盲目少女と計算ヤンデレ
俺がその子を好きになったのに、特に深い訳は無い。ただ単に、一目惚れだ。
犬を連れて街を歩くその子を、ただぼうっとして見つめていた。その間、友人を無視してしまったのは、悪いと思っている。
「もしかして、お前、あの子が気になってんの?」
「……そうみたいだ」
友人はヒュッと口笛を吹いた。
「じゃあさ、初恋じゃん? おっめでとう、今まで恋に全く興味ゼロだった誠夜君や」
応援してやるよ~、と笑う彼に、その時感謝をした。
今は全くしていない。むしろ、邪魔だ。
その子は、偶然にも同じ大学だった。学部が違かったのだが、部活のイベントにその子が来ていたのだ。
「……来てくれてありがとうございます」
と声をかけると、彼女ははっと顔を上げて、きょろきょろと辺りを見る。もしかして、こっちが声をかけたの、分からなかったのか。
「あの。クッキー配ってるんで、どうぞ」
そう言って差し出すと、彼女は目の焦点が合わないまま、クッキーの方に手を伸ばす。クッキーの袋から彼女の手はずれ、俺の手に触れた。
……暖かい。
「ご、ごめんなさい……。クッキー、ありがとうございます」
そう言って、立ち去った彼女は、やはり犬を連れていた。
「お、話せたか?」
「ああ。でも様子がおかしかった」
と彼女の様子を話すと、友人は俺を指差して大爆笑。
「そりゃ、しょうがないだろ! お前、あの子が盲目って分からなかったの?」
犬は、盲導犬だったようだ。道理でいつも、犬には変な物が取り付けてあるなと思ったのだ。
次に会ったのは食堂。
「……こんにちは」
なんとなく、犬に向かって話しかけると、犬が尻尾をぱたぱたと振って飼い主に知らせた。
犬に話しかけて正解だったようだ。
「あ、こんにちは……。もしかして、イベントの?」
頷きかけて、慌てて「そう」と答えた。彼女は花が開いたような笑顔を見せてくれた。
……凄く、可愛い。
彼女が、その場から離れずにいてくれたので、そのまま話ができそうだった。
食堂の机を取って、振り返ると、彼女は困った様に立ちつくしていた。犬が案内してくれないらしい。……盲導犬の意味、あるのか?
「こっち」
腕を取って――自然と取ってしまったが、かなり躊躇した――、取った席へと案内する。
「ありがとう」
はにかむような笑み。それも素敵だと思った。
恋って楽しいな。
「何を食べる?」
点字をなぞって、メニューを読んでいる彼女に聞く。慌てて「読む」スピードを速めたので、そのまま俺は、
「チャーハン」
彼女は、え? といった顔でこちらを見てくる。
「カレー、牛丼、ラーメン、パスタ……」
読みあげると、彼女は少し恥ずかしそうだった。
「パスタにします」
「何パスタ? ミートソースと、ワカメがあるけど」
ワカメって何ですか、と彼女は口を押さえて笑った。
「じゃあ、面白いからワカメにします」
「俺はミートソースにしよう」
取ってくる――と言って、席を立った。
戻ってくると、彼女は犬をゆっくりと撫でて、ぼんやりしていた。
「どうかしたのか」
「いえ、することが無くって……。いつもは、メニュー読むのに、三十分とかかかっちゃうんですけど」
点字読むの、苦手なんです、と照れ笑い。
「初対面の人に、申し訳ないです」
「……いいんだ、俺がしたいだけだから」
こうやって積極的に女子に声をかけるなんて、今までしたことが無いから、よく分からないけれども。
彼女が喜んでくれるなら、それでいいだろう。
……それより、困った。今更名前を聞くのもおかしいが……。彼女の名前を知らない。
すると、ありがたいことに、彼女の方から聞いてくれた。
「えっと、お名前聞いてませんでした。私は水野美香です」
「吉田誠夜。大学二年」
「あ。私も二年です」
一緒ですね――と笑う彼女を見て、なんだか心がほっとする。
それから度々、二人で食事したり、祭に行ったりした。
美香の犬は、レミというらしい。ゴールデンレトリバーだ。異様に大きい。
「……これ、ドア通れるか?」
店によっては、レミが通れない。無理やり、そのふさふさの毛を押しこんだり、嫌がるレミの腹を押したりして、なんとか店のドアを潜れたのに。
「すみません、こちらペットは禁止でして……」
店員さんが、申し訳ない、という声を出したが、その顔には「迷惑」とはっきり書いてある。
「あの、盲導犬なんです……私、この子がいないと、お店でちゃんと食事できなくて」
「それでも、毛とか抜けると、困るんですよ」
俺は何故だか、腹が立った。何にって、店員とレミに。
「レミは、犬の毛抜けませんよ」
そう言ってみたが、
「……そちらのドアに」
店員の指したドアには、確かに毛がこびりついている。仕方ないのに、だってこのドアが狭いのが悪い。
そして当のレミはどこ吹く風。お前のせいで、店でろくに食事もできないのに。
「毛は、ちゃんと集めてからお店出ますから……お願いです、レミを入れてください」
「そうは言っても」
「レミいなきゃ、私、駄目なんです」
レミがいなきゃ。
美香の言葉は、何故か心に重くのしかかる。
何で店員は融通が利かないんだよ。美香が困っているのに。
そして――レミが、美香には絶対必要?
そんなの、違う。
「……もういいです。犬入れなければ、いいんでしょ?」
美香の腕を取って、店員を睨みつけた。
そのまま、美香を連れて店に入る。レミは店の入り口で待ってもらった――流石に、店の外には放り出さない。
段差の度に、俺は手をくい、と上げたり下げたりして知らせた。なんとか、美香は一度も躓かずに済む。
「……ありがとう、吉田くん」
エスコート上手だね、と言って笑う美香に、ちょっと腹が立つ。
「美香が、必要な時にはいつでも言って」
ちょっと彼女は、目をぱちぱちとして、
「うん。いつもありがとう、誠夜くん」
名前で呼んでくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
……どうしようか。相手がどう思っているのか、俺にはさっぱり分からないし。
いいや、したいと思った時にでも、
「……美香」
「何? 誠夜くん」
今にでも、言ってみよう。
告白の言葉を。
「お前、あの子に告ったって本当か?」
「ああ」
「んで、どうだったの? 返事は?」
友人がやかましい。彼が周りをうろちょろするので、その度に顔を背けてやった。
「今日、返事来る」
「そ~うか~あ。色良い返事だと、いいな? な?」
またもや歩き回る友人が、ぱっと話題を変えた。
「それにしても、今頃ちゃんと直接告白かあ。初恋でよくやるな、お前」
最近はメールが多いんだとか。
そんなの、意味が無い。美香はメールができないし。
想いは直接伝えないと。
近づいてくる人に反応できない彼女の肩を、ぽんと叩く。
「あ、誠夜くん」
ずっと待っていたのか、美香の手は赤かった。
「ごめん。待たせた」
「……いや、これまでに心の準備ができたから……」
美香の声は、小さくて聞こえなかった。
「それでは、返事を致します」
かしこまって言う彼女も、可愛かった。
「その……私も、優しい誠夜くんが好きです。こちらこそお願いします」
ぱっと、頭を下げた美香を、思わず抱きすくめた。
「ひゃっ!?」
「あ、……ごめん」
目が見えないから、いきなりは止めてね? と悪戯っぽく笑う美香。可愛かった。
後に友人が言うには、俺は全く優しくないそうだ。
知るか。美香が嬉しそうだから、いいんだ。
一日一回。と決めて、二人で夜に電話をする。今日あった、面白いこととか、楽しいこととか。時々愚痴もあった。
「……それでね、私酔うと帰れないから、いつも断ってたの。なのに、先輩が無理やり誘ってきて」
怖かったよ、とある日彼女は電話をしてきた。俺はその先輩に殺意が湧いた。しかもその先輩、男だという。
後で調べとこう……と思いながら、美香には、
「じゃあ、酒飲む時は一緒に行こう。帰りに送るから」
レミだけじゃ、大変だろ。と言いながらも、俺の本心は「レミなんて要らない」だ。
「ありがとう~。酔うと変な人かも、私」
変に甘えるらしくって。そう聞いた途端、すぐに、
「じゃあ、週末行こうか?」
「え?」
是非とも甘えてもらいたい。
そのまま、誘う度に断られ、ようやく彼女がOKと言ったのは、十二月。それもクリスマスだ。
「本当に私、酔うと変だからね?」
何度も念押しをして、美香はゆっくり酒を口に含んだ。
すでに彼女からは住所も聞いた。住所を聞く口実になる、というのもずっと誘っていた理由だが。
「うにゃ~……」
そう言って、俺の方にもたれかかってきた。
ゆっくりと腕を回して、抱き上げた。かなり軽い。
そのまま彼女を膝に乗せる。
「せーやくん?」
「……酒呑んでいいぞ、ほら」
こくこくと酒を呑む美香は、猫のようだった。
かなり呑む。それを俺は止めなかった。
酔い潰れた方が、いい。だって、そうしなければ彼女の家に入れないから。
すっかり酔って寝てしまった美香を抱きかかえて、教えてもらった住所へと向かう。遠いのでタクシーに乗った。
乗っている間、クリスマスだからか、町中が色んなイルミネーションで飾られているのが目に入った。サンタ姿のやつも多い。
でも、景色はどうでもいい――美香が、楽しめないものだから。見えないイルミネーションに、何の意味があるのか。そして、美香が楽しめないものは、別に要らない。
美香の家に上がると、そこは綺麗に片づけられていた。俺が入ると予想してか。
ベッドに彼女の体をゆっくり置いて、俺は部屋をぐるりと見渡した。
壁に、写真が飾られている。レミと美香。一人と一匹が、笑顔で写真に写っていた。
そうか、と思い立つ。
レミがいなければ、美香は困る。俺のことを、もっと頼るようになる。
レミが、いなければ。さてどうするか。
何かを感じとったのか、レミが「キュゥン」と哀しげに鳴いた。
別にお前の鳴き声は要らない。美香が啼けばそれでいい。まだ先だけど。
次の日、ゆっくり目を覚ました私は、何かに抱きつかれている気がして慌てた。また何かやってしまったのか。お酒に酔って――でも、誠夜くんがいてくれたはずだ。
じゃあ、これは誠夜くん?
「誠夜くーん……朝ですよー……」
と声をかけてみれば、唸り声が彼の物だったので、多分彼であろう。
「……あ。おはよう、美香」
「あの……私、変なことしてない?」
「何もしてないよ。ちなみに、寒かったから抱き枕にしていただけ」
最近、誠夜くんに遠慮が無い。優しいのは変わっていないと思うのだけれど。
ここまで考えて、私は違和感に首を傾げた。朝起きたら絶対に、私に駆け寄ってくるのに。
「……レミは?」
と尋ねると、彼は不思議そうな声を出した。
「レミ、ここに住んでいるのか?」
「え……?」
彼が言うには、この家の鍵はすでに開いていて、レミは初めからいなかったらしい。
私は酷く慌てた。鍵はちゃんと閉めたはずなのに。開いているってことは、誰か泥棒が入ったの?
レミを、連れていけば良かった……。誠夜くんが迎えに来てくれたとき、レミはすやすやと気持ちよさそうに寝ていたし、彼が「ちゃんと自由に歩かせるよ。俺がレミの代わり」と言ってくれたから、それにありがたく乗ったのだった。
でも、まさかレミが連れて行かれるなんて……。
「……一応、警察だかに電話したよ」
私が混乱している中、誠夜くんはいろいろとしてくれたらしい。
レミが見つかってくれたら。
そう願っていたけれど、レミはさっぱり見つからなかった。
レミをくれた、盲導犬協会の人が、
「ごめんなさいねえ……予約が、いっぱいで。新しい盲導犬の子を、すぐに渡せないのよ」
じゃあ、私は杖で歩くしかないんだ。そのまま、とぼとぼと歩いて教会から帰る。
何度も他の人にぶつかった……色んな人に、舌打ちされたりして、凄く哀しくなった。杖で歩くのは久しぶりで、レミのありがたさが心に染みる。
段差に気がつかなくって、転んだ。他の人も巻き添えにしちゃったみたいで。
「お前、ちゃんと前見ろよな! ……ったく」
転んで、杖が何処かに飛んで行ってしまった。しかも、ここは交差点の真ん中だ。
急に怖くなった。何も見えない、もしかして、後少しで車が衝突するんじゃないかって。
「誰か――助けて!」
叫んだはずだけど、人の声と車の排気音で全部消されてしまったと思う。
周りの人の気配が消えた。信号機の音も……。
死んじゃうの?
すっと体が冷えて、どうにもならない。どうしよう、車の運転手の人達、私の事見えてるかな。
ぐいっと、腕を掴まれた。誰か気付いてくれたんだ。
「……お願いだから、危ない真似しないでくれ」
誠夜くんだった。
「っ……! 誠夜くん、私っ」
泣きついた。こんな時にいつも助けてくれる誠夜くんは、凄く優しい。私のヒーローなんだ。
家に帰ってから、誠夜くんは優しい声で私に、
「俺が、レミの代わりするって言ったでしょ」
「でも、誠夜くんだって忙しいし……」
「いいんだ。美香のためなら、多少大学の講義で遅刻しても」
悪いとは思った。甘えてしまうのは、駄目だ……それでも、私は縋らずにはいられない。
「ごめん、誠夜くん……いっつも、迷惑ばっかで」
「ううん」
そのまま、優しく抱かれる。今日は、安心して寝れそうだ……彼の体温が、温かい。
私は目が見えないから、彼がどんな表情をしているか分からなかった――満足そうに、壁の写真を嗤って見ていたことは、知らないまま。
俺に抱かれて、安心した美香は、そのまますやすやと寝てしまった。緊張感はさっぱりない。
「……別に、いいんだよ? 美香がこっちに頼ってくれれば……いつか、美香は俺しか頼らなくなるから」
彼女に回した腕の力を強める。
そう、友人が何と言おうと、俺以外の「頼れる」ナニカを作ってやるつもりはない。
「美香は、俺だけを頼ってね」
優しいかどうか? それは、美香しか決められない。
後に何度聞いても、美香は今の状態が居心地良い、と言うから、これでいいんだ。
拙い文章ですみませんm(--)m
読んでいただきありがとうございました!
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感想にてご指摘いただいたので、訂正させていただきました。
盲導犬は教会から貸与されるもので、買うものではない、ということ。基本的な事を間違ってしまい申し訳ございませんでした。