表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/25

*5*


 ザグは南方の片田舎で育った。母ひとり子ひとりの貧乏暮らしであった。幼い頃は脆弱な体つきであったが、十歳になり野菜市場で下働きするようになった頃から、がっしりとした屈強な体に変わっていった。重い野菜を運ぶことで体力や筋力がついたのだ。


 そんな市場時代に出会った男は、今もザグの傍にいる。母が亡くなり、一人きりになったザグと生活を共にするようになった男もまた両親を亡くしていた男であった。髪の色で、金と銀と呼ばれていた二人は境遇こそ同じであったが、唯一モテ具合は格段に差がついていた。


 そんな二人に突如襲った出来事は、今も進行中である。


「おい、ザグレブ。お前……無謀にも程があるぞ」

「うるせえよ、シーバル」


「そろそろ軟禁城に帰らなきゃバレる。急ぐぞ、ザグレブ」

「ケッ、俺はあのくっされ外道爵に頭は下げねえからな」


「元々勘違いしてるんだし、下げるのは俺の頭。お前は……仏頂面してるだけだろ」

「元々こういう顔なだけだ」


「へいへい、わかりましたって。とりあえず走るぞ」


 金と銀が駆け抜けていく。その後ろをケインは追った。二人はケインの気配に気づいていない。憐れみの言葉を落として、去ったと思っている。ケインは身を隠していただけだ。




***


「気にくわない気にくわない気にくわない……って、何なのよ!! こっちこそ気にくわないわよ!」


 マルグレーテはクッションをボスンボスンと投げつける。


「何なのよ……何なのよ……」


 マルグレーテの頭の中で、ザグレブの言葉が繰り返されている。最初こそ腹立たしかったのだが、脳内で繰り返される度に腹立たしさとは別の、何だが心がぞわぞわと落ち着かない浮遊感が襲ってくる。


「何よ、婚約者なんていないわよ。嫁ぎ遅れって言ったじゃない」


 語尾が小さくなっていく。


「気になって、ムカついて、て、て、手元にいないのが気にくわない……って、何なのよぉ」


 ベッド脇にストンと腰を落とし、どこの瞳を定めていいのかわからず、さ迷わせた先に、マルグレーテはマカロンを見つけた。


「あっ!」


 お皿に並んだマカロンの異変にマルグレーテは慌てる。急いで部屋を出てネルを呼びながら階段を下った。


「ネル! ネルはどこ?!」

「は、はーい。お嬢様どうなさったのですか?」


 ネルは台所から顔を出した。


「マカロンの紙は?!」

「え? 紙ですか……」


 小首を傾げるネルに、マルグレーテは早口で捲し立てる。


「マカロンを包んでた紙よ!」

「へ、台所のゴミ箱に……」


 マルグレーテはひゃああと悲鳴を上げながら台所に入っていった。ゴミ箱をあさり、クシャクシャになった包み紙を見つけると、急いで取って伸ばしていく。


「あ、あの?」


 ネルはビクビクしながらマルグレーテに声をかけた。しかし、マルグレーテは紙を平らにするのに集中している。


「ネル、マカロンの包み紙を購入しに行ったのですよ」


 執事がネルに声をかけた。マルグレーテの外出の目的が紙の購入だったことを思い出したネルは、目を丸くさせた。どういうことなのかと、執事に問う。


「ご令嬢が、大っぴらに特殊な紙を買えば、色々と勘ぐられるものなのですよ。例えば、不義の相手との密書を疑われたりとね。特に王都の筆記屋は全てホマーニ侯爵が握っていますから。購入者の情報は筒抜けなのです。ですから、ルモン家では特殊な紙を購入する場合、お菓子屋の包み紙として手に入れるルートができています。ネルも覚えてくださいね」


 ネルはしょぼんと肩を落とした。


「ネル、レモン水を頼むわ。一緒にマカロンを食べましょ」

「はい!」


 つい寸前までのしょんぼり感はどこへいったのか。現金なものだ。マカロン大好きが現れたうきうきな顔のネルに、執事は言葉を失う。マルグレーテが執事にウィンクした。執事は苦笑いを返す。まあ、そういうところがネルの素晴らしさなのだろう。ゼッペル伯爵が選りすぐってマルグレーテのお付きにしただけのことはある。だが、ここでもネルはいつもと違うことに気づいていない。紅茶でなく、レモン水を用意させたということに……




 その夜、マルグレーテの二階の部屋に小さな侵入者が現れる。


「マル姉」


 その声を待っていたかのように、マルグレーテはバルコニーの窓を開けた。


 ケインが素早く室内に入る。


「蜂蜜書だよね」

「ふふ、さすがケインね。ええそうよ」


 マルグレーテが紙を購入すれば、ケインがその文を届ける役目である。


「これを、市場長に届けて」


 マルグレーテはケインに密書を渡した。闇市の市場長にである。現闇市の市場長は鍛冶屋である。侯爵家の息のかかった店で修行中、腕の良さが災いして兄弟子の嫌がらせや、親方からの執拗な暴力により、体を壊し職を失った。カイザルはその腕をかっていて、彼の失職後すぐに拾い上げたのだ。表の職は刃物研ぎであり、裏職はもちろん鍛冶屋である。王都西方の端、都外れの地で暮らしている。


 文は研ぎの依頼書である。台所の包丁を研ぐ出張依頼だ。それを、包む紙は例の紙である。本来の依頼はそこに書かれていた。レモン水で書かれたそれは、水に浮かべると文字が浮き上がる。王の逃げ道の依頼だ。侯爵の操り人形になってしまう王であるなら、逃がす。それがマルグレーテとカイザルの、いや、ルモン家の総意だ。そのための逃げ道を市場長に託す。都外れの地はうってつけの中継地である。もちろん、王が現状を理解し、立志するならそのルートは消えるのだが。それも加えて市場長に伝える密書である。


 ケインは文を懐の入れると、そういえばと話し出す。


「そういえば、あの奇妙な二人組さ」

「え、何?」


「ほら、マル姉に求婚した男の二人組だよ」

「きゅ、求婚?!」


「え? 気づいてないの、マル姉。あれ、どう見ても求婚じゃん。婚約者の有無を訊いて、他の男の触れたところを洗えって言って、手元にいないのは気にくわないってさ、どうみても求婚じゃん」

「な、なんてこと言うのよ! 気にくわないなんて言葉のどこが求婚なのよ?!」


「気にくわないのは、マル姉が傍にいないことがでしょ」

「私のこと、ムカつくやつだって言ったもん……」


 尖った口で最後に出た言葉は、何とも乙女チックな『もん……』。ケインの発言は、マルグレーテを焦らせ、驚かせ、必死に否定しても何となく肌で感じ取っていたことで、だからといってすんなり受け入れることはできず、可愛らしい不満を口にして尻すぼみになったようだ。


「でさ、あの二人の根城だけど……王城だった」

「は?!」


「うん、本当に『は?』って思うよね。根城が正に城だなんて、嘘みたいな話だよね」

「……嘘でしょ?」


「ううん。王城の東に小麦畑があるよね。崩れ小屋が幾つもあるでしょ。その小屋に武器を隠してさ。そこから、城壁沿いに歩くと堆肥作ってる穴があるでしょ。都中の生物が集められる穴。あそこさ、王城に繋がってるみたいだ。二人が消えて、城壁の中から声がしたからね。あの二人……怪しいよね」


 マルグレーテは言葉を失った。呆けた頭を小さく振って考えはじめる。ーー王都のルールを知らぬ王城の者などいない。ならば、王城の者でないのか。お見合いの夜会を予定している今、他国からの使者も考えづらい。あの二人は確かに南方から来たのかも、それで王城いる。王城にいるのに逃げ出す。そして、戻る? 王城に居なければならない理由があるということかーーなどとマルグレーテが考えを巡らせる。


「怪しい人物の求婚より、王様と結婚しちゃいなよ。それで、もっとジャンテ帝国を良い国にしてほしいな」


 マルグレーテは、ケインの発言でハッとする。


「そうよ! お見合い結婚が答えなのよ! 王都には今、たくさんの令嬢たちが集まっているわ。地方からたっくさん! 既存の王城兵士では警護の人手が足りなくなるわ。あの二人、地方からの派遣組ね、きっと。それで王城に詰めているけれど、せっかく王都に来たんだから、遊びたいものね。抜け出して遊んでるのね」


「え、そうかな? うーん、確かに地方からの兵士は来てるみたいだね。闇市でも見かけるよ。抜け出さなきゃ外にいけないわけじゃないと思うけど」


 マルグレーテとケインは互いにうーんうーんと頭を悩ませたが、答えは見いだせなかった。


「明日、その小屋に連れていって」

「えっと、マル姉も脱走?」


「あら、わかってるじゃない。いつも通りで」

「了解。じゃ、今から蜂蜜書届けてくるよ。またね」


 ケインは窓から出ていった。


 マルグレーテは意気揚々と眠りにつく。あのザグレブとやらを驚かせてみせる。ひと泡ふかせてみせるんだからと。今度は自分が慌てさせる番だと、マルグレーテははやる気持ちを抑えながら瞳を閉じた。

次話土曜更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ