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18.飛んで火に入る夏の虫

 じっさいこれらの天変地異は、〆谷集落がある紀伊山地にまで激甚な被害こそ出さなかった。

 とはいえ当時の〆谷にとって、赤もがさの流行にタイミングよく続いた各地の自然災害は、神之助の祟りがエスカレートしたのではないかと錯覚してしまった。

 学が行きわたっておらず、当時は迷信や俗説を信じるような民俗社会においては、ごく自然な心理の動きであった。


 村落共同体の外部からやってくる偉才をそなえた者とは異人に他ならず、よもや神の化身だったのではないかと後付けで捉える者まで現れた。

 ただの身体能力が突出した異人ではない。神之助(、、、)という名も、神を冠しているのがなによりの証拠ではないかと。


 そんな神の代理ともいうべき人物を殺害したうえ、その遺骸を無造作に埋め、ろくに供養もしていないから、その魂は浮かばれず怒っているにちがいないと、外部から入ってきた占い師や山伏でさえ焚きつけるようになった。




 〆谷の住民は色めき立ったにちがいあるまい。

 神之助を亡き者に先導した彦左衛門は麻疹によって死んだから別として、殺害に手を染めた若者たちは、神之助の遺骸を掘り起こすことにした。


 墓からそれを掘り起こし、丁重に扱った。

 祟りをおさめてもらうよう、〆谷神社の祭神にまで祭りあげ、ねんごろに弔った。

 これを機に、〆谷では神之助明神(、、、、、)と崇めるようになったのだ。


 明神とは神仏習合における仏教的な神の称号。明神が民衆を救済するために仏の姿となって現れると信仰された。

 したがって祟りをなす悪霊を、神格化させることで逆転させ、災いから逃れようとしたのである。


 結果的に、天明の大飢饉は五年にわたって民衆を苦しめた。

 ついには一七八七(天明七)年の米価騰貴こめかとうき、打ちこわしへと大きな事件につながっていく。

 それでも天明三年当時に比べれば、神之助の怒りはおさまりつつあるのではないかと考えた。


 ようやく平穏な年になったころ、神之助が殺害された命日――つまり、八月十二日には供養をかねた祭りを行うようになった。

 心の痛みは時が経てば癒されるが、同時に良くも悪くも忘れてしまう。

 いくら神之助がよそ者であり、許嫁を奪ったとはいえ、それを亡き者にするのは人として外れていると言えよう。


 この悪しき行いを忘れないためにも、夏祭りの催しで、秘儀『異人担ぎ』をするようになった。

 まさに異人たる神之助が殺害された場面を、演舞をまじえ再現することで、後世の人々に戒めを伝えたわけである。 


◆◆◆◆◆


 あぜ道に座り込んだまま話していた海道は、両手を組み、伸びをした。

 上條をにらんだ。


「のちの研究で、神之助の出自がわかった。神之助は〆谷よりも内陸部に位置する『骨泣ほねなき』の出身であり、高貴な家柄の出であったんだ。というのも文献をさかのぼれば、骨泣にも赤もがさによる感染の被害が確認された。骨泣を起点として、同心円状に周辺集落へと広がりを見せているんだ」


「つまり神之助は、そこから意図的に逃げてきた?」


 上條は声をひそめて聞いた。


「そればっかりはわからん。感染された村から罹患者りかんしゃとして追放されたのか、あるいはその時点では健康体だったが、それを逃すために放り出されたのかもしれん。必ずしも周辺集落に拡大していったのは、神之助だけが原因とはかぎらんだろうが……。いずれにせよ、〆谷に流れ着いた神之助は、すでに感染していた」


「それで夏祭りのときに感染を広げてしまったと?」


「おそらくそんなところだ」と、海道は苦々しげに声をしぼり出した。「上條君が言ったとおり、その後に起った浅間山の噴火と天明の大飢饉も、たまたまのタイミングにすぎなかった。祟りでもなんでもない。そういう巡り合わせだったんだろう。しかしながら、当時の民俗社会はそれを、悪霊や神仏の仕業と結び付けてしまったわけだな。いくら村一番の美人であったお民を奪われたとしても、報復として神之助を殺害してしまったことに対し、誰もが内心、後ろめたさを憶えていたにちがいない。それで気弱な心が、そのような幻想を作り出してしまった。つまり御霊信仰ごりょうしんこうという概念をだ。災いは、神之助の浮かばれぬ魂が引き起こしているのだと」


 上條は手のひらに片方の拳をぶつけた。


「神之助の話はもうたくさんだ。だったら、密がお民の生まれ変わりって話はどういうことなんです?」


「君の場合、その点が気がかりだろう。――罪深いことに、〆谷における異人殺害に関わった一族は、まだ残っている。そして察しのとおり、お民と地主はいまの町村家の先祖にあたる。だから密はお民の系譜であり、神之助に相当する異人が〆谷に入ってくることで、いつでも過去の再現ができるというわけだ。きっかけさえあれば、密はお民として甦る。『揺り返し』現象が、きっと〆谷全体を過去へと運ぶだろう」


 と、海道はうずくまったまま言った。


「まさか――僕が神之助と同じ異人として機能するってか?」上條はまぶたを押さえ、うめいた。「なんでご先祖の意志が戻るんです? その原理がわからない。祭りの催しで過去の行いを再現し、単にこの限界集落を元気づけるためだけに、誰かが犠牲にならなくちゃいけないなんて、エゴもいいところだ!」


「いまでこそ〆谷は風前の灯火となってしまったが、世界の中心だった。狭い民俗社会においては。狭かろうが、落ちぶれさせてはならない。……あの寒川率いる夏祭り実行委員会はこう考えている。だから問答無用で上條君、君を神之助の代役にしようとしているんだ。〆谷は十八年ものあいだ、秘儀を行っていない。うまい具合に飛んで火に入る夏の虫のごとく、君がやってきた。町村 密による導きと、君自身の意志で。奴らは今年こそチャンスだと思っている」


「密は僕を陥れるために、わざと恋仲になったのか? つまり最初から仕組まれてたのか?――僕がいちばん知りたいのはそこだ」


「上條君との出会いは、恐らくはじめのうちこそ、密の自由意思によるものだった。つまり君たちは、出会うべくして出会った。ところがしばらくすると、多重構造である密のお民である部分がよみがえったにちがいない。お民が神之助役の条件を兼ねそろえた君を〆谷へと誘うため、あえて行方をくらませたのだろう。まんまと君は術中にはめられたようなものだ」


「飛んで火に入る夏の虫。なら、とことんお民の仕掛けた誘蛾灯に引っかかってやろうじゃないか! 密の意志じゃなく、彼女が操られてるのなら、彼女を救わないといけない!」


「……それほど彼女のことを愛してるんだな。気持ちはわかった。なら休憩は終わりだ。先を急ごう」


 海道は言って、ひざに手をついた。

 二人が行動しようと立ちあがった、まさにそのときだった。

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