01. 12月の風 ~ 新しい恋のカタチ? ~
ガラッ。
教室の扉が勢いよく音を立てて開く。
「おっはよ! アキ! さくら!」
60人掛けの教室。そんな広さに負けないくらいの大声で入ってきたのはボブカットの薄茶色の髪をした元気な少女。
一瞬だけ教室中の注目を集めたものの、誰もがいつものことと言わんばかりに、すぐに興味を無くしてそれぞれの世界へと戻って行く。
「おはよ、よっちゃん。今日もびっくりするほど無駄に元気だねぇ」
そんな中、そう切り返したのは落ち着いた雰囲気の眼鏡の少女。
呆れたように肩をすくめる姿がすっかり板についている。
「本ばっかり読んでるアキとは違うからね!」
「あんたの元気みたいに、無駄じゃないからいいのよ」
「ひどっ! ちょっと、さくら! この陰険引きこもり女になんとか言ってよ!」
「ちょ……陰険引きこもりって何!?」
「ふふ、今日も元気だね。おはよう、よっちゃん」
そんな流れを気にも留めず私は、朝から全力全開な少女に挨拶をする。
「うん、おはよう!」
彼女は三田良子。通称よっちゃん。この大学に入った時からの付き合いで、2年近く過ぎた今ではすっかり親友と呼んでも差し支えのないほど仲が良い。
活発でムードメーカーで、同時にトラブルメーカーなところもあるけど、性格がおとなしい私にとっては、元気にしてくれる欠かせない存在。
「まったく……さくらが居なかったら本気で怒ってるわよ?」
口調と裏腹に苦笑を交えた呆れ声を出す眼鏡の彼女は津田明子。通称アキちゃん。よっちゃんと同じく大学に入った時からの付き合いだ。
眼鏡がよく似合うアキちゃんは、本が大好き。常にカバンの中には文庫本が複数冊入っている。授業後も遅くまで付属図書館に通って毎日読書に勤しむのが趣味な少女。大人びた雰囲気と、本から得た知識が豊富な秀才さんだ。
「アキちゃん、顔が笑ってるよ」
私、高倉さくらと合わせて3人。いつも一緒にいる大親友だ。元気なよっちゃんも、大人びたアキちゃんも私は大好きで、今こうやって笑えることを幸せに思う。
「しかし、12月の朝一講義って最悪ね~。何が悲しくて、寒いのに布団から出なきゃなんないんだか……あぁ、眠いわ」
「アキちゃん……また夜更かし?」
「……ちょっとね」
「大丈夫だよ、アキ! 私なんて昨日22時には寝たけど、余裕で眠いもん!」
「それって寝すぎで眠いんじゃないかな……」
「まぁアキみたいな寝不足で眠いよりかはよっぽど健康的だよね!」
「……やっぱりケンカ売ってる?」
「まぁまぁ、アキちゃん」
そんな騒がしい朝もいつも通り。
少し寒い季節に、それでも暖かな親友たちとの一日が今日も始まったのだった。
あれから二度目の冬がやってきた。
大学に入った私は毎日をゆっくりと、だけど楽しい友人たちと忙しく過ごしている。私も彼女たちにも浮いた話なんてとんとなくて、それでも今はこれで良いと思えるほどには充実している。
学生の本分はもちろんのこと、友達づきあいにアルバイト、趣味に没頭する時間だったり、ひとつひとつは大きなものではないけども、今の私にはいっぱいいっぱい。
だからそうやって笑顔で過ごせる日々を大事に思い、新しい変化を敬遠する心は、少し臆病な私には当たり前のことだったのかもしれない。
「来週は出張でいないため休講にしますので、間違えないように」
教授の声が広い講義室に響く。少し物思いにふけていた私は、はっと顔を上げて黒板に記された内容を慌ててノートに書き写す。
「あら、さくらが写してないなんて珍しいねー」
「そうね、よっちゃんならともかく」
「ぐ、アキ、私に何か恨みでもあるの?」
「そりゃまぁ、いろいろ? よっちゃん、日頃の行い、って言葉知ってる?」
いつも通りのそんなやりとりを耳にしつつ、スピードを上げた少し崩れた字で写し終える。
「ちょっとね、考え事してたらうっかり……」
ノートを閉じて、カバンの中へとしまう。
「ごめんね、おまたせ」
「ん」
「今日はどうしよっか?」
今日の講義はこれで終わり。
まだ時間も早いので、元から今日はどこかへ出かけようと話していたところだ。
そんな相談をしつつ、講義室から出ようと席を立った時だった。
「高倉」
ふいに名前を呼ばれた。
「はい?」
振り返るとそこには男子が一人。
確か同じ学科の安田哲也くん。茶髪で少し長めのさらさらした髪に、ちょっとくだけた服装。見た目通りの爽やかなイケメン、と評判で科の女子から人気のある人。そしてちょっと自信家で、ナルシスト。
私の持つ彼のイメージはそんな感じ。
「何か御用?」
そんな彼が、いったい私に何の用があるというのだろう?
「ちょっと話があるんだけど、今いいか?」
「え、うん。長くないのなら別に」
アキちゃんとよっちゃんを待たせるわけには行かない。
短くそう答えると、彼は笑っていきなり私の手を取った。
「ここじゃ言いにくいから、隣の空き教室まで一緒に来てもらっていいかな」
そう言いながら、返事を聞かずに私の手をひっぱる彼。
講義室内の視線が刺さっている気がする。まさかとは思うけど、告白とかじゃないよね?
「うん。行くから、手離してくれないかな……」
「あ、ごめん……」
「アキちゃん、よっちゃん、ちょっと行ってくるね。ごめんね」
振り払うかのようにして、手を離しつつ二人に言うと、心配そうな視線を向けられた。
「ん。ここで待ってるから」
「気をつけてね」
「うん」
「三田さん、気をつけてってひどいなぁ。俺は別になんかするつもりなんてないよ」
そんなやり取りを聞いて、安田くんが気分を害したように言う。
「私たちはあんたのこと知らないからね。親友が連れていかれるんだから、気をつけてのひとつも言いたくなるんだよ」
「そうね。親友の心配をするのは悪いことかしら?」
不敵な表情で安田くんを睨むようにする二人に、心強さを覚えたのは秘密。
「まぁわからなくもないな。大丈夫、二人に誓って何もしないよ」
おどけた口調で返す彼。こういう何気ない部分が、好きな人には堪らないだろうな、って思ったりもする。
着いていくのに不安はあるけれども、その言葉を信じることにする。正直、そこまで警戒する理由もない。どこか遠くに連れていかれるならともかく、隣の部屋なんだし……
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
早く済ませたい。
その思いから、私は安田くんよりも先に出口に向かって歩き出した。
後ろから着いてくる彼の足音を聞きながら、面倒事は嫌だな、くらいに考えていた。
「前から高倉のこと、いいな、って思ってたんだ」
部屋につくなり、安田くんは言った。
「ほら、美人だしさ。落ち着いた感じもするし、でも笑うとすげー可愛いし。何気なく見てるうちに、いいなぁ、って」
ここで少しでも照れながらそう言ってくれれば、もう少し嬉しかったかもしれない。
でも、安田くんは自信家だ。おそらく、こういうセリフを言えば、相手も自分のことを気にしてくれると思っているんだと思う。
「ありがと」
確かに悪い気はしない。世間的にイケメンといわれている人にそう言われて嬉しくない女性はあまりいないと思う。
だけど、そんなふうに言いつつも、彼から『俺がそう思ってやってるんだ』という雰囲気を感じてしまう。どうしても、上から目線を感じてしまう。
「それで用件は? あまりアキちゃんやよっちゃんを待たせたくないんだ、私」
冷たい言い方になってしまっただろうか。
でも、口から出た言葉は本心だ。
おそらくこれは告白のようなもの。たぶん安田くんがこの後言う言葉は想像がつく。
「高倉って思ったよりもクールなんだな」
相手の気分を害しても良いくらいの気持ちで言ったのに、さらりと流す彼。
「俺と付き合ってみない?」
やっぱりきた。
「ありがとう、でも、ごめんね」
予想していたからこそ、すぐに答えた。
好かれることは素直に嬉しい。自分に自信があるわけじゃないけど、低く見ているわけでもない。私はそれなりに美人の部類に入ると思う。なんせあの姉の妹なのだから。私からすると、活発なよっちゃんや、大人びたアキちゃんのほうがよっぽど魅力的に映るんだけども。
だけど、彼からは誠意を感じないのは何故だろう?
「……なんで?」
初めて憮然とした彼。私が断ったのがそんなに信じられないんだろうか?
「今は誰とも付き合う気がないから」
率直な思いを伝える。
「それに、安田くん、ほんとに私のこと好きなの? 全然そんな感じ受けないよ?」
「それは……」
「気まぐれなのか、罰ゲームなのかわからないけど、そんな人と付き合うほど、私は今恋人が欲しいって思ってないから」
何故だろう。いつもよりキツい言葉を多様してしまう。
もしかして、苛立ってるんだろうか、私は。
簡単にこんなことを出来てしまう彼に。私を連れ歩くことをステータスのひとつみたいに思っているような気がして。
そう言ったからだろうか。
「すまない。正直、好きかどうかはわからない。ただ、高倉と付き合ってみたいって思ったのは本心からだ」
纏う雰囲気が一変した。今までと違う真剣な色を瞳に湛えている。
なんだ、こんな表情も出来るんだ。
「……最初っからそう言ってくれたほうが、私は嬉しかったよ」
少しだけ彼を認めれる気がした。
「すまなかった。改めて言わせてもらうよ」
もうふざけた雰囲気は感じない。
真剣な言葉であるならば、私も真剣に答えなければならないと思う。
「付き合って欲しい、というのが本当なところではある。だけど、正直俺たちはお互いのことをよく知らない。だからまずは、一度デートして欲しい」
頭を下げた。
答えなきゃいけない。
『待ってるだけじゃダメなんだろうね』
私は否定の言葉を口にしようとして、ふいにお姉ちゃんの言葉が頭をよぎった。
2年も前に別れた人がいる。
その時から私の時間は止まったまま。
そろそろ動き出してみても良いのかもしれない。
「……とりあえず、一度だけ、ね?」
気付いたら私はそう答えていた。
言った瞬間、私自身もびっくりしていた。
(断るつもりだったのに)
『出来るとこまでやってみなさいよ』
お姉ちゃんがそう言ってるような気がした。
「ありがとう!」
顔を上げて嬉しそうにする安田くん。
その喜びは偽りがない気がして、私も少し頑張ってみようと思った。
「とりあえず、携帯教えてくれよ」
「あ、うん」
それから私たちは携帯アドレスの交換をして「じゃ、連絡するから」と言って安田くんは教室から出ていった。
あっさりとした引き際に感嘆したものだ。たぶんだけど、よっちゃんやアキちゃんのことも考えてくれたのだろう。
一呼吸ついて考える。
これが新しい恋のカタチになるのかどうかはまだわからない。
だけど、動き出すことは出来たのかな?
幸せな未来か、辛い未来か。それは私次第でもあるけども、願わくば幸せでありたいな、と思う。
まずはアキちゃんとよっちゃんの二人にどう説明したものかと頭を悩ませながら、私は隣の部屋へと戻っていったのだった。
その後、二人からの追及が激しかったのは言うまでもない。