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6:知らぬうちに隣で何かが芽生えてみるⅠ


『拝啓 ハインリヒ様

 猫が膨らむ季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 作戦開始から三日が経ち、我がフィシャル家では貴方様が来られないことに気付く者が出始めております。

 今朝は「会えない時間が想いを募らせるのよ」とお母様に言われ、メイド長からは「亭主元気で留守がいい」と言われました。

 まだ作戦は始まったばかり。めげません。 敬具 』



 丁寧な字で綴った便箋を綺麗に折りたたみ封筒にしまい、封蝋で留めて……と慣れた手つきで手紙の準備をし、リーズリットがふぅと一仕事終えたと一息ついた。

 ハインリヒとしばしの別れを告げあってから三日が経ち、当初の予定通りに近況報告の手紙を書いたのだ。それをルーナに渡せば、黒縁の伊達眼鏡をかけた彼女は受け取るや黒い鞄にしまい込んでしまった。

 後生大事に鞄をぎゅっと抱き抱える彼女の姿に、託された仕事を必ずや完遂しようとする決意が伺える。


「それじゃルーナ、公園でディークと落ち合って手紙を交換してきてちょうだい」

「かしこまりました。お嬢様が認めたこの手紙、必ずやディーク様にお届けいたします」

「ルーナ、そこまで私のことを……。そんな貴女には飴をあげましょう」

「飴ですか?」


 突然のリーズリットの発言に、ルーナがきょとんと目を丸くさせた。だがリーズリットはそれに対して答えることはなく、机の引き出しからピンクの包み紙に覆われた飴を二つ取り出し「はい」と差し出す。

 うっすらと星柄が描かれた光沢のある包み紙。丸い飴玉を包み両端を絞るように包んだそれはリボンのようにも見える。子供が喜びそうな可愛らしい飴だ。


「これはお駄賃よ」

「まぁお嬢様ってば、子供扱いしないでくださいな」


 得意げに渡してくるリーズリットに、ルーナがくすくすと笑いながらも受け取った。

 コロンと手の中に落ちる飴のなんと可愛らしいことか。




「そういうわけですから、お嬢様からお預かりしたこの手紙、必ずやハインリヒ様に届けてくださいませ」


 そう深々と頭をさげるルーナに対し、対面するディークが眉間に皺を寄せた。

 場所は手紙を受け渡しすると決めた公園。その中でも丁度ど真ん中にあたる噴水の前。モニュメントがあしらわれた噴水の水が舞い上がると共に日の光を浴びて輝き、長閑な賑わいが活気を感じさせる美しい景色の中、真剣な面持ちで頭を下げるルーナの姿は少し浮いている。

 だが本人は至って真剣そのもので、周囲を窺いつつ黒い鞄から手紙を取り出してくるのだ。それも自分の腕で隠しながら。もちろん彼女は黒縁眼鏡をかけて変装しており、それがまたディークの呆れを募らせる。


「ルーナ、そこまで警戒しなくてもいいんじゃないか? たかが手紙、それも中身はしょうもな……ちょっとした近況報告じゃないか」

「ディーク様! 声を潜めて!」

「……はい」


 聞かれやしなかったかと慌てて周囲を見回すルーナの姿に何を言っても無駄だと察し、ディークが溜息と共に上着の内ポケットから封筒を一通取り出した。

 ボドレール家の封蝋で閉じるそれは、言わずもがなハインリヒからリーズリットへ宛てられた手紙である。品の良い白い封筒に美しい字でリーズリットの名が綴られている。

 それをディークが取り出して渡そうとすれば、ルーナが「ディーク様!」と慌ててその手を押さえてきた。


「不用心に出して、誰かに奪われたらどうするのですか!」

「……はい、ごめんなさい」


 もはや抗う気も起きないとディークが上着で隠すように手紙を渡す。

 それで満足したのだろう受け取ったルーナはいそいそと黒い鞄にしまい、がっちりと鞄ごと抱き抱えてしまった。身命を賭してでも守り抜こうとするその意気込みに、ディークが呆れたと溜息を吐く。

 そうして転職先を探しながら帰ろうと心の中で呟きつつ――もちろんルーナに怒られるので口には出さない――「それじゃまた三日後に」と別れを告げて踵を返そうとした。だが既のところでルーナに声を掛けられ、


「ディーク様、これを」


 と、差し出された彼女の手にきょとんと目を丸くさせた。

 ルーナの手のひら、白く柔らかそうな肌に傷跡を走らせた痛々しいそこには……飴。光沢のあるピンクの包み紙に覆われた飴がちょこんと乗っているのだ。


「これは?」

「お駄賃です」

「……お駄賃?」

「はい。リーズリット様がくださったんです。美味しかったのでディーク様にもお裾分けです」


 そうにこやかに告げ、ルーナが改めて「それでは失礼します」と頭を下げる。

 となればディークもこの場に残る理由がなくなり、貰った飴の包みを剥がしながら来た道を戻ろうとした。その最中に、ふと思い立って足を止める。


「ルーナ、これ……」


 ありがとう、とお駄賃とはいえ貰ったのだからと礼を告げるために振り返った。

 だがディークの声は賑やかな公園の声に掻き消されてルーナにまでは届かなかったようで、彼女はこちらを振り向くことも無く立ち止まることも無く、ゆっくりと歩き続けている。

 片足を引きずる彼女の歩みは他者より遅く、傍目には頼りなげに見える。そこに先程ディークの不用心を叱咤した時の勢いは無いが、それでも彼女はまっすぐに休むことなくフィシャル家に……リーズリットの元へと向かおうとしているのだ。

 そんな後ろ姿を眺め、ディークは貰った飴を口に放り込むと共に雑に頭を掻いて歩き出した。

 とりあえず今日は大人しく真っ直ぐにハインリヒ様の元へと戻るか……と、そんなことを考えつつ。




『拝啓、ハインリヒ様

 猫に布団を奪われる季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 先日は素敵なお手紙をありがとうございました。

「独身最後の時間を過ごさせてくれるなんて良い嫁を貰ったな」だの「あえて会わないってのも新鮮だろうな」だのと言われるハインリヒ様の心境を思うと切なく、眉を顰める貴方様の顔がまるで目の前にいるかのように思い描けました。

 こちらもお母様に肘で突かれつつ「焦らすわねぇ」と言われ、メイド長から「私の夫も少しは空気を読んで留守にしてほしいです」と言われ、散々です。

 少しだけ荒んできました。でもまだめげずにいられる気がします。多分。

 ではまた、三日後のお手紙を楽しみにしております。 敬具』



 美しいリーズリットの字で綴られた手紙を手に、ルーナは公園へと向かっていた。

 このためにと用意された鞄が少し重く感じられるのは、きっと緊張と使命感を感じているからだろう。こころなしか歩みも普段より早く、周囲の視線が気になり身を隠さねばと思う反面、重要な使命を任されたのだと胸を張りたくもなってしまう。

 そんな歩みの最中、


「あら、ディーク様」


 とルーナが声をあげたのは、公園の入り口でじっと野良猫を見つめるディークの姿を見つけたからだ。

 彼はルーナの声に気付くとはたと我に返ったように顔を上げ、上着から手紙を取り出しながらこちらに近付いてくる。

 それに対して軽く頭を下げて挨拶しつつルーナが首を傾げたのは、ここが待ち合わせ場所ではないからだ。彼とは公園の中央である噴水で落ち合うはずだった。

 だがここは公園の入り口。それもフィシャル家寄りの入り口だ。ボドレール家から来るディークはこことは別の入り口を通るはずなのに……。そう視線で問えば、意図を察したのだろうディークがしばらく視線を彷徨わせた後「早く来た」と答えた。


「えっと……思ったより早く着いて、それで公園の中を歩いてたんだ」

「まぁ、そうでしたのね」

「それで、たまたまここを通りかかった時にルーナが来た。それだけだ……」


 そう告げてくるディークに、ルーナが頷いて返した。

 次いでならば早速と後生大事に抱えていた鞄から封筒を取り出す。言わずもがな、リーズリットから預かっている手紙だ。

 出だしに綴られた『猫に布団を奪われる季節になりました』という季節の挨拶は冬の寒さともの悲しさを表し、それでいて寒さの中にほのかな暖かさを感じさせる素晴らしい一文である。――「お嬢様は詩人ですね」とは感嘆の吐息と共に漏らされたルーナの言葉――

 そんな尊い手紙を差し出せば、ディークが受けとると同時にハインリヒからの手紙を出してくる。もちろん、上着で隠しつつだ。それをルーナが受け取る。もちろん両手でしかと受け取り、すぐさま鞄にしまいこんだのは言うまでもない。


「確かに受け取りました。このお手紙、必ずやお嬢様に届けさせていただきます」

「あぁ、その……気をつけて帰れよ」

「はい、いざというときは刺し違えてでもこの手紙を守り抜く所存です」

「物騒なことを言わないでくれ」


 重すぎる覚悟をルーナが訴えれば、ディークが頬を引きつらせる。

 そうして互いに別れの言葉を交わし、それぞれ勤める屋敷へと戻るべく歩き出した。




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