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3:めげることなく理想を語ってみる

 

 パーティーから数日後、【秘密会議~関係者以外立ち入り禁止~】と書かれた札の掛かった一室。――札には余すところなくハートマークが描かれ、今まさに【関係者】の部分に二重線が引かれ【恋人達】に上書きされている――

 そんな札が掛かる部屋の中でリーズリットは頭を抱えて陰鬱とした空気を纏っていた。

 向かいに座るのはもちろんハインリヒ。彼もまた重苦しい空気を漂わせ、普段は爽やかさを感じさせる顔に今は憂いを帯びている。

 どちらともなく漏らす溜息は深く、心労は露わ。らしくなく言葉を交わす余力も無いと沈黙を保っており、仮にここに何も知らぬ子息令嬢が居れば、麗しく理想的な男女のこの悲痛な姿に胸を痛めて労わるようにその名を呼んだであろう。

 ちなみに、リーズリットとハインリヒが何故ここまで落ち込んでいるのかと言えば……。


「なぜだ……なぜ俺達は『将来は可愛い猫を飼おうと嬉しそうに話し合う仲睦まじい恋人達』なんて言われているんだ……」

「さっぱり分からない……。私が聞いた話では『将来は肉球の色が違う二匹の猫を飼おうと楽しそうに話し合う仲睦まじい恋人達』と言われてたわ。こっちの方は微妙に肉球の色の部分は残ってるわね……」


 と、こういう理由である。

 先日のパーティーで仕掛けた作戦がものの見事に大失敗。それどころか更に周囲は二人をお似合いと誉めそやし、そのうえ将来の事も考えているとまで言い出しているのだ。

 パーティー当日こそ「どっちの家から破談を申し立てるのかしら」だの「娘可愛さにきみの家が強引に婚約破棄を言い出すかもな」と盛り上がって話していたというのにこのざまである。さすがにリーズリットもハインリヒも肩を落としてしまう。

 そんな敗北の色を醸し出す主人二人に対し、それぞれの背後には居る従者はと言えば……。


「お嬢様、お労しい……」

「レイシャン家は休みが無いと聞くし、ホルン家は金払いは良いらしいが良い噂を聞かないからなぁ……」


 今日も今日とて対極的な反応を示していた。

 前者は落胆するリーズリットの姿に胸を痛めるルーナ。嘆く主人のために暖かな紅茶をといそいそと準備にかかる姿がいじらしく、片手を庇うように紅茶を注ぐ様が少し痛々しい。

 後者は落胆するハインリヒを時折チラと横目で窺うディーク。いくつか集めた求人情報を眺めつつ、なかなか好条件が見つからないと頭を悩ませている。

 そんな従者の反応を余所に、リーズリットが煎れてもらった紅茶を一口飲んで深い溜息をついた。


「曲解に曲解を重ねて、私がハインリヒにピンクの手袋が欲しいって強請った事にもなっているのよ。『あんまりものを強請らない娘だと思ってたけど、ハインリヒ相手には我が儘になっちゃうのね』ってお母様にほっぺたを突っつかれたわ」

「あぁ、その話は俺も聞いたし、『手袋が欲しいなんて可愛い我が儘じゃないか』って父上に脇腹を小突かれた」


 まったくどうして、肉球の話が手袋になってしまうのか。

 理解できないわ……とリーズリットが嘆く。それを聞いてハインリヒもまた盛大に溜息を吐き、ティーカップに口を付けた。

 そうしてふと、言うべき事を思い出したと言わんばかりに「あぁそうだ」と顔を上げて話しだした。


「そういうわけだから、次のパーティーに間に合うようにピンクの手袋を仕立てている」

「あら楽しみ。なら私はお礼に黒い手袋を仕立てましょう」

「楽しみだ」


 そう互いに交わし合う。

 思わずリーズリットが表情を綻ばせてしまうのは、たとえ話の根本を探ると肉球に辿りつこうとも、手袋を貰えるのは喜ばしいことだからだ。とりわけハインリヒはセンスが良く、何よりリーズリットの趣味を熟知している。きっとリーズリットが好きなデザイナーに声をかけ、好みのデザインで仕立ててくれるだろう。

 素敵な手袋になるに違いない。考えるだけで胸が弾む。

 それのお返し……と考えれば、リーズリットの頭に何人かのデザイナーの名前が浮かび上がった。こちらはもちろんハインリヒが贔屓にしているデザイナーだ。明日にでも屋敷に招き、次のパーティーに間に合うように仕立てて貰わなくちゃ……と、そんなことを考えればこれもまた胸が弾む。

 物を貰うのは嬉しいが、同じくらい物をあげるのは楽しいのだ。


「なぁリーズリット、作戦は失敗したがお互いに手袋を得ることが出来るんだ。そう考えれば、今回の件はさほど気に病むような失敗ではないのかもしれない」

「確かにそうね。手袋を得られるならプラスマイナスゼロ……いえ、むしろ手袋が手元に残る分プラスと言っても過言ではないわ!」


 ハインリヒの言葉にリーズリットがパッと表情を明るくさせて答える。

 喧嘩をして婚約を破談させる作戦は失敗した、だが結果的に自分はピンクの手袋を、そして彼は黒の手袋を得ることになるのだ。確かにこれはプラスである。

 そう考えれば落胆の気持ちなど何処かに消え去り、リーズリットが「次を考えましょう!」と気分を高ぶらせた。ハインリヒもまた表情を晴れやかにして頷いて返してくる。

 ――そんな二人のやりとりに、ルーナが「お嬢様が立ち直られて良かった」と主の芯の強さに安堵を抱き、ディークが「まだあきらめないか……」と主の打たれ強さをぼやいた――


 そうしてリーズリットがテーブルの上に用意されていたクッキーを口に放り込んだ。

 先程までは落胆するあまりクッキーの味など二の次だったが、やる気に満ちた今は甘さと仄かな香りが高揚感を招いてくれる。

 ハインリヒが先日叩きつけた手袋と一緒に持ってきてくれた手土産のクッキーだ。それもリーズリットが贔屓にしている店の、そのうえ発売前の新作である。聞けばわざわざ手袋と共に渡すためにと店に話をして特別に用意してくれたというではないか。

 発売前の新作クッキー、これに瞳を輝かせない令嬢はいない。それも贔屓にしている店となれば尚の事。

 やはり彼は趣味を理解してくれている。そうリーズリットが感謝と共にクッキーを一口かじった。さくさくした食感、砂糖漬けにされた花が溶ければ甘さと香りが口内に広がる。なんて美味しい。


 ……だけど、と考え、リーズリットが小さく溜息をついた。


「クッキーはとても美味しいわ。私の好みよ。でも……恋愛面で言えば、理想の手土産とは違うのよね」

「きみの理想の手土産とは?」

「筋肉質でゴリラみたいな殿方が、『女性への手土産なんて何を選んだら良いのか分からなくて』って逞しい上腕二頭筋をギシっとさせながら持ってきてくれる肉の塊よ。それを目の前で焼いて食べさせてくれる……そんな手土産が理想なの」

「ふむ、相変わらず俺とは程遠いな」

「もしくはバナナを持ってきてくれる殿方でも良いわ」

「殿方というかそれはもうゴリラじゃないか」


 そんな会話を交わしつつ、リーズリットがクッキーを一口かじった。

 美味しい、嬉しい、だけどもやっぱり恋愛面でのときめきは感じない。筋骨隆々な男が目の前で汗を拭いつつ焼いてくれる肉の塊が良いのだ。それを豪快に食べるワイルドな殿方……そんな理想の男を思い描き、リーズリットが熱い吐息を漏らした。

 それを見てハインリヒがふむと頷く。分かりきっていたことだが、自分はやはりリーズリットの好みではないと改めて再認識したのだ。

 そして……と、そこまで考えてハインリヒが溜息をついた。


「確かに俺も、君への手土産を用意するのは楽しいが、恋愛面での理想を言うなら食べたものが全て肉付きに変わる女性に食べ物を贈りたい。欲を言えば手土産のお菓子に感激して俺に抱き着いてくれると尚の事良い。その柔らかさを堪能したいんだ」

「やっぱり私とは程遠いわね。私、食べてもあまり体につかないのよ」

「常々胸への理想を語っているが、腰も肉が乗ってて軽く摘まめるくらいが良い」

「さすがねハインリヒ。女性は胸が大きくなきゃとか言いつつ、ほかの部分は細くあることを強いるそこいらの男とは違うわ」


 そう互いに理想を語り合い、次いで顔を見合わせて深く頷き合った。

 今まで幾度となく確認しあっているが、やはり相手は全く自分の好みではなく、そして自分もまた全く相手の好みではないのだ。

 となればするべきことはただ一つ……。

 そうリーズリットが決意を改めるも、どういうわけかハインリヒは深刻な表情を浮かべてしまった。険しさすら感じさせる彼の濃紺の眼差しに、リーズリットが窺うようにその名前を呼んだ。


「……ハインリヒ、どうしたの?」

「次はもっと分かりやすく不仲を訴える必要がある。……リーズリット、俺は君を傷つけてしまうかもしれない」

「……まぁ」


 ハインリヒの深刻な声色で紡がれる言葉に、リーズリットが小さく声を上げた。

 彼が自分を傷つける等、そんなこと長い付き合いの中で一度たりともなかったからだ。むしろ考えたことすらなかった。元より彼は温和で親切で、暴力的な事を嫌う質である。

 ハインリヒが誰かを故意に傷つけるなど在り得ない、彼を深く知っているからこそ断言出来る。


 そして仮に不仲を訴えるためにハインリヒがリーズリットを傷つけた場合、彼に不名誉な噂が付き纏う可能性がある。上手く婚約を破談にさせられたとしても『婚約が嫌で婚約者に暴力を振るった男』になってしまうのだ。

 この噂に臆さぬ者は居るまい。仮にハインリヒ好みの肉付きが良くて胸の大きな女性が現れたとしても、この悪評に恐れて彼を遠ざけてしまうこともあり得るだろう。

 もちろんリーズリットもフォローをするつもりだ。だがあまりにフォローしすて悪評を払拭すれば作戦が駄目になってしまう。出来ることは限られている。 

 そうリーズリットが訴えれば、ハインリヒは真剣な眼差しで「覚悟のうえだ」と答えた。

 真剣みを帯びたその声色に、簡素ながらも重い言葉に、彼がどれだけ本気かが分かる。だからこそリーズリットもまた彼を見据えた。濃紺の瞳が、今は熱く感じられる。


「そうね、それぐらいの覚悟がなきゃ、この婚約を破談には出来ないわ」

「理解してくれるかリーズリット、やはり君が婚約者で良かった。こんな事を言い出せるのは君だけだ」

「私もよハインリヒ。私を傷つけるなんて、貴方以外は許せないわ!」


 感極まってリーズリットが立ち上がれば、ハインリヒもまた続くようにガタと勢いよく立ち上がった。

 そうして交わす握手は固く、互いの瞳には闘志に似たやる気が満ち溢れている。


「やりましょうハインリヒ、婚約を破談にさせるため、貴方に傷つけられる覚悟は出来たわ!」

「俺もだリーズリット、婚約を破談にさせるため、君を傷つけた男として泥を被る覚悟は出来た!」


 そう声高に己の覚悟を告げ合う。その背後ではルーナが胸元を押さえながら「お嬢様、どうかご無事で……!」と主の覚悟を前に不安を抱き、ディークが「このクッキー美味いな。菓子屋か……いや、ないな」と僅かに新たな道を考えたものの即座に却下していた。

 相変わらずな温度差ではあるが、リーズリットとハインリヒが微塵も気に掛けないのもこれまた相変わらずである。

 今の二人は闘志に燃えており、そして相手もまた覚悟を決めてくれたことに更に闘志を滾らせているのだ。早速次の作戦を練るべく二人で顔を突き合わせ、握手を解くや腹が減っては何とやらと二人揃えてクッキーへと手を伸ばした。



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