青
ぼくの呼吸はリズムを失い、体は平衡感覚を失った。
ぼくは布団にひっくり返ったまま眠りそうになった。声をあげて泣くことがこんなに疲れることだったとは、赤ん坊も大変だと思った。体がぐったりして全ての感性が無くなるのを感じた。どんなに苦しくともぼくは人間が悲しみによって死ねないことを知っていた。ぼくは壊れた玩具のように布団の上で呻くしかなかった。ただ苦しかった。
不思議なもので、全ての感覚を遮断しじっとしていると徐々に肉体の疲労は回復していくのだ。ぼくはのっそりと起き上がった。何も考える気にならなかった。あれほど強かった悲しみの感覚も薄いもやがかかったように曖昧になってしまった。
防衛本能かもしれない、とぼくはぼんやり考えた。悲しみはぼくの腹の底へ身を潜めた。次の発作がくるまでぼくは自分の意思で動くことができそうだった。
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真実が見えてきたように思えた。ぼくは真面目だったのだ。真剣に一人の人を愛したのだ。そしてその相手は、ぼくの愛を嬉しそうに享受しながら、きっとぼくを心から愛さなかった。
「好きだ」「大事だ」その人はそう言った。
「傷つけてごめんね」ぼくを切りつけながらその人はそう言った。
傷つけてから謝るなんてまるで「痛いだろうけど、当然のように、許してもらうよ」と言っているようなものなのだ。
「好きだ」「大事だ」
親のように、あるいはペットのように、気兼ね無い友のように。おもちゃのように、景色のように、人生を少し明るくした小説のように。良い思いをさせてくれた存在に感謝の念を示し、去って行くのだ。
それは相互的な関係ではないのだ。
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「わからない」からどうしようもなく流されるのではない。「わからないから」できることを考え動くのだ。ぼくも彼女も自然物のひとつだ。流れる雲に意思が無いように、動物の交尾に感情が無いように、ヒトの愛とて偶然ではない。正体が何だか知らないが、自然の生成物である以上、"そう"なるようにできているのだ。
ぼくたちは"それ"には逆らえない。"それ"は時の流れそのものであるかもしれないし、ぼくたちが神とか運命とか呼んでいるものであるかもしれない。
大きな川のような流れにほうり出されて、どう流されたところで終わりはやってくる。ぼくたち人間が他の生物よりいささか優れているように感じられるのは、流されるなかに「美」を求める姿勢があるからではないかと思う。より良いものを目指すために必要な脳なんかの物理的発達を遂げた生物がたまたまヒトと呼ばれているのかもしれない。
"それ"による怒涛の渦に弄ばれながらぼくは目指す道を見いだした気がした。美しくありたいと思った。
"それ"の流れに沿うようにゆっくり息をした。駅で電車を待ちながら、手をつないだカップルがホームを仲良く歩いていくのを見た。ぼくは最寄り駅のコンビニでいつものように煙草を買った。そういえば彼女と付き合っている間は吸っていなかったなと懐かしく思った。ぼくはバスを降りて帰途についた。秋の夜の涼しい風がぼくの背中を押すように吹き、枯れた木の葉を道端に運んでいった。
耐えねばならない。自我を保ち善人であるよう努めねばならない。
どれだけの理不尽な苦しみがこの身を刻もうと、理不尽な苦しみを他者に与える存在になってはならない。
ぼくはいずれ巡り会えると思う。ぼくのこの唯一の取り柄を理解し必要とし、愛してくれるひとに。まだ見ぬそのひとのため、ぼくは経験と修行を積むのだ。
愛する人を守るため、愛する人に守られるため、やっぱりぼくの生きる軸となる終着点はそれであることに変わりない。
彼女、いや、彼はいってしまった。
それはぼくの、いや、わたしの、行きつく先ではなかったということだ。
すべての力を尽くした結果ならば、それがどんなものであれ案外後悔はしないものだ。彼は相応しい結果に、私は相応しい結果に行き着いた、それだけのことだ。なんとも"いびつ"な物語だが、必死な人間が迷いと決断をかさねて描いた軌跡は美しい。
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私は彼の返事を聞きはしなかった。彼は彼なりにやるだろう。
いずれにせよ、私の物語を動かすのは私なのだ。
そうして私たちは今、平凡に毎日を送っている。
(おしまい)