25.祇園祭における長刀鉾・生稚児との共通点
みんなの力を合わせて、山車が広場まで引っ張られた。
巨大な木造車輪がごりごりと音を立てて回転する。
そうこうするうちに、公民館のなかから戸板に寝かされた上條が運ばれてきた。担架がわりの戸板の先頭を持つのは海道 史郎だ。歯をむいて笑みを浮かべている。
せっかく意識を取り戻して海道につかみかかった上條だったが、またもや麻酔を打たれ、気を失っていたのだ。
もっともあれから数時間が経ち、なんとか回復しつつあった。
とはいえ後ろ手に手首を縛られ、寝返りすら打てない。
好奇に満ちた〆谷の住民の視線にさらされ、敵意のまなざしでにらみ返した。
上條は戸板ごと芝生の上に置かれた。
そのころには周囲に篝火が焚かれ、夜なのに赤々としていた。
「柴田さん、異人面を!」
寒川が赤い仮面をかぶった男に手をさし出した。
仮面の男は手をかけ、それをはずした。現れたのは汗だくになった禿げ頭の老人だった。苦みばしった人相。
見憶えのある顔だった。
それもそのはず、海道とともに村から脱出しようと夜陰に乗じて行動していたとき、猟友会のジャケットをつけ、ライフルを手に上條の行方を追っていたあの老人だった。
寒川は仮面を受け取ると、内側を拭いもせず、上條にまたがった。
仮面をかぶせ、横の紐で耳に引っかけた。
頭を振って抵抗したが、寒川に腹を殴られ、おとなしくなる。
次に真新しい筵が広げられた。
上條はその上に寝かされ、容赦なく巻き寿司のようにぐるぐる巻きにされたうえ、荒縄できつく縛られた。
「かいろう、よぐも……」
簀巻きにされた内側から、上條の舌足らずの声が聞こえた。いまだ薬のせいで、満足に呂律がまわらないのだ。
海道は寒川の横にならび、筵ごしに上條を見おろした。
すっぽり頭まで覆われている。
二人ともサディステックな表情で口の端を吊りあげた。
「私はね、上條君」と、海道は平坦な口調で言った。「むしろ君の境遇を羨ましいとすら思うのだよ。最終的にいくら命を落とすとはいえ、やがては〆谷の守り神として昇格する。こんな誇らしいことはない。代われるものなら代わって欲しいぐらいだ。私は常々、そんな覚悟でのぞんでいたものだが、あいにく希望は叶わなかった。このうえにおいては、君がその役目を全うしてくれたまえ。――世界の中心は〆谷にあると言っても過言ではない。〆谷が先代の神之助明神の怒りを抑えつけられず、災いがもたらされるとき、すなわち世界に災いが波及することにつながるのだ。私はそれを阻止するために生まれてきたのだと思いたかった。それが叶わなくて、つくづく残念に思うよ」
「……ふざげんだ」
寒川は海道を横目で見た。
「史郎さん。ところで、秘儀『異人担ぎ』の正式な作法が記された文献が見つかったですと?」
「さようです。このたび、〆谷神社の本殿地下室の長櫃を調べていたら古文書が見つかったのです。この十八年ぶりの神事にあたり、完全再現したいと思い、私が監修しますので、よろしくお願いします」と、海道はメガネの位置を正しながら言った。「秘儀そのものは、一七八三(天明三)年の神之助殺害事件を皮切りに六年後の、一七八九(寛政元)年より本格的に始められるようになったと言います。いまから二三〇年前のこと。時は光格天皇の時代、江戸幕府は第一〇代将軍、徳川 家斉を征夷大将軍としておき、ようやく天明の大飢饉がおさまったころです。一般的に、神、もしくは異人は仮面をかぶり、旅人の恰好で仮装した姿で現れ、豊饒や幸福をもたらすとされています。古来より来訪神行事そのものは世界各地で行われますが、日本においては民俗学者・折口 信夫によって客人として提唱されたのです。ですから、なにも〆谷のそれが特別奇異なケースではない。男鹿のナマハゲはあまりにも有名ですので割愛しますが、折口がとりわけ惚れ込んだとされる豊年を祝う仮面祭が、長野県下伊那郡阿南町新野における『雪祭り』だったと言います。この『雪祭り』は古代芸能のルーツとされ、いまや重要無形民俗文化財に指定されております。願わくは〆谷のそれも重要無形民俗文化財に指定してもらいたいのですが、倫理的な面もあり、それも難しいでしょうな」
「私一個人の意見を言わせてもらえば」と、寒川は相手の長ったらしい演説に白眼をむきかけ、うんざりした様子で言った。「箔がつこうがつくまいが、利益が出なかろうと、どうだっていいのです。連綿と年中行事を継承していければそれでいい。それが地元民にとって切なる願いではありませんか。私はいくら不便な地元とはいえ、愛するがゆえに守っていきたい。それだけです。たとえ『異人担ぎ』で人死にが出ようとも、私はわが手を血に染めてでも、神之助明神の存続に寄与したい」
「おたがいの祭礼へのスタンスはどうあれ、後世へ継承していくという点については、どうやら同じのようです。なんにせよ、神事を続けましょう」
「よろしいですとも」と、寒川は満面の笑みで応えた。うしろをふり返った。「おい、おまえら。上條を山車に運べ」
白の法被を着て、ふんどし姿の男衆数人が前に進み出た。
どの顔も地元を離れ、隣り町や都市部で暮らす壮年の男たちだ。
いっせいに簀巻きにされた上條が担がれた。
筵のなかで身をよじったが、どうにもならない。
「あ!――よろしければ、僕も!」と、あわてて酒田 亮彦がそれに加わった。「お願いします、ぜひとも手伝わせてください!」
「いい心がけだ。好きにするがいい。どうせ若い力がいるんだ。むしろ歓迎する」
男衆の一人が言い、簀巻きを担がせた。
「で――これからどうすれば?」
と、酒田。
「山車の上に空間があるだろ。いまからあそこまで運び、おさめる」
別の男が指さした。
「わかりました」
酒田は簀巻きの端を肩にそえてうなずいた。
「いっせーの!」
合図とともに、簀巻きは酒田を入れた男五人によって担がれ、三角錐の構造物のハシゴを使って運ばれた。
酒田が志願し、いちばん上を受け持った。
これにはいくら新参者とはいえ、男たちも感心した。
見どころのある青年だと称える者さえいた。
ハシゴの上に立ち、簀巻きを立たせた形で真上に引っ張りあげるのは並大抵のことではあるまい。
男たちは難儀しつつも、上條を落下させないよう、細心の注意を払って持げていく。
酒田はたっぷり冷汗をかいたが、どうにか筵の束を抱えあげ、山車の屋台にあいた空隙にうまくおさめることができた。
それにしても凝った欅の建築技術の粋である。
釘を一本たりとも使わず、縄のみで木材を縛って職人によって組み立てられた依り代だ。
中段の屋台に赤い水引幕がシンメトリーにかかり、眼にも鮮やかだ。
『動く美術館』と評される京都祇園祭の山鉾巡行の先頭をつとめる長刀鉾に似せているようにも見えた。
美術工芸品で装飾されたうえ、生稚児(※この選ばれた稚児は神の使いとされている)を乗せるところまで共通点がある。
ただし祇園祭のそれに比べれば、大きさはひと回り小さいし、豪華絢爛さにも遠く及ばない。しょせんは寂れた集落の山車である。
前述したように、山車とは自然界における山岳を模して造られたシンボルである。
どんな形であれ、そこに鎮座させることで、異人=神は降臨したと、民俗社会の人々は考えたのだろう。
したがってこれで、秘儀『異人担ぎ』の舞台装置は整ったわけだ。




