――すなわち入水自殺したと、『平家物語』は伝えております。ですが、それ以降に生存説も残されていることから、あえて嘘の情報を流し、この地まで逃れて隠棲したのではないかと思われます」


「てことは、もともと〆谷は、平家の落人が築きあげたと?」


 と、長谷川 修。


「維盛たちは戦から落ち延びてからというもの、死に物狂いで谷間を開墾し、ここをつい棲家すみかにしたというまことしやかな伝承が残されているのです。じっさい集落には、先祖から受け継いだ当時を偲ぶみやびな物品が残されていますし、いまでこそ落ち目になったとはいえ、蔵つきの家も少なくない。先祖から財産を託されてきたとも言われます。ま、それもいまは昔(、、、、)の話というわけで――」


 海道は言ってから谷間となった道から〆谷全体を見あげた。




 集落といっても、家屋が閑散と散らばるだけだ。

 それもある種の貝のように、いじらしくしがみついているように見えた。

 急斜面に広がる棚田には、黄色い稲穂が揺れている。


 日照時間の少なさのせいか、実りは決して多くはない。貧しい生活を強いられているのは容易に察することができた。

 入植当時はさらに輪をかけて、ひもじい暮らしの連続であったことだろう。それも源氏の追及に怯えながらである。

 

「平家の残党が当地に居ついてしばらくが経過したと思われます。平和な日々が続いた。そこである年の正月の祝いに、誰かが赤い旗とのぼりをあげてしまった。よかれと思ってやったのでしょう。ところがそれが目印となり、源氏の追手に露見することとなった。多くの者が捕らえられ、打首にされたのです。ほかの者はどうにか山へ逃げて難を逃れたらしい。その生き残りがいまの〆谷の子孫としてつながっているわけであります」


「こんな山深い集落は、とかく平家方の落人が切り開いたって話はつきものだが、まさか文献に残されていたとはね」


 寒川は沈んだ口調で言った。


「そんな事件があったからというもの、〆谷では鯉幟をあげるのはタブーとなった。正月に餅を供えるのもよくないとされています。たしかに()なし正月(、、、、)の伝承は、日本各地に見られますが、〆谷でさえ例外ではなかったのは、そんな歴史があったからです」


「たしかに死んだばあさまが言ってたな。端午の節句に鯉幟をあげると、家が不幸になるから絶対にやってくれるなと」


 頭の禿げた柴田が感心したように言った。

 海道はうなずいた。


「龍の池伝説は、つまりこういうことなのです――赤い鯉は平家残党のメタファーであるものと思われます。とすれば、白龍は源氏のそれか。住民が浮かれて赤い幟をあげてしまったばかりに源氏の追手に見つかった。一歩遅ければ、平家一門は皆殺しにされていたでしょう。それほど源氏の追及は烈しく、見つけ次第、女子供、老人に至るまで情けをかけなかったと言います。神に赤い鯉を生贄にさし出して猛省し、自戒の意味をこめて、こんな伝説を創作して広めたのではないかと、私は推察するのです」


「よしんば我々が平家の落人の末裔だとしてもだ」と、寒川が立ちあがって言った。海道のまえに進み出る。「〆谷夏祭りと秘儀『異人担ぎ』の発祥である江戸時代における神之助殺害事件とは、つながりはないでしょ。それとこれとは話は別です。とにかく私たちは村の存続を賭けて、この上條という男を新しいご神体として祭りあげる。いまはそれだけに集中していればよろしいではありませんか」


「わかりました。ちょっとした〆谷の発祥をお教えしたかっただけです。よろしいですとも、神事を続けましょう」


 海道は古文書を閉じると、一同に向きなおった。

 寒川は男衆に、山車の上におさめられた簀巻きをおろせと命じた。

 法被姿の屈強な男たち四人がハシゴを登っていった。

 いまやすっかり身じろぎしなくなった上條を抱えあげ、下へおろしていった。


 簀巻きはようやく地べたに寝かされた。

 いまだ息絶えていない証拠に、むーむーと上條が抵抗するうめき声が洩れている。


「これより、『はじめの(、、、、)神事(、、)』を行う。そのためにはこのよそ者を、かつての神之助のように池へ沈め、殺さなくてはならない。――龍の池、すなわち源氏の追手に血祭りにされた我らご先祖のごとく、贄をさし出す必要がある。そしてよそ者は死に、やがては〆谷神社の神へと昇格するのだ」


 海道の酷薄な声が響くと、おおッ!と男衆が応えた。

 簀巻きが男たちによって担がれた。

 寒川の号令のもと、それが池に向かって勢いをつけて投げ入れられた。

 上條をくるんだ筵は、驚くほど高く、そして遠くへ飛んだ。

 はでな水柱を立てて池に落ちた。


 長い竹竿を手にした古老たちが池のふちに寄った。

 浮かんだ簀巻きを沈めようとする。

 竹竿を持った者はほかにも三人いて、みんなで竿の端を取り合って上條を溺れ死にさせようと夢中になった。

 どの顔も相好そうごうをくずし、嬉々としていた。

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