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「……なんやかんや言いながら、アイツも司法捜査官なんだな。ちゃんとここからなら動きが良く見えるわ」 


 納得するようにカウラのスポーツカーの窓からかなめは目新しいマンションを眺める。すでに東都理科大での一般教養科目の生物学の講義を終えて片桐博士が自宅のマンションに帰っていた。茜の指示でその三階の部屋の明かりが見通せる路地の坂の上にカウラは車を停めていた。


「花形の法術研究者でありながら、糊口をしのぐために一般教養科目の講師か。確かに屈辱でしかないだろうな」 


 カウラの声に誠もうなづいた。


 東都理科大は誠の母校だった。理系の専門大学の私大では東和でも一番の難関大学である。専門課程の研究室の准教授が高額の研究費を貰っているのに対して教養科目の講師の立場があまりにも低い待遇なのは誠も知っていた。


「しかし……男の影も無いのかよ?寂しいねえ」 


 まるで自分のことを考えずにつぶやくかなめの言葉にカウラは思わず噴出す。だがそれはかなめの耳には届かなかったようで彼女はひたすら車の中から夕闇に明かりの目立つ片桐博士の部屋を見つめていた。


「西園寺。あのマンションの訪問者の画像データは?」 


「当然手に入れたに決まってるだろ?あのオバサンがらみはとりあえず無し。これじゃあライラさんの部隊や東都警察の連中もすぐに手を引くだろうってことが分かるくらい綺麗なもんだ」 


 かなめの言葉と共にカウラと誠の端末にデータの着信を知らせる音楽が流れる。誠の深夜放送のアニメの主題歌が流れる端末を見て、かなめが監視をやめてニヤニヤ笑いながら助手席の誠を見つめてくるが、誠は無視してそのままデータを開いた。


「綺麗と言うか……この数ヶ月の間誰も訪れていないじゃないですか」 


「なんならお前が行くか?『お姉さんさびしいでしょー』とか言って」 


「そう言う話じゃなくて!」 


 かなめの冷やかすような視線を避けて誠は片桐女史のマンションを見上げた。築3年、東都の湾岸沿いの再開発で作られた新築マンション。博士号を持つ新進気鋭の研究者にはふさわしいといえるが、最近はすっかり研究から取残された知識人が住むには悲しすぎる。そんな感じを受けるマンションだった。


「あのさあ」 


 そう言って軍用のサイボーグらしく眼球に備えられた暗視装置でもなければ見えないような暗がりを見つめていたかなめの声が車内に響く。


「もし、オメエ等が一言の失言ですべての地位を失ったらどう考える?」 


 静かな調子でかなめがつぶやく。その言葉にはそれまでの軽口の調子はまるで無かった。


「考えたことも無いな」 


 運転席のハンドルにもたれかかりながらカウラはすぐに答えた。誠は突然の言葉にかなめに視線を向けていた。


「僕は……」 


 かなめは視線を薄い明かりの漏れる片桐博士の部屋に向けたままじっとしている。誠はしばらくかなめの言葉の意味を考えていた。


「簡単な言葉で済みませんが絶望するでしょうね。この世のすべてに……」 


 飲み込んだ誠の言葉が耳に届いたのか軽く頷くとかなめの表情に笑みを浮かべる。カウラはダッシュボードを開けると眠気覚ましにガムを取り出した。


「だろうな。カウラ、アタシにも一枚よこせ」 


 かなめはそう言うと視線を動かさずに手だけをカウラの手元に向けた。


「なら話は変わるが……神前。オメエが法術を使えると分かったときどう思った?」 


 ガムを噛みながらかなめがつぶやく。誠はしばらく沈黙した。


「正直驚きました。僕にはそんな特別なことなんて……」 


「驚いたのは分かるってんだよ。その後は?」 


 かなめの声に苛立ちが混じる。こういう時はすぐに答えを返さないとへそを曲げるかなめを知っている誠は、静かに記憶をたどった。


「何かが出来るような……あえて言えば希望を感じました」 


「希望ねえ」 


 口元に皮肉を言いそうな笑みが浮かぶ。そんななめがカウラがにらみつけた。


「人類に可能性が生まれる瞬間だ。希望があって当然だろ?」 


「小隊長殿は新人の肩をもつのがお好きなようで!へへ!」 


 ぼそりとカウラの言葉に切り返すと、再びかなめは難しい顔をして片桐女史のマンションに目をやった。


「その可能性を探求することを断念させられた研究者。その屈辱と絶望が何を生むのか……」 


 自分に言い聞かせるようにかなめはつぶやく。狭いカウラの赤いスポーツカーの中によどんだ空気が流れる。


「絶望したら違法研究に加担をしていいと言うものじゃないだろ」 


「実に一般論。ありがとうございます」 


 カウラの言葉をかなめはまた一言で切り返す。


「あの、西園寺さん。食べるものとか買ってきましょうか?」 


 いたたまれなくなって誠が二人の間に割って入った。二人はとりあえず黙り込む。


「パンの類がいいな。監視しながらつまめる奴、それで頼むわ」 


 かなめはそう言うとポケットを漁る。だが、カウラが素早く自分のフライトジャケットから財布を取り出して札を数枚誠に手渡した。


「私は暖かいものなら何でもいい」 


 そう言われて押し出されるように誠は車の助手席のドアを開けていた。人通りの少ない路地。誠は端末を開いて近くの店を探す。


 幸い片桐女史のマンションと反対側を走っている国道沿いにコンビニがあった。誠はそのまま急な坂を上ってその先に走る国道を目指した。走る大型車の振動。むっとするディーゼルエンジンの吐き出す熱気。地球人類の植民する惑星で唯一化石燃料を自動車の主燃料としている遼州ならではの光景。だが惑星遼州の東和からほとんど出たことの無い誠にはそれが当たり前の光景だった。


 凍える手をこすりながらコンビニの明かりを目指して誠は歩き続ける。目の前には寒さの中でも平気で談笑を続けている高校生の群れがあった。それを避けるようにして誠が店内に入った。


 レジに二人の東都警察の制服の警官がおでんの代金を払っていた。


 誠はカウラの言葉を思い出しておでんを眺める。卵とはんぺんが目に付いた。しかし、かなめに菓子パンを頼まれていたことを思い出し、そのまま店の奥の菓子パン売り場を漁ってからにしようと思い直してそのまま誠は店の奥へと向かった。


 『焼きたて!』と書かれたメロンパン。誠はそのクリーム色の姿を見ると、それがカウラの好物だったことを思い出した。


『カウラさんはメロンが好きだよな。でもメロンパンにはメロンが入っていないわけで……』 


 黙り込んで誠はつんつんとメロンパンを突くとかなめが食べそうな焼きそばパンを手に取った。


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