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22.「これでわかったろ。おまえはお払い箱なんだ」

◆◆◆◆◆


 上條は生温かい闇のしとねに抱かれてからというもの、時間の概念を失っていた。

 長いようで短く、宇宙の広がりのなかで漂っているかのようだ。

 その間、暗黒をさまよいつつも、ときおり上條は生々しい夢を見た。見せられたといった方が正しいか。




 神之助とおぼしい若者が夏祭りの余興で大石を担ぎあげるシーンをはじめ、策略にはまり刃物で切りつけられ、石の下敷きとなるショッキングな展開を、第三者の視点で見せつけられた。

 神之助はむしろで包まれ池に投じられた。

 浮かんで身をよじるも、長い竹竿で無理やり沈められた。

 眼を背けたくなるようなむごい仕打ちだった。


 次いで七人のみすぼらしい恰好をした男たちが墓を掘り返している場面。

 神社に筵の束をご神体として祀り、宮司が祝詞を捧げているところまで、時系列につながっていた。

 上條は異様な光景を目の当たりにし、胸が悪くなった。




 意識が戻りかけるたび、海道が筋弛緩薬を追加しているにちがいない。

 過剰摂取による副作用で、ついにせん妄(、、、)か幻覚が現れたものか――。

 またもや場面が変わった。

 さっきとは打って変わって、時代背景がちがう。

 それもかつて経験したできごとではないか。


◆◆◆◆◆


 雲ひとつない青空。

 あふれかえる観客席。

 ほとばしる熱気。

 スタート前のライバルたちとのあいだに緊張がみなぎる。

 それに負けないぐらい、自信に満ちた高揚がこみあげてくる。


 ここはまぎれもなくアジア競技大会のトラックだ。

 二〇〇メートルで銀メダルだったが、一〇〇メートルと、四×一〇〇メートルリレーで金メダルをもぎ取った。


 夢のなかで、輝かしい栄光を再現していた。

 身体は羽が生えたかのように軽い。

 下肢の筋肉など強固なサスペンションが内蔵されているかのようだ。


 走ることが子供のころから好きだった。かけっこなら誰にも負けなかった。

 というより、他の分野のことについては勝敗などどうでもよかったが、こと短距離にかけては異常なほど負けず嫌いを示した。

 誰にも負けたくない。

 だからこそ上條はこの道に進んだ。走るために生まれてきた自覚があった。




 金メダルを掲げ、声援に応える上條。

 あらためて自身の恰好を見た。

 赤いランニングシャツとショートパンツ姿だ。二度とこんなユニホームは着られまいと思っていたのに、着ることができて、心から誇らしく思った。


 観客席から地鳴りのような歓声が響きわたる。

 最前列で両親や姉弟たちの姿が見えた。手を振ってくれた。

 身内から沸きあがる高揚感。

 走りたくて走りたくて、かゆみに似た疼きを憶える。


 誰もいない褐色のトラックだった。

 バックストレートのとくに三番目のレーンが濡れたように輝いている。おあつらえ向きのシチュエーションだ。ここを疾走しろというわけだ。

 スターティングブロックは設置されていない。

 観客の声に応えるべく、走り出した。すぐに全速力で駆けた。

 

 しばらく風を切って、爽快感を味わった直後だった。

 いきなり背後から何者かに、棒かなにかしなやかな物体で右ふくらはぎを打たれたかのような衝撃があった。

 トラックシートのゴムバンドがちぎれたみたいな音が鳴ったのだから疑いようがない。

 誰にやられたにちがいないのだ。


 あまりの痛みにその場で尻もちをついた。

 ふくらはぎを抱えた。

 観客がどよめいている。

 襲撃者をにらんでやろうと、うしろを振り返った。

 こんな不意打ちをするのは海道 史郎だと相場が決まっていた。


 予想に反して、なぜか〆谷夏祭り実行委員会事務局長である朝比奈だった。

 紳士然とした佇まいの朝比奈はウエイターのように、なぜかご飯とおかずの盛り合わせの皿を乗せた盆を手にしていた。

 事務局長は上條を見おろし、こう言った。




「それはね、上條さん。私たちがやったんじゃない。いまのはアキレス腱の断裂です。あなたはあまりに、肉体を酷使しすぎた。そうだったじゃありませんか。いささかご自身の身体を虐めすぎた。そのツケがめぐってきたのです」


「嘘だ。アキレス腱が切れただなんて嘘だ。おれはもっと速く走るつもりだったんだ」と、上條は脚を抱いたまま歯をむいた。「こんな怪我で選手生命を絶たれてたまるか!」


 そのとき、どこからともなくジャージ姿の壮年の男がやってきて、朝比奈の横に並んだ。

 腕組みしたまま見おろす。

 師と仰いだ米田よねだだった。

 その細面の顔には軽蔑の色が浮かんでいる。

 そして致命的なひと言を放った。


「これでわかったろ。おまえはお払い箱なんだ」と、吐き捨てた。「やれやれ、こんな無様な終わり方になるとは。残念だが、今日かぎりでコーチをおりさせてもらう。短い師弟関係だったな。腐らず、まっとうな社会人になれよ。お疲れさん――」


 そう言い残し、米田はきびすを返して去っていった。


「うわあああああああッ!」


 上條はわめいた。

 バッドトリップだ。

 これは悪夢に他ならない。




 まどろみが浅くなるにつれ、頭がしっかりしてきた。

 どうにか薄目を開けて状況をつかもうとした。

 が、意思に反し、瞼を開けることさえ難しい。

 身じろぎはおろか、手の指を折り曲げることすらできないのだ。


 ――くそ、なんてざまだ。おれは〆谷に着いてから、いったい何度気を失ったというんだ?

 あのとき妙な注射を打たれた。あれがおれの意識をどん底まで叩き落したのだ!


 どうにか薄目をこじ開けた。

 そこは暗い部屋だ。

 ご丁寧にも布団に寝かされているらしい。真新しい畳の匂いがした。

 和室のようだ。

 足側には障子戸があり、灯りが透けて見えた。


 戸の向こうで気配が沸いた。

 音もなく戸がスライドした。

 誰かが室内に入ってきた。

 廊下の灯りを背にした、タールのように黒いシルエット。

 まちがいなくあの男だ。




「上條君、気分はどうだ。おかしな幻覚でも見たんじゃないのかね。なにせ君はかつての異人と同化したんだ。歴代の神之助役の男たちはみな、そう訴えるそうだ。思うに先代が事情を教えたく、そんな幻を見させてくれるのかもしれないね」と、男は枕もとにまわり込み、平坦な口調でまくし立てた。「そろそろスキサメトニウムの切れるころだ。素人による静脈注射だったが、うまくいったようでなによりだ」


 男が顔を近づけてくる。メガネのレンズがきらりと反射した。

 海道 史郎だった。

 上條の顔を覗き込んだ。


「さすが元アスリートだけある。薬に抵抗してるな。強靭な心と身体をそなえているものだ。君こそまさに異界からやってきたstranger(ストレンジャー)だ!」


 ――なにがストレンジャーだ! おれはふつうの人間だ! 勝手に祭りあげるんじゃない!


 上條は烈しく抵抗した。

 この男の信念は異常だ。常軌を逸していた。

 秘儀をやり遂げることで、ほんとうに破綻しかけた村を活性化できると思っているのか。


「君もわからん男ではあるまい。――上條君、君は選ばれたんだ、祭りの主役に。〆谷は十八年もの長きにわたり、『異人担ぎ』を行わずやってきた。そのため、神之助明神の怒りを押さえつけられなくなっている。せっかく神之助を神格化させたというのに、彼は忘れかけたころ、災いをもたらそうと起きあがってくるのだ。そのたび御霊みたまを鎮めなくてはならん。本来ならば私が選ばれたかったほどだが、あいにく私は『しるし』を授からなかった。代わりに、異人にふさわしい男を捜し出した。わかってくれ。君はそのために、新たなご神体となるのだ!」


 ――ふざけるな! ここで起きあがらなければ、おれは一生、敗残者のレッテルから逃れられないぞ!


 上條のなかで、先ほどの米田の強烈な台詞がよみがえった。

 これでわかったろ(、、、、、、、、)おまえはお(、、、、、)払い箱なんだ(、、、、、、)


 怒りが筋弛緩薬の効果を打ち消した。上半身を勢いよく起こし、男の襟をわしづかみにした。


「なにをこの! そんなものにされてたまるか!」

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