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10:予想外の展開で婚約解消されてみる

 

「……ハインリヒとの婚約を解消?」


 そうリーズリットが目を丸くさせながら口にしたのは、あの事件から数日後。場所はフィシャル家当主である父の書斎。

 メイド長に呼ばれていると告げられ、部屋を訪れて今に至る。

 ちなみに、リーズリットの隣にはルーナがぴったりとくっ付いている。あの事件からルーナの心配性は度を増し、今は一瞬でもリーズリットの姿が見えないと「お嬢様ぁー、お嬢様ぁー」と切なげな声を上げて足を引きずって屋敷内を探し回るようになってしまったのだ。離れられるわけがない。

 そんなルーナとぴったりと寄せ合って話を聞けば、父が深刻な表情で一度深く頷いた。


「今回の件、調べたところお前とハインリヒに対してそれぞれ横恋慕していた者が仕組んだことだというじゃないか」

「そうね。それぞれが偶然あの場に私達を呼んで脅そうと企んでいたみたいね。でも、それがどうして婚約解消に?」

「今回だけで済むとは限らないだろう。婚約を解消させ周囲の反応を見て、他にも怪しい行動をしそうな家は無いか探ろうとボドレール家と話して決めたんだ」

「なるほど」


 それで婚約解消するのね、とリーズリットが頷いた。

 先日の一件はリーズリットとハインリヒそれぞれに横恋慕する者達が偶然同じ場所を脅しの舞台に選び、その結果互いに仕掛けた小細工が重なってあの大事になってしまったのだという。両家に調べあげられ問い詰められた令嬢子息が互いに「こんなになるなんて」と青ざめて嘆いていた事からも、少し脅して婚約を辞退させようとしていたことが分かる。

 もちろん脅したことには変わりはなく、許されることではない。彼等とその家へと対応はリーズリットもハインリヒも親に任せることにした。――「ボドレール家(うち)とフィシャル家から睨まれるなら、それだけでも社交界においては充分な罰だろう」とは、あの一件で足を痛めて安静を言い渡されているハインリヒの言葉。これには彼の傍らで椅子に座って転職情報を眺めていたディークも頷いていた――


 ゆえにそれ相応の事にはなるだろうとは思っていたが、まさか両家が話しあって婚約を解消するなんて……とリーズリットが内心でごちる。といって落ち着いたら再び婚約させるつもりなのだろう。「すまないが少し待っててくれ」という父の口振りはまるで子供の楽しみを奪ってしまう申し訳なさが漂っており、これが一時的な延期に過ぎないのは分かる。

 だが一時的な応急措置とはいえ解消だ。それも両家が仲違いすることも無く、もちろんだがリーズリットもハインリヒも今の立場を捨てて逃避行する必要も無い。

 当初の予定どころではない婚約解消に、リーズリットはそれでも冷静を装いつつ「気にしてないから、いつまでも調べててくれていいのよ!」と父に告げた。




「やったわ婚約解消よ!」


 とリーズリットが歓喜の声を上げたのはいつもの一室、秘密会議室である。父の書斎を出てツンと澄まして廊下を歩き、にんまりと上がりかける口角を何とか抑えてこの部屋に飛び込んだのだ。

 そしてリーズリットを迎えるのは同じように声を上げるハインリヒ……ではない。シンと静まった部屋のどことなく冷めた空気のみ。

 当然だ、ハインリヒは今ボドレール家の一室にいる。身を挺して庇ってくれた彼が足を痛めてしばらくの安静を言い渡されたと知った時、リーズリットはそれはもう周囲が心配するほど青ざめた。そして見舞いに駆けつけ「うちの医者は心配しすぎだ」とベッドの上で退屈そうにする彼の姿に心の底から安堵したのだ。


「……ハインリヒは当分来れないのよね。そうよ、いやだわ私ってば」


 つい興奮しちゃって、とリーズリットが己を恥じて苦笑を浮かべつつ椅子に座る。

 向かいにはもちろんハインリヒの姿はなく、その背後で転職の志を見せるディークの姿も無い。ルーナが用意してくれる紅茶は一人分だ。手土産のケーキもクッキーもない。

 なんだか味気ないわね……とリーズリットは深く息を吐いて紅茶を一口飲んだ。

 きっとここにハインリヒがいれば「やったなリーズリット!」と声をあげ、共にこの婚約解消を喜んでくれたはずなのに。感極まって手を握ってくる彼の姿だって容易に想像できる。

 だけど彼は今ここに居ない。喜びたいのにはしゃげないもどかしさを感じ、リーズリットが溜息を吐いた。


「なんだかつまらないわ、ルーナ」

「お嬢様、せっかく婚約解消出来たのになんだか嬉しそうではありませんね」

「そんなこと無いわ、嬉しいわよ。……でも、もっと喜べると思ったのよ」


 作戦が成功して婚約破談に漕ぎ付ければ、もっとお祭り騒ぎで喜べると思ったのだ。ハインリヒと手を取り合って、まるで子供の頃のようにはしゃげると考えていた。

 だがらこそ今この部屋の静けさが物足りないのだ。それをリーズリットが訴えれば、ルーナが「まぁ」と小さく呟いた。次いでゆっくりと立ち上がり、リーズリットの正面の席に腰かける。

 普段はハインリヒがいる場所だ。


「お嬢様、ハインリヒ様と婚約を解消されたら、もう以前のようにお話することは出来ませんよ。若い男女が仲良くしているなんて、あらぬ噂をされかねませんからね」

「そうね。でもそうなったら、私は筋肉質で逞しい殿方と、ハインリヒはムチムチした女性と結婚するのよ。……私とは真逆の女性とね」


 最後にポツリと呟いて、リーズリットが一口紅茶を飲んだ。

 淹れたてのはずなのに、その温かさも美味しさも分からない。コクリと飲み込むたびに何かが喉を伝っていくだけだ。それも妙な引っ掛かりを喉に覚え、リーズリットが「お見舞いに行きましょう」と立ち上がった。





 リーズリットが訪れたのは、ボドレール家の一室。ハインリヒが安静にしつつ見舞客と対峙出来るようにと用意された部屋だ。

 室内には大きく豪華なベッドと来賓用のテーブルセットが設けられている。その周りには溢れかえらんばかりの花。

 ボドレール家の子息にと贈られた各家からの見舞いと彼の友人からの見舞い、そして年頃の令嬢達から贈られた花だ。その量といったらなく、部屋に入り切らずに扉の外にまで飾られている。

 それを予想したリーズリットが彼に頼まれていた本と暇潰し用にチェス盤をもって見舞いに行けば、部屋には花はもちろんだがそれを持ってきていたのであろう子息令嬢がこれまた溢れかけていた。

 ボドレール家の子息であり年代問わず慕われているハインリヒの病室なのだから当然とも言えるだろう。それに、これを機にボドレール家に顔を覚えてもらおうと考えている者もいる。溢れかえるのも仕方あるまい。

 なにせリーズリットがいつ訪れてもこの調子なのだ。また今度にしようか……と入室を躊躇いつつ扉の隙間から中を覗けば、それに気付いたハインリヒが見舞客に囲まれながらも片手を上げて呼んできた。


「リーズリット、頼んでいた本を持ってきてくれたのか?」

「えぇ、あとチェスも持ってきたわ。これなら暇潰しにディークと遊べるでしょう?」

「それは助かる。体が動かせないんだからせめて頭は動かしたいしな。それに……」


 チラとハインリヒが周囲を見やった。話したいことがあるというその素振りに、周囲が気付いて部屋を後にしていく。

 聞けば朝から晩まで入れ代わり立ち代わりで訪れる見舞客達らしいが、なによりハインリヒを想っての事だ。彼が退室を望めばそれを察して出て行ってくれる。――「あの事件を乗り越えた二人だもの、愛を語り合うのよ」とうっとりと話す者も居れば、「二人の愛の前には何者も立ち塞がる事は出来ないのね」と切なげに呟く者もいるのだが、室内の二人には届いていない――


 そうしてリーズリットとハインリヒ、そしてルーナとディークだけが部屋に残された。

 馴染みのある顔ぶれにリーズリットが安堵の息を漏らす。見ればハインリヒも話したいことがあったらしく、じっとこちらを見るや早速と言わんばかりに「聞いたかリーズリット」と声を掛けたきた。

 リーズリットの胸が高鳴る。ようやくだ、不思議と秘密会議室の時とは違い興奮が沸き上がる。


「聞いたわハインリヒ! 私達の婚約、解消されたのよ! お父様から聞いて、話したくて堪らなかったわ!」

「俺も早く話したかったんだ! やったなリーズリット、悲願達成だ!」

「えぇ本当!」


 わっと一瞬にして盛り上がりリーズリットが堪らずハインリヒのもとへと駆け寄れば、彼もそれを待っていたのか片手を掲げてきた。

 勝利のハイタッチだ。パチン!と交わすタッチのなんと心地好いことか。


「ハインリヒが歩けるようになったら、秘密会議室で婚約解消パーティーを開きましょう!」

「あぁ良いな。その時は君の好きなパティシエのケーキを用意しよう」

「素敵。ケーキに載せるプレートは【祝・解消】ね! ……あら」


 きゃっきゃとはしゃぐ中、ふとリーズリットが話を止めて入ってきた扉へと視線をやった。

 バタバタと足音が聞こえてきたのだ。それもかなりの人数……。いったい誰がとハインリヒと共に視線をやっていると、慌しげなノックの音が響いた。

 ハインリヒが入室の許可を出す。それを聞くや豪快に扉が開かれ、


「ハインリヒ様、お話は聞きましたわ! 婚約を解消されましたのね!」

「あのような事があってさぞ胸中お辛いと思います。私でよろしければ、なんでもお話してください!」

「リーズリット嬢、危険な目にあって不安が残っているでしょう、俺が家まで送りますよ!」

「いいや僕が! 以前から貴女と話がしたかったんです!」


 と、雪崩れのように室内に男女が入り込んできた。

 どれも社交界で見た覚えのある顔だ。何度か話をしたこともある。だが皆揃えたようにリーズリットとハインリヒをお似合いだと誉めそやしていた。

 そういった者達が室内に入るや女はハインリヒが横になるベッドを囲み、男はリーズリットを囲む。リーズリットにぴったりとくっ付いていたルーナがこの勢いに負けて弾かれかけたが、リーズリットが声をあげて手を伸ばすより先にディークが抱きとめてくれた。


「み、皆さん突然どうなさったの。驚いてしまったわ」

「話を聞いて居ても立っても居られなくなり参りました。まさかお二人の婚約が解消されるなんて、さぞや複雑なお気持ちでしょう。どうですか、フィシャル家に戻る前にお茶でもしてその悲しみを僕に打ち明けてください」

「あら、良いのよ別に気になさらないで。ねぇハインリヒ、パーティーの日を」


 パーティーの日を決めましょう、とリーズリットが声を掛けるも、ハインリヒはハインリヒで複数の女性達に囲まれていて声が届きそうにない。勢いにこそ圧倒された表情を浮かべているが、見舞いの言葉にはきちんと礼を返している。

 いくら彼がムチムチした女性が好きだとはいえ、ムチムチしていない女性を蔑ろにするわけではない。別け隔てなく優しいのだ。元より礼儀正しい性格なのだから、容易には抜け出せないだろう。

 そんなことを考えている間にもリーズリットは己を囲む男達に背を押され肩に手を添えられ、エスコートという名の強引さで部屋を連れ出されてしまった。慌てて「ルーナ、ルーナ!」と声をあげて彼女を呼び寄せただけ良かったと思うべきか……だがハインリヒを振り返る暇もなかった。


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