21 RAP GROUP ――話し合う人々――
ずいぶn間が空きました
ガラスのケージの中に、2~3才の赤ん坊が二人寝かされている。
激しく泣きじゃくる二人は、寝台に縛り付けられたうえに、身体中に電極を付けられ、まるで蜘蛛の巣に捕らえらている様に見える。
ケージの回りでは、数人の白衣を着た男女が計器を見つめ、何か調べているらしい。
ガラスに遮断されているせいか、赤ん坊の声は微かにしか聞こえない。
たまらなかった。
あんなに泣いているのに、回りの大人達は作業を止めようとはしない。それどころか2本の注射器を取り出して、血液の採取をしようと言い出した。
人非人め !!
赤ん坊の一人が引き付けを起こして激しく痙攣しはじめた。もう片方も、苦しげに泣き声を大きくする。
――光!!
そうだ、あの二人は滉と光だ。双子たちはその身体に隠された秘密を探るために、両親から引き離されていた。
守らなければ。
ここには自分しか二人を護れる者は居ない。
方法は一つだけだ。躊躇する事はない。
ガラスのケージの前に行き、両手を広げた。
「僕を使え。同じ血を持っているんだ。これ以上赤ん坊を苦しませるな」
白衣の男が近寄ってきた。見上げる程大きい男・・・いや、自分の方が小さいのだ、そう、自分はまだ子供だから・・・
「坊っちゃん。そんなことを言うものじゃありませんよ。社長が心配なさいます」
「父は関係無い。赤ん坊何かより、僕の方が色んな実験ができるよ」
男は困惑したような振りをして、業とらしくため息を付いて見せた。
「いいですか坊っちゃん。あの双子は、人間より化け物に近いんですよ。電流や薬物に対して異常なほどの抵抗力を持ち、傷の治り方なんて普通の三倍は早い…そんなものが人間といえますか?」
ちらりと気味の悪い物を見る視線を赤ん坊に投げる。
「ああ引き付けていても、10分もすればけろりと治るんです。心配する事なんてありませんよ」
何を言う!!お前達に双子をいじりまわされてたまるものか。
「薬だったら僕にも効かない。傷の治りだって早い。僕を使え」
頑として言い張る子供を扱いかねた男は、後ろを振り向いて計器の陰で見つめている男を振り返った。
上品な顔立ちの男を見つめる自分の目は、おそらく憎悪に満ちている筈だ。この非道を平然と眺めている男。挙げ句そんな場所に自分の息子を連れてくるような男。
「父さん。僕を実験台にしてよ。赤ん坊よりも使い易いだろう?」
男は微かに笑った。ぞっとするほど冷たい笑い方だ。
「龍也。そんなに双子が大事か?」
面白がっている様な冷たい声。
面白いんだろうきっと。滅多に口も利かない息子が、双子に関しては必死になる。そんな様はさぞかし面白いに違いない。
お前何かより、双子達の方がより自分に近い。何よりも、双子は自分のものだ。
誰にも渡さない。ましてやお前などに渡すものか。
「判った。お前を使ってやる。お前に免じて双子は帰してやる」
「もう、何もしない?」
「今後一切手は出さない。その代わり、お前は逆らうな」
頷く他は無い。信用はできなくとも、家に戻されれば、あの人が双子を護ってくれる。
力を貯えなければ・・・いつか、この手で双子を護りきれる様になるまで。
必ず・・・
規則的な振動が体を揺らす。
ドルフェスはまどろみの中で、軽い機械音が体を揺らすのを感じていた。
ゆっくりと夢から覚めてきたが、未だ身体はだるく、じんわりと痺れ、揺れていること以外は何も感じられない。
自分は何で寝ているんだろう?疑問は頭をもたげ掛けるが、すぐに霧散して、だるさだけが残る。目蓋は重く、開く事も出来そうに無かった。
もう一度眠ってしまいたい。でも、遠くで人が話している声がする。それがとても気になる・・・・・・・
誰かが馬鹿にしたような声で言う。
「だからこいつを出汁に使うわけか?」
「仕方あるまい、それが条件だ」
貴公子の声が聞こえた。珍しい事に、どこかしら苛立っている様な響きがある。
ドルフェスはぼんやりした頭で、貴公子と話している男の声に聞き覚えがあるような気がした。しかし、それ以上は考える事も出来ない。
「お前らしい迂闊さだな、お人好しが。身内のつてがあてにならないのは、よく知っているだろうが」
相手の声にはあくまでも刺がある。
貴公子はため息交じりに言い返した。
「そもそも、あれの心を歪めたのはお前だぞ」
「俺は何もしてはいない」
「余計悪い。あれは、お前が振り向く時を待っておった。しかし、お前は無視し続けた。20年だぞ、これではどんな者でも歪むというものだ。おかげで私は、居心 地の良い古巣から抜け出して、人攫いの真似をさせられる始末だ」
相手の男は息を吐き出した。
「おい、いいかげん煙草は止めろ。煙くて堪らん」
ドルフェスは自分の喉に刺激を感じた。ゾルゲと共に居た時を思い出す。彼も煙草が好きだった。
喫煙はアース人が広めた習慣だ。貴公子と話している男も、アース人かも知れない。
「お前の家系は、とにかく気が長いからな」
貴公子の抗議は無視して、男が言う。
「諦めるという言葉を知らん」
「双子に対する、お前の執着の仕方には負ける」
からかう様な貴公子の声。
「人の事が言えた義理か?」
言い返す男に、
「何故、光に会おうとしない?」
多少声を強めて貴公子が切り返す。
「光の涙を見るのは、それ程嫌か?」
男は無言だった。どうやら痛いところを突かれたらしい。
「目隠しをして何も見せぬ事が、お前の護り方なのか?随分怖じ気づいたものだな」
ここぞとばかりに詰め寄る貴公子に、男の低い笑が答える。
「何がおかしい?」
「インキュバスを嗅がせて、身動き出来んようにした相手をいたぶらないでくれ」
「そうしなければ話しが出来んではないか」
インキュバス。商売柄その名をドルフェスはよく知っていた。セファート星系原産の多年草オルトネァトゥリム[アース名ティアラドリーム] をアースで栽培したところ、種に強力な誘淫幻覚成分が含まれる様になった。これを精製して作られる麻薬の名前がインキュバスだった。 0.1㎎というわずかな量を吸飲又は飲用するだけで強烈なエクスタシーを伴った半昏睡状態を引き起こし、服用者は至上の快楽を得るところから、アースの伝説に登場する夢魔の名を与えられているこの麻薬は、伝説の夢魔が、一度虜にした人間の精力の全てを吸い取って、死に至らしめるのと同様、強い習慣性と毒性によって、短期間の内に服用者の体を蝕み、数多くの人間がその毒牙にかかっていた。
インキュバスが発見されて200年。セファートはオルトネァトゥリムの輸出を禁じ、アースでも一切の栽培が禁じられているにも関らず、未だに夢魔は闇の中でまかり通っていた。
ドルフェスも何度か捜査に駆り出されて、摘発に躍起になったものだ。
そんなものを持っていたら連邦犯罪になる筈なのに、あまつさえ人に使ったなんて・・・疑問と心配が沸き上がって来はしたが、すぐにだるさにすり変わってしまって考えに集中出来ない。
諦めて再び会話に耳を傾ける。
「それにしても、お前達の身体はどうなっているのだ?お前に使ったインキュバスは0・2mgほとんど原液だ。普通の人間なら三日は昏睡するか、弱ければショック死するものだぞ」
貴公子は笑いながらとんでもない事を言う。男は煙を吐き出す音をさせた。
「そんなに俺を殺したかったのか」
「ふん。お前がこれ位で死ぬような玉か?現にそうして平気な顔をしているではないか。おまけに・・・何本目だ?」
小さな電子音が聞こえ、相手の男が新しい煙草に火を着けたことが判った。
「知らん」
あっさりとした答えに、貴公子がため息をつく。
「やれやれ、私まで煙草臭くなってきた。とにかく、お前が光を放っておくのならば、丁度求婚もした事だ、私が貰ってもいいのだぞ。心しておけ」
「アルタイル」
「何だ?」
「お前、光を女と思ったこと有るのか?」
「いいや」
これまたあっさりとした返事に、聴いている青年はため息をつきたくなった。この連中はどこまでが本気なんだろう。
楽しそうな、男の含み笑いが聞こえる。それが不意に途切れた。
「お前はこのまま、あいつに会いに行く気なんだな?」
今までとは違う、まじめな声だった。
「うむ。行かざるをえまい。あれの事は、兄者から託されているのだ、見捨ててはおけぬ。それに、訊かねばならぬ事もある」
貴公子の声からもふざけた響きが消えていた。
「お前は途中で離脱しろ、連中にお前を取り戻されては困るからな。薬が切れれば動けよう」
「俺が行けるとは限らんぞ」
「逃げ道は確保しておいてやる。それにどうせ、もうすぐ滉か光が迎えに来る」
「それなら、こいつでも行けるかな?」
見えている訳ではないが、男が自分を示しているのが判った。この男は何者なのだろう?初めてはっきりとした疑問が浮かぶ。
彼は自分を知っているらしい。声にもとても聞き覚えが有る。
だるかったが、何か大切な事を忘れている様な気がして、ドルフェスは何とか思い出そうとあれこれ記憶をまさぐった。
考え込んでいるうちに、話し声が遠ざかっていった。
代わりに耳元で、コポコポという水音が聞こえはじめた。そして強い眠気が身体中を包んで行く。
睡魔に飲み込まれながら、意識の片隅で悔しがっている自分を感じていた。其れは、何も出来ずに、ただ流されている自分を、嘆き罵る声だった……………
「…眠ったか…」
カウチに体を伸ばして、煙草をふかしながら男が呟く。
「誰が?」
アルタイルの問いに、男は口の端を上げて見せた。
「ああ、ドルフェスか。竜造寺、お前には判るのだな」
思い当たって頷く貴公子に、深く吸い込んだ煙を吐き出しながら、竜造寺はせせら笑った。
「あいつにだって判るはずなんだ。だがあいつは感じるどころか、無意識に俺の存在を否定しようと躍起になっている。まあ、あんなに常識に囚われたままの固い頭じゃあ、一生無理だろうよ」
「無理もあるまい、中にいるのがお前ではな…」
業とらしくドルフェスに同情して見せる貴公子に、竜造寺が視線を向ける。
「何が言いたい?」
「聞こえた通りだ」
アルタイルの厭味にたいしても、竜造寺の目には何の感情も浮かば無い。
ドルフェスには、間違っても出来ない冷たい目だった。永年の友人に対する視線がこれである。
無表情な顔の口だけが動く。
「滉に、お前を絞めあげろと言っておいたんだがな」
「随分物騒な話だ」
淡い色の液体が満たされたグラスを片手に、アルタイルは小さく笑った。
「何で私が、絞めあげられ無ければ、ならないのだ?」
優雅に首を傾げて見せて、グラスを揺らす。薄暗い照明を反射して、中の酒が淡く輝く。
揺れる光に照らされて、端正な顔が優しげに微笑んでいる。
これがドルフェスならば、思わず見とれるところだが、竜造寺は、面倒臭そうに煙を吐き出しただけだった。
「いきなり俺が出てきても、驚くどころか、納得していただろうが。それに、お前があいつを、トゥア、と、呼んでいたからさ。」
わざとらしく言葉を区切る。
「あの呼び掛けかたは、よほど特別な相手にしか使わない。俺が憶えている限りでは、後は香花にだけだった」
青い瞳に、夢見る様な光が浮かんだ。
「我が恋人…愛しい香花。ああ、確かにそうだ」
そっとため息をついて見せるアルタイルに、竜造寺は、にやりと口を歪めた。
「それに、ドルフェスってぇ名にも、引っ掛かる」
皮肉に満ちた視線を受けて、貴公子は再び優雅に微笑んだ。しかし、瞳にはもう、柔らかな光は無く、探る様な鋭い視線に変わっている。
「彼の名を考えてみれば、その素性はすぐに分かろう。だからこそ、お前は、今の時点で光に会いたく無いのだろう?彼女の気持ちを考えれば、分からなくも無いが…」
黒い目には、相変わらず何の感情も浮かばない。
「その悟りすました態度を、どうしてやれば崩せるのかな」
アルタイルは苛立たしげに眉を寄せたが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。
「そう、一度だけあったな。あれは、私が光を宇宙船から突き落とした時だった。お前が恐怖に引きつって飛び出して 行った様は、実に見物だったぞ」
悪役そのものの笑い方をしてみせながらアルタイルが立ち上がる。
「さてと、肺癌にならぬうちに逃げ出すとるか、お前はゆっくりと休んでおけ」
「卸陰様でそれしか出来ん」
煙幕の向こうから、竜造寺が煙草の箱を振って見せる。
「ついでに差し入れを頼む」
「こんな所でそんなものがあるか。代わりにこれでも飲んでおけ」
うんざりした声で言い返して、小さなアンプルを投げてよこす。
「なんだ?」
「スネルトィ…」
竜造寺は目を眇めた。
「ふざけているのか?インキュバス並にやばい麻薬だぞ。」
貴公子は極上の笑みを見せつける。
「最近わかったのだが、インキュバスの中和剤として、非常に有効なのだ。尤も、使う側の体力次第だが、お前なら大丈夫だろう」
忍び笑いをもらしながら、アルタイルは部屋から出ていった。
微かな音を立ててドアが閉まる。
しばらくの間竜造寺は、まるで遮断された通路の音を聞いているかの様に、身じろぎ一つせずに居たが、やがて苦しげな息をもらしてカウチに深く沈みこむ。
虚勢を張っていたものの、通常の2倍の麻薬を吸わされた体は、実際、かなり辛かった。
小さな瓶を弄びながらふっと苦笑がもれる。
「犯罪マニアめ」
躊躇うことも無くアンプルの口を折って、どろりとした液体を飲み干す。妙な甘みが口中に広がり、竜造寺は眉を顰めた。
「素養だけの勝負か…まったく…野坊主に身体を鈍らせやがって…鍛え直さんと、話にならんな」
昔、父親の実験材料になっていた時を思い出す。
あの時も、あらゆる麻薬を試されたものだった。すべての薬物が常人の半分も効かない事を知った時のあいつの嬉しそうな顔…この手で破滅に追い込めた時の暗い喜びが、嫌悪と共に蘇ってくる。
「そろいも揃って、ろくでもない父親だ。…まったく、滉の女好きよりまだ酷い」
竜造寺は深く煙を飲み込むと、苦い笑い声と共に吐き出した。
まるで自分を嘲る様な乾いた笑いが、薄暗い室内に溶けだしていく。
ひとしきり笑った後、男はゆっくりと黒い髪を掻き上げた。
額に手を乗せたまま動作を止め、天井を睨みつける。
「来るのは光だな……じゃじゃ馬が」
掻き上げた髪をぐしゃぐしゃとかきまわして、竜造寺は自分の胸を指先で軽く叩く。
「おい、坊主。危なくなったら俺に頼れ。それぐらいならやってやる……光を危険に向かわせるな」
言葉の終わりを吐き出すと、ゆっくりと目を閉じた。
リニアのシルエットを縁取っていたビルの明かりが、まばらになりはじめる。
高架は次第に下がりはじめ、じきに亡者を飲み込む闇の河口の様な、地下への入り口に飛び込んで行くだろう。
リニアラインは、この地点から住宅街に入るのだ。
ベースの地下収納好きは、ここでも遺憾無く発揮されている。大小の同心円を中心に、いびつな瓢箪形になった都市の外側に広がる居住区は、歩行用道路以外の地上交通機関を地下に飲み込んでいた。
特に、リニアラインは住民の足として網の目の様に入り組んでいる。
滉は、現在位置を地図と照らし合わせて舌打ちした。
やっと路面制約を外したものの、乗り移るタイミングを逸したアース人は、リニアの車窓から見つからないように、高度に気を付けながら伴走していた。しかし、このままでは、それすらも儘為らなくなる。
「どうするネプチューン?このままケツ追っかけて行くしかねぇかぁ?」
そんな事をすれば、一発で相手に見つかるに決まっていた。
「たまんねぇな…上から監視かぁ」
どうもサポート役は性に合わない。
付かず離れず待機して、タイミング良く救いの手を差し伸べる。
手順はばっちり、経験もOK。
しかし、何度やってもこの"待つ"という事に耐えられない。
「ほんと…旦那はよくやれたよな」
完璧なサポートで双子の援護をしてくれた、竜造寺の姿を思い出す。彼が後ろに控えていれば、どれ程の無茶でも平気で出来た…
ふと、自嘲の笑みが浮かぶ。
我ながら現金なものだ。竜造寺は死んだと諦めていた今までの間、先鋒もサポートもそれなりにやってきたというのに、彼の存命が確認できた途端、もう昔の様に後ろに立つことを心待ちにしている。
共に過ごした20年間、どれほど彼に頼りきっていた事か、今更ながらに思い知らされると言うものだ。
「しゃーねぇか」
モニターのキーを幾つか操作して、フロントウインドウに映像を投影する。
線画と記号でベースの地図が展開され、市街の輪郭をなぞるように、ピタリと今見えている街の上に重なった。
車体の動きにあわせて、刻々と変化してゆく画面の中を、記号のベールを被せられたリニアが疾走する。
その記号に重なって明滅している光点は、光が発している座標ビーコンだ、地下に潜れば、これだけがリニアの位置を知らせる命綱になるだろう。
サブウエイラインの路線図をモニターに映しながら、思いっきり顔を歪める。
一般に公開されている路線図では、データーが少なすぎた。
光に何かあっても、ここからでは何も出来はしない。いや、何よりも、路線図に記述のない支線に入られた場合、ビーコンが途切れれば、ドルフェスや光の行方をつかむ事は難しくなる。
時間はかかるが、連合捜査官の権限で、リニア管理会社から詳細を記した地図を転送らせるしかないだろう。
「アルのボケなんぞ、お供付きなんだから、どーとでも出来るだろうがよ…」
ガシガシと頭を掻きながら、滉はため息をついた。
今ならまだ間に合う、どうせ自分達が来る事など予想の上に決まっている。無理にでも屋根の上に乗り移っておこう。進入口など容易く見つかる。
待つ事嫌さに意を決っして、地下に潜りはじめたリニアの上へ回りこもうとしかけた途端、フロントウインドウのディスプレイが、住宅街の地下に広がるリニア網の表示に変わっていく。
「何だぁ…?」
まるで唐草模様の様に、複雑に絡まり、寝静まった暗い市街地の上に浮かび上がった路線図は、滉の呼び出したものより遥かに精密だった。
訝しげに眉を寄せたアース人の耳に、クスクス笑う女の声が飛び込んでくる。
『どう?驚いた?』
少し甘ったるいアルトの響き。
「魅羅か!?」
『はーい、LITTLEMOONよりBIGSUNへ。私からの贈り物、気に入っていただけたかしら?』
妙にはしゃいだ魅羅の声が、通信機から弾ける。
「どーなってんだこれ」
『SHADOWMOTHERから、御前たちがリニアに乗り込んだって、聞いたのよ。そうしたら即座に協力して下さった方がいらしたの』
「協力…誰が?」
『うふふふ…』
魅羅の含み笑いに、別の女のそれが重なる。
「モセ署長?!」
自慢だが、女の声を聞き間違えたことは一度もない。
『よくお解かりですわね、Mr.津川』
果たして、魅羅の声の後ろからモセの声が流れる。
「署長……これは一体…?」
さすがの滉も、言葉の継ぎ穂を失った。
『うーん、驚いてるでしょう?もっと驚かしてあげる』
うれしげな魅羅の声。
『リニアのライン上にある、すべてのターミナルや待避用の出入り口には、もう警官隊の配置が完了してるわ。ついでに、近隣の衛星都市にも、配置の依頼をしてあるのよ。容疑はドルフェス誘拐。御前の名前は出してないわ。ね、ね、誉めて誉めて♪」
はしゃぐ魅羅に、
「…おめーがしたのかよ?」
冷たい父親の声。
『ぶーーー』
膨れる娘は放っておいて、滉は感嘆の言葉を発した。
「それにしても驚きましたよ。こんな裏技をお持ちとは…」
『あら、こんな事、何でもないんですのよ』
はにかむ淑女に、色男を自負するアース人は、優しく囁く。
「御謙遜を…あなたは本当にすばらしい方だ。感謝いたします」
軟らかなテノールの声は、こうすると実に効果的なのだ。
「この事件が終わったら、今度こそ、私の祝杯を受けてください」
『まあ、本当に、私なんかでよろしいのかしら?』
「もちろんです。貴方だからこそ…」
『なーに言ってんのよ。んな事やってる場合じゃないでしょ?ママとD・Dはどーすんのよ』
身内への言葉とはえらい違いの言いように、通信機の向こうでぶつぶつ文句を垂れている魅羅の声が聞こえる。
それに反応したのは、当然モセである。
『あらあら、いけませんわ。ここは一刻も早く、御前達を助け出さなければ』
「…そうですね…」
捕まえかけた獲物に逃げられて、滉はこっそり舌打ちをした。理解のある奥方の忍び笑いが、もう一つの専用通信機から漏れる。
さすがに文句をつけるわけにいかず、決まり悪い仏頂面で居ると、
『Mr.津川。光姉様の追尾ビーコンを、こちらでも捕捉したいので、周波数を教えて下さいな』
件の獲物から、呑気な申し出がよこされた。
「ええ、かまいませんよ。シャドウ、頼む」
快く引き受けて、ふと、違和感を覚える。
「?…光姉様…?」
いぶかしむ滉に、魅羅の爆笑が叩き付けられた。
『キャーハハハハハ!!』
「何だぁ?」
『アハハ…ごめんごめん…でもおっかしー。ひゃははは…』
魅羅は、身悶えするほど笑っているらしい。ダンダンと床か机を鳴らす音まで聞こえてくる。
「……」
憮然と通信機を睨みつつ、光のビーコンをチェックする。笑い転げている魅羅に何を言ったって無駄なのだ。
ひきつけを起こしそうな魅羅を、やはりくすくす笑いながら宥めにかかるモセの声が聞こえ、二人の親密さがなんとなく気に入らない。
今のところ6勝3敗。よもや魅羅に先手を取られたか?
滉は、密かな危機感を抱えながら、地下を疾走するリニアの動きを見つめていた。
『レーイ。来てくれ、レーイ。』
誰かが、幼女を呼んでいる。
『急いでくれ、君の力を借りたい』
エミーはゆっくりと目を開いた。
白い天井が見える。ぼんやりと首を巡らせて周りを見た。
天井と同じ、白くがらんとした殺風景な部屋である。
「ここ…どこ…?」
呟いてから、はっとして枕元を見た。しかし、彼女の問いに答えるお節介は居ない。
ほっとして起き上がり、ゆっくりと伸びをして、身体がすんなり動く事に気がついた。
確か、自由を奪われて、妙なガスを吸わされたはずだった。
殺されたと思っていた。
しかし。
この爽快な気分はどうだろう。まるでたっぷりと眠って、ちょうど良いタイミングで目を覚ました時のようだ。
身体の何処も痛くない。それとも、……もう死んでいるのだろうか?
エミーはもう一度あたりを見回した。
光源はわからないが、室内は十分に明るい。後は何も無い。
自分が寝かされていた寝台を除けば、気持ちが良いほど何も無い部屋だった。
楕円形の寝台には軟らかな詰め物がされていて、エミーの体を支えている。
エリー館とかいう、いかにもなお化け屋敷の部屋とは明らかに違っている。こんな近代的な部屋があの世とは思えない。
「正体見せてもらおうじゃないの」
にやりと笑って、赤毛の婦警は寝台から降りた。
裸足の足に、白い床が意外なほど暖かい。どうやら空調ではなく、床によって室温を一定にしてあるらしい。
薄いガウンの下には、何も付けていない事に気がついた。一瞬、羞恥と怒りで頭に血が上りかけたが、どうにか自分をなだめて深呼吸を数度する。
落ち着かなくては、ここから脱出しなければ。
部屋の壁は全て均一で、何処にも出入り口らしいものは見当たらなかったが、エミーが近づくと、目の前の壁がぽっかりと口を開いた。
部屋の外には、正面へまっすぐな廊下が伸びている。どうやらここは廊下のどんずまりらしい。
思い切って歩き出す。
部屋と同じ材質の、白い壁で囲まれた廊下はかなり長く、他に入り口が開いてもいない。
「薄気味の悪いとこね」
眉を顰めながら進んでいく。
と、前方に分岐路らしき場所が見えてきた。
『レーイ。何をしているのだ?早く来てくれ』
再びあの声があたりに響き、エミーはびくりと身を竦ませた。
「はーい。はいはーい。そんなに急かさないでよ。幻伯父様。これ重いんだから」
あの幼女が、柄の長いデッキブラシと大きなバケツを抱えて、前方の分岐路をよたよたと横切っていった。
分岐路まで急ぎ、壁に貼り着くと、じっと耳をそばだて、幼女の足音が消えるのを待つ。
完全に大丈夫と確認すると、幼女が行ったのとは反対の方向に走り出す。
きっと出口は、幼女の来た方向に有るに違いない。などと単純に考えたわけではなかったが、とりあえず、人の居ない方へ行きたかったのだ。
廊下の向こうに、出口らしきものが見えた。
歩調をゆるめてそっと中を伺う。
やはり何も無い部屋があった。
さっきの部屋と違うのは、反対側にもう一つ出口が開いていることだ。
用心しながら部屋を横切り、二つ目の出口からその向こうを伺うと、そこは、今自分が居るのとまったく同じ部屋だった。
同じように次を覗く。
また、同じ部屋である。
何も無い誰も居ない。おんなじ部屋が続いている。
そんな部屋を6つも通ると、さすがに嫌気がさしてきた。
「馬鹿にされてるのかしら…」
意味も無くむかっ腹を立てて、無造作に次の部屋を覗く。
でかい顔があった。
「げ!!」
慌てて身を引く。そして今度は慎重に首を出してみる。
でかい顔は、6階ぐらいが拭きぬけになっている広いホールのような場所に置かれた、巨大な彫像の頭部だった。
エミーの立っている出口は、そこからキャットウオーク張り出しの廊下が壁に沿って左右に伸びて、ホールをぐるりと回っている。
恐る恐る手すりに近寄って、ホール全体を眺めた。
ホールの壁は、今までとはまったく違って、黒く冷たい石が組まれている。
壁面の所々に奇妙なオブジェがあり、そこからぶら下げられた籠に、薪の様な物が入っていて、明々とした炎をあげている。下の方にも同じ様な灯かりがあり、巨像の正面とおぼ思しい辺りに置いてある一対の大きな松明と合わせて、これらの原始的な照明だけがこのホールを照らしているらしかった。
でも…この荘厳な神殿らしい場所の主役である巨像は、何なんだろう……
その像は、6本の腕を持つ2人の人間が、背中合わせになっている様に見えた。
彼女の側をむいている方の顔は、彫りが深く、精悍な顔立ちをした男の様だった。穏やかな視線でまっすぐ前を見詰め、閉じられた唇が笑みを形作っている
アースの一地方にある古代彫刻が持つ特徴で、アルカイック・スマイルというものなのだが、エミーには"気味の悪い顔"程度に思えただけである。
エミーは張り出しを歩きながら、ゆっくりと像を眺めた。
計12本の腕は互いに絡められ、愛撫し合っているかのようだ。男性像の裏側にある顔は見えないが、腕の太さから女性像だと推測できた。
それにしても何とまぁエキサイティングな色彩だろう。
巨像の、磨き上げられた滑らかな肌には、およそそぐわないと思えるどぎつい色の塗料が、おそろしく無秩序に塗り付けられていた。
右頬に赤と黄色、左頬には緑に紫といった具合で、てんで纏りが無い。それに汚らしい。
まるで絵の具を風船に詰めて、思い切り叩き付けたような、メチャクチャな色が躍っていて、なんとなく悪意さえ感じる…
とてもじゃないが、大切に安置された御神体とは言えそうに無い。
「何なのよここ…まぁ、お化け屋敷にはお似合いの場所ね」
不快感もあらわに、赤毛の婦警は吐き捨てた。
こうしてはいられない。こんな変な場所で時間を潰している暇はないのだ。
足早に歩きながら出口を探す。と…石作りの扉のようなものが有った。
「これはまた……」
絶句する。
大理石で造られ豪華な彫刻で飾られている扉らしいものは、巨像以上の汚らしさだった。
蔦をイメージさせる浮き彫りのある側柱にはテープの切れ端が貼りつき、塗料は大きな刷毛でべたべたに塗りたくられている。
そして、巨像には無かったが、ここには一面に文字らしいものが書き殴られている。
アースの文字だという事だけは解かる。
エミーに数多あるアース文字への造詣が有れば、ここに書かれた文字の意味が解かっただろうが、残念ながら彼女には、文字に込められた悪意と憎悪が感じられただけであった。
しみじみと眺めていると、足元に千切られたテープや、ペンキ落としと書かれた溶剤の缶があるのに気がつく。
さっき幼女が抱えていたブラシとバケツが浮かんだ。なるほど、あれはこれに使われていたのか。
「あんな小さな子供に掃除させるんだから、やっぱりここお化けしかいないのね」
呆れて呟いた時、下の方から何か音が聞こえた気がして、赤毛の婦警は咄嗟に身を伏せた。
そのまま床を這って、手摺りの間から下を伺う。
案の定、下にある入り口の方から、何かが回るカラカラという音と、人の足音が聞こえて来きた。やがて3人の人影と、車椅子に乗せられた人物が入ってくる。
車椅子の側にはあの幼女がいた。
「ねぇ、お祖父様。どうして此処でするんですの?」
幼女が車椅子の横をとことこと歩きながら、可愛らしく首を傾げてみせる。
反対側の横では、あの稀胤とかいう幽霊が大袈裟に肩を竦めた。車椅子を押していた髪の長い人物も軽く首を傾げる。
その顔を見て、エミーは眉間に皺を刻んだ。
地味なメンズスーツを着てはいるが、病院でドルフェスにへばり付いていた女検事だ。
女が口を開く。
「レーイ。これは僕ではなく、幻の考えなんですよ」
この前聞いたときよりも幾分低い声。口調も違うことに違和感を覚える。それに、なんでお爺様なんだろう…?
「幻、お姫様に教えてくれよ。僕も知りたいからさ」
稀胤がいつも通りの軽い口調で言う。
息を殺して伺うエミーの後ろから声がした。
「稀胤。さっきから気になっていたのだが、いつまでお客さんを放っておくつもりなのだ?」
「い!?」
飛び起きると、扉の前に男が一人立っていた。
ゆったりとしたセーターを着た、背の高いやせぎすの男が、エミーを見ながら薄く笑う。
「女性をエスコートするのは、君の生きがいでは無いのか?」
「だって、僕が近づくと怒るんだよ」
何時の間にか、手すりに外側から寄りかかって、稀胤は口を尖らせる。
「目が覚めたときに、男に覗かれていたら、誰でも怒るとおもうぞ?」
「今までそんな事無かったよ」
癖の無い黒い髪に、半ば隠れるように見える黒い瞳に、皮肉な光が閃いた。
「王子様を待っている女ばかりじゃないって事さ」
デニムパンツのポケットに両手を突っ込んだまま、エミーには一言も挨拶をしないで、男はくるりと踵を返し、手すりに向かって歩き出した。
男の体が手摺りに近づくと、不意にぽっかりとその部分が開く。
まるで氷が融けていくかのように、手摺りと張り出しの床が形を変えていく。
男が一歩足を踏み出すと、そこには下まで届く階段が現れていた。
お化け屋敷の魔法に、エミーが呆気に取られていると、稀胤がにっこり笑いながら右手を差し出す。
「どうぞ、お嬢さん」
床にぺったりと座り込んだまま、エミーはその手を睨み付けた。
「有りもしない手に捕まれるわけ無いでしょう?出来る事と出来ない事の見境も無いのかしら」
稀胤は眉を寄せて男を振りかえった。
「ほら、怒る」
男は肩を竦めただけで、そのまま降りていく。
「稀胤、怒られる事を気にするよりも、お客さんの形態の方を気にしてやれ」
不意に言われて、エミーはガウンの前を掻きあわせた。
「やだ!伯父様。着替えの事、お教えにならなかったの?」
途端に幼女が目を吊り上げる。
どうやら彼女の身長では、張り出しに座り込んでいるエミーの姿は見えなかったらしい。
幼女は、
「んもう!」
と叫ぶと、そのままホールを飛び出した。
「枕元に、メモは置いておいたよ…」
ぶつぶつと稀胤が口の中で言い分けをしている。
「見てないわ、そんなの」
すっかり逆恨みモードに入ったエミーが、稀胤を睨み付ける。
「あたしが起きている事知ってて、業と泳がせていたのね…こんな格好させて」
栗毛の美青年は慌てて首を振った。
「違うよ、僕と幻は、D・V全体に神経を巡らせているから、嫌でも解かっちゃうのさ」
「つまり、手のひらの上で遊ばせて頂いていた訳ね」
「だって君、干渉して欲しくなさそうだったし…」
「影で見張られながら、気が付かないのを嘲笑われるよりずっと増しよ」
稀胤に文句を並べたてながら、エミーは知らん振りで降りていった男を睨み付けていた。
気になるのだ。
あまりにも似ている。
顔立ちや後ろ姿、ついでに笑った瞬間に見せた小さな仕種まで、彼女が今、自分の次に心配している青年…ドラゴ・ドルフェスに…
ドルフェスの謎ww