8:久しぶりの再会で二人の未来を考えてみる
フィシャル家の一室、久方ぶりにかけられた【秘密会議中~関係者以外立ち入り禁止~】の札が下がるそこは、陰鬱とした空気が充満していた。――札の文面が【婚前会議中~恋人達以外立ち入り禁止~】に書き換えられハートマークで囲まれ、花飾りがあしらわれているのだが、室内にいる者達がそれに気付けるわけがない――
深刻な空気を纏い険しい表情を浮かべるのはリーズリット。そんな彼女の正面にはこれまた渋い表情のハインリヒ。社交界では花より美しいと謳われる二人の、外ではけして見せない表情である。
「久しぶりねハインリヒ」
「あぁ、久しぶりだなリーズリット。だがこの再開を喜んでいる時間は我々には残されていない」
「えぇ、ついに式の日取りが決まったわ。私もドレス用に採寸されちゃったし」
そう告げあう二人の声色は重く、久方ぶりに顔を合わす晴れやかさはない。事情を知らぬ者が見ても幼馴染の再会とは思わないだろう、下手すると喧嘩をしたのではないかと考えるほどだ。――もっとも、喧嘩を疑われたところで「痴話喧嘩」だの「喧嘩の後はより愛が深まる」だのといわれそうなものだが――
だが二人が重苦しく顔をつき合わせるのも仕方あるまい、なにせ刻一刻と期日が迫っているのだ。
とりわけ今回の作戦は名案だと、これで婚約破談間違いないと思っていただけにダメージは大きい。そして掛かってしまった日数も手痛い。
そんな消沈する主人二人に対し、リーズリットの後ろではルーナが少しでも主人を癒してあげようといそいそと紅茶の準備をし、ハインリヒの後ろにはディークが……いない。彼は手土産のクッキーをルーナに渡し、彼女の紅茶の準備を手伝っている。
「きっとこのままじゃあっと言う間にドレスを仕立てられるわ。わざわざ取り寄せたっていう白くてキラキラした綺麗な布、あれはフィシャル家でも早々手を出せる布じゃないわよ。お母様、本気だわ。……ウエディングドレスは御免だけど、あの布で仕立てるドレスは欲しいわね」
「俺もだ。質の良い深い色合いの布でデザイナーの提案も素晴らしかった。父上の本気が窺える。……結婚式のタキシードは御免だが、あの布とデザインは惜しいな」
どうにか自分の一張羅に出来ないものか……そう企みつつ、リーズリットが一息ついた。ルーナが淹れてくれた紅茶を飲みながらディークが持ってきたクッキーをかじる。
それと同時に思い出されるのは、ウエディングドレス用の布を持ってきたときの母の意気込みようだ。あれは凄かった……と当時の母の姿を思い出して盛大に溜息を吐く。
娘の幸せを心の底から願い、結婚式という晴れ舞台を華やかにせんと瞳を輝かせていた。それどころかギラギラとした気合すら感じさせ、リーズリットは採寸されながらか細い悲鳴をあげるので精いっぱいだったのだ。
あの迫力、漲りすぎるやる気……このままではトントン拍子で式が進むどころではない。倍の速さ、トトンッ!拍子だ。
気付けば式を終えて新居でハインリヒと二人「いつの間にこうなった?」と首を傾げる……なんて事態になってもおかしくはない。
「赤い屋根に暖炉のある家、ふかふかの猫。ソファーの色はオフホワイトかしら……」
「ソファーがオフホワイトなら、ラグは濃い色合いの方がいいな。カーテンはきっと君の好きな花柄になるだろう」
「家具は木目調の暖かみを感じさせるものがいいわね。キャットタワーも設置しなきゃ」
「扉には猫が出入りできる小窓が必要だ」
あれこれと二人で希望を口にし合い、そうして最後に盛大に溜息を吐いた。
相変わらずお互いの意見はがっちりと合っていて、相手があげる調度品も案も理想そのものだ。きっと素晴らしい家になることだろう、建てずとも分かる。
だけど、いやだからこそ……とリーズリットが小さく首を横に振った。
「そんな素敵な家に、私は筋肉がガッチリとした雄々しい殿方と住みたいの。ふかふかの猫とムキムキの夫……。猫のお腹に顔を埋めるか夫の胸筋に顔を埋めるか悩むような日々を過ごしたいわ」
「奇遇だなリーズリット、俺もだ。ふかふかの猫とムチムチの妻……。猫を撫でつつ妻の柔らかさも堪能したいんだ」
煩悩を隠すことなく打ち明け、次いで難しいものだと肩を落とした。
「このままいけばあっと言う間に結婚して新居、子供も急かされるわ。私とハインリヒの子供だもの、きっと麗しく愛らしい子よ。……ムキムキはしてないけど」
「俺とリーズリットの子供なら品良く才知ある子供だろうな。……ムチムチじゃないけど」
「でもムキムキじゃなくても子供は愛おしいわ」
「当然だ。ムチムチしてなくても愛を持って育てられる!」
「元気で立派な子に育てましょう!」
「あぁ、そうだな!」
ガタと勢いよく立ち上がり、誓い合うように固く手を握り合う。
なんと美しい光景だろうか。ただでさえ見目の良い二人に今は母性と父性の輝きを伴っているのだ。そのうえ無償の愛を口にしているのだから、より一層二人の姿は傍目には輝いて映るに違いない。
現にたまたま窓の外を通りがかった庭師がこの光景に感嘆の吐息を漏らし、未来ある二人のために式をより華やかにせねばと主人――もちろんリーズリットの両親である――に報告すべく小走りに駆け出した。
そんな庭師の行動に気付かぬ室内はと言えば、固く握手を交わしあったリーズリットとハインリヒがゆっくりと腰を下ろし……、
「どこから脱線してたのかしら」
「子供のあたりかな」
比較的穏やかに我に返った。次いで互いに照れ隠しの笑みを浮かべる。ついうっかりと脱線し、そのうえ脱線したまま白熱してしまったのだ。これは何とも恥ずかしく、「やっちゃったわね」「俺達の悪い癖だ」と苦笑と共に肩を竦めあう。
そんなリーズリットの背後ではルーナが柔らかく微笑みながら「お嬢様のお子様ならきっと麗しく聡明ですね」とまだ見ぬ子息令嬢に想いを馳せ、ハインリヒの背後ではクッキーと紅茶を堪能していたディークが「元気に空回る子になるだろうな」とポツリと呟いた。
「うっかり貴方と一男二女を育てるところまで考えちゃったわ。末の娘は刺繍が下手だけと頑張り屋さんなの」
「奇遇だな、俺の想像でも一男二女だった。庭のブランコを取り合ってしょっちゅう喧嘩をするんだ」
子供の数まで同じとは、やはり気が合うなと深く頷き合う。そのうえお互い描いた未来予想図はこれ以上ないほどに幸せそのものだったのだ。だが残念ながらこの未来予想図は阻止せねばならない。
「ごめんね愛しい我が子達。ムキムキの殿方との間に生まれてきてちょうだい」と想像の中の一男二女に別れを告げる。ほんの少し目頭が熱くなってしまうあたり、もうすでに母性が芽生え始めているというのか。
だがそんな母性をさっさと切り替え、リーズリットが「さて」と話題を改めて鞄から手帳を取り出した。
「ねぇハインリヒ、私今度開かれる大きなパーティーに招待されているの」
「奇遇だなリーズリット、俺もだ。というか俺が君をエスコートする」
「そうだったわね。それでね、このパーティーで決着を着けようと思うの。二人でお父様に直談判し、周囲の人達に婚約解消の証人になってもらうのよ!」
「だがリーズリット、直談判なんて何度もしてきたじゃないか。それが無理だったからこうやって二人で策を練ってるんだ。今更どれだけ訴えたところで……」
「後がないことをアピールするのよ。この婚約を解消してくれなければ、私達はどこか遠くへ姿をくらましてしまうと脅すの!」
「な、なんだって……!」
リーズリットのこの物騒な発言に、ハインリヒが驚愕の色を見せた。
どこか遠くへ姿をくらませる、つまり家名も何もかも捨ててしまうということだ。それがどれだけリスクの高いことか、いや、リスクどころではない。なにせ順風満帆な貴族としての人生を捨てる行為なのだ。
それほどまでの覚悟が……と圧倒されるように呟き見つめてくるハインリヒの視線に、リーズリットは肯定するように強く頷いて返した。
そうよハインリヒ、もう私達は全てをなげうつ覚悟を決めなきゃいけないのよ……と、心の中で彼を諭す。
「そうだなリーズリット、もしも両親が理解してくれなかったら、その時は二人でどこか遠くへ旅に出よう。誰にも縛られない土地へ行くんだ!」
「えぇ、自由を得る為に今の生活を捨てるのよ!」
「そして俺はそこでムチムチした女性を探す!」
「私はムキムキした殿方を探すわ!」
ガタッと二人が立ち上がり、堅い握手を交わし合う。
自由を得るために今の生活を代償とする、その覚悟が胸の内に沸き上がり、そして相手もまた同じ覚悟を決めてくれたことが熱意をより滾らせる。
この決意を公表すれば社交界は騒然とするだろう。なにせ理想の恋人達とまで言われた二人が、その身分も生活も何もかも失うことを厭わずに婚約甲解消を訴えるのだ。
これには流石にリーズリットとハインリヒの両親も考えを改めるに違いない。いや、考え直すどころか行かないでくれと抱きしめてくるかもしれない。なにせ無理に婚約を進めれば、愛しい我が子を失ってしまうのだ。彼等に愛されていると知っているからこそ、リーズリットとハインリヒにとってその愛が最後の賭けに繋がる。
だがもしも、仮に、万が一に、両親が聞き入れてくれなかったとする。その時は……。
「ハインリヒ! 私、貴方と逃げるわ!」
「俺もだリーズリット、二人で社交界から逃げだそう!」
高揚するあまり声を荒らげる二人に、リーズリットの背後ではルーナが「このルーナ、どこまでもお供いたします……!」とこれまた熱い決意を抱き、ハインリヒの背後ではディークがクッキーと紅茶を堪能しつつ「世間はそれを駆け落ちという」と呟いた。
そうして秘密会議を終えた夜、リーズリットは自室でルーナと編み物をしていた。
暖かに灯る暖炉を前に、慣れた手つきで腹巻きを編み上げていく。完成したあかつきにはルーナのお腹を優しく暖かく包んであげるのだ。
「待っていてねルーナ、あと少しで完成するから。他の腹巻きに浮気しないでね」
「楽しみです。お嬢様も、他の毛糸パンツに浮気をしないでくださいね」
そう互いに冗談めいて話しつつ編み物を進め、そうしてどちらからともなく次のパーティーのことを口にした。もちろん、脅し交じりの直談判をすると決めたパーティーだ。
穏やかだったリーズリットの瞳に徐々に闘志が宿っていく。
「次こそ絶対に婚約を破談にするわ!」
「上手くいくといいですねぇ」
「もう期日が迫ってるもの。それに……」
言葉尻を濁し、リーズリットがチラと部屋の一角にある机へと視線をやった。
机の上に置かれた一通の手紙。先程メイド長が怪訝な表情で届けてくれたものだ。相変わらず白い封筒に差出人の名前はなく、まるで戻すことを許すまいとしているかのようにリーズリットの名前だけが書き記されている。
中に入っていたのもまた名前の無い便箋。綴られているのはたった一文……。
『もうすぐ自由にしてさしあげます』
というもの。
もちろん今回も差出人の名前は無く、的を射ない内容と簡素な封筒の白さが妙な怪しさを放っていた。
もうすぐ、ということはこの手紙の主は近々何かしらのアクションを起こしてくることだろう。それがいったい何なのか、いったい何からどう自由にしてくれるつもりなのか……。
だがいかに考えを巡らせたところで差出人や魂胆が分かるわけでもなければ探りようもない。ただ待つしか出来ず、不安と胸騒ぎだけが募る。
悪いことが怒らなければいいけど……リーズリットが溜息混じりに呟いた。