第13話 戦闘
「え………?」
コマ送りになった俺の視界に移るのは、夥しい量の血をまき散らしながら宙を舞う琴葉の姿だった。
「こと………は…?」
思考が消え失せる。現実を脳が受け付けない。
「クーーン」
琴葉の声で、急激に現実に引き戻される。
その時にはすでに、オオカミらしき魔物が、眼前に迫っている。
慌てて、横っ飛びに避けるが、爪が足にかすってしまう。
だらりと血が流れる。
遅れて痛みが来る。相手は上背だけでも俺の倍はある。爪は鋭く、口からは涎が垂れこちらを捕食対象としか見ていない。
足が震え、冷たい汗が流れる。視界は揺れ歯の根が噛み合わない。
アベルは、確かに怖かったが、そこに殺意はなかった。
でも、こいつは違う。こいつが俺に向けるのは明確な殺意。一歩間違えれば訪れるであろう「死」。
恐怖が心を覆う中視界の端に琴葉の姿が映る。俺のことを見て、信頼を寄せてくれている。
だから折れちゃいけない。
あいつは、俺を殺した後琴葉を食い殺すだろう。
認識しろ、これは、敵だ。
魔獣は、歩み寄れるだろうと思えた。
事実、母さんと平和に暮らしていた。
だが、こいつは違う。俺や琴葉を餌としか認識していない。
その眼には負の感情しか宿っていない。
急いで、鞄から料理のナイフを取り出す。
ナイフの振り方なんて知らないから、ただひたすらに転がるように逃げ惑う。
周りの木を盾にして、必死に時間を稼ぐ。
いつか来るチャンスを待って。
今は、ただ打開策を考えろ。
がむしゃらに特攻しても無駄死にするだけだ。
そんなのは、勇気なんかではなくただの無謀だ。今は考えろ。
現状は最悪にほど近い。
琴葉は、傷を負って弱っている。
母さんやアベルが、助けに来てくれる可能性はほぼないと考えるべき。
俺は、足に軽いが傷を負い、髪の色を変えるのに使ったせいで傷の回復の見込みは無し。よって、逃げ切るのも不可能。そもそも、琴葉を抱えてこいつから逃げ切るのが非現実的だ。
同じ理由で、村に助けを呼ぶのも無し。
助かる可能性は一つ。こいつを、目の前の魔物を殺す、または俺を追いかけられないほどの傷を負わせる。
俺が何とかするしかないんだ。
俺の武器は、料理包丁だけ。
身体は子供で、鍛えた走力は傷のせいで生かせない。
圧倒的不利、無理ゲー、クソゲーもいいとこだ。
でも、まだ絶望ではない。
だから、敵を見据えろ。俺は、戦いなんてろくに学んじゃいながそれでもできることはあるはずだ。
みっともなく、その可能性に縋りつけ。
そして一つ、気付いた。こいつは、足を引きずっている。そうじゃなきゃ、ギリギリとはいえここまで俺が此処まで生き続けられているはずもない。
おそらく、勝ち目はここしかない。
あの傷口を勝つためにどう生かすか。
傷口…なら!
たった一つの突破口、その希望があるだけでまだ戦える。さっきまでの消極的逃げとは違う。
勝利への一歩。精神的否余裕から、段々楽に避けれるなっている。
あと少し、あと少し。
よけながら、随分離れてしまった鞄まで移動する。
そして、さっきのお爺さんにもらったあるものを取り出し、残り僅かな回復した魔力を注ぎ込む。
ずっと俺を追いかけ続けていたせいで傷口が開いたのだろう。前足が血で赤く染まり始めていた。
「さあ、反撃返しだ!!」
自分の足が恐怖で鈍らないように、喝を入れる。
わざとナイフを掲げ、注意を惹く。
当然ブラフなのだが、今の今まで逃げ回っていた俺が急に走り込んできたため不意を突かれたオオカミは、思わずナイフ向かってしまう。
ここまで俺の掌の上だとも考えずに。
そして、俺はナイフを手放す。
その中のナイフをはじいたオオカミは、予想以上の手ごたえのなさにつんのめり、致命的なスキをさらす。
だから、俺は思いっきりこぶしを握り込み傷口寸前で開いて叩きつける。
すると、オオカミは悶絶し始める。
当然だ。文字道理傷口に塩ならぬ唐辛子を塗りこんでやったのだからな。
しかも、魔法で辛さマシマシの痛み倍増だぜ。
手のひらの擦り傷で、痛みは俺が実体験済み。擦り傷でこれだ、その傷じゃあさぞ痛むだろうよ。
「グルァアアアア!!」
やっぱ、この程度じゃ時間稼ぎが精いっぱいだよな。
だがこの間にナイフを拾えた。それに、
「さっきより遅いぜ」
にやりと笑ってやる。多分俺今最高にいい顔してると思う。
ギリギリのところで身を開き、紙一重のところで躱す。
半ばかけだったが、少し遅くなり、ここまでで慣れたからようやくできたことだ。
そして、身を低くしオオカミの腹の下に滑り込み、胸と思われるところにナイフを差し込む。
ずぶりと肉を穿つ感覚。
吹き出す血液が顔にかかる生暖かい感覚。
そして、命を奪う感覚。
その勢いのまま、腹の下から脱出する。
「はあ、はあ」
どさりとオオカミが崩れ落ちる音がする。
それによって、より深くナイフが刺さる。
ちゃんと倒したか確認するために、振り返り近づく。ピクリとも動かず、血を流していた。
「ふう、終わった…のか?」
一休みしたいところだが、琴葉が心配だ。急いで手当てをしないと。
この短時間でわずかに回復した魔力を注ぎ込んで、琴葉の回復に充てる。
「あ…れ?」
魔力をいくら流しても、回復してるという感覚が得られない。
「グルル」
しかも、まだ死んでねえのかよ。
そして、最後の力といった様子で再び飛び掛かってくる。
スローモーションになった世界で、目を閉じる。
「ああ、くっそ。こんなところで終わるのか。何もなせてない。母さんへの恩返しもできず、楽しい日々負いきることもできず死ぬのか。まだやりたいことも、知りたいこともたくさんある。母さんに、甘いもの作るっていう約束も果たせてない。アベルにせっかく鍛えてもらって、これからだってのに。琴葉も結局助けられないなんて」
あれ、いくら走馬灯だとしても長すぎないか?
恐る恐る目を開けてみる。
すると、首を奇麗に斬られ絶命する、オオカミの姿と、仁王立ちするアベルの姿があった。
「アベル!!!」
助かったと思ったからか急激に疲労を実感する。
「どうしてここに?」
俺や琴葉の危険を察して駆けつけてくれたのだろうか。
「最初からいたぞ」
ん?
「聞き間違いか?アベルもう一回」
「だから、お前がオオカミと会ったところから、ずっといたんだって」
てことは何か?アベルは俺たちが襲われるのを最初から傍観してたと。
琴葉が血を流してるのも無視して。
「ふざけんな!琴葉は見殺しかよ」
「琴葉は無傷だぞ」
「……え?」
「あれは、お前が目で追えないくらいの速度で琴葉の前に割り込んで、血のりまき散らして、琴葉に睡眠薬嗅がせた。すると、お前は琴葉のために戦わなきゃいけなくなり逃げるという選択肢が無くなりましたとさ。因みに、お前が太刀打ちできる位の魔物を配置して、足に傷をつけたのも俺だ」
そう、むかつくほどさわやかにアベルは笑った。
えーーと、つまりこれは、全部アベルの掌の上ということであって、実際は命の危険なんてなくただの茶番だったと。
「はあーー、そっかー、よかったー」
深い安堵が心満たす。
あれ、ちょっとまて、俺のさっきの独り言も全部聞かれてたということで。
「ああ、くっそ、こんなところで終わる…「ああっ、やめろー!!」フフ…フハハ…フハハハハッ」
魔王かよ!
青褪めた俺の顔を見てアベルが笑っている。最低だ、最悪だ。
これから、どれだけの間このネタで弄られ続けるか分かったもんじゃない。
みろよ、あの悪意に染まった顔。
「で、どうだ恨むか?」
「わかってて言ってるでしょ?」
「まあな」
そもそも、強くしてくれと頼んだのは俺だ。たぶん、俺に魔物の恐怖とかそんなのを伝えようとしたとかそんな感じだ。
だから決して怒ったりもしていない。ええしていませんとも。
「ああ、そうですよ、ある程度察しているし感謝してますよ、クソが」
「おう、そうか。そりゃよかった」
この、俺を見透かした感じ、実際に当たってるせいで余計に腹立つんだけど。
「それで、魔物と戦った感想は?」
「正直怖かったけど、強くなりたいと思った。大切なものを失うのは、奪われるのは嫌だ。だから、俺は強くなるよ」
「ま、合格だな。そして、明日からは実際に戦い方を教える」
「おおおぉ!」
今までは、基礎中の基礎しか教えてもらえず、体作りと魔力の底上げ、および効率化しかやってこなかった。それがようやく、戦い方を教えてくれるというのだから、胸躍らないはずない。
「よし、これからは厳しくいくぞ。覚悟しとけよ」
「はい!」
「こんなとことで終わっちまわないようにな」
「台無しだよ!」
こうして、決意を新たに俺は強くなろうと誓うのだった。
追伸
アベルにバカにされないようになどでは、ないと言っておこう。
世間はコロナで大変ですね。
一応作者は、健康です。
皆様も、お体には気を付けてください。