23 THE TROJAN A WOODEN HORSE ――トロイの木馬――
ドルフェスはしげしげと階段を見つめていた。
どこから見ても、確かに階段である。
両壁や天井も石造りの、見るからに古そうで所々に苔まで生えている。
そろりと後ずさって昇降ホールの窓を見た。後ろに向かい非常灯が流れて行く。
そう、ここは確かに、走行中のリニアの中、のはずなのだ。
しかも、地下トンネルの中でもある。
こんな階段が、あって良いはず無いのだ。
しかし、それは目の前にある。
見上げても終わりが見えないほど長い階段…
この上に、果たしてアルタイルは居るのだろうか?
兎娘の足音は、上の方から微かに響いてくるだけになった。早く追わないと見失ってしまう。
「どうしょうか…?」
得体の知れない階段への警戒心と手掛かりを失いそうな焦りが、両面からドルフェスを責め立てる。
――W-3へ行け――
不意に、耳元で囁かれた。
驚いて辺りを見回すが、もちろん自分一人しか居ない。
W-3…聞きなれない数字に首をかしげていると、昇降口の上に小さなプレートを見つけた。
ベースの常として、上からアルゴル文字、セファート文字、アース文字が縦に並んでいる。
すべて同じ意味を示していた。
A-2
どうやら車両番号の事らしい。
つまり、W-3番号の車両に行けと、あの奇妙な声は言ったのだ。
数字から考えると、ここよりだいぶ後ろの車両らしい。
後ろ…
通路を振り返って、少し考える。
あの奇妙な連中が居る何車両かを通り過ぎて、更に後ろへ…
首を振って階段に向き直る。
戻るのは嫌だった。
決して、あの連中が恐い訳ではない、気味は悪いが…
第一、アルタイルの手掛かりは、この上にある。
戻るのだったら、彼と一緒だ。
ドルフェスは、意を決して階段に足を踏み入れようと、一歩踏み出した。
「止めた方がいいわよ」
「うわ!?」
不意に後ろから声を掛けられて、青年は飛びあがった。
慌てて振り向くと、黒いスーツに身を包んだ滉が立っている。
いや、違う。
滉よりも小柄で、柔らかな体のライン。悪戯っぽい笑顔を浮かべた顔はそっくりだが、少し長めの髪は黒い。
「光さん…?」
唖然として青年が呟く。
形の良い頭がこくりと頷く。
「ええ、迎えに来たのよ、帰りましょ」
しなやかな動作で白い手が差し出される。
「迎え?」
「そうよ、走ってるリニアから飛び降りるなんて、貴方一人じゃできないもの」
いつもながら、津川の人間は考え方が違うらしい。
呆れて光の顔を見ていると、足元に何かが絡み付いた。
「わっ!?」
再び飛びあがる。
くすくす笑う光の声に被って、聞きなれない声が浴びせられる。
「ナァーウーー」
「ミァオー」
足元には2匹の猫が、ドルフェスが驚いた事へ抗議の視線を向けている。
「?」
白い猫が脛に擦りつき、黒い猫はふわりと肩に登ってきた。
「ナァ~ン!!」
耳元で思いっきり鳴かれて、青年は思わず首を竦める。
「あははは。懐かれてるわねー。はじめてみたわ、初対面でその2匹に懐かれる人」
黒猫に頭突きのような頬擦りされながら、ドルフェスは目を瞬いた。
「これ、何ですか?」
間の抜けた問いが出る。
「何って…猫よ。ベースにはいないの?」
「いえ、居ますけど…」
不意に大きな緑の目が片方の視界いっぱいに迫ってくる。肩に乗った黒猫が覗き込んできたらしい。
しばらく、巨大な眼球と見つめ合う。
縦長の虹彩が広がったり細くなったりを繰り返している。最後にくくっと笑うように目が細められ、緑の瞳は離れていった。そのまますとんと黒猫が飛び降りる。
なにやら妙に人間臭い仕種をした猫に、ケット・シーの不気味さを感じて薄ら寒い気分になっていると、そんな様子には目もくれずに、光はしげしげと階段を眺め回していた。
「ふーん、よく出来てるわね。この書き割」
「はあ?」
首をかしげる青年に、双子の兄とそっくりの悪戯っぽい笑みが返される。
「あら、知らない? 舞台なんかで背景に使う絵のことよ。最近は大抵ホログラムだけど、昔は木の板に絵の具で描いてたのよ、学校の文化祭の時なんて、私も描いたもんだわ」
そう言われても意味が解らない。何と言っていいのか判らず戸惑っているうちに、光は階段をぺたぺたと叩いている。
「おお~♪ すごい、ちゃんと触感まであるわ、凝ってるわね~」
ノックしたり、撫ぜてみたり、苔を摘んだりと、なかなか楽しそうだ。
つられて自分も触ってみれば、ひんやりと硬い石の感触が掌に伝わる。
でも、何故だろう、どことなく薄い膜が被せられているような妙な感じだ。
「これ…何か変だ」
思わず呟く。
すると、光の笑みが更に悪戯っ気を深めた。
「聡いわね、あんた」
むしっていた苔を払い落として、光が横に来る。
「これは、五感に直接送り込まれている幻影よ。ファントムが関っている所で、そんなもの信用したら馬鹿を見るわ」
「幻影? でも、今人が登って…」
困ったような呆れたような視線が返って来る。
「兎頭の女の子なんて、倫理規定破って作ったって、なんの役に立つのよ。毛だらけのセクシースタイルなんて、私は見たくないわ」
「じゃあ…あれも幻影?」
「今まで見たのぜーんぶがね。少なくとも、私が貴方を見つけてからこっちは、そうよ。ドアを叩いて歩いていたでしょう?」
「そんな前から…」
事件関係者への接触はタイミングを要する。というのは判っていたものの、間抜けな姿を観察されていたかと思うと、なんとなく腹が立つ。
「監禁されているはずのあんたが、楽しそうにドアを叩いて歩いているし、先頭車両に向かっているようだし、大事を取って、様子を見させてもらったわ」
「そうですか…」
不満気な返事に小さく吹き出された。
「ぷっくくくく」
「…なんですか?」
はっきり不機嫌な声を反す。
「うーんとね。素直だなぁって、思って」
笑われている理由が判って、よけい渋い気分になる。
「この顔で素直だと、面白いですか?」
自分とは正反対の性格の竜造寺龍也か恨めしい。彼と同じ顔だというだけで笑われるのだ、腹立たしいにも程がある。
果たして光は、しっかりと頷いて見せた。
「ええ、面白いわ。私、あんたで楽しむことにしたの」
「楽しむ…」
「そうよ。ここまで良く出来た皮肉、絶対無いもの」
金褐色の瞳が、まっすぐに見詰めてくる。夢の中で、何度も覗き込んだその瞳。
色は褐色から華やかな金褐色となり、儚さなどは微塵も無い強い光を湛えてはいるが、同じ瞳には変わりは無い。
ドルフェスの心臓がかすかにざわめく。
しかし、微かに過った甘い感情は、黒猫の笑みよりも不気味な雰囲気の、光の笑みによってかき消された。
「遊んであげるから、楽しみにしていてね」
忘れていた。
津川家の人間が、歩く傍迷惑だということを。
ドルフェスは今度こそ、竜造寺に対して恨みを募らせた。
「さってと…前に進むんなら、この書き割り邪魔ね」
はるかに続く階段を見上げて、光が軽くため息を吐いた。
「どうするんですか?」
首をかしげる青年に、黒髪の美女は、芝居がかった仕草で両手を広げる。
「魔王が造りし、魔界への階。神の巫女たるアルテミスが、見事消してご覧に入れましょう」
重々しく宣言し、広げた両手を何か棒でも持つように組み合わせた。その手を離さずに、大きく左右に打ち振り出す。
まるで何か旗のようなものを振る仕草に見える。
御幣を振ってるのよ。と光が説明するが、何のことやら判るはずも無い。
ひとしきり振って見せると、それを押し頂くように額に翳し、良く通る声が響き渡る。
「かしこみかしこみもうまうす…神の御前に参りし津川光とドラゴ・ドルフェス。両名の願い聞き入れ賜わりたく。伏して御願い申し上げ奉りまする…」
妙な節回しで、いきなり神に願いだした光を、ドルフェスは唖然として眺めていた。
深く二度お辞儀をすると、再び両手を広げ、
「はあっ」
気合と共に、おもむろに二度拍手をする。
二度目の拍手の時、足元の猫達が階段に向かって跳ぶ。
小さな体が階段の上で交差する。
パリーン!
涼やかな破裂音と共に、目の前の階段がかき消すように消えた。
その向こうには、何の変哲も無い次の車両の通路が伸びている。
「え!?」
目を見張る青年の横で、もう一度礼をして、光はにっこりと笑って見せた。
「日本人は神道だし、二礼二拍手一礼ってば、やっぱお参りの基本よね」
相変わらず意味不明のことを言う。
唖然としている青年を横目で見ると、更ににっこりと笑う。
「さあ、いこっか?」
そう言って、そのまま進む美女に、ドルフェスはおずおずと疑問を投げかけた。
「あのう…何したんですか?」
さっきまで、堂々とそびえていた階段の痕跡を探して、きょろきょろしている青年に、光は軽く肩をすくめる。
「私と、あんたの頭の中に送り込まれていた、幻を遮断しただけよ。拍手と、私の声と、この子達の出す可聴域外の音波を共鳴させて、一時的なシールドにしたの。ま、すぐにまた元に戻るけど、常識さえあれば大丈夫よ」
歩く非常識の津川の女主は、からからと笑いながら説明を閉め括る。
常識っていったいなんだろう? といぶかしみながら、ドルフェスは光の後について歩き出した。
神社は、二礼二拍手拝んでから一礼。お寺は一礼拝んでから一礼が作法ですよ~。
初詣でのお参りには忘れずに。
でも、三輪神社で般若心経を唱える人がいらっしゃるのは何故でしょう?
どなたかご存知ありませんか?