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「ケイン」


 ケインを呼び、剣を預ける。マルグレーテはケインの方をいっさい振り返らずに行っている。マルグレーテとケインの阿吽の呼吸である。剣を預けたマルグレーテは、その手をケインの方に向けたままだ。その手に、ケインからある物が渡された。


 マルグレーテは、それを風にはためかせる。


「あなた方の国では、契りの証を互いに持つそうね。男は女から刺繍入りのハンカチを。女は男から誓いの言葉を記した長いリボンを。ハンカチは戦地に赴く際に、手首に巻かれる。リボンは、契りを失うことのないよう……自害出来るように」


 はためいているのは、リボンだ。ゲルハルトが妻に渡した物。長いリボンは首を絞めるため。昔から続く儀式である。もしもの時、夫以外に身を遊ばれることのないように。


「なぜ……それを?」


 ゲルハルトの声は掠れている。


「使われる寸前で、奪ったからよ!」


 マルグレーテは叫んだ後、ゲルハルトに詰め寄る。


「何が保護するよ! 何が家族を守るよ! あなた方の敬愛する王は言っていたそうよ。『愛する者を死地に向かわせて、寂しい思いをしているだろうから、王である我がこの身で慰めよう』ってね! ばっかじゃないの! ねえ、わかってて妻を、家族を置いてきたのでしょ? バッガル領を迅速に奪い、王都に戻れば間に合うって? あなた方が出立した翌日には……もう寝所に」

「馬鹿な!」


 ゲルハルトはマルグレーテの詰め寄りに、心情をあらわにした。その顔は困惑と怒り、定まらない感情が入り乱れている。


 マルグレーテはリボンを差し出す。


「もう一度言うわ。使われる前に奪ったわ。リボンも、あなたの妻もね」


 ゲルハルトの手にリボンが渡る。


『一生の誓いと契りをーーゲルハルト』


 リボンには、ゲルハルトの記した文字。それに続くように……


『あなた以外に身を捧げていません。ジャンテ、ルモン家の者に救われましたーールーシェ』


 ゲルハルトはリボンを握りしめる。


「き、貴様! 将軍、敵の甘言に惑わされてはなりません!」


 武将が喚き出した。


 マルグレーテはチラリと一瞥する。それを合図に、今まで黙していたもうひとりの武将が、瞬時に動く。ルモン家の間者だ。


「静かにしてください」


 間者である武将は、喚く武将に一撃を食らわせた。


「ゴフッ……なぜだ……ガンツ」

「俺の敵は老害色ボケ王なんでね」


 気を失い、踞る武将にガンツは答えた。


 突然の出来事に、ゲルハルトのみならずコッペルも茫然としている。しかし、ゲルハルトはすぐにガンツと距離を置く。今、この場でゲルハルトはひとりとなったためだ。


「ガンツ、お前は」

「俺の姉が死んだのは、事故死じゃない。自害だ、ゲルハルト」


 ゲルハルトは今までになく驚愕の顔をさらした。


「理由は……」


 ガンツは悔しそうに、泣きそうに、さらに怒りを込めた顔をゲルハルトに向けた。


「ガンツ、それ以上言葉にしなくてもいいわ」


 マルグレーテはそう言うと、ゲルハルトを見た。


「ゲルハルト将軍、ガンツに最後まで言わせたくって?」

「いや……」


 ゲルハルトはガンツに視線を送った後に、リボンを見る。気持ちは固まったようだ。気を失った将軍をチラリと見る。


「その者は、老害色ボケ王の密偵よ。あなた方の動きを監視するためのね。……ゲルハルト将軍の妻にずいぶんご執着のようよ、色ボケ王は。ずっと狙っていたのでしょうね。出来るだけ戦を長引かせ、ゲルハルト将軍の犠牲の元に勝利し領土を拡大する。土地と狙う女性と、勝利で民の信望さえも手に取ろうとしたってわけ。もちろん、ゲルハルト将軍の犠牲は、この者が手を下す予定だったのよ」


 マルグレーテは、そう言うとコッペルに縄で拘束するように指示する。


 ゲルハルトは定まらぬ視線をマルグレーテに向けた。


「私は、どうしたらいい?」

「簡単よ。ここバッガル領で奥樣と仲睦まじく過ごせばいいわ。この領を守ってくれたらいいのですわ」


 マルグレーテは軽やかに発した。言葉は続く。


「願わくば、敵国領土を拝借したいわね。ジャンテの王に献上したいでしょ。数日、いえ明日にも王様はこちらに向かうはずだから……猶予は四日ぐらいかしら? 確か、この高地の向こう側の小さな村は」

「チェチェ村ですね」


 ガンツはニヤリと笑んだ。それから気を失った武将に足を置く。


「こやつの領地です。村民は、こやつの横暴に苦しんでおりますから、きっとジャンテにつくでしょう。ゲルハルトが治めるならば」


 マルグレーテは頷く。


「先ずは、ゲルハルト将軍、奥様とお会いになって。ガンツは兵の統率を」

「兵士は王都に家族を置いてきている。早々にジャンテにはつかぬだろう」


 マルグレーテの発言に、ゲルハルトがそう反応した。マルグレーテはニヤリと笑う。


「私、あなたの家族をとは言っていないわ。あなた方の家族をと言ったのよ。あなたの配下で隊を統率する長は五名。すでに国境警備隊のガンツは、この地に家族を移しているわ。ガンツを抜かした四名の家族も、もちろん保護しているの。それに、大半がチェチェ村と近郊貧しい領の兵士でしょ。ガンツがすでにまとめあげているわ。王都から連れてきた兵士は百名ぐらいよね。あなたに忠実なる百名。あなたが孤児を引き取って育て上げた百名でしょ」


 マルグレーテは驚くゲルハルトに、ニンマリと笑った。情報戦でもマルグレーテの勝利である。


「バッガル領主宅は大きくて広いから、全員入ったそうよ。そうでしょ、ケイン?」

「はい、ゲルハルト将軍の奥様をお守りするためと、兵士の妻ら家族は、一団でこちらに向かっていただきました。現在、バッガル領主宅で皆様のためにご馳走を作っておいでです」


 ケインがそう口を開いた。それで、やっとコッペルは、マルグレーテとケインの会話を理解した。ここ敵陣に向かう前にしていた会話を思い出してのことだ。バッガル領主はホマーニの配下であり、ゲルハルトが本陣を構える以前に、領を捨て王都に逃げ帰っていた。そのため、領主宅はもぬけの殻であった。


「全て、予定通りというわけか?」


 ゲルハルトは、マルグレーテに問うた。


「いいえ、予定通りではありませんの。ジャンテに攻め込まなければ、このようにはなりませんでしたわ」


 マルグレーテは、小さく首を横に振った。


「私の芯は常にジャンテにありますの。この地の民が幸せであるために、尽力すること。そのためには、隣国の弱点を知っておくことは必要不可欠ですわ。国の存亡は、内外要因が起因しますもの。今、ジャンテの内は揺れている。だから、外から攻められた。それも三方から。危機にこそ、国の底力が試されます。少数ですが、ジャンテでは忠臣が立志しましたわ。将軍の国ではどうかしら? 老害色ボケ王という内々の弱点に、誰が立志しましたの? このような暴走を止める忠臣はいなかったのね。ずっと、傍観しておりましたわ。ええ、そうね。攻め込まなければ……助けもしなかったわ。隣国の崩壊など、ジャンテにとっては朗報でしかありませんもの。将軍の妻がどうなろうともね」


 マルグレーテはゲルハルトを見据えた。マルグレーテの心の内は、正義を掲げたりはしない。悪事を知っていたとて、マルグレーテはそれを是正したりはしない。隣国の悪事を正すなど、そんな権限も力もない。


「……そうか。あなたの正義は、ジャンテの民のみに向けられるのだな。だから、私はジャンテの民にならねばならぬのだな。チェチェ村も近郊の貧しい領もジャンテになれば、救われる」


 ゲルハルトはフッと笑った。その視線は母国をチラリと見たのち、マルグレーテに移った。


「ええ、寝返ってくださいな」


 マルグレーテは笑みを返す。そして、続けた。


「それが、あの王への最後の忠誠心であり、ジャンテ王への最初の忠誠でもありますわ」


 マルグレーテの発言に、ゲルハルトは膝を折った。ガンツも続く。もちろん、コッペルやケインもだ。


 マルグレーテは、戦わずして勝利をおさめ、さらに隣国の一部領土までをも手中にしたも同然であった。

次話月曜更新予定です。

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