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さて、まんまと屋敷を脱走したマルグレーテは、さっそく行きつけの店に入る。まさか、脱走で王都を回ろうなどと思っていなかったネルの顔色は青白い。いくら王都であっても、貴婦人だけの外出は危険である。通常は幾人かの従者を引き連れるものだ。しかし、例によってマルグレーテは脱走する。お転婆甚だしい。
「マルグレーテ様、ご来店ありがとうございます。今年の冬はタウンハウスですか?」
そう問う店主にマルグレーテは唇を尖らせる。不満げな顔で事情を説明した。
「本当は、カントリーハウスの予定だったのよ。そのために、秋には冬ごもりの準備をしっかりしたのに……王様から召集がかかったの。出来レースの集団お見合いよ。どうせ、高位貴族の令嬢に決まっているのにね。帝国全領の令嬢の中から選ばれたって誉れを王妃に与えるためね。迷惑な話よ」
店主はそんなマルグレーテに、新作のマカロンを出す。
「私としては、マルグレーテ様が選ばれることが嬉しいのですが」
「いやぁよ。私に王妃の器は持ち合わせていないわ」
「そうですか? 私どもはお元気で親しみやすいマルグレーテ様のような方が、お妃様になられることを望みますよ」
「もぉっ、それって健康だけが取り柄ですってやつじゃない。うふふ、間違ってはいないけれど」
「健康な血筋が必要な時……いえ、なんでもありません」
店主は言い淀んだ。
「わかっているわ。王位継承三位までの王子様が次々に亡くなったものね。先の王様の男子はご落胤のお子のみになった。その方に先の王様は王位を譲り、今はご隠居様だってね。……体の弱い血を絶つために、健康な令嬢を王妃にさせたいと。それに反して、高位な貴族たちは、自身の娘である深層の令嬢……線の細い、庇護欲そそる令嬢を推していると聞くわ。そして、その影響で迷惑千万にも僻地の令嬢さえもご召集」
マルグレーテはマカロンをポーンと口に放りこむ。全く令嬢らしくない。ネルはマルグレーテを嗜めようとするも、その開いた口にマカロンを入れられてしまった。
「ええ、都中の話題ですよ。現帝国王様のお披露目もまだでして、お妃様が決まられましたらお二人揃ってのお披露目になるそうです。楽しみにしておりますよ、マルグレーテ様がお並びになられると」
「だから、いやぁよ。どうせ、高位な貴族の令嬢に決まるわ。後盾のない王様には、その様な令嬢が必要でしょうし」
マルグレーテは言い終わると、最後に残った一個のマカロンをハンカチに包んだ。
「今年の冬は王都だから、また来るわ」
店から出たマルグレーテは、店を覗きこんでいた小さな男の子に、ハンカチごと渡す。男の子は嬉しそうに受け取ると、マルグレーテの耳元でこそこそと話す。マルグレーテも同様にこそこそと男の子に話すと『行って』と促す。男の子は走って消えた。
「あの……マルグレーテ様、先ほどの子供はお知り合いで?」
ネルは不思議そうに訊ねる。
「いいえ」
「え?」
「私、子供を見るとお菓子をあげたくなっちゃうの」
「はあ」
マルグレーテはニマリと笑って次の店に向かったのだった。
闇が迫る。ネルは不安でマルグレーテにぴったりと寄りそう。あのマカロンの店から数店回り、お土産のお菓子は両手にたくさんだ。ここで悪漢に出会ったなら、マルグレーテもネルも連れ去られるだろう。ネルは小さな物音にもびっくんと体を震わせた。
「おい、娘。闇の刻に、なぜこのような場所に居るのだ?」
突如かけられた声に、ネルはひぃぃと悲鳴をあげる。マルグレーテはネルの口を塞ぎ、静かにとささやいた。
声をかけたのは大柄な男の方であろう。厳つい体に相応しく、大ぶりの剣を腰にさしている。闇に染まらぬ金色の髪は、太陽のように辺りを照らしているようだ。その横には、上等な服の青年。こちらは銀糸のような髪を風で揺らし、月のように優しげだ。貴族の坊っちゃんと、護衛の従者といったところか。
「この先のお店に用事がありますので」
マルグレーテは平静に答える。だが、この路地の先には店はない。
「こんな夜に、貴婦人だけでは危ないですよ。我々がお供しましょう」
銀糸の青年が優しく発した。金糸の男は鋭い目付きでマルグレーテを見ている。
「この先に店はないはずだが?」
マルグレーテは心の中で舌打ちした。この先にあるのは闇市である。と言っても悪どい違法営業ではないし、禁忌品の市でもない。商売権を持たない庶民の手作りマーケットと言った方が正しい。善良たる違法営業市である。言い得て妙ならぬ、言い得ず妙な市かもしれない。
週に一度の手作り市は認められ開かれていたのだが、王子の逝去によって、喪に服す意味合いで開催されなくなって三年が経つ。不幸にも、王子が半年にひとりと相次いで逝去したためだ。ここ一年、市の開催を申し出ても認められていない。帝国王のお披露目まで待たされているのだ。
「……もしかして、我々と同じところに向かうんじゃないのかな」
銀糸の青年は変わらず穏やかに告げた。マルグレーテを優しげな瞳で見ている。
「貴族が行くような場所じゃないぞ」
大柄な男はマルグレーテを警戒するようにうかがっている。睨んでいるように。
「あら、貴族が行くような場所じゃないなら、あなた方も同じではなくって」
マルグレーテは男の睨みも物怖じせずに言い放つ。そして、ネルを促し歩みはじめた。行き先は闇市だ。青年らも同じとふんだマルグレーテは、二人の動向を気にも止めずに進んだ。その後ろを青年らが続く。
行き先は王都の南の端である。枯れた井戸で廃虚となった街で人が寄り付かない場所だ。入り口の生い茂った雑草が人目を塞ぐ。
「マル姉、こっち」
雑草がガサガサと音を出す。ひょこんと現れたのは、マカロンを上げた男の子である。
「なんだ、ザグ兄貴も一緒だったんだ」
男の子の視線は大柄な男である。そして、マルグレーテも男を見てニマリと笑った。
「なんだ、やっぱり同じお客ってわけね」
ばつが悪そうにザグと呼ばれた男は口を歪ませる。また、マルグレーテに何か言いそうな雰囲気だ。だが、それを銀糸の青年が嗜める。そして、青年はマルグレーテに向いた。
「ちょうど良かったよ。我々ははじめての市なんでね。良ければ案内してくれるかな、レディ?」
銀糸の青年はマルグレーテにソッと腕を差し出した。マルグレーテは大柄な男に向かって高慢たる笑みを向けると、青年のエスコートを受ける。
「名は名乗らずにいよう。それがお互いのためだしね」
青年の提案にマルグレーテは了承した。すでに男の子によって通称の『マル』は知られてしまったが、相手とて『ザグ』である男は認識済みだ。
「ケイン、さあ今日の市の場所に案内して」
「了解。今日は三番街だよ」
男の子ケインは、マルグレーテらを先導する。草むらを分けた先に広がる廃虚街。遠くにぼんやりと灯りが浮かんでいる。ケインはそこに向かって先導している。灯りの場所が三番街なのだろう。
「レディはいつも市に来ているのかな?」
青年はマルグレーテを責める口調でなく問うた。
「ふふ、どうかしら? お互い名乗らないのに、それを教えるとでも?」
「ははっ、確かにそうですね。うーん、では先に私の話をしましょうか」
青年はそう言うと、市に来た経緯を話始めた。
近く青年は婚約をするそうだ。その婚約者に装飾品を贈りたいと思ったのだが、喪に服している現在、帝国領で売られているのは落ち着いた装飾品が主流である。どうにかして華やいだ髪飾りを得たいと、王都まで出向いてきたそうだ。しかし、王都とて田舎同様にきらびやかな装飾品は売っていなかった。そこで、闇市が開かれていないかと歩き回り得たのがこの市の情報である。ザグが、孤児院の男の子ケインと仲良くなり耳にしたと言うわけだ。
青年とザグは、ジャンテ帝国の南方からやって来たらしい。婚約者のためにえらい遠出をしたものだなと、マルグレーテは思う。確かに最近の主流は落ち着いた装飾品だらけである。喪中であるため仕方がないが、遠方では良い迷惑なのだろう。マルグレーテもその迷惑で今王都にいるのだから。青年らと正反対の北方から。
「うーん、でもこの闇市には大手のお店は出店していないわよ。個人の手作り市だしね」
王都は綺麗に整備された街である。都に相応しく、立派な店構えの商店が並んでいる。一級品が並ぶ店だらけである。その中で、週に一度の露店市は、王都の縁の下を支える庶民の生きる糧であったのだ。その日ばかりは、身分関係なくお祭りのように騒いだものだ。それはジャンテ帝国の名物でもあった。多くの露店商はこの下積みをし、お金を貯めて店を開店するという夢を持っていた。マルグレーテの馴染みの店、マカロンのお店は夢を叶えた実例である。
「だけど、三年の潜伏期間で腕を上げた職人の露店商がいるかもしれないでしょ?」
青年は目をくりんと輝かせた。今までで一番自然な笑顔である。あの穏やかさは、作られた仮面だとわかる一瞬だった。
「そうね。ご案内するわ。私が目をつけている職人がいるの。今日は特別にご紹介するわ。夜道をお供してくれたお礼に」
廃虚の三番街に着くと、マルグレーテはケインに小包みを渡す。
「食べたかったのでしょ?」
ケインは中身を見るとはしゃいだ。
「ニィは夢が叶ったんだね!」
「ええ、そうよ。王都の端っこだけど、開店して行列ができていたわ」
この闇市から表舞台にたったお店を、今日マルグレーテは回っていたのだ。
「ケイン、またいつものようにお願いね。この冬は王都にいるから、忙しいわよ。頼りにしているわ」
「うん、任せて! じゃあね、マル姉」
ケインの背を見送った後、マルグレーテは青年に向き直った。
「……何も訊かないよ」
マルグレーテは目礼し微笑んだ。マルグレーテとケインの会話の意味は訊かないということだ。この闇市がいかに王都を支えているか、それを知る者は少ない。
「ありがとう、ナイト様」
そう発したマルグレーテと青年の微笑み合いを、ザグとネルは背後で見守っていた。
次話日曜更新予定です。