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16.神之助殺害事件

 ようやく高台にたどり着いた。

 そこからさらに上は勾配のきつい崖になっており、その向こうも立木が密集していて、とても山へは入り込めそうにない。


 混乱に乗じて高台から密を見つけ出す案だったが、はたしてうまくいくだろうか?

 どうしても密に会いたい。せっかくここまで来たのだ。彼女を置き去りにして〆谷から出ていくわけにはいかなかった。


 だから町村家をめざして、棚田のあぜ道を突っ切ることにした。

 町村家まではざっと二〇〇メートルは離れてしまっている。そこにいると信じ、一縷いちるの望みを託すしかない。賭けに近かった。


 周囲は暗く、うっかり足を踏みはずせば、下の棚田に転げ落ちそうだ。

 はるか下方の川沿いの道では、大勢の人間が右往左往していた。

 赤い法被姿の寒川たちが出入り口の方へ小走りで向かっている。その眺めは滑稽ですらあった。


「ところで、さっきの話の続きだが」先を歩く上條はうしろを振り返りながら言った。「神之助にまつわる伝説とやらを教えてくれませんか。なぜ密が誰かの生まれ変わりなのか、ちゃんと説明して欲しい。僕にとっちゃ、妄想じみてて理解しかねるかもしれないけど」


 海道は片脚を引きずりつつ、「よかろう」と言った。あぜ道を渡りながら語りはじめた。


「異人は村落共同体の外から内部へやってきて交渉を持つ。異人と呼ばれる者は集団社会の構成員とは異なる存在だ。単に外国人のことを指すこともあるし、ふつうではない性質を持つ人物、優れた才能や、ふしぎな技や術を身につけた者も意味した。いわゆる中央政権に従わない『まつろわぬ者』全般も表したわけだな」


「また、訳のわからないことをおっしゃるんですね。まるっきりついていけない……」




 民俗社会(、、、、)において(、、、、)並外れた身体能力を持つ人々(つまり異人)は、他と比べその突出した力を、主として日々の労働に発揮した。

 彼らは、ふつうの人には抱えることができない重量物を運び、あるいは驚異的な速さで長距離の道を走った。

 なかには相撲や剣術などの格闘技に秀でた者もいた。並外れた身体の力を持つ人々は、仕事やスポーツで他を寄せ付けぬ力を示して称賛の的になったものだ。


 しかしながら一方で、彼らのなかには悲劇的な結末を迎えた者もいた。

 桁違いの能力の持ち主は、時に異端者として疎まれ、村落共同体から排除されることもあったのだ。とくにそんな資質を持つ人間が、よその土地からやってきた場合、そうした傾向が強く、最悪殺害されることさえあったという。


「いささか疲れた。ちょっと休憩させてくれ」と、海道は右手をさし出した。息を切らせながらあぜ道に腰をおろした。しばし呼吸を整えると上條を見た。「座ったついでに、いまから秘儀『異人担ぎ』の発祥となった異人殺害伝説を説明しよう。そう、つまり神之助とお民の悲劇の話だ」


「よろしいですよ。ここなら当分、追手も来ないでしょうし。――だったら聞かせてもらいましょう。なぜ神之助が殺され、それが密と関連があるのかを」


 上條は言うと、その場にしゃがみ、海道が話す内容に耳を傾けた。


◆◆◆◆◆


 一七八二(天明二)年のことである。

 〆谷集落に、どこからともなく神之助と名乗る青年が流れてきた。高貴な出自らしく、身につけたものもきらびやかであった。

 しかも〆谷に居つくなり、地主の一人娘おたみを見初めてしまう。

 娘も言い寄られ、許嫁いいなずけである彦左衛門ひこざえもんがいながら、二人は恋に落ちてしまったのだ。


 それでなくともお民は村一番の美しさを持ち、男たちの憧れの的だった。歯ぎしりだけですむはずもない。

 地主も顔に泥を塗られ、心中穏やかではない。

 寝取られた彦左衛門とてお民を奪い返す好機を狙っていた。

 このまま泣き寝入りだけはするまい……。


 おりしも村内で夏祭りが行われる時期。

 祭りの催し物として、力石ちからいしによる力比べが行われることになった。村の内外問わず参加が可能だという。

 酒に酔った彦左衛門が戯言ざれごとで、


「元許嫁のおれが言うのもなんだが――この力比べで、勝った男が正式にお民を嫁にもらうというのはどうだ」


 と、言い放った。


「お民はおれが嫁にすると約束した。あんたには悪いが、お民の気持ちも固まっている」


 神之助がやり返した。


「しょせんおまえはよそ者じゃないか。しかも勝手に横からかっさらっておいて。なにもかもおまえの一存で決めるのもどうか。村には村のやり方がある」


 酒の力を借りていきり立った彦左衛門とその取り巻きが、神之助を囲んで凄んだ。

 神之助は腹を決めた。強力ごうりきにかけてはめっぽう自信があった。

 その対決に受けて立ってやろうと思った。

 決闘に勝ち、〆谷の男どもを納得させればいいだけの話である。


「一番になったら必ずお民を嫁にできるのだな。勝てば恨みっこなしだ。それで証明してやろう」


「そうこなくっちゃ」




 この力比べには、やしろに奉納された力石が用いられた。

 力石とはこの時代における数少ない娯楽のひとつだった。

 人力による労働しかなかったころ、力ある男は稼ぎも多く、村一番の美人を嫁にすることさえできたのだ。

 すなわち力持ちは、優れた男性のステータスでもあった。


 江戸時代から明治時代にかけて、力石を用いた腕試しが日本全国の町村で、ごく普通に行われたものである。

 単に身体を鍛えるために挑戦したり、集団でたがいの力を競いあったりして楽しんだ。男子として一人前になるための通過儀礼にも試された。

 祭りの出し物として、こういった娯楽がなされることが少なくなかったという。


 もっとも時代が進むにつれ、労働の機械化や娯楽の増加・多様化により、二〇世紀後半に力試しの習俗は完全に廃れてしまった。かつてあった力石そのものも捨てられたようだ。

 その力石の一部は住民が喪失を惜しんで神社に奉納したり、境内に安置した。もしくは自治体の民俗文化資料館に置かれたり、看板を立てて所在と由来を示し保管したものだ。




 広場の中央に、表面がつるりとした大中小、三つの自然石が運ばれてきた。どれもが楕円形をしていた。

 一番小さな石で目方は四〇キログラム、中ぐらいの二の石が一一〇、威風堂々たる三の石にかぎっては一六〇キロを誇った。


 ルールは簡単である。

 石を両手で抱え、頭の上まであげ、一呼吸制止すればそれで合格というわけである。一六〇キログラムのサイズに至っては墓石に使われる竿石さおいしより大きいほどだ。


 村の男たちは我先にと力石に挑んだ。

 もとより日ごろからお遊びで小さな石なら軽々と持ちあげられるので、誰もがいきなり二の石に取りかかった。


 さしものこれにはみんな手を焼き、やっとのことで地面から引き離すか、腰の位置まであげるので精一杯。

 とても頭上にまで掲げるまでには至らない。


 そんななか、神之助は胸を張って前に進み出た。

 住民の注目が集まる。

 両手に唾を吹きかけ、二の石に向かい合うと、いともかんたんにそれを抱え、真上に持ちあげてみせた。


 これには一同、賛辞を贈らずにはいられない。歓声が沸いた。

 神之助はどすんと石を地面に投げ落とした。

 休憩後、今度こそ三の石を試すという。




 彦左衛門とて二の石に難儀しているというのに、このままでは神之助は大石さえも軽々と持ちあげてしまうのではないか。

 とすれば、お民が神之助の嫁になるのは避けられない。

 なんとしても阻止したかった。

 屈辱にまみれ、おいそれとよそ者にお民を渡してなるものか。


 神之助が休んでいるのを見計らい、彦左衛門は取り巻きの男たち数人を呼びつけた。

 ひそかに耳打ちした。

 こうなったら神之助を亡き者にするべきだ、と。


 村の男たちは二の石に苦しみながら、どうにか八人が合格した。

 これで三の石に挑戦する資格が与えられたが、ただでさえ二の石に難儀したのに、とても大石を持ちあげられるとは思えない。

 誰もが体力を消耗していた。じっさい五人は辞退を申し出、三人が大石に挑むも、あえなく降参した。


 ついに神之助の番がやってきた。三の石の前に進み出た。

 他の四人とはちがい、気力体力がみなぎっているようだった。

 自信に満ちた顔で彦左衛門を睨みつけ、お民には笑顔を送る。


 股を開き、両腕をだらりとさげた。

 気合のかけ声とともに、神之助が大石を抱えた。

 歯を食いしばり、顔面が真っ赤になるほどのりきみようである。


 両腕の筋肉が盛りあがった。太腿やふくらはぎもはち切れんばかりになる。

 村じゅうに響き渡る唸り声を放つと、なんと両手の二点保持だけで真上に持ちあげたのだから、住民たちの口から地鳴りのような感嘆の声が洩れた。


 恐れ入るほどの怪力。神之助は仁王立ちの姿勢で耐えた。

 神之助は石を持ちあげたまま、勝ち誇ったように大笑いした。

 まさにそのときだった。


「やれ!」


 と、彦左衛門は命じた。

 神之助の背後に陣取っていた若い男たちが鎌やなたを手にした。次々と、無防備になった神之介の背中や脚を切りつけたからたまらない。

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