11.『異人担ぎ』の発祥
あぐらをかいた上條は黙々と白飯を口に運んだ。ときおりたくあんを噛み砕き、鮎の塩焼きに舌鼓を打つ。
怒りにまかせ、口を動かした。ふだん温厚な上條でさえこんな境遇に追い込まれれば、煮えたぎる気持ちを押さえつけるのは難しい。――とはいえ、一昼夜ぶりの飯の味は絶品だった。
食べているあいだ、朝比奈は滔々と語りはじめた。
それをまとめるとこうなる――。
〆谷の夏祭り自体は毎年盆の時期に開かれている。
プログラムも地方の祭りの例に洩れず、定番のものばかりである。祭りは主に公民館前の広場で行われる。
郷土芸能太鼓の演奏をはじめ、カラオケ大会、盆踊り、抽選会、民謡流し、そして〆谷神社での祭典。社殿では神楽を奏して、豊穣、鮎の豊漁、無病息災を祈願する。
もちろん出店もずらりと並ぶ。大がかりな打ち上げ花火こそないが、夏を彩るにふさわしいものだ。
当日は〆谷の住民はもちろん、いまでこそよそへ移ってしまった元住民や、近隣の集落や町からも見物客がつめかけ、遠方からは少ないながら観光客までが訪れる。
そのなかで以前から、人類学や社会学、民俗学の学者らのあいだでマークされていたのが秘儀『異人担ぎ』だった。
この『異人担ぎ』を含めた〆谷夏祭りが奇祭として認知されているのだ。
しかしながらこの現代においても、詳細が明らかにされていない。
というのもこの秘儀だけは、学者・記者・カメラマンらをシャットアウトしたうえでの極秘の神事として知られているからだ。
秘儀に関わる者は、その内容を外部の者に洩らしてはいけないタブーがある。もし洩らすことがあれば、手ひどい制裁と、〆谷からの追放されるなど、厳しい掟があるというのだ。
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そもそも〆谷夏祭り、とくに秘儀『異人担ぎ』の発祥は、一七八三(天明三)年の江戸時代中期ごろから始まったと文献に残されている。それ以前は規模の小さな盆踊りぐらいしかなかった。
〆谷集落内である事件が起こったそうだ。
その愚行を反省し、戒め、そして後世に伝えるために、事件の当事者となった『神之助』という若者の命日――つまり、八月十二日に開催されるのが通例となったのである。
なかでも秘儀『異人担ぎ』は、『神之助』が事件に巻き込まれた一部始終を再現した行事と噂されている。
ところが一九六〇年代までは三年周期で行われていた秘儀も、八〇年後半、〆谷ダムが建設されてからというもの、一気に集落自体に過疎化が進み、不定期でしか実施されなくなった。前回行われたものが十八年もの開きがあり、徐々に間隔が開きつつある。
不定期になったのは、財源と人手不足の問題が大きい。
秘儀を行うにせよ、それには特注の山車が必要とされている。その山車は三十年間隔で新調するのが習わしのようだ。
総欅造りで、彫り師の意匠をほどこされた山車の本体価格は二〇〇〇万から、場合によっては四〇〇〇万円もかかるため、なかなか資金が集まらないのが実情である。
木でできた車輪のついた山車は、ご神体が乗せられるよう、上部にはコクピット式の空間が設けられている。
それを押し引きしながら、〆谷の中心を流れる川沿いの下流まで曳いていき、はじめの神事が行われる。
そのあと川を渡って〆谷神社側へ渡るべく、着脱式を採用した山車は、車輪の部分を取り払う。こんどは神輿として、人力で担がれるわけである。
この神輿の重さがおよそ五〇〇キログラム。六点式の長い担ぎ棒を差し込むと一トン近くに達することになる。
この担ぎ手の不足にも〆谷は頭を悩ませていた。高齢者が参加するにはいささか体力が足りず、危険もつきまとうからだ。
秘儀『異人担ぎ』は〆谷関係者のみで構成された秘密結社的な組織なので、どうしても人手が足りなくなってしまうのだという。
また致命的な問題もあった。
秘儀には仮面仮装をした来訪神が異界よりやってくる設定になっており、同時に秘儀をつかさどる進行役になるのだ。この来訪神がそのままご神体になるとされている。
このマレビトこそ、先の江戸時代中期、事件に巻き込まれた『神之助』その人なのだという。
秋田県男鹿半島のナマハゲ同様、来訪神行事としての側面もあるのだが、肝心の神役を演じる者が確保できないことで〆谷は神事の存続に苦しんでいた。
神役(もしくは神之助役)選びは条件があった。
必ず村外の人間を連れてこなくてはならない決まりがあるという。しかもこれは文字どおり、生け贄と同義とも言える扱いで、最終的には命を落とすことになる。とても志願者を募ったところで名乗り出る者など望むべくもない。
かつては誘拐してきて、無理やり神役に仕立てた事例もあったという。
いまでこそ世間の明るみに出ていないが、いずれ露見すれば、法的にも人権的にもメスが入り、解体されるに決まっている。それはつまり、〆谷そのものが好奇の眼にさらされ、糾弾を受け、そのコミュニティの維持すら危ぶまれることにつながるのだ。
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「無茶苦茶だ! どこの世界に、人の命を奪っていい祭りがあるっていうんですか! それに僕が選ばれたとなると、黙って見すごせるはずがないでしょ。誰が言いなりになるものか!」
上條は茶碗を叩きつけた。九谷焼は割れて、床に散らばった。
怒りにまかせ、立ちあがろうとしたが、足首が縛られていることを忘れていたため、ぶざまに尻もちをついてしまった。
「私としましても、上條さんには同情を憶えております。ですが、これも〆谷の明日を思えばこその苦肉の策。このまま監禁するのは心苦しいですが、明日の秘儀には神役となっていただき、我が〆谷を守るご神体となっていただきます」
朝比奈が話す内容なら多少なりとも理解できるかもと期待していたが、まったく通じなかった。
民俗芸能にご神体として強制的に選ばれたのも理にかなっていないし、むしろ聞いているうちに上條は烈しい頭痛がしてきた。
寒川のブラックジャックにより殴打されたのも相まって、ますます痛みが走り混乱してくる。
上條は片手をさし出して、
「だいいち、『異人担ぎ』とやらを時々やらないと、『神之助明神』の怒りを押さえつけられないなんて、意味がわからない。『神之助』って若者がどんな形で死んだにしたって、しょせんは江戸時代の人物でしょ? まさか浮かばれない霊魂が、いまでも祟ろうとかどうかしてる。最先端のコンピュータが世の中にあふれる時代にですよ? ナンセンスもいいとこだ!」
朝比奈は上條の前に正座してそれを聞き、なんども頷いた。
「あなた方、都会の人には理解しがたい内容かもしれない。現に〆谷は災厄が迫りつつあるのです。少しずつバランスが崩れているのが私たちにはわかる。〆谷を中心として、同心円状に災いは広がっていくものなのです」
「ずいぶんざっくりした表現ですね、〆谷の災いとやらは。こんな過疎地だ。遅かれ早かれ、集落は滅びに向かっていくものでしょう。それが自然の摂理ってもんじゃないですか? まさか〆谷がそこいらの村とは違うだなんて冗談はよしてくださいよ」
「上條さん。あなたは硬い。あまりにも硬すぎる。もう少しご理解を示してくれると思っておりましたが」朝比奈は喋り疲れたのか、眼を閉じ、眉間を揉みながら言った。「いずれにせよ、私どもとしましては、先代である神之助の魂を慰めるため、新たな神之助の代わりを供えなくてはならない。異人たる神之助と同じく、あなたは村外からの来訪者であるとともに、類稀なる才能を持っていた特別な人間なのです。残念な結果になってしまいましたが、やはり常人からすれば、あなたもまた異人なのです――存じておりますよ。あなたは一時期、陸上界でヒーローになった上條 充留さんですね」
「あいにく落ち目になりましたがね」と、上條は眼をそらし、ため息をついた。「それとこれとは話は別です。だからと言って、やっぱり僕がそのご神体とやらに仕立てあげられる理由になっていない。さっきから異人、異人ってくり返していますが、『神之助』がなぜ異人として扱われたのですか? 彼が死に、なぜナマハゲみたいな来訪神にまで昇格したっていうんですか? 僕の頭ではちっともついていけない」