*11*
「ザグ、あの兄は強敵だな」
シーバルはニタニタと笑って言った。ザグレブは今、仁王立ちである。衣装合わせとやらで、針子がザグレブの周りを駆け巡る。バタバタと忙しそうだ。
「入るぞ」
そこに先王が入ってくる。針子たちはいっせいに頭を下げた。
「よい、気にするな。仕事を進めよ」
先王は優しい瞳でザグレブを見つめている。ザグレブはこそばゆくなり、ぽりぽりと頭を掻いた。
「良い体をしておる。……私より先に逝くことはないだろう。とても、生命力が溢れる肢体であるな」
先王はうんうんと頷いている。
「元々は弱かった。野菜市場で鍛えられて、こうなった」
ザグレブはぶっきらぼうに答えた。
「そう、か……元々は弱かったか。ならば、逝った王子らも相応に鍛えれば良かったのかもな。弱いからと、体に無理をさせなかったのだ。私は、愚かな親であるな」
先王は後悔を口にする。
「俺は鍛えられ強くなった。マルグレーテはとても健康的だ」
ぶっきらぼうな返答は、肝心なことを伝えない。
「つまり、もう心配するなってこと。二人の血を受け継げば元気な子が望めるからね」
シーバルがザグレブの言葉を補った。先王は顔を手で覆った。ぶっきらぼうの交流は、その内シーバルなしでもいけるだろう。ザグレブの優しさに、先王は救われる。
「それで、先王様。マルグレーテ様の兄上は手強そうだと話していたんですよ」
シーバルは話を元に戻した。先王は顔を覆っていた手を下げた。顎を擦り何か考えているようだ。
「ああ、あれは今まで仮面をつけていたようだな。仮面を外した真の顔は、策略家であろう。ザグレブ、あれを引き上げる判断は良かった。だが、外戚の重用は遺恨を残すぞ。……ホマーニとて、それを狙っていたのだろ?」
三人ともに顔が険しくなった。ザグレブはマルグレーテからの課題を思い浮かべていた。立志するなら、全身全霊でやれというもの。このジャンテを治めるには、ザグレブはまだ未知数である。
「何を知り、何をすればいいか。王たるは何か。教えてくれ……父上殿?」
ザグレブは少し耳を赤くし、先王に真っ直ぐに見た。
「ミーシャそっくりだ。その真っ直ぐさを失うでないぞ。お前は私の生き甲斐だ。私に出来る全てを伝えよう。ザグレブ、まずはジャンテ全域を覚えよ」
帝王学が始まった。しかし、それはすぐに中断されることになる。ジャンテに危機が迫っていた。弱体化しているジャンテ帝国を、指を加えて見ている国はなかった。周辺国は、狙っていたのだ。集団お見合いで、当主がいなくなった領地を……
***
夜会から帰ったマルグレーテとカイザルは、ある意味とても対照的であった。一方は冷たい笑顔、もう一方は火照った暖かそうな笑顔。屋敷で待っていた使用人らは、カイザルの笑顔に震え上がり、マルグレーテの笑顔に気を落ち着かせるという寒暖を身をもって体験した。
「さあ、マル。ぜーんぶ、包み隠さずぜーんぶ、話してもらうぞ」
カイザルはマルグレーテににっぱりと笑って言った。がしりとマルグレーテの腕を取り、階段を駆け上がる。通常の令嬢ならば転んでしまうだろうが、マルグレーテにそれはあり得ない。
その後、マルグレーテは本当に全てを話した。包み隠さず全てを。カイザルの冷淡な笑みが、冷たいを通り越して凍っている。とばっちりを受けたのは、ネルである。マルグレーテとカイザルの話しの場に、同席せねばならなかったからだ。カイザルからの冷気がネルに突き刺さる。
「……ほぉ、なるほどなあ。銀糸の貴族に、金糸の従者と思っていたわけか」
「ええ、まさか王様とは思っていなくて、私の手の甲にキス出来るのは王様だけだと豪語しちゃったの」
マルグレーテは、カイザルの冷気など全く気にも止めずに発している。ネルはひやひやものだ。
「マル、父上の許可がいるからな。まだ二人だけで会ってはならぬぞ。もちろん、脱走などするなよ」
「ええ、もちろんですわ。今までだって二人でなど会ってはおりません」
「ほお、崩れ小屋での一件はどうなのだ?」
「まあ、お兄様。ちゃんとケインがおりましたわ」
マルグレーテが答える度に、カイザルからの冷気がネルを襲う。ああ、ここに居たくないと思ったネルは、お茶の用意だと言って部屋を後にしたのだった。
コツンコツン
ネルが退席するのを待っていたかのように、窓に小石が当たり小さな影が姿を現した。
「ケイン」
マルグレーテは窓を開ける。ケインは入るや否や、二人の前で片膝をつき焦ったような顔で告げた。ケインには珍しく息切れしている。
「ジャンテへの侵略……はぁはぁ、闇市で、はぁはぁ、すでに行商人は動いております!」
マルグレーテとカイザルの顔色が一気に変わった。
「どこだ!」
「北方以外の全域!」
マルグレーテとカイザルは呆けた。まさか、そんな全域だなど……そう心の中で発する。しかし、呆けている暇はない。二人ともに気を取り直した。
周辺国は、ジャンテ帝国の衰退を感じとっていた。王子の相次ぐ死で、王の力は削がれた。喪に服す間、ジャンテ帝国の活気は失われた。血筋は庶子になる者。力のない血筋だけの王。王都にその王に取り入ろうと、貴族らが集まっている。王権の力は弱い。地方は手薄になっている。こんなおいしい餌を目の前に、指を加えて見ている国はいない。マルグレーテもカイザルもこれを危惧していた。国を行き来する行商人の情報を得るために、マルグレーテやカイザルは闇市を援助してきた。もちろん、ジャンテの発展のための援助でもある。肌で感じたジャンテの危機は、早馬の如く勢いで襲ってくる。
「ケイン、伝八人を。闇市、孤児院、王都統括店に伝令を」
「了解」
マルグレーテの命にケインがすぐに動き出した。ケインの所属はマルグレーテであり、カイザルではない。ルモン家では、それぞれが手駒を持っている。マルグレーテの一番機敏な手駒がケインであるなら、カイザルの手駒は執事である。カイザルは、両手で拍手を鳴らした。緊急を示す合図の五拍手を。
「失礼いたします」
ノックなどせずに、扉は開く。他の屋敷では考えられないことであろう。
「北方以外の全域、ジャンテ帝国を侵略。すぐに準備せよ」
「かしこまりました」
執事は動揺することなく下がった。
「マルグレーテ、王様には前線に行ってもらうぞ」
「……ええ」
「心配するな。父上が必ず対処なさる」
「私はやっぱり西方の前線でしょうか?」
「おい? お前、戦場に立つ気なのか?」
「え? だって、王妃になるんだから当然でしょ。王都は先王様がいらっしゃれば良いし。北方以外の方位のどれかに行かなきゃ」
「とんでもないお転婆だな」
「あら、今頃気づいたの、お兄様」
二人は顔を見合わせて吹き出す。
「お兄様、私だってそう簡単には堕ちませんのよ」
マルグレーテはうふふと笑っている。カイザルはマルグレーテの発言の意味がわからない。怪訝な顔でマルグレーテを見る。
「『俺の腕の中で囲われろ』なんて、確かに俺様王様ですわね。囲いたいなら、私の戦場より先に自身の戦場を治め、私を迎えに援軍に来るぐらいでないと、私の囲い込みは出来ませんわ。その実力がなければ、私、簡単に腕をすり抜けられますから。これでも、脱走のプロですもの」
カイザルはニタリと笑った。
次話金曜更新予定です。