5話 来襲
鬱蒼とした森の奥、日差しが差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてきそうな、青空。
逃げ惑う少年。
高笑いする、やんちゃ坊主をそのまま大人にしたような、おっさんの高笑い、そして、地面が爆ぜ、地形が変わっていく音。
ヴェールが、このように愉快な状況に陥っているのには、いろいろな不幸が重なった結果だった。
翌日、それは突然やってきた。
「やっと起きたか、エル。待ちくたびれたぞ」
目覚めたら目の前に、快活に笑うナイスミドルと評るような風貌をした、四十ほどの男が立っていた。茶髪で渋めなイケメンだ。
しかも、それだけではなく寝室で寝たはずのヴェールの視界には、見渡す限りの自然が広がっていた。
「まったく意味が分からないんだけど、おじさん」
自分の状況を尋ねる。因みに、アベルとは森の近隣にある村の住む、隠居した元冒険者である。実は、相当強く過去には王家から、直接スカウトされたこともあった程だ。だがそれをけったため、冒険者として暮らすのが難しくなり今のように隠居しているのだが。
「あれ、言ってなかったっけ。俺が、剣とか教えるから」
「いや、それは知ってるよ。そうじゃなくて、なんでこんなところにいるのか聞いてるの!」
「あぁ、そのことか。それは、修行をつけるためだ。ちなみに逃げてもいいが、家まで逃げるのは無理だと思ったほうがいいぞ。ここ、あそこからかなり離れてるから」
「それってどれくらい?」
顔を蒼褪めさせながら聞くヴェールに、現実は無情だった。
「あー、軽く走って八時間くらいかな」
ちなみに、この男の軽くは乗用車くらいの速度だったりする。
「ないその異常な距離。僕の寝てる間に移動できる距離じゃないよね」
「ちょっとメアリの薬を使って深い眠りについていてもらった」
そう、嘯くアベルにヴェールは少しイラっとしたが、剣を教えてくれるということを思い出し、好奇心が上回ったため、ヴェールはアベルに問いかけた。
「一応は納得した。だけど、剣を教えるって何をするの?」
「そうだな、上級、中級、下級どれがいい?修行の内容が変わるんだが」
本当は、初めてだから初級がいいのだろうと、ヴェールも頭ではわかっていたが、・・・
「じゃあ上級で」
怖いもの見たさと、さっきから苛立っていたこと、そして、男としてのちっぽけなプライドが、ヴェールに上級を選ばせた。選ばせてしまった・・・
昨日剣の修行をしたいと言ってしまったこと。
つまらないプライドのために、上級なんて言ってしまったこと。
そして、そこをアベルに気に入られてしまったこと。
こうして修業が始まった。
「まずは、エルの筋力がどんなもんか見る。俺を全力で殴れ」
ヴェールは、先ほどから溜まっていた鬱憤を晴らすように全力で殴り掛かった。
ところが、
「いったったぁー」
結果は、ヴェールの拳を痛めるだけの結果に終わった。
これは、ヴェールが柔いなど以前になど、アベルが丈夫すぎるのである。
「なんだ、情けないな次は蹴ってみろ」
それから、ヴェールは、必死に攻撃を続けたがアベルには、何の痛痒も与えることができずに終わった。むしろその悉くが、ヴェールの体を痛めつける結果に終わった。
「なんでそんなに、体固いのさ。鉄とか殴ったほうが、まだ痛くなさそうなんだけど!」
「ありがとさん。そりゃ鍛えてるからな。これでも全盛期よりは、ちと衰えちまったがな」
そう言って、快活に笑うアベルに、皮肉をそのまま受け入れられ、ヴェールは毒気を抜かれたように、朗らかに笑った。
「で、実際どうだった?」
「やっぱ種族的に力はないかな。だが、スピードはあるから、まともに剣士として戦うことはできると思うぞ。見た感じ筋も悪くないし」
「じゃあ、改めて修行、よろしくお願いします」
そして、修行は始まった。
「まずは鬼ごっこからだな。お前が目指すべきスタイルは、スピードと体力がカギだからな。60秒数える。その間全力で逃げろ。いいか、痛い目見たくなきゃ、全力で走れよ」
その言葉に、肌寒いものを感じたため全力で走った。そして、60秒が経った。それから、ゼロコンマ
背後から瞬時に跳んできたアベルのタッチでヴェールは5メートル程吹き飛んだ。そして、一瞬で回り込んだアベルにキャッチされた。
「なんだ、もう少しまじめに、逃げろよ」
そうして悪魔のように笑うアベルに、先ほどまでの優しさの余韻は残っていなかった。
こうして、冒頭に戻る。
段々と逃げるのにも慣れ、数秒逃げると、さらにスピードを上げ追いかけてくる。そして体力が切れそうになると、アベルが水魔法で回復し気絶することすら許されない。
そのおかげで、水魔法の回復系統を覚えつつあるのは皮肉なことだった。
「もうヤダ、お家帰りたい」
辛さのあまり口調がおかしくなりつつあるヴェールに、アベルは厳しい口調で声をかける。
「まだだ、まだ終わらんよ!一度自分で言ったことだ。男なら最後まで貫け」
そんなどこかで聞いたことのあるようなセリフを言ってくるアベルに、ヴェールは内心で毒づきながらも、口に出したらただの負け犬の遠吠えだと、喉の奥に留めた。そして、ならばと、目の端にある涙の代わりに不敵な笑みを浮かべ、宣言する。
「絶対生きのこっててやる」
「せめて逃げ切るくらい言えよ」
その表情の割には、目標が低いヴェールにさしものアベルも苦笑した。
「じゃあ、続けるぞ」
そして、再びあの身も凍るような笑みを浮かべる。
そしてヴェールは、内心、
(やっぱ生き残るのも無理かもな、バイバイ新しい世界、バイバイ母さん)
と、弱音を零すのだった。
「今日はここまで。少し体も鍛えられたんじゃないか?」
そう、快活な笑ったアベルに言われもはや考える力も残ってないとばかりに、吹き飛ばされ続け、ボロボロになった服の隙間から体を覗くと、僅かだが筋肉がついているのが伺えた。
「どうしてこんな短時間で?」
驚愕が、疲労感をわずかに上回り思わず、声を上げるヴェール。それに、したり顔でアベルが答えた。
「俺が使ったのは、水属性の回復魔法だ。回復魔法は、光魔法にもあるが、あれは癒しって概念だ。対して水魔法は体を活性化させて、体の回復を促す。だから、急速に破壊と再生が繰り返された体は異常な成長を見せる。だが所詮すごい弱いひょろガキが、ちょっとひょろいガキに変わるくらいしか成長してねい。だが、これからも続ければお前はもっと強くなる。どうだこれからも続けるか?」
意外なことに、しっかりとした理論のある訓練だったことに驚き、自分が強くなれることに喜びを覚えた。そして、強くなるという未来があるのなら選択肢は一つ。
「これからも、よろしくお願いします」
「あぁ、これからみっちり鍛えてやる」
「お手柔らかに」
こうして、ヴェールとアベルは、師弟となったのであった。
***
その夜、家に無事に帰ることのできたメアリとヴェールは、二人で夕飯を食べていた。
「今日の訓練はどうだった?」
「死ぬかと思った。でも、自分もいつか強くなれるかもっておもうと、次は少し楽しみかな」
それ以上に怖いけど、という言葉は、意地で飲み込んだ。
そうして、朗かに食事は終わる―――はずだった。
急に少し、まじめな声でメアリがといかける。
「エル、ちょっといい?」
「ん?なに?」
「そろそろ話して、あなたに何があったのかを」