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4:覚悟を決めてぶつかってみる


「ルーナ、危ないから下がっていた方がいいわ」


 そう告げるリーズリットの声は長閑な公園にはそぐわぬ真剣味を帯びており、まるで今これから危機が迫り、そしてその危機から大事な者を遠ざけようとしているかのようではないか。

 主人のこの警戒を含んだ言葉に、告げられたルーナが小さく息を呑んだ。今まで幾度と無くリーズリットから「そばに居て」と言われてきたが、その逆に値する言葉は初めてなのだ。

 ショックを隠しきれずにいるルーナに、リーズリットもまた辛そうに瞳を細めた。


「お嬢様、ですが私はお嬢様をお守りしようと……」

「聞いてルーナ。私は自分が傷つく覚悟はしたけど、貴女を巻き込む覚悟は出来ないの」

「お嬢様……!」


 主人の愛に触れ、ルーナが感極まったと瞳を潤ませた。なんて慈愛に満ちたお嬢様かしら……! と傷跡の残る目頭を指で拭う。

 そうして深々と頭を下げ「どうかご武運を」と告げ、ゆっくりとリーズリットから離れていった。

 右足を少し引きずる彼女の姿に、リーズリットが瞳を細める。やはりルーナは巻き込めない。

 そう改めて決意するとほぼ同時に、チリン……と微かな鈴の音が響いた。

 公園内を行き交う人々の声に、それどころか時折吹き抜ける風にさえ掻き消されてしまいそうなほどの微かな音だ。

 だが確かにリーズリットの耳に届いた。いや、この音を待っていたからこそ気付けたと言うべきか。


 来たわねハインリヒ……とリーズリットが心の中で呟く。

 それと同時にギュッと強く手を握るのは、今回の作戦が荒々しいものだからだ。

 ハインリヒがリーズリットに近付きわざとぶつかり、リーズリットもまた彼に対してぶつかって返す……。互いを傷つけ合うこの行動は、周囲から見れば不仲としか言いようがない。

 いくら政略結婚が蔓延る社交界といえど、さすがに暴力沙汰に目を瞑って婚約を進めれば両家の親が常識を疑われてしまう。なにより、リーズリットの親もハインリヒの親も自分の子を愛しているのだ、暴力を振るう相手との結婚を進めるわけがない。


「これで目出度く婚約は破談よ……」


 そう呟いた次の瞬間、リーズリットが背後に人の気配を感じて身構えた。

 誰かなど確認するまでもない。むしろハインリヒだと分かっているからこそ、今はまだ振り返ってはいけない。

 なにせ今のリーズリットは『公園を散歩する令嬢』であり、これから『婚約者に背後からぶつかられる令嬢』になるのだから。


 さぁ来なさいハインリヒ。

 この婚約を破談にさせるため、容赦なく私にぶつかってきて!


 リーズリットが心の中でハインリヒに訴えれば、まるでそれが通じたかのように背後に迫っていた人影が、ドン! と強くリーズリットにぶつかり……はせず、


 ぬっ


 と近付いて、


 とん……


 と触れた。

 いや、もはや『とん』という勢いもない。腕がむぎゅっと触れ合うくらいだ。それも一度ではなくむぎゅむぎゅと何度も触れてくる。

 この接触にリーズリットはハインリヒを見上げ……負けてなるものかと自らもまた彼の腕へとぶつかった。むぎゅっと触れる、もといリーズリットなりにぶつかる。

 それを受けてハインリヒもまたリーズリットを睨みつけ、先程よりも強くぶつかってきた。音にするならば『むぎゅう』と言ったところか。『むぎゅ』よりも若干だか強めなので『むぎゅう』ある。

 だがもちろんリーズリットがそれにより倒れるなんてことはなく、仕返しにとハインリヒにぶつかっても彼がよろける事もない。

 そうしてしばらくむぎゅむぎゅむぎゅうと身を寄せ触れ合い……ではなく、熱く激しくぶつかり合う。


「なんて激しいぶつかり合い……お嬢様が心配……!」


 とは、木の陰からリーズリットを案じるルーナ。

 有事の際にと用意した救急箱を抱きしめ、いつ何があっても駆けつけられるようにと主人のぶつかり合いを胸を痛めながら見守っている。

 そんなルーナの後ろには、彼女に並んで木の陰に身を寄せるディーク。

 手にはルーナ同様に救急箱……ではなく先程買ってきたクッキーの箱。ハインリヒを見守りつつクッキーを食べるというより、クッキーを食べる合間にハインリヒに視線をやっているに近い。クッキー9:ハインリヒ1の割合である。


「ルーナ、あの二人に心配する要素は何一つ無いと思うが」

「何を仰いますかディーク様! 見てくださいあのお二人を、あんなに激しくぶつかり合って……。お二人は覚悟を決めたのですよ!」

「覚悟、ねぇ……」


 クッキーを一つ箱から取り出して口に放り込み、ディークが呟く。

 次いで彼が視線を向けるのは、いまだむぎゅむぎゅと体を寄せ合っているリーズリットとハインリヒだ。当人達は真剣な面持ちをしているが到底ぶつかるとは言い難く、そばを通りかかった者達が愛でるような笑みで見守っている。


「今回も失敗だろうなぁ……」


 ディークがぼやきつつ盛大に溜息を吐くも、それが主人であるハインリヒに届くことはない。

 それどころかルーナにさえ届いていない。なにせ彼女は主人を見守ることに集中しており、救急箱を抱えながら「お嬢様、どうかご無事で」と繰り返し呟いているのだ。

 いったいどうしてそこまで心配する必要があるのか。むしろどうしてそこまで心配できるのか。そんな疑問を抱きつつ、ディークは口を挟むのも躊躇われると雑に頭を掻いた。

 確かにハインリヒは婚約者に暴力を振るったと泥を被る覚悟を、リーズリットは傷つけられる覚悟をしている。そのうえで二人ともぶつかり合っているのだ。

 だがそれでも彼等が怪我をするわけがない。なにせ二人ともすべき覚悟を忘れている。


「まぁでも『相手を傷つける覚悟』なんて、お二人には無理な話か」


 そうぼやくようにディークが告げるも相変わらずその言葉は誰にも届かず、リーズリットとハインリヒはいまだむぎゅむぎゅとーー彼等なりにーーぶつかりあっていた。



 それから数分後、リーズリットとハインリヒはやりきった気持ちで満ち足りていた。

 なにせあれほど激しくぶつかり合ったのだ。互いに達成感が胸に湧き心が熱い。むしろぶつかり合ったおかげで体も熱い。


「やったわルーナ、私達のぶつかり合いを見ててくれた!?」

「もちろんですお嬢様。あんなに激しくぶつかって……ルーナは心配で心配で……お怪我は? お怪我はありませんか?」


 どこか痛めてはいないかと案じてくるルーナに、リーズリットが穏やかに笑って無事を伝える。

 あれだけ激しくぶつかり合ったものの幸い怪我をする事はなかった。むしろ体がぽかぽかと暖かいぐらいだ。

 それを告げればルーナが安堵の表情を浮かべた。思わず漏れ出たと言わんばかりに「良かった」と呟き、まるで無事を確認するかのようにリーズリットの腕を擦ってくる。

 思わずリーズリットが苦笑を浮かべ、心配しすぎだとルーナを宥めた。


「ルーナは心配しすぎよ。慌てちゃって、なんだか年下みたい」

「まぁお嬢様ってば」


 そう互いに微笑み合う。

 そんな穏やかなリーズリットとルーナに対して、ハインリヒとディークはと言えば……。


「どうだディーク、あの光景を見れば誰だって俺がリーズリットを嫌っていると思うだろ。お前も少しくらい心配しても……おい、聞け。少しは聞け。それかせめてこっちを見ろ」


 とハインリヒが訴え、その隣ではディークがたまたま通りかかった野良猫を見つめながら無言でクッキーを貪っていた。



 そうして四人で仲良く……見られないよう時折リーズリットとハインリヒがむぎゅむぎゅとぶつかり合いながら帰路につく。

 その途中、


「きゃっ!」


 とリーズリットが高い悲鳴をあげ、己の手で顔を庇った。それとほぼ同時に手に衝撃と痛みが走る。

 咄嗟に何かが飛んできたのだ。だがそれが何かは分からない。


「どうしたリーズリット、大丈夫か!?」

「え、えぇ、今なにか飛んできて……」


 案じるハインリヒの言葉に答えつつリーズリットがゆっくりと手を下げ周囲を見回すも、これといって変わったことはない。ハインリヒとルーナが心配そうにこちらを覗き込み、ディークはこの場の無事と原因を探るべく警戒の視線を周囲に向けている。

 たまたま近くに居合わせた者達もいったい何事かと視線を向けてきているだけだ。長閑な公園に事件性は何一つ感じられない。


 風にのって葉でも飛んできたのか、もしくは虫でもぶつかったか……。それにしては手に当たった感触は固く、はっきりとした痛みを伴っていた。

 そうリーズリットが考えつつ顔を庇った左手を撫でれば、ビリと痺れるような痛みが伝った。見れば左の指先に擦り傷がついており、うっすらと血が滲んでいる。


「お嬢様、手を……!」


 ルーナが悲痛そうな声をあげ、救急箱をあけて処置を始める。消毒液を浸したコットンで傷を優しく拭い、上からガーゼを当ててテープで押さえ、包帯を巻いて三角巾で固定し……。

 その途中ディークから「やりすぎでは」と一言入ったもののルーナの処置は止まらず、最終的にリーズリットは左手どころか左腕をがっちり固定されて処置を終えた。

 見た目はまさに重傷人であり、一連の流れを知らず今はじめてリーズリットの姿を見た者がぎょっと目を見張っている。


「まったくルーナは心配性ね。左腕が一ミリも動かせなくなったわ」

「お嬢様、早く屋敷に戻ってお医者様に診ていただきましょう。さぁ、私の肩に掴まってください」

「ルーナ、手だから。私が怪我したの手だから」


 大丈夫よ、とルーナを宥めつつリーズリットが再び歩き出す。

 ルーナがぴったりと横にくっついているのは万が一の時に支える為だろう。少し足を引きずる彼女の歩みは普段こそ支えてやらねばと思うものだが、今は心強く感じられる。

 その思いのままリーズリットはそっと右手を伸ばし、ルーナの手をきゅっと握りしめた。中指から手首に掛けて傷跡の残る彼女の手は痛々しいが、それでも握ると暖かさが伝わってくる。


「肩は貸してくれなくて良いから、手を繋いでいてね」


 そうリーズリットが強請れば、ルーナが柔らかく微笑んで頷いた。




 そうしてリーズリットとルーナが歩き出すのを見て、大事無いと察したハインリヒが安堵の息を吐き自分もと歩きだし……ふとディークが立ち止まったまま付いてこないことに気付いて足を止めた。

 どうしたのかとそばに寄れば、怪訝な表情で余所を見ているではないか。日頃から眉間に皺が寄りやすい男だが、とりわけ今はそれに警戒の色まで感じさせる。


「どうしたディーク、何かあったのか?」

「いえ、少し気になることがありまして……」

「気になること?」


 いったい何かとハインリヒが問えば、ディークはしばらく考えるように更に眉間の皺を深めた後、視線を足下に落とした。

 見ろということなのだろう、ハインリヒもまた追うように足下を見る。

 先程までリーズリットが居り、そして彼女が咄嗟に悲鳴をあげて負傷した場所だ。だが一波乱去った今は特に異変は無く、補整された公園の道には枯れ葉と石だけが落ちている。

 砂利のような小さな小石と……そして明らかに別の場所から持ってきたであろう、色の違う、一回り大きな石。

 それを見てハインリヒが眉を顰め、次いでディークに視線をやった。


「……この事はリーズリットには言うなよ」


 そう命じるハインリヒの声は普段よりも深く、告げられたディークもまた真剣みを帯びた様子で「畏まりました」と頷いて返した。


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