14.「人気者はおちおち買い物にも行けない」
〆谷川沿いを上流に向って坂をあがった。
明日は集落にとって待ちに待った夏祭りの日。
ましてや十八年ぶりの秘儀が行われ、停滞した〆谷の活力を取り戻そうとするのだという。
誰も彼もが落ちつかないようだ。
夕闇が沈んだというのに、散歩している老人たちの姿が眼につく。
上條と海道は身体をかがめ、遮蔽物から遮蔽物へと隠れながら進んだ。
見つかれば、それこそ神之助の二の舞のごとく袋叩きにされる恐れがあった。
なにはともあれ、まずは町村 密に会わなくては……。
いまのところ、どこにいるのか皆目行方がわからない。
意外に町村家へ帰っているのではないか。
可能なら彼女を連れて安全な場所に避難させるべきだ。
そのまえに、退路を確保する必要があった。
海道は上條を逃がしてくれると言っているが、逃げるなら車は必須であろう。
上條が乗ってきたワゴン車は公民館横の駐車場に停めてあった。
とても人目を盗んで車に乗り込めるとは思えないが……。
公民館が見える小道までやってきた。
起伏の多い棚田の陰に身体を押しつけ、二人は建物を見あげる。
手前の芝生を敷いた広場には、赤い法被姿の男たちがなにやら話し込んでいるようだ。
その右横の駐車場では黒い物体が白い煙をあげている。
異臭がした。先ほど盛大な焚火をしていた位置であろう。
上條は眼をむいた。
いまやフレームしか原型が残っていない。件のワゴン車にちがいなかった。
「なんてことだ。奴ら、おれの車を燃やしやがった……」
海道が上條をふり返った。
「万が一、君が逃亡を計った場合を考えて先手を打ったにちがいない。いずれにせよあの人数だ。たとえ焼かれていなかったとしても、とても近づけやしない。あきらめるしかあるまい」
「監禁と傷害罪だけじゃなく、器物損壊罪がプラスされるぞ。このままだと殺人罪まで……。夏祭りの催しのために、たかが一人の部外者のために、ここまでやるなんて信じられない……」
「これでわかったろう。連中は本気なんだ。『異人担ぎ』がどれほど、〆谷にとって必要不可欠かってことがだ」海道はそこまで言って、あわてて口をつぐんだ。そして川沿いの道を指さし、上條の腕を叩いた。「……まずい。人が来る。ここを離れよう」
二人は物陰に隠れながら坂道をくだった。
赤い法被を着た老人と老女の二人組が懐中電灯で足もとを照らしながらやってくるところだった。
このまま公民館側に曲がってくれば、鉢合わせになってしまう。
海道はそばの、道沿いに建つ物置小屋を指さした。
上條はドアに手をかけた。
鍵はかかっていない。促されるがまま、上條は小屋に飛び込んだ。
海道もあとに続いた。
そっとドアを閉めた。なかは狭い。
もしものために、小屋のなかの細い鉄材や板切れをつかみ、襲撃にそなえた。
二人組の足音が近づく。
上條は息を殺し、鉄材をかまえた。
男の方が、明日の夏祭りが楽しみだとか、久しぶりの秘儀のため夜も寝つけないと、昂奮した口ぶりでしゃべっている。
老女はくすくす笑うも、当日は興味本位の学者や記者らが訪れる。それらに取材されないよう、いまのうちから気を引き締めなければならないと諭していた。
懐中電灯の光がドアのすき間から洩れた。
上條は全身を強ばらせた。
――来るなら来てみろ!
が、足音は幸いにして、小屋の前をすぎ、公民館の方へ遠ざかっていった。
息を吐き出した。
海道も板切れを棚に戻し、ため息をついた。
「とてもこの状況じゃ、密を捜し出す余裕はない……」
「なら作戦変更だ」と、海道は低い声でささやいた。「いったん君は〆谷から逃げ出せ。君が逃亡したとなると、〆谷は蜂の巣をつついたように騒ぎ出すにちがいない。その混乱に乗っかって高台から捜す手もある。現実はかなり難しいだろうが……」
「僕は視力にかけては自信がある。うんと高い位置から見張ることにする。――それしかない」
「だったら決まりだ。その線で行こう」
二人は物置小屋の外に出た。
公民館でなんらかの動きがあったようだ。
人だかりができて、きつい口調で話し合う声が聞こえる。
様子がおかしい。
もしかしたら、神社の蔵から上條が逃げ出したことが発覚したのかもしれない。
海道は川沿いの道を示した。
上條が物陰に隠れながら移動した。道路の一段下の畑のあぜ道におりた。
ろくに街灯もないので、至るところに墨をこぼしたかのような影がある。
誰かと出くわしたら、身を潜めるにもってこいの死角が続いていた。
公民館の方から、ぞろぞろと住民たちがおりてきた。
寒川の姿があった。声を涸らして住民たちに指示を与えている。
二人一組に編成させ、川沿いの下流、上流、そして吊り橋を渡って、神社方面へ捜しに行けと声を荒らげている。
物騒なことに、見つけ次第、多少痛い思いをさせてもかまわんと付け加えていた。
「どうやら、君が逃げ出したことがバレたらしいな」海道は脚を引きずりながら言った。前を行く上條の腰のベルトをつかんで、しゃがませた。「いったん、こっちに来る奴らをやりすごそう」
「人気者はおちおち買い物にも行けない。――寒川に二度も頭を殴られ、そのうえ痛い思いをさせるだと? ふざけやがって!」
上條はぼやき、あぜ道で身をかがめ、斜面に身体を押しつけた。
斜面から顔だけ出して、小走りでこちらに向かってくる歓迎委員会を見た。
やってきたのは、猟友会らしいオレンジ色のジャケットを着た禿げ頭の老人と、これも禿げ頭の壮年の男だ。苦みばしった顔がそっくりだった。親子だろう。
老人の手には猟銃が握られていた。息子は木刀をさげていた。
飛び道具と接近戦の得物の違いこそあれど、どちらも殺意をみなぎらせていた。
上條はあわてて闇に溶け込んだ。
親子はすぐに集落の入り口を固めるぞ、と言い合いながら、まさか足もとに上條たちが身を伏せているとも知らず上流の方へ走っていった。
立ち止まりもしない。あれで狩りをするというのだから、ボルトアクションライフルも宝の持ち腐れだ。
◆◆◆◆◆
二人はあぜ道を進んだ。
しばらく行くと、道の向かい側に一軒家が佇んでいるのが見えた。
灯りは消えているが、空き家ではなさそうだ。ちゃんと生活臭がある。
庭先には洗濯物が干され、玄関のプランターにはマリーゴールドが花を咲かせているからだ。
家の者は消灯し、公民館に集まっているのかもしれない。
横にはガレージがあり、箱バンが停まっていた。
上條と海道は顔を見合わせた。
ワゴン車を燃やされたのなら、個人宅の車を拝借してやることも頭をかすめた。
が、連中を刺激して、事態がよけい悪化するリスクもあった。村の入り口は一か所しかないのだ。
そこを固められたら、強行突破できるかどうかはかなり怪しい。
それ以前に盗みを働くのも、連中と同レベルに身を落とすようで気が進まなかった。
窮地に立たされていた上條とはいえ、どんな状況であれ清廉潔白でありたかった。
「せっかく静かに行動し、いまのところうまくいっている。このまま音を立てずに進もう」
と、上條は囁いた。
「いいのか? 見つかったら、走って逃げるにも限界があるぞ」
「目立たないよう努力するさ。カメレオンみたいに周囲に擬態しよう。それに密を見つけ出すには、僕たちが見つかっては、うまくいくものもうまくいかない」
「いい心がけだ。とにかく先を急ごう」
夜陰に乗じて高台へあがる必要があった。
町村 辰巳と瀑布子夫妻の屋敷へ行きたかったが、それには公民館につながる小道を登らねばならず、さすがにそれは断念するしかない。
集落の中ほどまでさしかかったとき、ふたたび高地へあがる道と出くわした。
このあたりの民家も灯りは消え、家族がいる気配はない。一軒家のなかで座敷犬が吠える声だけが聞こえた。
この場に留まっていても、犬が騒ぎ立て、他の住民に勘づかれるだろう。
二人は周囲を見まわし、住民がいないことを確認したあと、道を曲がった。
そのころには完全に夜の闇があたりを染めていた。ろくに街灯すらなく、月明かりだけが頼りだ。
ずっと左上方には石塀で囲まれた町村家の屋敷が見えた。
灯りがついているが、うかつに近づくのは危険だ。
かたや右の川沿いには、集落の出入口が見えた。やけに赤々としていた。
ドラム缶で焚火を炊き、番をしているらしい。男数人の姿が見えた。