*20*
さて、マルグレーテの怒り収まらぬまま、一行はチェチェ村の村長宅に身を移した。
「最悪だな」
シーバルはそう言いながらも、口元は笑っている。ザグレブは無言でシーバルを睨んだ。
「まあ、確かに勘違いするのもわかるよ」
シーバルは自身の血まみれの衣服を大げさに見た。
「マルグレーテ様は特にひどかったもんな」
シーバルは、離れて座るマルグレーテとコッペルに視線を移す。
「牛舎出てから、目も合わせてくれないし、口も聞いてくれない……プップッ、襲ったようなもんだしな」
シーバルはザグレブの背をバンバンと叩いた。ザグレブは無言の睨みから一転、ニヤリと笑いシーバルの肩に腕を置く。
「俺は平手打ち一発ですんだが、お前はおやっさんとララシャに何発殴られるんだろうな?」
ザグレブはアッと気づいたシーバルの顔つきに、クックックと笑った。
「い、いや、ほら、俺は銀の髪飾りで何とか機嫌をとれる。うん、状況が状況だし、ザグは俺より大変だろ?」
シーバルは若干頬をひきつらせながら発した。視線をマルグレーテに移して。
ザグレブの視線もマルグレーテに移る。コッペルと何やら親密げに話している。自然と眉間にしわが寄っていた。ザグレブは立ち上がり、マルグレーテへと進んだ。
「コッペル、変われ」
ザグレブの言葉に、コッペルが場を空ける。マルグレーテはそっぽを向いたままだ。コッペルの場を奪ったザグレブは、どかっとそこに座った。村長宅と言っても、一般的家屋より広い程度で、皆地べたのマットに座っている状態だ。
「マルグレーテ」
「……」
ザグレブの呼びかけに、無言でそっぽを向いたままのマルグレーテである。
「本当に、怪我はないのだな?」
そっぽを向いたまま、マルグレーテは頷く。
「誰かさんと違って、私は戦わずして勝ちましたもの!」
マルグレーテは、やっとザグレブを瞳に映した。キッと睨んだ瞳は、ザグレブの少し血が滲んだ頬の傷に気づく。
「え? 怪我をなさっているではないですか‼」
マルグレーテは咄嗟に自身の服の袖を引きちぎり、ザグレブ頬へとそれをあてた。
ザグレブはマルグレーテの咄嗟の行動に驚愕し、破れた袖口に目を見張った。肌が露になっている。そのマルグレーテを見つめるいくつもの視線を遮るように、ザグレブは身体をマルグレーテの横にそわせた。
マルグレーテは近すぎるザグレブにひゅっと息を吸い込む。
「も、もう少し離れてください!」
「嫌だね」
ザグレブの息がマルグレーテの耳にかかる。
赤く色づく耳に、ザグレブは吸い寄せられそうになるが、そこはグッと抑えた。
マルグレーテは羞恥をまたも攻撃に変える。
「王ともあろう者が、顔に傷を作るなんて情けないですわ!」
そう口撃したとて、マルグレーテの手はザグレブの頬を手当てしている。言葉と裏腹な態度こそ、マルグレーテの本心であろう。
ザグレブは未だ頬を押さえるマルグレーテの手首を掴んだ。
「この程度、怪我のうちに入らねえよ」
マルグレーテの手首を引っ張り、ザグレブはマルグレーテの倒れてくる身体を両手で包み込んだ。すぐさま、両足もマルグレーテを囲う。
その背後でガタガタとうるさいのはカイザルだ。マルグレーテとザグレブの包容に割って入ろうとするも、ゼッペルに首根っこを掴まれて部屋から出される。他の者も、雰囲気を察し退室した。
「早く会いたかった」
ザグレブは真っ直ぐな心を、真っ直ぐにマルグレーテに告げた。そして、問う。
「合格か?」
ザグレブの腕はマルグレーテとの隙間を埋めるように、マルグレーテをさらに引き寄せた。
「馬鹿、合格よ」
その言葉にザグレブの大きな手が、マルグレーテの頭を包み込み、いっそう二人の距離はなくなった。
ジャンテ帝国への侵略行為は、一ヶ月もせずに終息した。攻められたジャンテ帝国が、隣国の領土を手に入れるという逆転劇は、周辺国に激震を走らせた。
この勝利がもたらしたものに、王都に帰還したザグレブとマルグレーテは対峙することになる。勝利がもたらすものが、常に良いものとは限らない。
王都ではすでに、騒動の火種である『隣国の手土産』たる姫が、王城で待ち構えていた。ホマーニ侯爵とともに……
ザグレブとマルグレーテの凱旋を、ジャンテの民が喝采を送り迎える。凱旋がお披露目の様相になっていることで、マルグレーテの存在も十分に民に示すことができた。
若干ふて腐れたカイザルだけが、幸せそうな二人に、いやザグレブに不満げな顔をちらちらと見せるも、ゼッペルから射られた足を時おり蹴られて我慢していた。
「父上、いいのですか?」
「あの顔を見て、反対するなどできようものか」
まだ諦められぬカイザルの言葉に、ゼッペルはそう答えた。視線は幸せそうな笑みを交わすマルグレーテとザグレブにある。
「まあ、そうですが……」
渋々カイザルは発する。ハァと大きくため息が出るのは仕方がない。カイザルは妹ラヴなのだから。
「そのようなシケタ面をさらすな。ほれ見ろ。雑魚頭と雑魚のふんどもが手ぐすねひいて待ってるぞ」
ゼッペルが、顎をつきだした。王城の門扉の前にはホマーニ一行が見事なまでの作り笑いで待ち受けていた。
王間で、先王がザグレブを迎える。玉座から立ち、ザグレブを促して座らせた。
その横の椅子にマルグレーテが進む。だが、それを止める声が王間に上がる。
「その椅子に座るのは、王妃様だけです。マルグレーテ嬢はまだ王妃ではありませんぞ」
ホマーニが胡散臭い笑みで発した。配下たちも追随し、まだ婚儀もしていずに座ることはできないだろうと口々に告げる。
マルグレーテは歩をピタリと止めた。その背を見るカイザルとゼッペルは、顔には出さないが悔しさが込み上げている。そして、ザグレブは……
「では、俺じゃなくて、私の所に座れ」
そう言って、太ももをトントンと叩く。ここに来いと言うように。
マルグレーテは目を見開いた。それから、顔を紅潮させザグレブを睨んだ。
「そ、そのようなお戯れはお止めください!」
「嫌だね」
「何でいつもそうなのよ⁉」
「好きな女を手元に置きたいだけだ」
「す、す、好きな……女って」
「お前だろ」
マルグレーテの顔はプシューと湯気が出そうなほどである。
そして、やり合う二人の世界はまるで痴話げんかのようで、周りの者らはそっと視線を反らしていた。
「ルクア領にて、ゼッペル殿に正式に申し込みをし、了承を得ている。マルグレーテ来い!」
ザグレブはやはりザグレブであり、真っ直ぐでぶれない。その真っ直ぐな意思に、マルグレーテの歩が進む。
「お、お待ちを! 隣国ヤンガルデ国より、親交の証として……王様への献上として第二王女シンシア様がお越しです! 王妃の座に相応しい方が」
「要らねえよ」
ホマーニの声を遮ったのは、もちろんザグレブだ。
「し、しかし、隣国の王女様を足げにはできますまい。どうか、ご挨拶を受けてくださいませ、王様」
ザグレブは、必死なホマーニに冷たい顔を向ける。ホマーニは愛想笑いをしながら、言いくるめるように言葉を紡いでいく。
「地方伯爵の娘に、隣国の王女様が膝は折れません。了承を得、次期王妃の肩書を持ったとて婚儀なければ、単なる伯爵の娘に過ぎぬ位なのです。遅くはありませんぞ、王様。今なら、間に合います」
ホマーニの顔はにやついていた。
「じゃあ、膝など折らなくていい。マルグレーテ来い」
ザグレブは、ホマーニの発言をスパッと切り捨てた。それから、佇むマルグレーテの元に向かい手を取った。
「何度も言ってやる。お前は俺の腕の中で囲われろ」
「嫌よ、囲われるだけなんて。私だって、何度も言うわ。そう簡単には捕まりませんわ」
マルグレーテは背筋を伸ばした。そうして、ザグレブの手をそっと離した。
「エスコートくださいませ、王様」
マルグレーテはザグレブの腕に手を沿わせる。ザグレブとマルグレーテは微笑み合った。そんな二人を止める無粋者はさすがにいない。ただ、ホマーニだけが悔しそうに唇を曲げていた。
次話火曜更新予定です。