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マルグレーテは、シルバー細工の職人に青年らを紹介した。オーダーメイドを希望したようで、職人はスケッチを開始する。頃合いよく思ったマルグレーテは、そこで別れようと青年に挨拶した。
「では、こちらで失礼しますわ。どうぞ、市を楽しんでください」
マルグレーテは、ネルを引き連れて人混みの中に紛れた。青年らがつけてくる可能性を考えて一番混んでいる場所へと進む。ちらりと後ろを見ると、ザグがマルグレーテたちを追ってきた。
「ネル、はぐれないでね」
マルグレーテは、踵を返すとザグに向けて歩む。ザグが一瞬戸惑い、瞳を泳がせる隙にマルグレーテは人混みの中でしゃがんだ。ネルも同じくマルグレーテの真似をする。
「ネル、ショールを」
ネルは機敏にショールを取り出すと、マルグレーテの頭にパサリと被せた。
「ネル、子供の高さで歩いて」
マルグレーテはスックと立ち上がると、中途にかがんだネルの手を引いて歩きだした。あえてザグの方に向かっている。ザグは、辺りをキョロキョロと見渡しマルグレーテらを捜しているようだ。その横三人ほど離れてマルグレーテが通る。ザグは気づかない。そのまま、マルグレーテらは三番街の噴水広場前に到着する。
「お嬢様」
執事と従者らがマルグレーテを待っていた。ネルはガクンと膝を崩した。緊張が解け呆けている。
「予想はしておりましたが、初日から脱走とは……」
執事らは、ネルから荷物を回収し立ち上がらせる。そして、言葉を繋げた。
「……途中、見知らぬ男らと一緒に動くのですから、じぃはヒヤヒヤしましたよ」
「あら、やっぱりつけていたのね」
「何年お嬢様のお守りをしていると?」
「失礼ね。せめて警護と言いなさい」
「今回も小童が活躍しましたな」
「ええ、私の周りはじぃも含め優秀な者ばかりだわ」
小童とはケインのことである。ケインはマルグレーテと別れると、直ぐにタウンハウスに行きマルグレーテからの伝『三番街噴水広場前』を従者らに伝えたのだ。執事はマルグレーテをつけていたため、自然と噴水広場前に集まることになった。ケインはネル同様にマルグレーテにつけている優秀な人材である。マルグレーテの父ゼッペル伯爵は、お転婆過ぎるマルグレーテの周りに、必要な人材を置いている。
「さあ、帰りましょう。明日には脱走できないほどのお世話係が到着しましょう」
マルグレーテはペロリと舌を出して笑った。今日の脱走遊びを皆に謝った可愛らしい表情だ。マルグレーテのお転婆たる今日の行動を、強く咎める者はいない。なぜなら、これがマルグレーテの平常であるからだ。
翌日、疲労困憊でお世話係の侍女らが到着する。馬車に無理をさせたようだ。マルグレーテに追い付こうとする侍女らの気持ちは、仕事だからではない。マルグレーテと共にありたいとの気持ちが勝っているためだ。皆、お転婆のマルグレーテだからこそ好きなのだ。
一般的に、マルグレーテのような令嬢は少ない。いや、少ないでなく稀といってよいだろう。大半はおすまし令嬢である。か弱き令嬢である。繊細さこそ美とするジャンテ帝国において、マルグレーテのような健康的な令嬢は好まれない。
「さあ、マルグレーテ様! お見合いに向けて準備いたしましょう」
古参の侍女が腕まくりをする。マルグレーテがすんまり受け入れることはない。侍女らも心得ているようで、マルグレーテを囲んでいた。
「まあまあ、皆においすぃーいお菓子を用意して待っていたのよ。だって、皆疲れて到着するって思ってたからね。うふっ、マカロンよ!」
ネルが古参の侍女らをすり抜けてマルグレーテの前に立った。その手にはタワーのように積まれた色とりどりのマカロンが。
「きゃー! 流石ですわ、マルグレーテ様!」
してやったりの顔のマルグレーテ。しかし、侍女らがマカロンを口に入れ、幸せそうにしているのを見てマルグレーテは満足げに笑ったのだった。そんなマルグレーテが皆好きなのだ。
休憩後、早速マルグレーテの手入れがはじまる。念入りなケアなく王都まで六日、お世話係が到着するまでの一日を加えて七日、マルグレーテの手入れはされていない。今回はお見合いで王都に来ているのだ。マルグレーテの身を麗しく整えるのが、侍女らの仕事である。
マルグレーテはげんなりしながらも、数日ぶりの皆に身体を委ねた。
「マルグレーテ様、明日には香油を準備します。王都の最高級品を用意せよと伯爵様より指示されましたので」
「……出来レースなのに、お父様ったら」
「いいえ、これはルモン家の意地でございますれば」
侍女らの瞳に力が入る。マルグレーテの父ゼッペル・ルモン伯爵は、北方のラグーン領を守る根っからの軍人である。ルモン家は代々彼の地を守ってきた。北方蛮族の侵略を防いできたのだ。よって、王都での立ち回りは不得手で、年に一度召集される帝国王主催の夜会では『田舎者が恒例の都見物か』と揶揄されている。さらにマルグレーテの兄カイザルも典型的脳筋軍人で、力だけしか能がないと、正に田舎者よと裏で噂される。それがルモン家の現状だ。
しかし、それは表だってのルモン家である。実際は、王都の縁の下を裏で守っているのだ。闇市への関わりとて、ゼッペルが主導しているのだ。その他にも、表に出せない貢献をしている。侍女らは、そんな苦労を知っている。ルモン家の低評価を悔しく思っている。
「マル! お前の愛しのお兄様のお帰りだぞ」
湯殿に居てもハッキリとわかる大声が響いた。いや、震動した。タウンハウスの主人、ルモン家次期当主のお帰りである。王都のタウンハウスを長子が、地方の領のカントリーハウスにはゼッペルが住まっている。本来、貴族は王都のタウンハウスで過ごすものである。シーズンと呼ばれる時期が過ぎると領地であるカントリーハウスに向かうものだ。しかし、ラグーン領は辺境の地であり、蛮族の侵略を防ぐ役目を担っているため、ラグーン領を空にすることが出来ない。ルモン家は代々そうやって彼の地を守ってきた。どちらかと言えば、カントリーハウスこそ根城である。
「カイザル様、マルグレーテ様はただいま湯殿にてお手入れ中にございます」
扉の外まで聞こえた足音は、古参の侍女によって止められた。
「了解した! マルグレーテよ、さっさと上がってこい」
全く了解などしていない返答である。しかし、マルグレーテにとっては天の声。
「お手入れは明日香油が準備出来てからで良いわ。さっ、上がるわよ」
どかっと座っているカイザルのソファは、二人掛けに全く見えない。カイザルの堂々たる占有で鎮座する様は、ソファが一人掛けのようにさえ見える。
マルグレーテは目前の情景に既視感を覚え首を傾げた。パッと浮かんだのはザグの姿である。マルグレーテは笑ってしまった。あの横暴な男をまいたときを思い出しての満面の笑みである。
「そうか、そうか、愛しのお兄様に会えて嬉しいのだな」
マルグレーテの笑顔に気を良くしたカイザルは、大きく手を広げてマルグレーテを抱きしめようと立ち上がった。
「お兄様、それ以上近づくと……私一生お兄様と口を聞きませんわよ」
カイザルは石化した。カイザルは妹ラヴである。よって、上下関係で言えば、マルグレーテが上であるのだ。マルグレーテが嫁ぎ遅れているのは、この兄が邪魔をしているといっても過言ではない。見合いの席にも同席し、終始相手を睨みっぱなし、威嚇しっぱなしである。よって、もうすぐ二十歳となる寸前であるマルグレーテには、必然的に婚約者がいなかった。それ故、つまり売れ残っていたため、召集されたのだろう。婚約者のいない年頃の令嬢という条件に当てはまったのだから。ギリギリの年頃であったが。
「マル、お、お兄様はな……こう、こう……そう! 腕をだな、こう動かそうとしただけだぞ」
カイザルは広げた腕をぐいんぐいんと回す。
「いやあ、今回の遠征で肩が凝っちまって。わっはっは」
マルグレーテは奇妙な動きを続ける兄カイザルを尻目に、ソファに腰を掛けた。
「それで、遠征はどうでしたの? 親愛なるお兄様」
カイザルはニパッとキラッキラの笑顔になった。ラヴな妹に、親愛なると言われたことで高揚しているようだ。マルグレーテは、兄の扱いに長けていた。
「お兄様のご活躍をお聞きしたわ。……もちろん、あの悪徳侯爵のお話もね」
カイザルはマルグレーテの後半の文言に反応し、顔を引き締める。
今、王城で権力を握っているのはホマーニ侯爵だ。マルグレーテのいう悪徳侯爵とは、ホマーニ侯爵のことである。度重なる王子の死で弱ってしまった先王を支える体で、権力を意のままに操ってしまった。譲位を受けた現王に対し、『王妃を決め、戴冠式を行い、民へのお披露目をするまで一時治世はお引き受けいたしましょう。その間に帝王学でも学んでくださいませ』とのたまったのである。市の開催が認められないのもこの侯爵が頷かぬからだ。ゼッペル伯爵が軍人なら、ホマーニ侯爵は大商人であろう。王都の店の半数を掌握している侯爵は、専売の利益を得ようと市の開催を認めない。
「今回も奴の思うがままの道路の補修だった。あいつは流通は国の要だと言って、優先的に自身の領から王都への道を改修させている。いや、優先じゃない。独占的だな。悪路をほったらかして私欲にはしって民を苦しめている。自領以外の山賊、海賊もほったらかしだ。軍人を工夫扱いしやがって。チッ、工夫雇う予算はあいつの懐に収まっていたんだろうよ」
思った以上の悪政に、マルグレーテは頭が痛くなった。しかし、カイザルが何もしていないわけがない。マルグレーテはカイザルの瞳を見据える。
「ルモン家次期当主は、ご活躍に?」
カイザルはニヤリと笑んだ。
「道は完璧に改修したさ。ついでに吊り橋も改修しようと太縄二本を繋いでからよ、既存の橋をバッサリと切り落としたんだ。で、気づく、橋の改修を命じられていないってね。で、そのままトンズラしてきた……ぶっ」
カイザルは吹き出した。その情景を思い出しているのだろう。
「いやあ、対岸の侯爵家の者たちの顔っていったら面白かったぜ。今頃工夫に依頼しているはずだ。これで本来の仕事人にも賃金が侯爵家より支払われるだろ」
カイザルがこんな行動をとったとしても、ホマーニ侯爵への嫌がらせには思われない。なぜなら、表舞台でカイザルは脳筋で通っているからだ。
「侯爵様にご許可いただいてきます! って叫んでさ、慌てて馬に乗ってトンズラ……ぶっ……んで、王城で会議中の部屋に飛び込んで、報告したんだ。『侯爵様のカントリーハウスより、王都タウンハウスまでを完璧に改修しました! 吊り橋も強固にしようと切り落としまして……ご命令なき改修だと気づき急いで参じました。どうか、大侯爵様ロードを完璧にするために、吊り橋の改修もご命令くださいませ』ってよ」
正に脳筋たる行動。ホマーニ侯爵は頬をひきつらせて、カイザルを下がらせたそうだ。会議中、大々的に自領への道の改修を、軍人に指示したことが公になったのだ。どんな言い訳で会議を切り抜けたのだろうか。見物であっただろう。これで、侯爵が軍人を使うことが出来なくなるはずだ。カイザルはそう仕組んだのだから。
「……さてと、マル。現王様はこれら現状を知っていないだろう。何もわからずに、王都に連れてこられ半年だ。侯爵の手先の重鎮らが王に告げるとは思わない。それどころか、軟禁状態で王の顔を知っている者は重鎮だけだ。政治を知らねえ坊ちゃんを人形にして、奴らは好き勝手するだろう。で、わかっているな、マル」
ルモン家次期当主カイザルの顔は精悍だ。その顔でマルグレーテを見据えている。妹ラヴな兄カイザルの顔は消え去っている。
マルグレーテはその兄の瞳をカイザル同様にしっかりと見据えた。
「ええ、わかっておりますわ。このお見合いで、王様を見定めること。その器であれば、現状をお伝えすること。その器でなければ……お逃がしするのね、お兄様?」
「ああ、そうしよう」
カイザルは静かに頷いた。
次話火曜更新予定です。