*18*
朝日がルモン山の頂上に姿をみせる。それが合図だ。
「さあてと、一気に片付けるぞ!」
祠の出入り口で、ザグレブが声を張り上げ市街地へと突進した。
敵は吊り橋と、このルクア領内に二分している。敵陣のルクア領内本拠地は、市場の近くにあるホマーニの監視屋敷である。領主邸であったが、街を一望できる丘に新しく大邸宅を建造したため、街の屋敷は市場を監視するためだけにあった。監視人のホマーニの配下は、隣国の侵略の際にいち早く逃げだしたため、そこは裳抜けのからになり、敵陣の本拠地となった。
敵陣は早朝に起こった騒がしさが、ジャンテの特攻であると思っていない。ジャンテの兵がコロナ領に到着したことは、偵察隊から伝えられていたが、吊り橋を掌握しているため奇襲されるとは頭にも浮かばないのだ。
「ジャンテ帝国王軍である! 敵に一泡吹かせたい者は、続けぇ!」
老将は、街の民を鼓舞し扇動する。屋敷に向かう一方通行の路を、ジャンテ帝国の兵が駆け抜けていく。敵が奇襲に気づいたときにはすでに屋敷を囲んでいた。
そして、敵が抗戦をはじめる。
ザグレブはここでもカイザルの制止を聞き入れず、突進していった。
「カイザル、背後は任せた!」
会って数日のカイザルにザグレブはすんなり背を預ける。そうまで信頼されては、カイザルとて引き受けざるをえない。大柄の二人の猛者が、剣を振り回し敵を倒していく。
しかし、均衡であった戦いは、吊り橋から戻ってきた敵の加勢によってジャンテは押され始めた。圧倒的な数の差である。
「王様、退路を確保します」
背中合わせで息をしながらカイザルがザグレブに告げる。
「ならば、共に突っ切るぞ!」
二人は息をあわせ、市場に向かってかけていく。その背に敵は弓矢を放った。ザグレブの頬を矢がかすめる。カイザルの足に矢があたる。二人は倒れるようにに市場内に身を転がしたのだった。
特攻隊が市場になだれ込み、門扉を強固に閉める。後は、他の隊の状況が進むのを待つのみだ。
その頃、隣国に攻めいったローニは、小さないくつかの村を穏便に制圧し、のろしを上げた。
「よし、これで気づくだろう」
こののろしにより、本陣の公爵、遊軍の子爵も動き出す。
本陣は慌てて引き返す敵を追う。途中で避難してきた領民を保護し、回り道を駆けていった。特攻をする王軍の加勢に向かうのだ。
子爵ら遊軍は吊り橋に狙いを定める。吊り橋を引き返しはじめた敵を物陰から見ていた。仮設の吊り橋は四本の縄で簡易的に作られたもの。一本でも切れたら、もう使えぬだろう。吊り橋を使えぬものにする機会を待っていた。敵をコロナ領に大勢残せば、王軍は助かるはずだ。だからとて、遊軍以上の残兵を相手には出来ない。子爵は頃合いを待っているのだ。残兵が少なくなったところで、子爵の遊軍が弓矢をひいた。
さらに、もう一軍。いや、軍というには少数すぎる。二十人ほどの小隊だ。その先頭にはゼッペル・ルモン。ルクア山を駆け下りる馬の土煙は、ローニの上げたのろしの如く舞い上がった。
敵はルクア領内に戻された。最後の激戦はルクア領内だ。
コロナ領主の公爵率いる本陣隊に、突如乱入したのはゼッペル・ルモンである。
「ゼッペル、ジャンテ帝国を豪遊でもするつもりか?」
コロナ領主の公爵は、嫌味な文言とは真逆の可笑しそうな笑みを浮かべてゼッペルを迎えた。
「北方から東方まわりで南方まで来るとは、そのうち馬がストライキを起こすぞ」
公爵は、ゼッペルの馬を撫でた。
「何を言うか。まだ不満げだぞ、我の馬は。もっと走らせてくれと鼻息荒かろう」
ゼッペルも馬を撫でる。愛馬はヒヒンと鳴いて応えた。
「公爵よ、王道を行け。我は、地下通路を行く」
「……やはりな。お前は昔から裏工作に長けていたな」
公爵とゼッペルは昔から懇意であった。裏でジャンテを支える二代支柱と言っていいであろう。公爵が教えずして、地下通路で進むと発言したゼッペルが、その通路建設の首謀者である。
「じゃあな、公爵。また後で……敵を殲滅させようぞ」
「ああ、また後で。おっと、待て。私は、あの王様なら後盾になっても良いと思っている。お前の愛娘が惚れるのは必然であるような男だ」
ゼッペルの顔が憮然となる。愛娘を持つどこの男親もそうであろう感情は、相手が王であろうとも覆せはしないものだ。
そのゼッペルの顔を愉快そうに公爵は眺める。
「ムカつくか?」
「ああ、相手が王様であろうとムカつくものはムカつくものだ」
ゼッペルは唸るように口ごもると、軽く手を上げ公爵と分かれた。
ゼッペルは馬を降り、地下通路の出入り口に向かった。通路を行き、市場の地下に進む。地下には幾人かの市場の者がいたが、ジャンテの国旗を先頭に進むゼッペルらの行く先を止める者はいない。
やがて、慌ただしい音が頭上から聴こえてくる。ゼッペルは、市場へ続く門を開けた。
「扉を固めろ! 絶対に突破させるな!」
大きく勢いのある声だ。その声の主はザグレブである。転がるように市場に倒れこんだザグレブとカイザル、ジャンテの特攻隊は全身薄汚れてはいたが、その瞳は鋭意の力を失っていない。
ゼッペルはフッともらす。一目でわかるとはこのことだ。そうゼッペルはザグレブを見つめながら思った。その口が動く。
「軍医はどこだ!」
ゼッペルの声が市場にこだました。
「旦那!」
「父上!」
市場長とカイザルである。
「愚息よ。軍医はいないのか?」
ゼッペルは足に矢が刺さったカイザルを一瞥する。
「この程度何ともありません」
「愚か者! お前の怪我などどうでも良いわ! 王様、頬の治療を」
ゼッペルは、配下の軍医にザグレブの治療を指示した。
「掠り傷だ。先に重傷者から頼む」
ザグレブはゼッペルを真っ直ぐな瞳で見て発した。ゼッペルは軽く一礼し、その命に従った。負傷者への対応の後、ザグレブ、カイザル、老将二名、ゼッペルが顔をつき合わせた。
「北方ラグーン領主、ゼッペル・ルモンにございます。そこの愚息の父であり……マルグレーテ・ルモンの父でもあります」
ザグレブはゼッペルを見据えた。
「さっさと敵を撤退させ、バッガル領へ迎えに行く。マルグレーテは俺の腕の中に」
ゼッペルの鬼のような形相の笑顔をザグレブに向けている。その顔に、ザグレブ以外は視線をさ迷わせるほどだ。しかし、当のザグレブはゼッペルにニヤリと笑んだ。
「初めて会った時は、まんまと逃げられた。二度目に会った時は脛をおもいっきり蹴られた。三度目は、ピンヒールで足の甲を踏んづけられた」
その発言に、ゼッペルの頬がピクピクと、いやヒクヒクと揺れた。まさか、王にそのような行いをしていると知っていない。ゼッペルの瞳がカイザルをチラリと見る。カイザルは、ザグレブの発言を肯定するように顔を手で覆う。
「四度目に会った時には鳩尾に一発。手の甲にキスできるのは王だけだと、マルグレーテは言ったから王であることを告げた。マルグレーテは、全身全霊でジャンテを背負えと言った。俺は王ってもんがどんなものかまだ理解してねえが、マルグレーテは理解している。五度目に会ったマルグレーテは、戦の格好をしていた。俺の導べであり、ジャンテの揺るぎない導べだと思う。だから、負けねえし、さっさとバッガル領に行って六度目のあいつに会いたい」
ザグレブの真っ直ぐ過ぎる発言は、ゼッペルを絶句させるには十分な威力であった。しかし、それでも抗いたいのが男親の心情だろう。
「ええ、私も娘に早く会いたいものです。ええ、会うのはいいでしょう。ですが、淑やかに腕に収まるようには育ててはおりません。私はまだ申し込みも受けておりませんし、許可も出しておりません。許せることは会うだけですね。それに、導べというなら、腕の中でなくてもいいでしょう」
辛辣である。それでもザグレブは怯まない。
「カイザルと同じことを言うのだな。そういうものなのか?」
ザグレブは市場長を見た。市場長の娘ララシャはシーバルと恋仲である。
「……娘はシーバルがいなくなって、げっそり痩せた。あんだけ認めねえって思ってたが、あんのクソガキをさっさとララシャの元に戻してくれねえか? 旦那、親っつうのは先に死ぬもんだ。大事な娘を預けるもんを……一生守ってくれるムカつくもんを見つけて任せるまでが親の役目ってもんだ」
場がしんみりとする。ゼッペルもカイザルも目を閉じて深呼吸をしていた。それから、ゼッペルは腹が決まったのか、ザグレブを睨む。
「王様、あなたは私にとって最上級のムカつく奴だ」
ゼッペルの睨みは不敵な笑みに変わる。ザグレブは立ち上がり、ゼッペルの前に立った。ゼッペルも立ち上がる。
「マルグレーテへの結婚の申し込み、許可願いたい」
貴族であったなら、もっと礼節を重んじた丁寧な申し込みになるであろうが、いや、王であったなら自らが行わないものであろう。しかし、ザグレブは実直な短い言葉をゼッペルに発した。
「愚息が二人になるとは頭痛がする」
そう言ったゼッペルの顔は晴れやかだ。ザグレブとゼッペルはかたい握手をかわした。
「母親はいねえが、俺には三人も父親がいる。おやっさんと、城の親と、あなただ」
ザグレブの発言にゼッペルは拳を突き出した。二人は拳を合わせる。
「まあ、しかし、じゃじゃ馬お転婆の手綱は、私とて扱えぬ。カイザルとてそうだろう。王様、振りほどかれぬようご尽力くださいませ」
ゼッペルはニヤリと笑った。カイザルも笑む。老将らも王間で面したマルグレーテのお転婆ぶりに、想像ができた。
「次はどこを蹴られるやら」
ザグレブの呟きに皆が口を押さえ、笑いを堪えた。
その時、外が騒がしくなる。
「さあてと、本陣隊が到着したようだな。王様、蹴散らしましょう」
ゼッペルは言うや否や、剣を引き抜き市場の扉に向かう。
「ああ、蹴散らしたらそのままバッガル領へ進む!」
ザグレブはゼッペルを追い越し、市場の扉に突進した。カイザルもその背を追い任される。ゼッペルは呆れた。真っ先に出陣する王がいようか。皆に守られながら、威厳な姿を現せばいい存在であるのだ、王とは。ましてや、今まで庶民として育ってきた者が、兵士でない者が、恐怖を覚えずして真っ先に突っ込むなどありえない。
「旦那、愚息だろ?」
市場長がゼッペルと共に走る。
「全くだ」
ゼッペルは、呆れたように発するが、瞳は愉しげだった。
次話金曜更新予定です。