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短編小説

それくらいが丁度良い

作者: zaizai

 個人情報なので名は伏せておくがクラスのメガネ君が気になっている。

 彼の短めに整えた髪型は清潔感に溢れて余計な肉のないシャープな顎のラインを引き立てている。

 男らしい太い首にポッコリと突き出た喉仏。

 真剣に黒板を見やる横顔は見惚れてしまう絶景だ。

 まだ成長期の青年らしく髭も目立たない程度で男性ホルモン過多でもなさそうだ。

 性格は温厚。クラスで孤立しているわけでもなく仲の良い友人と時折話が盛り上がって笑顔をこぼしている。異性に関心を示すあまり過剰に自己主張する馬鹿と違ってとても控えめな所も好感が持てる。

 何かの切欠さえあれば是非とも話してみたい相手がこのメガネ君である。


 彼のことは何も知らない。

 私とメガネ君との間に接点などと言うものは一つもない。

 毎日顔を突き合わせているというのに話をしたこともないのが現実だ。


 気楽にお早うと声をかけても良さそうなものだが登校のタイミングがどうも合わない。

 私が早く教室に着いていると彼は遅刻ギリギリに現れ、遅れて登校すれば彼はすでに席に着いていて授業の準備を始めている。わざわざ席まで出向き彼に向って朝の挨拶をするのも変な誤解を招きそうだ。


 神様の悪戯か、運命の歯車のせいか、今のところメガネ君と話す機会は訪れてくれない。


 私の中で彼の存在が特別なようにクラスメートの友人にはそれぞれお気に入りの相手がいる。

 スポーツ万能の隣のクラスのS君。

 勉強の得意なI君。

 アイドル顔負けのイケメンM君等々。

 とにかく何かに秀でた目立つ存在の彼らに心を奪われて、夢うつつの学園生活を満喫している。

 中でも人気ナンバーワンの男子が特進クラスにいる。

 名を鏡味慧かがみけいという。


「見て見て。鏡味君がサッカーやってるよ」


「今鏡味君と目が合った」


「えーあれは私を見てたのよ」

 騒がしいクラスメートを横目にグランドで走り回る鏡味慧を窓際の席からチラ見する。騒いでいる女子に気を良くしたのか今度は大袈裟に両手をぶんぶん振り始めた。


「きゃー鏡味くーん!」


「馬鹿だな」

 モテ男は頭脳明晰にしてスポーツ万能。誰もが振り返る美丈夫で近隣の学校にも知れ渡る有名人だ。

 まさに神に選ばれし人類のひとりと言える。

 そんな彼を我が物にしようと女子の間で争奪戦が起こり、醜い争いは激化の一途をたどっている。彼を守るべく親衛隊が自然発生し、彼を取り巻くグループ間で小競り合いが後を絶たない。

 入学当初は主席の彼を崇めていた先生たちだが、今では彼の存在は学校の秩序を乱す害虫扱いに代わりつつある。


 いろいろと面倒くさい男子の彼女になりたいとみんな本気で考えているのだろうか。

 私のイチ押しメガネ君と比較検討してみようと放課後の教室でひとりノートに綴っていく。

 先ずは第一印象だ。

 身長は鏡味慧の方がやや高い。

 スポーツも得意な彼はバランス良く整った筋肉に包まれ盛り上がった上腕筋や締まった腹筋、きゅっと上がったお尻に肉体美を感じるが、メガネ君の方はひょろりとして頼りない印象を受ける。だがしかし、メガネ君とて脂肪に包まれた自己管理崩壊の体より何倍も素晴らしい体型なのでこの勝負は五分五分の引き分けだ。

 鏡味慧は人から向けられる好奇な視線にも顔色ひとつ変えない。白亜紀の恐竜並みに冷血な無表情でスルーする。その堂々とした態度と見透かすような鋭い視線は猛禽類を思わせる。

 対するメガネ君は常に穏やかな表情を崩さずシルバーフレームの奥から覗く瞳は子犬の様に濁りがない。ある意味人を童心にかえして油断させる危険な瞳を持っている。これもまたデンジャラスゾーンを超えた時点で五分の闘いだ。

 メガネ君と彼の差なんてそんな程度のもので、どちらの彼女になってもお得感は半端ない。

 真剣にノートを見やって数分。

 待ち人が後ろから覗き込んでいるなんて全く知らず、嗅ぎ慣れたにおいに頭を上げれば、いきなり強い力で抱きしめられていた。


「ぐえっ」


「お待たせ」


「ぐるしい……ちょっと、力緩めて」


「何してんの?」


「何でもない」

 それが無駄な抵抗と知りながらノートを見られまいと死守する。

 背中に全体重をかけられ、圧死寸前の危機を感じた瞬間にノートは奪われ天高く揚げられた。


「猛禽類と子犬? 何だよこれ」


「関係ないの! いいから返して!」


「本当に? 怪しいなー」

 意地の悪い視線をチラリと寄こしてそのまま不敵に微笑むのはメガネ君の好敵手、鏡味慧その人だ。

 背中に嫌な汗が滲んでいく。

 通常モードは無表情の慧の笑った顔程怖いものはない。

 焦る気持ちを誤魔化すように急いで帰りの支度をする。

 お腹も丁度良い具合に空いてきた。最近は料理上手な母のお陰でついつい食べ過ぎて体重がやばい傾向にある。

 早く帰りたいのに椅子を引いて席を立った途端に慧に腕を引っ張られて窓際に追いやられてしまう。

 レールの滑る音がして窓の隅に寄せられたカーテンの中にふたりの姿が隠される。怒らせてしまったのかと後悔しても後の祭りだ。

 突然の暗闇に慧の表情は見えずお互いの体温と息使いの音だけが聞こえる。


「いろは」

 その声を聞いた途端に僅かな緊張が解けていく。

 いろはと私の名前を呼ぶ慧の声が好きだ。

 歓喜に鼓動が早まりアドレナリンが放出する。  


「いろは」

 流行りのラブソングより切ない慧の呼び声に胸がいっぱいになる。この気持ちをどう伝えたらいいのか分からず腕を伸ばし思い切り背伸びをして慧の唇にキスを落とした。

 恋人でもないのにされるがままの慧はお人好しにも程がある。唇を押し付けて動かない私に痺れを切らしたのか私の後頭部を支える手に力が入る。


「息をして、いろは」

 薄く開けられた唇の隙間から慧の舌が侵入して口付けは深く濃密になっていく。

 なんて残酷な甘い媚薬だろう。

 

 鏡味慧は私の我がままを何でも叶えてくれる。

 優しくて頼りになる自慢の義弟だ。



 ***

 


 私が幼い頃病魔に襲われた母はお星さまになった。

 母に会えない寂しさに毎晩、毎晩、ママが帰ってきますようにと空に願い続けた。

 誕生日のプレゼントもご馳走も要らないから母を返してくださいと神様に祈ったのに母は二度と戻って来なかった。

 隣の席の子のかわいい手提げ袋が羨ましくて同じ物が欲しいと言って父を困らせた。

 三つ編みにされた髪を見て父に強請ったけれど、不器用な父の手ではふたつ縛りにするのが精一杯だ。アレンジしておだんご頭にするなんてしょせん無理な話だった。

 散歩道を両親の間に挟まれて歩いていたのに母がいなくなって私の左の手は冷たく凍えていた。

 

 それから数年後、ある日父が見知らぬ女性を連れてきた。

 その人は綺麗な声で私の名を呼んでくれた。


「今日からよろしくね。いろはちゃん」

 石鹸の匂いのする女性の背後からこっそり顔を出したのはまだ幼い慧だった。

 

 慧とふたり並んで帰る家の表札には二つの苗字が並ぶ。

 慧と私と両親の苗字。慧は離れて暮らす実の父親の姓を今でも名乗っている。

 

 慧と姉弟になって10年になる。

 共に目覚め同じご飯を食べてふたりの優しい眼差しに見守れて成長した。母親を亡くしてメイメイ泣くかわいそうな私に慧は手を差し伸べた。慧のお母さんを独占して我がままを言う私を慧は咎めたりせず、私を許し甘やかしてどんな願いでも聞いてくれた。凍えた手を慧の手に重ねていると一緒に何処まででも行けそうな気がした。

 

 慧が注目される存在だと気が付いてから、周りにふたりの関係をバラしたら10年は口をきいてやらないと宣言した。

 慧はかなりの衝撃を受けたようで以来約束を守り続けている。

 これ以上の幸せがこの先待っていると思えないくらい慧との出会いは何ものにも代えがたい奇跡だった。


 新しい家族を手に入れた代償が好きな人と結ばれない定めならそれを受け入れるしかない。

 大切な場所を守るためにこの思いを閉じ込めようと決めた。

 大丈夫。

 誰にも知られないように上手に隠し通してみせる。


 幸せになる為に敢えて二番目の幸せを選ぼうとしている私は醜い。

 メガネ君が良い人であればあるほど私とは釣り合いが持てない。

 打算的でズルい男だったら良かったのに、メガネ君も慧も出来過ぎた男で私とは似合わない。

 ぐるぐるぐるぐる思いは巡る。


「いろはグランドから手を振ったのに無視しただろう」


「え? 私に手を振ったの? 気が付かなかったよ」


「……もういい。腹減ったから帰ろう」

 生真面目なナイトを気取る慧はそろそろ私のお守りを卒業してもいい頃だ。早く彼女を見つけてリア充恋愛馬鹿になればいい。

 そうすれば淡い夢を見る大勢の女子が救われる。

 現実を見て自分に相応しい相手を探し、それなりに幸せな恋愛を経験することだろう。

 私もみんなと一緒だ。

 慧と家族にならなければ見向きもされない何処にでもいる平凡な女子高生だ。


 私の左側少し前を歩く愛おしい慧の背中をずっと見つめながら温かい我が家へ帰っていく。

 もう少し、あと少しだけこの帰り道が続きますように。

 神様に願いながら左手を伸ばして、その手をそっと慧の手に重ねた。


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