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*1*

「冬ごもり前だっていうのに!」


 タウンハウスに到着した令嬢は、邸に入るなり鬱憤ばらしの如く羽織っていたコートをばさりと投げた。それを随行の侍女が素早く受け止める。


「マルグレーテお嬢様」


 タウンハウスを任されている執事は、綺麗に一礼しマルグレーテに文を差し出す。ジャンテ帝国紋章印が押された夜会の招待状である。マルグレーテは忌々しげにそれを睨むと、乱暴にガシッと掴み取り中を確認した。


「……出来レースなのに、わざわざ帝国中の年頃の令嬢を集めてお見合いなんて、馬鹿げているわね」


 マルグレーテはポイと招待状を執事に投げた。執事は慌てもせずそれに対応し受け止めると、カントリーハウスから随行した侍女に目配せした。それを受けて侍女が発する。


「お嬢様、まずはお風呂で旅の汚れを落としましょう」

「ええ、そうね。さっぱりしたいわね」


 ジャンテ帝国の北の端ラグーン領から、王都まで通常なら三日で到着するのだが、マルグレーテ一行はその倍の六日も有した。なぜなら、冬目前であるからだ。すでに雪深くなった難所を通過するのに四日。疲労した体を一日休めた後に、強行軍の一日足らずで王都まで来られたのは、マルグレーテが乗馬が出来るからである。馬車であったなら、まだ着いていないであろう。現に馬に乗れない侍女は、置き去りにしてきたのだから。


「ネルも一緒に入りましょ。お互いに汚れているわね」


 マルグレーテは唯一引き離されずに着いてきたネルにいたずらな笑みを浮かべた。マルグレーテもネルも髪はバサバサ。ぬかるみの土はねで顔には泥、ブーツはヨレヨレのクタクタ。服にはもちろん泥と埃で、とんでもなく汚れていた。どれだけ早馬で来たのかがうかがえる。


「な、何をおっしゃいます?」


 ネルは目を丸くさせた。主と一緒に風呂に入る侍女などいようか。


「だって、今侍女はひとりよ。私のお風呂の世話はあなたしかいないのに、そのあなたが汚れていたんじゃ私だって汚れてしまうじゃないの。それとも、あなたが私より先に身を清める?」


 いたずらな笑顔の口からいっそう楽しげに紡がれた言葉に、ネルは返答ができず、助けを求めるように執事を見た。


「まあ、致し方ありませんね」


 執事はマルグレーテの性格を心得ているのか、いっさい動じずネルにそう宣告する。マルグレーテの侍女になったばかりのネルは、がっくんと肩を落とした。


 ラグーン領でのマルグレーテを思い浮かべればそれは仕方のないことのように思える。じゃじゃ馬のお転婆娘であるマルグレーテに、古参の侍女らはことごとく敗北し、新たに雇いいれたのがネルである。当主であるゼッペル伯爵から厳命されたことはただひとつ。『決してマルグレーテから離れるな』だけであった。その意味を就任早々に思い知らされたのは、マルグレーテが見事にネルをまいてキノコ狩りに行ってしまった出来事だ。ネルはそれ以降マルグレーテから決して離れなかった。ネルは侍女としての腕前は半人前であったにも関わらず、数多の腕利き侍女らを押し退けて選ばれた理由が、今思えばわかるのだ。伯爵の面接で、一番に訊かれたことが『馬には乗れるか? 足は速いか? 体力はあるか?』であったことを思い出して。


 ネルはとぼとぼとマルグレーテとともに湯殿に向かったのだった。




 湯上がりのマルグレーテは、何のケアもなくベッドに飛び込んだ。


「お嬢様、まだ髪が濡れております!」

「疲れちゃったんだもの。いいじゃないの、このまま乾けば」


「美しい髪が傷んでしまいます。どうぞ、こちらに。私が乾かしますので」

「うーん、じゃあお願い。私、きっと寝ちゃうわよ」


 マルグレーテはソファに横たわると、長く飴色の髪をネルに委ねた。ネルは布でマルグレーテの髪を挟んで優しく叩く。時おりくしですいて、飴色の髪は見事に艶めいていく。マルグレーテの瞳はすでに閉じられていた。


「お嬢様、ベッドでお眠りください」


 ソファで寝てしまえば疲れはとれないだろうと、ネルはマルグレーテをそっと揺らす。マルグレーテのまぶたが上がった。髪と同じ飴色の瞳は、見慣れぬ天井を寸の間見つめ、ここがどこかを認識し覚醒する。


「ネル、髪を整えて。王都の視察に行くわ」


 マルグレーテは起き上がると、鏡台の前に座った。


「お眠りにならなくて良いのですか?」

「ネルは、王都ははじめてでしょ。他の者らが到着する前に……遊びに行くのよ!」


 ネルはくらりと立ち眩んだ。視察などとそれらしく最初は言ったが、どうやら口うるさい古参の侍女らが到着する前に王都で遊びたいようだ。つまり、決してご令嬢が立ち入らぬ場所に向かいたいのだろう。


「お、お嬢様……」


 続く言葉は出てこない。何を言ったとて、引き留められる言葉はないであろうから。ネルはがくんと項垂れた。


「王都のお菓子の新店舗に行くわ。行きつけのお店の新作も視察しなきゃね! ふふ、皆が到着する前に労いのお菓子を用意したいのよ」


 ウィンクするマルグレーテに、ネルは顔を上げ感涙の瞳を向けた。

次話金曜更新予定です。

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