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お見合いという夜会まで三日を切った。
マルグレーテは今日も王都を回る。脱走ではなく、ちゃんと警護の従者もついている。今日の目的は、特殊な紙の購入である。本来ならそれら雑務品を、直に令嬢が購入に向かうことはないだろう。購入するものは密書を綴る紙である。水に浸けると文字が浮き上がるものだ。水に強く作られた紙である。
「マルグレーテ様、いらっしゃいませ」
店主はニコニコとやって来て、マルグレーテをいつもの席へと案内する。
「蜂蜜マカロンを三つ」
今日もマルグレーテはあのマカロンのお店に赴いた。いつもと違うのは、マルグレーテが注文したことだ。いつもは、注文などせずとも店主がマカロンを用意する。
「畏まりました。本日はアカシヤの蜂蜜でございます」
これで紙の購入は終了した。お付きのネルはいつもと違うことに全く気づいていない。ただ、ちらりと外を見てケインがいないかを確かめていた。そのネルの視界に、闇市で出会った青年とザグの姿が現れた。ネルは素早くサッと視線を戻すと、マルグレーテにそれを伝える。
マルグレーテは表情ひとつ変えることなく、ネルの背後のお店の入り口を見た。まずいことに、彼らはこのお店に向かっている。ついでに言えば、彼らをケインがつけていた。
「気づかれるまで、放っておきましょう」
マルグレーテはネルにそう指示し、マカロンを待つ。
「マルグレーテ様、お待たせいたしました」
彼らが店に入ると同時に、店主が注文のマカロンを持ってきた。彼らにマルグレーテの名は聞こえていただろうか。ネルが思わず振り向こうとする。しかし、それより先にマルグレーテが動いた。
「あら、いつぞやの紳士様ではありませんか。お土産のご購入ですの?」
マルグレーテは堂々と彼らに自身を表明させた。
「やあ、やっぱりここでしたか。先日のお礼を申したくて捜しておりました」
青年はマルグレーテの手を取ると、軽く口づけを落とした。
「まあ、そのようなことは、是非婚約者様だけになさった方がよろしいですわ。それとも、遠く離れて開放感に浸っておりますの?」
「いや、失礼しました。レディを数日捜しておりましたので、嬉しさのあまり大胆になってしまいました。どうかお許しを」
「お受けいたしましょう。ですが、お礼は必要ありませんことよ。急ぎますれば」
マルグレーテは許しを受けたが、お礼はいらないと告げた。ネルを促し、マカロンを台紙に包む。そそくさと帰ろうとするマルグレーテに、青年は困ったように微笑んでいる。その後ろに仁王立ちのザグだ。
「少しばかりの刻ならいいであろう。お前に用事があるのだ」
ザグはマルグレーテの頭上に野太い声を降らせた。
マルグレーテは視線をザグに向ける。前回と変わらずの仏頂面で、マルグレーテを見下している。普通の令嬢なら、震えてしまうのではないか。けれど、マルグレーテはカイザルで免疫ができており、野太く仏頂面の強引な引き止めも、無反応で華麗に横をすり抜けた。
だが、
「イタッ」
ザグはマルグレーテの腕をがしりと掴み上げたのだ。
外に待機していた従者が慌てて店内に入ろうとするも、マルグレーテはそれを片手で制する。
「未婚の令嬢に何の断りもなく触れることが、どういう意味かわかっておりますの?」
マルグレーテは言葉の内容とは裏腹に、爽やかな笑顔でザグに発している。ザグの手が緩む。すぐに腕を戻し、マルグレーテはニッコリと笑って言った。
「エスコートくださいませ、ザグ様」
マルグレーテは、ザグにピタリと寄り添い、つま先立ちでザグの耳元に声を落とした。誰にも聞こえぬ小さな声を。
『さっさと、外に出なさい。営業妨害になっておりますのよ』
ザグは目を見開く。頭の中でことの次第を認識しようとするが、マルグレーテの手がザグの肘を掴んだ。ぞわりと何かが這い、ザグはカクカクと手足を動かしてマルグレーテをエスコートした。
マルグレーテは店内の客に『お騒がせしましたわ』と言いながら外に出る。出たと同時にバッと手を離し、大股で路地裏まで進んだ。もちろん、青年とザグもついてくる。人目がいない路地裏で、マルグレーテは振り返った。
「ええ、ええ、許しましょう! 南方ではどうか知りませんが、王都では未婚の令嬢に夜会とエスコート以外で触れることは禁忌ですのよ! ですが嫁ぎ遅れの私ですもの、百歩譲って許しますわ! ひとりは手の甲に口づけ、もうひとりには腕を引っ張られるなんて、ほーんと私ったら明日から魔性の女と呼ばれましょうね! ありがとう、こんな素敵な名称をお礼にくださるなんて嬉しい限りだわ。
その剣持ちの出立ちで、野太い声で、仏頂面がお店には迷惑だからと思って、早々に引き連れて退散しようとしましたのに!」
マルグレーテは店への影響を考えて、退散しようとしていたのだ。本来、王都の店では、剣持ちは外で待機だ。持って入れる武器は懐刀だけである。普通は青年の剣をザグが預り、外で待機するものなのだ。ひとりであれば、路上の請負人に頼むもの。それなのに、青年とザグはそのまま入店した。ケインが後をつけていたのは、剣を預かる仕事を予想してだろうか。
「まさか、王都の店が帯刀禁止だって知らないわけないわよね?!」
青年とザグはこれでもかと言うほど、口をぽかーんと開けた。その様に、マルグレーテは頭を抱える。
「あなたたち! 何にも知らないの?!」
二人の目が泳いでいる。マルグレーテは今度は天を仰いだ。
「今までよく、騒ぎにならず済んだわね」
マルグレーテはぽつりと呟いた。
「マル姉! その二人は悪人侯爵店に行ってないからだよ! 今日一日、二人はお礼がしたいって言ってマル姉捜してたんだ。俺がいたから、たぶん注意しなかったんだと思う。二人は危なっかしくって、目が離せなくてさ。ごめんよ、伝が出来なくって」
ケインがひょこんと現れてそう報告した。マルグレーテの行きつけの店の大半が闇市から表舞台へと開業した者たちである。ルモン家の援助を受け、ホマーニ侯爵の専売・独占を阻むために。ケインの役割も理解している店主らだ。口をつぐみ、ケインに任せたのだろう。マルグレーテから、彼らをどうするか指示を受けていない店主らには、何も出来なかったのだ。
もし、侯爵の息のかかった店に入っていたなら、きっと通報され捕らえられていてもおかしくはない。
とそこで、マルグレーテに違和感が這う。彼らは南方から装飾品を買うために来ていたはずだ。その彼らは、闇市までに幾つかの店に入っているだろう。それに王都で過ごしているなら、この程度のルールはどこかで注意され教えられるだろう。そして、ケインだ。彼から今までこの二人の報告は受けていない。どういうことか? マルグレーテは考えを巡らせる。
「あなたたち、一体どこの宿屋にいるの?」
二人の顔色の変化は一瞬だった。一瞬で穏やかな青年と、護衛の従者の体に戻っている。戻っていると感じるということは、彼らは本来そうでないということだ。マルグレーテは警戒する。
「王都は値段が高くてね。少し離れた村の宿屋にいるよ。レディの紹介してくれた銀細工の髪飾りが出来上がったから、お礼がしたくて捜していたんだ。南方の田舎者だから王都のルールを知らなくて、迷惑をかけてしまったね。申し訳なかったよ」
後ろめたいことがあるときほど、人は口数が多くなる。青年は長い言い訳を連ねた。マルグレーテの醜態を覆すため、求婚していてもおかしくはない。それこそ、貴族であるならばそう体面を保つはずだ。それなのに、青年は知らなかったと言って軽く謝罪しただけである。だからこそ、マルグレーテはさらに警戒する。頭に浮かんだ疑念は、今までの話が全て嘘で、青年は貴族などでなく……マルグレーテを、ルモン家を探ろうとしているのではと。例えそうだとしても、行動がおかしい。自ら疑われるような失態をするだろうか。南方の田舎者は本当か……などと、マルグレーテの頭の中は、得たいの知れない二人に警告音を出していた。
「訊きたいことがある」
流れをぶった切るように、発した声の主をマルグレーテは見つめた。
「何?」
ザグに対して、マルグレーテは口調を変えた。そして、相手がどう出るかと見定める。
「婚約者はいるか?」
「……は?」
「お前はムカつくやつだが、ムカつくのだが、俺はムカつく者ほど気になってしまう性分だ。その気になるムカつくお前が手元にいないのは、気にくわない」
「……」
「とりあえず、手の甲は念入りに洗え」
「……」
「ザ、ザグレブ落ち着け。色々と抜けている。ちゃんと説明しなければいけない」
青年が早口でザグを止めたのだが、時すでに遅し。ザグは止まらない。
「名は何と言うんだ?」
「……」
「おい、何か言ったらどうだ」
「……っざ……んな」
「ん?」
「ふざけんなっ!」
ドゴンッ
マルグレーテの渾身の一撃が、ザグの弁慶の泣き所を襲った。
うずくまるザグ。気づかう青年。走り去るマルグレーテ。追うネルと従者たち。
「ねえ、あんたらバカだね」
ケインは二人の頭上に憐れみの言葉を落としたのだった。
次話木曜更新予定です。