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17.神之助の死は赤もがさと天変地異をもたらした?

 足首の腱を切られた神之助はたちまち踏ん張る力を失い、その場にくずおれた。

 なんと大石の下敷きにされたのだ。

 さしもの神之助もねじ伏せられ、身動きがとれない。

 石を背負う形で地べたに這いつくばる。頭まで挟まれ、地面に埋没しかけていた。


「……は、謀ったな、おまえら!」


 と神之助は言うも、そこらじゅうの骨が砕け、なす術がない。

 見かねたお民がその身体に取りついた。

 泣きながら男たちの策略を罵り、神之助の身体から大石をどけようとする。

 だが、女のか細い腕でどうにかできるものではない。

 男たちの手によって、お民は無理やり引き離された。


 神之助が抵抗できないよう、手足を縛りつけた。

 大石をどかすと、すかさずむしろで身体を包み込み、荒縄でぐるぐる巻きにしてしまった。

 強力無双がもがいてもどうにもならない。重石につぶされたうえ、刃物で切りつけられ、ひどく傷ついていたのだ。反撃する力も萎えていた。


 事情も知らぬ住民や、お民が泣き叫ぶのをよそに、男たちはその簀巻すまきを神輿みこしのように担ぎあげた。


「龍の池へ行くぞ! この野郎を沈めちまおうぜ!」


 そのまま彦左衛門を先頭に、〆谷川の下流へ走った。

 簀巻きの神之助は、鳥にくわえられた芋虫のように身をよじった。

 川下には龍の池が広がっていた。


 男たちはためらいもせず、池のなかに投じた。

 はじめ簀巻きは烈しく身悶え、沈みかけても浮上したが、そのたびに長い竹竿で沈められた。いわゆる『水責め』という処刑法である。


 さすがの神之助の並外れた体力をもってして多勢に無勢。抗えるものではない。

 しばらくしぶとく抵抗を続けていたが、やがて力尽た。

 その遺体を筵にくるんだまま、池の中州に埋めてしまった。

 簀巻きにして殺すと、畜生道に落ちると当時は信じられていた。死後も辱めようとしたのだ。


 お民の悲鳴は聞くに堪えなかった。

 熊を殺すと大雨が降ると信じられているように、神之助が死んだ直後でさえ烈しい雷雨に見舞われた。

 父である地主はお民を慰めた。時間が解決してくれることを願うしかなかった。




 ところが事態は悪い方向へ転じた。

 神之助が殺害され、埋葬してからしばらくすると、〆谷で異変が起きたのである。

 次々と住民が体調不良を訴えた。発熱からはじまり、眼の充血や咳、鼻水、嘔吐、下痢の症状が出、ついには全身に水疱すいほうが生じた。


 単なる風邪ではなかった。

 中耳炎の症状を訴えるだけならまだしも、角膜を傷つけ失明したり、肺炎をこじらせる者、深刻な脳炎を引き起こし、命を落とす者まで現れた。その死亡した者のなかに、お民や彦左衛門まで含まれていたのだ。


 〆谷の誰かが洩らした。

 ――この病は、きっと死んだ神之助の霊魂が災いを起こしているにちがいない、と。


◆◆◆◆◆


 耳をそばだてていた上條が思わず、


「バカな。祟りだとか。いくら神之助が非業の死を遂げたからといって、そんな病気が流行るわけがない。単なる偶然が重なっただけでしょう! 神之助の霊魂と結び付けるのもいかがなものか!」と、食ってかかった。「いったい、その病気の正体はなんだったんですか?」


 海道が人差し指を唇に当てて、眼下の川沿いをにらんだ。


「そう昂奮するな。奴らに居場所がバレるぞ。――なにを隠そう、〆谷に災いをもたらした病ははしか(、、、)だったのだ」


「はしか?」


◆◆◆◆◆


 のちの歴史学者の研究で明らかになる。――これは赤もがさ(、、、、)、いわゆる麻疹ましんの大流行だった。

 日本において、麻疹、すなわちはしか(、、、)と呼ばれるようになったのは江戸時代以降であり、それまでは赤もがさという言葉で通っていた。

 もがさとは天然痘のことで、発熱と皮疹ひしんという症状が似ているからであろう。


 かつて天然痘は『見目定みめさだめ』、麻疹は『命定いのちさだめ』の病と恐れられていた。

 言うまでもなく死亡率は天然痘の方が圧倒的に高く、醜いあばた(、、、)も残さないものの、そのわりにあっけなく死んでしまうことから『命定め』と呼ばれた所以ゆえんであったのだろう。




 麻疹ははしか(、、、)とも呼ばれ、パラミクソウイルス科に属する麻疹ウイルスの感染によって起こる急性熱性発疹性の感染症である。

 このウイルスは人間のみに感染し、発症した人から人へと感染する。


 感染経路は接触感染、飛沫感染、空気感染であり、その感染力は極めて強く、麻疹に対して免疫がない者がうつれば、九〇パーセント以上が発病してしまう。

 現在でこそ死亡率は日本などの先進国では〇.一パーセント程度とはいえ、全世界でみると三~五パーセントと高い数字を示している。


 ましてや医療の発達していなかった江戸時代までの我が国においては、確たる治療法や知識がなかった。

 一般的にビタミンAが不足すると麻疹の重症化になりやすいとされており、発展途上国ではその死亡率が一〇~三〇パーセントに達する場合があると言われている。


 日本の歴史を紐解ひもといても、麻疹は近年まで度々大きな流行をくり返していた。ワクチンの接種率の向上や多くの医療関係者の尽力により、国内の発症者数は大きく減少した。

 二〇一五年、WHO西太平洋事務局(WPRO)は過去三年間にわたって、国内には土着の麻疹ウイルスは存在しないとして、我が国が『麻疹の排除状態にある』ことを認定した。


 いまでこそ麻疹というイメージから、子供の病気という印象が強いかもしれないが、じつは罹患した者の半数以上は成人だという。

 なまじ大人が麻疹に感染すると、子供より重症化しやすく、有名な死亡者では、犬公方いぬくぼうこと徳川五代将軍・徳川とくがわ 綱吉つなよしがあげられる。

 綱吉は一七〇九(宝永六)年一月に、当時猛威をふるっていた麻疹に感染。一週間後に死亡している。享年六十四歳だった。




 とはいえ、麻疹もいずれ沈静化するものである。

 事実、〆谷内でこの感染症がひとしきり暴れまわったが、半年もすれば終息していった。

 集落の人口の、じつに五分の一もの住民が命を落とし、生存した者もなんらかの後遺症を残した。多くの犠牲を払ったものの、致命的な損害とは言えまい。


 問題はそのあとだった。

 年が明けて、一七八三(天明三)年。

 しばらくはなにごともなく時間がすぎ去ったが、四月から七月初旬(旧暦)にかけて、信濃しなの上野こうずけの境に位置する浅間山が不穏な活動を示した。

 そして七月八日に大噴火を起こした。


 このとき発生した火砕流により、上野こといまの群馬県の西端にある嬬恋村つまごいむら(現在の鎌原かんばら地区)では一村一五二戸が飲み込まれ、四八三人が死亡したほか、群馬県下で一四〇〇人を超す犠牲者を出した。


 また、この年の浅間山噴火は直後に吾妻川あがつまがわ水害を発生させた。

 さらには三年後の天明六年では、利根川流域全体に洪水を引き起こした。

 この利根川の河床上昇によって各地での水害悪化の要因となり、利根川治水に深刻な影響を及ぼすことになったのだ。


 浅間山噴火は大量の火山灰を広範囲にわたってまき散らし、うず高く積もらせた。

 火山灰は主に東へと流れ、江戸、銚子にまで達し、とりわけ碓氷峠うすいとうげから倉賀野くらがの新町しんまち間の田畑すべてに降灰。その姿形すら判別できないほど変えてしまったとされている。

 群馬県のみならず関東一円に堆積した火山灰は、農作物の生育にも暗い影を落とし、すでに始まっていた天明の大飢饉に拍車をかけることになった。




 周知のとおり、天明の大飢饉は江戸四大飢饉のひとつである。

 日本においては、近世では最大の飢饉とされている。とりわけ東北地方は一七七〇年代から、悪天候や冷害によって農作物の収穫が激減。すでに農村部から被害が拡大していた。


 こんなさなか、浅間山の噴火により各地に火山灰を降らせたのである。

 この噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下によるさらなる冷害をもたらすことになり、作物に壊滅的なダメージを与えた。


 この大飢饉は五年間続いた。

 もっとも被害が多かったのは津軽藩で餓死者八万人、領内の人口の三分の一を失った。

 南部藩では餓死者四万八千人、感染病の死者は二万四千人を数え、他領への逃散ちょうさんした者を加えると、人口の二割を失ったことになる。


 結局、天明の大飢饉による総餓死者数は三〇万人とも五〇万人とも言われている。

 餓死者以外に、地震や浅間山の噴火、洪水などで亡くなった人数を合計すると、じつに一〇〇万人以上の人間が亡くなったという。


 一七〇〇年代の日本の人口は二八〇〇万人から二九〇〇万人であったと推定されており、一〇〇万人以上の死者が事実だとするならば、日本の総人口の三.五パーセントの人間を一気に失ったことになるのだ。

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