*15*
バッガル領は、牧畜が盛んな高地である。牛やら羊、馬やらがそこらかしこに群れている。いわゆる放牧というやつだ。
「のどかね」
マルグレーテとコッペル、シーバルは、ティーテーブルを囲んでいた。
「そ、そうでしょうか?」
コッペルはヒクヒクとした笑みでマルグレーテに答えた。
コッペルが緊張しているのも無理はない。マルグレーテらがお茶を楽しんでいるのは敵の本陣とマルグレーテらの本陣のちょうど真ん中である。おそらく、敵からも見えているだろう。ある種異様な茶会が。
さらに加えるならば、マルグレーテらの周りには、牛が並んでいる。……闘牛だ。鉄製の額飾りまでつけて、牛兵と言えば聞こえはいいか。三十頭ほどが足で地蹴りをしながら敵陣に対して並んでいた。
「マルグレーテ様、これ、いつから仕込んでたんです?」
シーバルがマルグレーテに問うた。これとは牛たちのことだ。
「まあ、失礼な。仕込んでなどいませんわ。隣国の国旗や身標が赤だから、闘牛でも準備したら、勝手に襲うから兵の育成はしなくて良いんじゃないかしら……って、父上に冗談で言ったの。そしたら、本気にしちゃって。仕込んだのは父上よ」
マルグレーテの返答に、シーバルは首を傾げる。
「あの、ラグーン領の話でなく、バッガル領の話ですよね。なぜです?」
自領のことならともかく、なぜ他領のことをルモン家が話すのか、また準備するのかとシーバルは疑問に思ったのだ。それもレディと話す内容ではない。
「あら、おかしいかしら? 帝国から領を預かっているのよ。その領を守るには、国全体に視野を広げる必要があるわ。自領だけの防御なんて、ひとつ崩れてしまえば雪崩のように襲ってくるのよ。コッペルだって、私兵を育成してるじゃない。それと一緒よ」
マルグレーテの父ゼッペルは、帝国内全体の防御にも裏で暗躍していた。ホマーニの金魚の糞の貴族らの領は特にである。第一に隣国と接している領の防御を議論することは、ルモン家では通常の会話であった。
「マル姉」
そこにケインが現れる。
「どうかしら、首尾は?」
「うん、何とかいけた。この領で一番でかい空き家にいるよ」
「そう、わかったわ。うふふ、あの空き家なら全員入れたわね」
「マル姉、笑みが悪どいよ」
「まっ、失礼ね」
マルグレーテとケインの会話は、コッペルとシーバルには理解できないだろう。マルグレーテの謀略は着実に完結に向かっていた。
「ケイン、剣持ちを。敵陣に乗り込むわよ!」
コッペルとシーバルがガタリと椅子から立ち上がる。驚愕の表情だ。マルグレーテはそれを優雅な笑みで見つめた。
「無謀です!」
コッペルが発する。
「ありがとう、コッペル。エスコートに名のりをあげるなんて、勇猛ね」
「は? いや、そうじゃなくって!」
「ええ、そうね。ザグレブ様は指一本他の男に触れさせるなと命じましたものね。エスコートでなくて、先導していただけるかしら?」
「いえ、ですから、そうじゃなくって!」
「まあ、今さら怖じ気づくなんて。じゃあ、シーバルお願いね」
「怖じ気づいてなどおりません!」
「そう? じゃあ先導よろしく。シーバルは、ここで牛の餌やりでもしていて」
そこで、やっとマルグレーテは立ち上がった。ケインがマルグレーテの剣を持つ。コッペルは、頭をクシャクシャと掻いて整った髪を乱れさせている。シーバルは、マルグレーテの命令の意味が理解できないようで、呆然としている。
「コッペル、シーバル、この戦もう勝っているのよ。敵将の敵は、ジャンテじゃないからね」
それだけ言うと、マルグレーテは歩み出した。ケインがマルグレーテの長剣を持ってついていく。コッペルはハッとし、二人を追った。シーバルは額に手をあてた後、『牛の世話かよ』と呟いた。
マルグレーテを追い越し、コッペルが先頭を歩く。ヤケクソ感情が歩みに出ていたのか、歩幅が広い。
「コッペル、ひとり特攻なんてやめていただけるかしら?」
マルグレーテは、少し離れてしまったコッペルに冷静さを促した。コッペルは、またもクシャクシャと頭を掻いた。その足は止まっている。
「コッペル、この戦で一番の手柄をたてるわよ」
マルグレーテはコッペルにニヤリと笑みを向けた。そして言葉を続ける。
「敵将の敵は、敵国王よ」
コッペルは、耳を疑う。
「現敵国王は、若かりし頃は賢王と称されたけれど、最近では色ボケ王に成り下がった。それぐらいの噂はあなたも耳にしていなくて?」
「……はい。噂程度ですが、耳にしています。ですが、そうであったとて敵将の敵は、王にはならないでしょう」
コッペルの言うとおり、王が老害になったとて国は早々に揺らぐものではない。存命中は周りが支えるものだ。それが国というものである。
「色ボケ王の毒牙に、将軍らの妻が餌食になっていたら?」
マルグレーテは冷ややかであるが、怒りを込めた声でそうコッペルの疑問に答えた。コッペルは、しばし固まった。マルグレーテの発言は幾度とコッペルを固まらせる。
「そんな、……いくら命じられたとて、妻を差し出しますか?」
マルグレーテは首を横に振った。ただ怒りと悲しみを瞳に宿す。
「もっと話していたいけど、そうはいかないみたいね。お出迎えが来たわ」
マルグレーテも視線の先には、敵陣から出た三人の人影があった。
「マルグレーテ様、後ろに」
コッペルはマルグレーテを庇うように前に立つ。それから、ゆっくりと歩を進めた。マルグレーテは、その後ろをついていく。一番後ろがケインだ。
近づく三人の人影のうち二人は、マルグレーテらを見て驚いている。一人はルモン家の間者だ。
「このような場に、レディがどうしたのです?」
敵将は、警戒しながらもマルグレーテに優しく問うた。きっと、マルグレーテがジャンテの兵を率いているとは思っていまい。
「まあ、せっかちな方ね」
マルグレーテはうふふと笑った。戦場には似つかわしくない笑顔だ。
「マルグレーテ・ルモンと申します。ジャンテへようこそ、ゲルハルト将軍」
マルグレーテは、優雅に挨拶をした。敵将ゲルハルトは眉がピクリと動く。戦場において、敵の情報を知ることは勝敗に繋がる。名を知るマルグレーテと、マルグレーテを知らぬ敵将ゲルハルトでは、一歩マルグレーテが勝機を掴んでいるようなものだ。
「ゲルハルト・バーツだ」
ゲルハルトも名のった。その瞳はコッペルに向かう。
「お茶のお誘いに来ましたの。バッガル領の牛のミルクたっぷり入れたアールグレイは美味しいですわよ」
マルグレーテはコッペルに向かったゲルハルトの瞳を、自身に向かせる。
「レディマルグレーテ、ここは戦場です。今から、男の死闘が繰り広げられる場です。悪いことは言わない。早々に避難なさい」
「ゲルハルト将軍の目には戦の装いをした私が見えないようね。女は守られる者とでもお思いかしら? ……ばっかじゃないの」
マルグレーテは振り向きもせず、ケインから長剣を受け取る。一般的令嬢であるなら、振り上げるのも出来ない長剣を持ち、軽やかに剣先を隣国に向けた。
ゲルハルトは、マルグレーテの剣に一瞬身構えるも、それが向かう先が宙であることを確認すると、構えをとく。
「いつまで、こんな馬鹿げたことしてるのよ⁉ 敵は、ジャンテではないでしょ。敵は……老害色ボケ王でしょ?」
マルグレーテは宙の剣をそのままに、ゲルハルトに顔を向ける。その瞳を射抜く。ゲルハルトは一瞬瞳が反れる。
「貴様! 女と思って黙っておれば、いい気になるのもいい加減にしろ!」
ゲルハルトの脇に控えた武将が声を荒げた。
「あなた方、誇りある男だと思っていれば、王に妻を出す腰ぬけどもね。女を何だと思っているの? いい加減にして!」
マルグレーテは間髪入れず反論した。その瞬間、武将の剣が引き抜かれた。コッペルも反射的に剣を引き抜く。
三対三の向かい合いは緊張が流れる静けさになった。
その静けさを破ったのは、やはりマルグレーテである。
「ねえ、戦の度に、遠征の度に、妻を後宮に差し出すのはどんな気分?」
「違う。後宮になど差し出してはいない。王様が、生死を捧げる我々のために家族を保護してくださっている」
マルグレーテと武将の会話だ。
「へえ、それって人質ね。戦中に家族の身を取るってね。歯向かえないようにしてるのね」
「違うと言っている! 死地に向かう我々のためを思ってのことだ。家族を守ってくれているのだ!」
「ふーん、そ。じゃあ、仕方ないわね。あなた方の妻を、家族を、バッガル領主宅に避難させておいたのだけど、どうやら私の勘違いのようね。あなた方の敬愛する老害色ボケ王の元に送り返さなきゃ」
マルグレーテの発言は、敵将を固まらせるには十分なものであった。さらに、コッペルをも驚かせていた。
次話土曜更新予定です。