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19 BE NOT ALL THERE?――正気?――

津川に保護をされたエミーは?

 微かに甘い香りがする。これは薔薇………?

 優しく頬をなぶる風の心地好さに促されて、エミーはゆっくりと目を開いた。

 アンティークな寄せ木細工の花模様が見える。

「?」

 微妙な木肌の色で作られた薔薇の花は、次第に覚醒していくにつれ、何枚もの天井の羽目板となり、中央の薄薔薇色のシャンデリアを囲んで、咲き乱れる花園になった。

「ここは…?」

「エリー館。幻惑の(とばり)に包まれし薔薇の館。お目覚めですか? お嬢さん」

 枕許から低い男の声がして、エミーは驚いて首を巡らせた。

「おはよう」

 ヘッドボードに腰掛けて、栗色の髪の男がいる。

「あんた誰?」

 男はにっこりと笑いかけて来る。紫の瞳が深い色を湛えて静かに輝く。

 すごいハンサムだった。でも、どこかで見たような…?

「僕は稀胤(ケイン)。この館の住人」

 柔らかなバリトンの声が、辺りに漂う薔薇の香りによく似合っていた。でも、この声も、何処かで聞いた事がある。

 何だか頭が重い。起きようとは思うのだが、動くのもおっくうだった。

「ここ…どこ?」

 ぼんやりした頭で、エミーが呟く。

「だから、エリー館」

「そんなのさっき聞いたわ。何区の何通り何番地?」

 エミーの切り替えしに、懸胤(ケイン)は一瞬言葉を失ったようだ。

「あたし、何でここにいるの?」

「………君を守るため」

「何であたしが守られなけりゃならないのよ」

 顔をしかめて言い返すと、懸胤(ケイン)は小さく笑う。

「やれやれ、気の強いお姫様だ」

「くっさい台詞。あんた言ってて恥ずかしくないの?」

 懸胤(ケイン)は、大袈裟に肩をすくめて見せた。

「君にムードは不用って訳か。いいでしょう、それじゃあ単刀直入に。ここは津川の家。君は、今のところ家の居候ってところかな?」

 眠気が吹き飛ぶ。

 アドネナリンが背中を駆け登り、頭に血を送り込み、エミーは跳ね起きた。

「何それ!?」

 毛布を握り締めて懸胤(ケイン)を睨みつける。

「何であたしが居候なのよ!! 勝手にこんなとこに連れてきて、その言い草は何よ!!」

「僕が君を連れてきた訳じゃないよ」

「じゃあ、だ…」

 言いかけて、思い出した。

==仕方ないわね、いらっしゃい==

==いやよ、行きたくないわ==

==いやがってるわよ、やめときましょう==

==めんどくせえな==

「あいつ…あたしを殴って…」

 懸胤(ケイン)がのんきそうに首を傾げた。

「あいつって?」

(あきら)よ、津川滉!! あの野蛮人!」

「へぇ」

 エミーは眉を寄せ、懸胤(ケイン)の顔をじっと見つめた。

「そう言えば、あんた、あいつに似てるわ。ううん。もっと最近あんたを見たわ」

「さあ、僕は初対面だよ」

 にっこり笑って見せた懸胤(ケイン)だが、エミーは短く息を吸い込む。

「そうよ!あいつと一緒にいたでしょ。D・Dがあんたをファントムとか言っていた!! あんた達やっぱりグルだったのね!!」 

 確かに、目の前の男は、あの時下品な笑い声を発てていたファントムとかいう男そっくりだ。 唯一の違いは眉まで白かった髪が、明るい栗色に変わっている点である。

 それに物腰も、とことん下品だったファントムに比べ、懸胤(ケイン)には、そこはかとない気品すら感じさせる。しかし、その容姿も、声も、紛れも無くファントムのものだった。

 エミーの告発に、懸胤(ケイン)はわざとらしく顔をしかめて見せた。

「ファントムぅ?失礼な、あんなモノと一緒にしないでくれたまえ」

「なぁにがくれたまえよ。馬鹿にして!!」

 地団駄を踏むように身悶えして、エミーの声がオクターブ跳ね上がった。

「あたしをどうするつもりよ! D・Dと一緒に殺すの?!D・Dはどこ?! あんた達、もう殺したんでしょう!」

 懸胤(ケイン)はため息をしつつ首を振った。

「君のD・Dは、元気に今朝グラン・パ(じいちゃん)と出かけたよ。足は二本、首も付いてたし、血も出てなかった様に見えたよ。それに、もう一度言っとくけど、僕はファントムじゃ無い、津川懸胤(つがわケイン)。お見知り起きを」

 エミーは目を釣り上げた。

「あんたはファントムよ!! この眼でちゃんと見たんだから! 髪なんか染めたぐらいでばっくれられるとでも思ってんの?!」

 怒り狂ったエミーは、懸胤(ケイン)の髪を掴もうと手を伸ばす。

 絶妙なウエーブを自慢げに揺らしている、栗色の前髪を掴んで思い切り引っ張った。はずが、エミーの手は虚空に泳いだ。

「避けないでよ卑怯者!!」

 何が卑怯なのか判らないが、余計に頭にきて、整った横っ面を張りとばした。

 が、その手も空を切る。しかも、懸胤(ケイン)の顔を素通りして…

「?」

 もう一度、手を戻す。

 今度は探るように懸胤(ケイン)の顔の当たりで手を振ってみた。やはり何も無い。

 懸胤(ケイン)は動かずににやにや笑っている。

 だが、よく見れば、懸胤(ケイン)の後ろにある棚の形が透けて見える事に気がついた。

 虚を突かれた様に、エミーは動きを止める。

 しばしの沈黙……

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 エミーの悲鳴が辺りに響きわたった。

 その途端。

「伯父様!!」

 部屋のドアが勢いよく開かれて、同時に甲高い声が轟いた。

「なんて人なの! 女性の寝室に忍び込むなんて、最っ低でしてよっ!!」

 入り口に、廊下から漏れる光を背負って、小さなシルエットが腰に手をあてた格好で仁王立ちになっていた。

「やぁ、レーイ」

 懸胤(ケイン)が片手を上げて微笑みかけた。だがこころなしかその顔は引きつっている。

「やぁ、じゃぁありません!」

 小さな影は、舌っ足らずな声で懸胤(ケイン)を非難しながら、トコトコと部屋の中に入ってくる。

「御免なさい、家の男どもはてんで躾がなってなくて、お恥ずかしいわ」

 そんな事を言いながらエミーの前まで来た姿は、台詞とはおよそ似合わない、どう贔屓目に見ても九歳ぐらいの、まだ少女とも呼べないような年端のいかない女の子だった。

―――何、このこまっしゃくれたガキ?―――

 エミーが見つめていると、幼女はスカートの裾を摘まんで一丁前な挨拶をして見せる。

「始めましてミズ・テイラー。あたくしは、レイチェル・アライヴ・津川。レーイって呼んで下さいな」

 アンティーク人形が、そのまま動きだしたかと思わせる美少女だ。

 艶やかな金髪に、赤い花で造られた髪飾りが良く映えている。花飾りの葉っぱの緑が、大きめな瞳の緑に呼応して、更に鮮やかに引き立っていた。

 着ているのは白地に小さな赤い薔薇がプリントされたワンピースで、これは髪飾りにあわせてあるらしい。

 仕上げは子供らしい赤い靴となっていたが、そこにも留め金の飾りに薔薇が象ってあった。

「伯父の失礼をお詫びしますわ。ホントに御免なさい」

 小さな頭をペコっと下げる。

「奇麗な女性(ひと)には目が無いのが、男ってものさ」

 懸胤(ケイン)(うそぶ)くと、レイチェルはキっと睨みつけた。

「そんなのは、伯父様と曾お爺様だけよ!!」

 腰に手を当てて、幼女は懸胤(ケイン)に向き直った。

「あたくしの父様は、とってもモテるけど、母様以外の女性に色目を使った事何て、いっぺんも無くってよ! 第一! お爺様もエゼル伯父様もアクアお爺様も紳士でいらっしゃるわ!」

「そりゃぁ、マックは特別製だし、ダディ達は…」

 言い返しかけた懸胤(ケイン)は、レイチェルのジト目に気圧されて口を閉じた。

「伯父様。何時までも図々しく居座ってると、本格的にモテ無くなりましてよ」

 冷たく言い放たれて、懸胤(ケイン)は肩をすくめて立ち上がった。

 ただし、床から20cmは浮いていたが……

「はいはい。かしこまりました、お嬢様。余計者は退散いたします」

 そう言いつつ懸胤(ケイン)の姿はどんどん透き通って、ウインクしている紫の目と、にやにや笑う口元だけになった。その姿にレイチェルの追い撃ちがかかる。

「今時チェシャ猫の真似なんて、ウケなくてよ」

 輪郭だけの口がチェっと音を立てた。

「じゃあ僕はリビングで待っているから。僕の為に、もっと美しい姿を見せて呉れ給え。もっとも、ナイティの君も素敵だったよ」

 慌てて胸元を掻き合わせるエミーに、レイチェルの怒声が被る。

「伯父様!!」

 紫の瞳が閉じる様にふっとかき消え、悪戯っぽい笑い声が遠ざかっていった。

 レイチェルは疑わしげに、しばらく懸胤(ケイン)の消えた辺りを睨みつけていたが、完全に気配が無くなった事を納得したらしく、小さく溜め息をついてエミーに向き直る。

「ほんとに失礼ばっかりで恥ずかしいわ。御免なさいね」

 そう言いながら、再びペコンと小さな頭を下げて見せ、顔を上げるとにっこり笑う。

「着替えはクローゼットの中よ、あたくしもリビングに行ってますから、着替えたらお出で下さいな。リビングは廊下の突きあたりを右よ。ブランチをご一緒しましょう」

 幼女は、その姿に甚だしく似合わない大人びた口調で用件を言うと、エミーの返事を待たずに出ていってしまい、あっけに取られていた彼女は、緩慢な動作で枕を持ち上げると、思いっきりドアに投げ付けた。


 広いリビングは陽光で満たされ、薔薇と紅茶がブレンドされた香りが漂っていた。

 紅茶の香りは、部屋の中央寄りに置かれたテーブルに乗っている、白磁器のポッドかららしい。

 そのテーブルの上も下も、このリビングの調度品総てが、昨今では骨董屋でもついぞお目にかからないほどの年代物で占められている。フローリングされた床にも、趣味の良い敷物が置かれ、シックな雰囲気を醸し出していた。

 庭に面しているらしい側は全面がガラス張りで、レースのカーテンの向こうには、微かに薄紫色の花が咲いているのが見える。

 ふて寝をしようにも空腹で眠れず、他にする事も無いので、渋々起きてきたエミーは、三百年位時代を間違えた様な、アンティークの塊のリビングに目を見張った。

「お目覚めのようね」

 柔らかな女性の声が投げかけられる。

 声の方を見ると、菫色のワンピースを着た女が、年代物の飾り棚(バッファ)の前に立っていた。

 恐ろしいほどか細くて、華奢で、女の目から見ても、思わず見とれてしまうぐらい美しい。

 女の横に踏み台を置いて、飾り棚からティーカップを出していた幼女が、ぼうっと立っているエミーに気付いてにっこり笑って見せた。

「ねえ、曾お祖母様。今日のカップはティファニーでいいかしら? それともニナリッチ?」

 かわいい声で聞かれて、曾お祖母様には見えない女は優しく肯く。

「そうね、ティファニーにしましょう」

 返事とともに、小さな手が白磁器を取り出す。

 エミーは取り落とすのではないかと冷や冷やしたが、幼すぎる手は、意外にも危なげなく二客のカップを取り出した。

「スクランブルになさる? それともサニーサイドアップ?」

「え?」

 カップを運ぶ幼女を、睨みつけるような勢いで見つめていたエミーに、女が訊ねた。

 虚を突かれて振り向いた彼女は、女の顔に見覚えがあるのに気付いた。

「あんた確か…昨日の幽霊?」

 胡散臭気に眉を寄せる彼女に、幽霊呼ばわりされた女は、気を悪くするでもなくにっこりと笑い反す。

「ええ、私はシャドウ。どうぞお見知り置きを」

 前夜の様な、紫色の光に包まれてはいなかったが、シャドウの体は、後ろの飾り棚が微かに透けていた。その横に、ふわりと懸胤(ケイン)が現れる。

「やあ、赤いスーツもよく似合うね」

 飾り棚に腰を掛けてウインクをして見せる。

「出たわね、色情霊」

 睨みつけるエミーに、懸胤(ケイン)は悲しげに首を振って見せた。

「酷いなぁ、そんな言い方無いだろう?」

懸胤(ケイン)

 エミーが言い返す前に、シャドウが厳しい声で懸胤(ケイン)を見た。

「何です、そんなところに腰掛けて。お行儀が悪いわよ」

 形の良い眉を寄せて、シャドウが上品にたしなめる。

「はあい、グラン・マ(おばぁちゃん) 」

 子供のような返事をして、懸胤(ケイン)は飾り棚から離れた。

 例によって、床からはかなり浮いている。

「伯父様。遊んでないで、手伝って下さらないこと?」

 部屋の反対から、レイチェルの声が飛んで来た。

「はいはい。家の女性軍は人使いが荒いねぇ」

 そうぼやきながら、懸胤(ケイン)は滑るように移動していった。レイチェルの笑い声が出迎える。

「だってェ。今家に残っている男性は、懸胤(ケイン)伯父様だけですもん」

「ああ、体が恋しい。そしたら出かけられるのに。古代の遺跡たちが僕を待ってるんだよ」

「あらぁ、体があったら、今度は曾お祖父様にこき使われるわよ」

「痛しかゆしだな」

 先ほどとはうって変わって、軽妙な掛け合いをかわす凸凹コンビを、不機嫌な顔で睨みつけていたエミーの前に、シャドウがふわりと進み出て来た。

「さぁ、貴方もテーブルにお着きなさいな」

 いささかむっとしながら、促されるまま、背もたれの高いチェアに腰掛ける。

「それで、スクランブルとサニーサイドアップ。どちらがいいかしら?」

「なにそれ?」

「ブランチのメニューよ」

 幽霊佳人はいとも優しく微笑みかけてきた。

「あ、そう。じゃあ、オムレツ頂戴」

 精一杯の反抗にクスリと笑う。

「ええ、お望みなら」

 彼女の後ろから懸胤(ケイン)の嘆きが流れてくる。

「ああ、グラン・マのスクランブル・エッグ。グラン・マのサニーサイドアップ。グラン・マのアスパラサラダ。グラン・マのオムレツ。グラン・マのジンジャーブレッド。グラン・マの自家製ハム…」

「うるさいわね!! 勝手に食べれば良いでしょう!」

 怒鳴りつけると、懸胤(ケイン)は肩をすくめた。

「だって僕、体が無いから食べられない」

 レイチェルがとなりで肯いている。

「そうそう、ご飯が余ってしょうがないのよ、頂くのあたくし一人なんですもの」

 小さな手は、そうぼやきながら二客のカップをテーブルに並べて、ポットから紅茶を注ぐ。豊かな芳香が強まった。

 程なく自走ワゴンがパンと注文の品を運んでくる。幼女はエミーの前に皿を並べると、ナイフとフォーク、バターナイフを駆使して自分のハムエッグを征服しはじめた。

 シャドウが柔らかな声音でレイチェルに話し掛け、懸胤(ケイン)も幻のティーカップを片手に会話に加わる。

―――何なのここ? すっとぼけたお化け屋敷だわ―――

 奇妙な光景だった。

 警察署で睨み合っていた二人の幽霊と、得体の知れない幼女がにこやかにテーブルを囲み、花の形のカップには紅茶が満たされている。

 そして、並んだ皿には料理が盛られ、何とも言えないいい匂いが、起き抜けで空っぽの胃を刺激する。

 憮然として座っていたエミーだったが、空腹は如何ともしがたく、彼女は渋々フォークを持ち上げた。


 プレーンオムレツとハム、パンも、サラダやデザートのミントチョコのアイスクリームまで、気がついた時にはすっかり平らげていた。

「御馳走様でした。ね、曾お祖母様のお料理は美味しいでしょう?」

 小さな手を合わせて、レイチェルがにっこりする。

「え…まあ、けっこう食べれたわ」

『ええ』と言いかけて癪に触り。負け惜しみに言い返すと、シャドウとレイチェルは視線を交わしてくすりと笑う。

「後は私がするから、お皿はワゴンに乗せてくれるだけで良いわ。レーイ、お客様に、お庭を案内してさし上げたら?」

「はい。曾お祖母様」

 シャドウに可愛くお返事すると、レイチェルはピョコンと椅子から飛び降りた。

「じゃあ、ミズ・テーラー。どうぞこちらにお出で下さいな」

 言葉とともに、小さな手がエミーの手を引いた。思わず力一杯振り払うと、軽くて小さな体はいとも簡単に宙を飛び、床に転がる。

「レーイ!!」

 懸胤(ケイン)が声を上げた。

「あ…」

 さすがに罪悪感がした。が、いまさら謝る訳にもいかず、エミーは、床に座り込んできょとんとしているレイチェルを業と睨みつけた。が、大きな緑の瞳がまっすぐに見つめ返してきて、たまらず目を逸らす。

「こ…子供は嫌いなのよ」

 泣き出すだろうと思った幼女は、意外にもそのままピョンと立ち上がった。

 懸胤(ケイン)もシャドウも何も言わず、レイチェルはパタパタとスカートの埃を払ってから、にっと笑う。

「判ったわ、もう触りませんわ。さ、お庭に行きましょう」

「…判ったわよ」

 珍しく素直に、エミーはレイチェルの後ろに付いて歩きだした。


 庭の大半は薄紫の花で埋まっていた。

 同心円状に造られた花壇から、林の中の所々に瓦礫と石像(ローマの遺跡を摸したヨーロッパ形式とレイチェルは言った)が配置された赤い煉瓦の遊歩道の脇。迷路風の生け垣の間等、総てにその花が揺れている。

 薄紫の小振りの薔薇で、揺れる度に色が濃紫から桃色に変化して見える。不思議な花だ。こんな花は今まで見た事は無かった。

 一輪手折って眺めていると。レイチェルが見上げていた。

「な…何よ。取ったら悪い?」

 どうもいけない。さっきの一件から、エミーはレイチェルになんとなく弱腰になっていた。それが気に入らなくて、更にレイチェルを睨みつける。

 だが、幼女がそんなものに怯む訳も無く。悪戯っぽく口元がカーブする。

「それ、ダフネでしてよ」

「え?」

「その薔薇、ダフネって名前なの。曾お爺様が、曾お祖母様に求婚(プロポーズ)の言葉の変わりに、お送りになられた花なんですって」

 レイチェルはうっとりと薔薇を見つめた。

「素敵よね。永遠に変わらない愛を籠めて、愛する人の名を薔薇の名に冠したの。それも、他には絶対に無い、オリジナルの薔薇を造って…」

 一人前にため息なぞついてみせて、往年の大恋愛に夢を馳せている様子だった。

―――気障ったらしい―――

 嫌悪感と共に、白髪の爺婆が頬を染めて見つめ会う姿が連想されてぞっとする。そこでふと気がついた。あの幽霊女も曾祖母様と呼ばれていた。

「その曾婆さんってどんな女だったのよ」

 遠回しに聞いてみる。はたして幼女は、笑いながら家の方を指し示す。

「リビングでお話したでしょう? あの方よ」

 エミーは、そこで初めて、《エリー館》の姿を見た。

 此処から見える家は、《館》の名に相応しく、白壁に蔦を這わせた、豪奢で落ち着いたたたずまいを見せている。

 高さは三階程あるらしい。

 こちら側から見えるだけで、7つのバルコニーが有り、色とりどりの花が咲いている。そして10以上は有る窓すべてが、洒落た出窓にしつらえられて、白いレースのカーテンが揺れている。

 シャドウと名乗った女幽霊の、楚々としていながら華やかでもある美しさが、この館にはよく似合っている様に感じられた。

 そうだ、あの幽霊はシャドウと言った。ダフネではない。

「名前が違うじゃない。これはダフネ、あっちはシャドウ」

「ええ。今は、ね」

「今は、って。どういう事よ?」

「その内お判りになるわ。貴方なら」

 そう言うレイチェルの顔を見て、エミーは、冷たい手で背筋を撫でられたような悪寒がした。幼女の幼い顔に一瞬、とても子供とは思えないほど大人びた表情がかすめたからだった。

―――この子何? 気味の悪い―――

 のどかな庭の雰囲気に胡麻化されてすっかり忘れていたが、ここはお化け屋敷なのだ。すべてが見た目通りとは限らない。

 長居は無用だ。

 取り合えず大人しく従っておいて、隙を見て逃げ出そう。

 その後は、警官を拉致監禁した凶悪犯達を一網打尽にしてやる。

 牢獄に繋がれた滉という想像を、せめてもの慰めにしながら、エミーはレイチェルの後ろに付いていった。

 そして、その機会は意外と早く来た。

 煉瓦の道が塀に突き当たって左右に分かれている。

「右へ行けば海の見える丘。左は大伯母様の花壇よ。《ダフネ》以外の花が見られるわ。どちらに御案内しようかしら?」

 小さな手で左右を指差しながら聞いてくる。

「真ん中」

「え?」

 レイチェルが振り返った時には、すでに助走をつけて飛び上がっていた。

「あらら」

 エミーがまんまと塀によじ登ったのを見て、幼女が呆れた様な声を出す。

「どうもお世話様。帰らせて貰うわ」

 捨て台詞と共に塀の外に目を向けて、そこに大通りが広がっているのを見た。

「?!」

 奇妙な光景だった。

 塀に取り付くまでかけらも見えなかった高層ビルが、道路の両側にそそり立ち、大量の車が通りを流れていく。

 勿論歩道には人が歩いていて、ショーウインドウをながめたり、会話したりしていた。

 それを横からではなく正面から眺めているのだ。

 車はエミーの足元にある塀の中から飛び出して、反対車線は飛び込んでくる。

人々もまた、何事も無いかのように塀の中に入り、また、現れる。

「何なのこれ…」

 愕然とするエミーに、後ろからレイチェルが話しかけてきた。

「そこからは出られなくてよ。空間閉じてるから」

 振り向くと、レイチェルは呑気そうに笑っている。

「本物のお化け屋敷だわ」

 とんでもない所に連れ込まれた。

 心底から震え上がったエミーは、一縷の望みを今見えている自由の天地に託して、塀を蹴って宙に身を躍らせた。


                        *


「まったく。無茶するよな、このお嬢さんは」

 ぼんやりした頭に、懸胤(ケイン)が呆れたように言う声が聞こえる。

「次元シールドに頭から突っ込むなんて。…弾き返されたから良いようなもんの、うっかり取り込まれたりしたら、美人が台無しになるところだ」

「そうね。だけど、あんな光景見れば、誰でもパニックになると思いましてよ」

 いやに悟りきった声で、レイチェルが答える。

「有るはずの無い所に有る家に自分が居るって? 判るけど、もし外に出れたとしても。車に轢かれてたよ」

「ここに居るより、その方が良いって思ったんでしょう、きっと。伯父様に夜這いをかけられるのはお嫌だっのよ」

 とてもじゃ無いが、子供の台詞とは思えない。

 もっとも、レイチェルの言う事は、どれも姿に似合ってはいないのだが…

 半ば朦朧とした意識の中で、エミーは、脱出に失敗した事を悟った。

 今彼女は、何か寝台らしき物に乗せられて、何処かへ運ばれている途中らしかった。

 硬い床を歩いている小さな靴が、カツカツと可愛らしい音を発てているのが聞こえる。

「そう言えば、今、どの辺りを移動してるの?」

 レイチェルの問いに、懸胤(ケイン)は一寸考え込む様なうなり声を出した。

「連動座標で言えば…トラファルガー区っていう辺りかな? 何でも、ホテルトラディシュとかいうのの側に入り口を開くんだって、グラン・マが言ってるよ」

 ホテルトラディシュ? ベースの都心部にあるホテルだ。

 そんな所にこのお化け屋敷が現れたとしたら、どんな騒ぎになる事か。

 こうしてはいられない。早く脱出して、みんなに危険を知らせなければいけない。

 慌てて起き上がろうとしたが、体は痺れたような感覚がしていて力が入らない。

 津川家の面々を頭から信用していないエミーは、何かの薬品で自由を奪われていると確信した。

―――逃げようとしたから監禁するつもりね―――

 焦ったエミーは、何とか動こうと渾身の力を振り絞ったが、麻痺した体はピクリとも動かなかった。

 パニックに陥りながら、必死の努力を続けている内に、寝台は何処かの部屋に運びこまれたらしい。

 軽い振動が感じられ、足音が止まった。

「もし気がついているとしたら、彼女混乱してらっしゃる筈よ」

 わずかに気遣わしげな声でレイチェルが言った。

「仕方ないよ。全身打撲なんだから、麻痺させとかなけりゃ痛みで死んじゃうよ。あ〜あ。ダディがいてくれれば、もっと早く治せるのに」

「でも、これで大丈夫よね。ミズ・テーラー。すぐ楽になりますわ、安心して下さいな」

 レイチェルの言葉が終わらない内に、寝台に覆いが被せられ、まもなくシュウシュウと何かのガスが噴出される。

―――殺される! やめて!!―――

 心の中で悲鳴を上げたが、勿論口を動かす事も出来なかった。

懸胤(ケイン)、レーイ。こちらにきて下さいな。御前のパーティーの様子が、少し変よ』

 インターホンかららしいシャドウの声がして、懸胤(ケイン)とレイチェルは返事を返して部屋を出ていった。

 後には、死の恐怖と直面しているエミーだけが残された。

 やがて睡魔が訪れて意識を引きこんでいく。

 薄れかけた意識の中で、ドルフェスはどうなったのかが案じられた。

 頼りなくてお人好しで、すぐ人に騙される。

―――あたしが守ってあげなくては………―――


                          *



 何が起こったのか。ドルフェスには初め判らなかった。

 やっとのことで貴公子の腕と空中浮遊から開放されて、滉がカストゥアをマグネット手錠で縛り上げるのを手伝っていた時。

 ズン。と鈍い振動が感じられた。

 何だろうと顔を上げると、滉の腕が伸びてきて青年の腕を掴んでいた。

「?!」

 驚いて滉を見れば、恐ろしく真剣な顔で迎賓館を見つめている。そのまま無造作に青年を引き寄せ、大股で歩きだした。

「警部?」

 引きずられる格好になったドルフェスは、コケそうになりながら滉についていく。

 横ではじける笑い声に気付いて滉の反対側を見ると。カストゥアが、こちらは文字通り襟首を掴まれて引きずられている。

 そんな格好のままカストゥアは可々大笑していた。

 笑い狂う彼の様子に、鬼気迫るものを感じた青年が、戸惑いながらもう一度アース人を見た時、

「エシク!!」

と、滉が怒鳴った。

「はい!!」

 貴公子を取り巻いていた集団中から、鮮やかな紺色の髪の少年が飛び出してきた。

 駆けてくる少年はひょろりと背が高かったが、まだあどけない面差しを残している。

 ドルフェスは、少年がパストアス人ではなかろうかと思った。

 なにせ、少ない知識の中で、青年がこの人種の特徴について知っていた事が、長い寿命の他に青い髪だったからだ。

「何ですか? ヘル・アポロン」

 聞きなれない名で滉を呼ぶ。

「エシク、こいつを頼んだ! しっかり見張っとけ

 そう言いながら、片手でぶら下げていたカストゥアを放り投げる。

「逃がしたら、ライファンが泣くぞ!」

「はい!!」

 少年が肯くのを待たずに、滉はドルフェスを掴んだまま歩きだす。

「光!!」

「判ってる!! 二班四班散開、後は私について来て!!」

 指示と共に、迎賓館に向かって駆けていく光の後ろ姿が見えた。足元を二匹の猫が追いかけていく。

「ならばこの者は、私が預かろう」

 何時の間に来たのか、青年の背後から貴公子が腰に腕を廻して来る。

「け…けっこうで…」

 逃げだそうともがいていると滉が不意に手を放してしまった。

「アル。頼むぜ」

 振り向きもせずに滉が言う。

「任せてもらおう」

「けーぶー!」

 スピードをあげて、走り去っていく滉の背に助けを求めたものの、それも虚しく、悲鳴と共に二度(にたび)空中に舞い上がっていった。



 ドルフェスの足元には再び迎賓館の夜景が広がっている。

「え…?」

 先程とはうって変わった光景に、青年は目を見張る。

 月の光を浴びている屋根の連なりと尖塔。そこかしこから煙が上がっている。

「一体何が…」

 愕然と辺りを見回していると、ため息混じりの声で貴公子が答えた。

「我々が、少々遊び過ぎたようだ」

「え?」

「今日の客の後発部隊が、迎賓館のあちこちに花火を仕掛けたのだ」

 鈍い音と共に、また新たな煙が立ち上った。

「やれやれ。ライファン。どんな具合だ?」

 貴公子が訊ねると、静かな声が答える。

『そうですな、今のところ宴たけなわですな』

「そうか、正規の客達はどうしている?」

 ライファンの声が、笑いを含んで微かに揺れた。

『御前の夜会が始まった時点で、会場と表門にシールドを被せております』

 つまり、中の賓客や表のマスコミ陣には、相変わらず何も判らないという事だ。後で慌てるだろうというのは目に見えていたが…

「お前は大事無いか?」

 気遣わしげに訊ねる貴公子に、ライファンの声はこころなしか嬉しさに震えていた。

『有り難う御座います。医師殿と騎士殿が来て下さっておられるので、こちらの事はご心配なく』

閖吼(ユルク)とエゼルがいるのか、ならば安心だ。双子達も飛び込んだ由、じき騒ぎも収まろう」

『御意に御座いましょう』

 ライファンは、各部署の状況を報告しはじめ、それにウルとオイスの声が加わって更に詳細な情報が付け足される。時折、光の凛とした声が入って来た。

 ドルフェスはその声を聞く度に、痛いような胸のうずきを感じていた。それが、自分のものなのか、自分の中に居るらしい別の誰かの記憶の所為なのか、よく判らない…

 三つの月はまだ頂天にあり、今はライートが駆け昇ってくるところだった。

 二重の影が、煙の間を動いて行く様をぼんやり眺めながら、二重になった記憶の原因を思いやった………いけない、いけない。今はそんな事をしているような場合ではない。

 ドルフェスは、慌てて報告に集中した。

 入ってくる情報はみな、化猫が大挙して現れ、警備員や警官達を襲っているというものだった。

 同僚達を心配した青年が、降ろしてくれるよう貴公子に頼んだが、美貌の貴公子は例によってやんわりと首を振っただけだった。

「我々が降りていったら、それこそ皆の足手まといだ。我等を守ろうとして皆の動きが鈍ろう。ここは辛抱するのだ」

 そうこうする内にそれぞれの部所で戦闘が始まったらしく、激しい喧騒が伝わって来た。中でもオイスは凄まじい叫び声のあと、ふっつりと通信が跡絶えてしまった。

 今度こそ本気で降りようとするドルフェスに、貴公子は微笑みながら大丈夫だと言った。

「でも、通信が…」

「通信機が付いている服を脱いだのだ、戦う為に」

「戦う為? もしかして、さっきの…?」

 襲いかかって来た化猫を迎え撃った化猫を思い出して、ドルフェスは聞き返した。

 貴公子は静かにうなずき、

「そうだ、オイスは我々方の猫を指揮している」

と、答える。

 貴公子の腕の中で、青年は、出来うる限り体を離そうとした。

「やっ…やっぱり…」

 光の言った通り、彼等が化猫を造ったのか? 驚愕する青年に、貴公子は小さく笑った。

「猫を造ったのは我々の先祖だ。かつて、王家の者を守護するべく産み出された、特別な家系の末裔なのだ」

「せ…先祖って…」

「我々の先祖。つまり、銀河第一期文明の遺産だ、かつては我がパストアス王家を守って、数多くの家系があったというが。アルゴルの侵略によって滅ぼされ、今ではあれの一族のみになってしまった」

 パストアス王家の守護? 銀河第一期文明? あまりの荒唐無稽な話に、声も無く貴公子を見つめる。

「何を驚いている? パストアスが、銀河でもっとも古い種族である事は周知の事だと思っていたが、知らなかったのか?」

「あ…貴方はパストアス人なんですか?」

 初めて近くで見る伝説の種族、ただ目を見張る青年に、美貌の貴人は優しくうなずいた。

「そうだ。私の母は、パストアス最後の女王であった」

「じょ…じゃあ、お…王子様…?」

「もはや存在せぬ王家だ、気にするな」

 貴公子はライファンに状況を訊ね、襲撃の規模が見た目よりも大きくないと聞いて微笑んだ。矢継ぎ早に指示を与え、ゆっくりとドルフェスに視線を戻す。

「アンコールももう終わりらしい。まだ少し時間はかかるがな。それまで、今の続きでも教えてやろう……トゥア・ドルフェス。お前も少しは知っておくべきだ」

 まるで、リビングで寛いで居るかのようなのんびりした口調で話しだす。

 忘れているかもしれないが、ここは迎賓館の上空なのである。こんなにゆっくりしていて良いんだろうか?

 青年の疑問など知らずに、貴公子は話を続けた。

「二百八十年前パストアスは、滅びの詩を恐れた当時のアルゴル皇帝によって侵略を受け、文化文明の総てを完膚なきまでに消し去られた」

 ドルフェスはゆっくり肯いた。

 いくら歴史音痴でも、それぐらいなら知っている。

 元々パストアスは、総ての武力を放棄し、星系の空間そのものを閉じて十万年以上にわたって鎖国をしていた。

 銀河最古の文明としてその名を知られてはいたが、その所在地は不明なまま。古の民の地は伝説の中にのみ存在していた。

 だが、アルゴス・シリムカシク朝第二百十四代皇帝が、その伝説の地を見つけだした。

 母星を持たぬ放浪の民アルゴルは、銀河各地に植民地を造り、それらを足掛かりに銀河内に藩を広げていた。

 そして皇帝は伝統に(のっと)り、惑星に降り立つことなく新たな天地を求めて宇宙(そら)を翔ける。

 第二百十四代皇帝ムハンアナ・ティトラスタン・六世(パルケア)・アルゴス・タウ・シリムカシクも、歴代皇帝に倣って、要塞遊星《武運の誉(ユルク・トバウ)》で航行中、まったくの偶然からパストアスを発見した。と、歴史は伝えている。

 当時、アルゴル内には終末思想が蔓延しており、《メトセラの七姉妹》という詩編が王朝の滅亡を唄っていると信じられていた。

 その伝説をもっとも恐れたティストラタン六世は、パストアスこそメトセラであるとして、退去を要請するパストアスに対して突然の武力行使に及んだ。

 高度な文明を誇りながらも、一切の武力を捨てたパストアスは、何の抵抗も無いままアルゴルの軍事力の前に膝を屈したのだった。

 そして、母国を失ったパストアス人の苦難の道は、此処から始まった。

 あいにく、ここから先は一気に銀河大戦になってしまうあやふやな知識の青年に、今度は貴公子が、己が民族の苦闘の歴史を語って聞かせる。

 アルゴルの軍門に下ったパストアスは、パストアス女王の、その身を投げ出した懇願により、辛うじて虐殺だけは免れた。

 だが、その長い寿命をアルゴルの中に取り込む人種統合の為という名目で、母星から強制的に退去させられただけでなく、その文化の全て、あまつさえ、母国語さえも放棄させられ、子供はアルゴル語のみを教えられた。

 銀河でもっとも高貴な血筋の民族は、破滅を呼ぶ民との烙印を押された上、アルゴルの中で最下層の階級として忌み嫌われ、虐待を受け続けた。

 暗黒の日々の中で、パストアス人達の唯一の希望は、皇帝の後宮に入った女王が、表向きには皇帝の子として産み落とした二人の王子であった。

「表向き?」

「当たり前だ。誇り高きパストアスの女王が、血に塗れたアルゴルの子など産む訳が無かろう? 母は侵略戦争にて戦死した前夫の遺伝子と自分の卵子とを密かに結合させ、私と兄を産んだのだ」

 誇らしげにそう言ったが、青い瞳にふと影がさした。

「もっとも、我々兄弟が皇帝の子ではないという擬いは初めから有った。……母は我々を庇い、疑惑を晴らす為とある戦闘に参加して、皇帝を守って超新星に飛び込んだ」

「え…?!」

「私も知らなかった。皇帝を父だと信じていた。それゆえ、母を死なせた皇帝を憎んだ。何もせずに見ていた兄を責めもした。兄の死後、カストゥアから真実を聞かされるまで、アルゴルの軍人として、私は皇帝の為に戦っていた」

 月の光を浴びる憂いに沈んだ美貌は、自分が女なら間違いなく恋情を抱くだろうと思うほど美しい。

 彼といい津川一族といい、何時の間に、自分の周りはこんなに美形ばかりになったんだろう? 現在の状況も忘れてドルフェスはぼんやり貴公子に見とれていた。

 貴公子はドルフェスの視線に気付くと、何時ものように微笑みを浮かべる。

「滉達が居らねば、あの状況がまだしばらくは続いただろうし、私が兄の思惑通りメトセラを継ぐ事も無かった。そして今のような平和も自由もありはしなかっただろう。そして、私に反発したあ奴等がこうして襲ってくる事も無かったろうな」

 終わりの言葉は面白がっている様な響きがあった。

「メトセラ? これってそれの内争なんですか?」

「ああ、そうだ。メトセラとは、兄が組織した反アルゴルの秘密結社だった。虐げられたパストアス人達は最後の王の下で結束し、滅びの詩を実現すべく自由を求め密かに立ち上がったのだ」

 アルゴルに母星を滅ぼされ、取り込まれていた他の民族も志を同じくする者として地下活動に加わり、メトセラは帝国の土台を脅かす程の大きな勢力となっていった。

 虎視耽々と帝国崩壊を狙うメトセラに、絶好の好機が来た。

 アルゴルと銀河を二分する大国セファート王国との全面戦争、いわゆる銀河大戦である。

 ここら辺からならドルフェスにも少しは判る。

 銀河の覇権をめぐって、平和共存を旗印に掲げるセファートと、あくまで帝国の一統独裁を目指すアルゴルとの、決して相容れないもの同士の闘いは熾烈を極め、どちらも多くの犠牲を出したが次第に形勢はアルゴルに傾いていった。

 そこに現れたのが平和の星となるアースである。

 当時セファートの王子ソーラ・アイ・セファートが、ある事情から妹姫と共にアースに身を寄せていた。

 そこにアルゴルの追撃隊として派遣されて来たのが、現在迎賓館の主賓となっているアルタイル・アルナスルと、彼の兄、アルファルド・アルナスルであった。

 この先なら誰でも知っている。

「確か、アースで和平協定が結ばれて、その後皇帝が暗殺されて、革命が起こったんでしたよね」

 皇帝の暗殺者こそアルタイル・アルナスル、皇帝の庶子であった。

 老英雄の最大の汚名《父殺し》は、同時に彼を英雄たらしめた。

 貴公子が静かにうなずく。

 優しげな微笑みが、何時の間にか皮肉な冷笑に変わっている。

「そうだ、メトセラの力を使って、アルタイル・アルナスルが皇帝を殺した。実際には父でも何でも無かったがな。だが、アルタイル・アルナスルにとって、パストアス王家の血筋の正しさを証明するより、むしろ《父殺し》のアルゴルの皇子のままでいる方が都合が良かった」

「何故です? パストアスの王子様の方が良いでしょう?」

 ドルフェスは首を傾げた。親族殺人よりもパストアス王家が母国の復讐をしたという方がずっと正当性がある。

「アルタイル・アルナスルが行ったのはあくまでも革命だ。故に、国名もあえてアルゴルの名を残した。判るか?」

「えっと…つまり、パストアスの報復ではなく、国内の内乱ってことにしておいた。って訳ですか?」

「まあ、そうだ。他国の王子に皇帝を殺されたとあっては、如何に不満を持った国民でも愛国心に燃えるというものだ。それに他の王子を押さえる意味もあった」

「父の仇って言わなかったんですか?」

 素朴な疑問に、貴公子は軽い笑い声を上げた。

「そんな者は山ほどいたぞ。しかし、実のところ父を殺して帝位を奪う事は、アルゴルではよくある事だったのだ。現に、殺された当の皇帝も先代を暗殺して帝位を掠めとっていたのだからな」

 伝統的な父殺し…自国のことながら、荒んだ歴史にドルフェスは呆れた。

 革命以後の事は、朝からマスコミがこぞって説明していたから、もう聞くまでもない。

 銀河大戦終結後、アルタイル・アルナスルは初の共和制を敷き、全国民の平等を唱って被征服民の人権を回復させた。そして初代大統領となって数々の国家的な危機を乗り越え、英雄として現在に至っている。

 そこでふと、違和感を覚えた。貴公子の話は、初め自分の事を言っている様な口ぶりだった、だが何時の間にかアルタイル・アルナスルの話になっている。しかし話の流れは一人の人間の行動の様に聞こえる…そう言えば貴公子の名もアルタイルらしい…

 まさか…この人が?

 いや、そんな筈はない。

 老英雄は今現に迎賓館の晩餐会に出ている。それに二百歳を越えた人間がこんなに若い筈が無い。

 もう一つ疑問が浮かぶ。確か貴公子は滉達がいなければ革命は起こらなかった。みたいな事を言っていた。

 しかし…

「あの…革命って二百年前ですよね」

「そうだ」

「警部とは、何時ごろからの知り合いなんですか?」

 貴公子のきょとんとした顔を初めて見た。とドルフェスは思った。

 青い目がマジマジと青年を見つめる。

「トゥア・ドルフェス。滉はお前に何も言って無いのだな」

「はあ…」

「七日以上も共にいて、あれほどお前を気に入っているのに? 滉の性格では話さぬ方が不思議だ。それとも、あ奴も常識をわきまえ始めたのか?」

 随分な言い様である。

「あー…でも、俺。入院したりしてて、実質的には三日程しか一緒にいませんから。それに色々あってろくな話も出来なかったし…」

 何で自分が言い訳しているんだろう?と心の中で首を傾げながらそう言うと、貴公子も頷く。

「そうであった。滉の奴も三日ほど死んでおったしな」

「え?!」

 さらりと言われた言葉に仰天して貴公子を見た。

「死んでた?」

「うむ、生き死にが自由な者とは、実に羨ましいことだ」

 しみじみとうなずかれて、青年は腕の中でじたばたした。

「ち…ちょっと待って下さい。どういう事ですかそれ?」

 頭の中で、エミーの言っていた魅羅の奇行の件がぐるぐる回りだす。

==死体の始末をしたって言ったでしょ?あれ本当よ==

==トランクから何か引きずり出してた。間違いなく津川警部だった。==

 まさかそんな事はない。有り得る筈が無い。

 そう思って鼻に引っ掛けもしなかった。だがまさか…

 ドルフェスの慌て振りに貴公子が微笑んだ時、再び鈍い爆発音が響いた。

「おやおや、まだ花火が残っていたのか」

 相変わらず呑気に構える貴公子に、ドルフェスはもう一度食い下がった。

「教えて下さい。警部が死んでたってどういう事ですか?」

 軽いため息と共に、青い目が笑いを含んで青年を見つめる。

「滉が話さぬものを、私が喋っても良いものか…」

 真剣な黒い目が見つめ返した。

「お願いします」

「そこまで言うのならば、仕方あるまい」

 肩をすくめた貴公子が話を続けようとした時、扉が激しく開かれる音と、続いて獣の争う叫び声が響きわたった。

 中央の屋上に設えられた広いテラス。

 月光に浮かび上がるその空間に、二人の人影と化猫らしい大きな影の群れが、争いながら飛び出してくる。

「双子達だな」

 貴公子の言葉に、ドルフェスは慌てて下を見た。

 確かに十数匹の化猫達を相手にして、滉と光が戦っていた。

 建物の上なので、さっきまで滉をサポートしていたネプチューンのブラスターは使えない。その所為か、駐車場の方から不満気なネプチューンの遠吠えが聞こえてくる。

 銃火機は無いにしても、滉も光も人間業とは思えないようなスピードで化猫の爪を掻い潜り、手にした武器を繰り出して反撃を繰り返していた。

 しかし多勢に無勢、しかも相手は、驚異的な回復力を持つ化け物達だ。森の中での様に、一撃で致命傷を負わせなければすぐに回復してしまう。

「ふむ、苦戦しておるのか?」

 やっぱり呑気に貴公子が呟いた。そんな事は見ていれば判る。

 滉も光も致命傷を与えかねて次第に防戦のみになりはじめていた。

「手伝ってやった方が良いかも知れんな」

 さすがに心配になったらしい。貴公子がゆっくりとテラスの上空に移動しはじめた。

 貴公子の腕に犬っころよろしく抱きかかえられたまま、青年がじりじりしていると、数匹の化猫に飛び掛かられた光が咄嗟に飛び上がった。

 が、待ち構えた様に一匹が体当たりをかけ、ほっそりした身体が宙に泳いだ。

「!!」

 息を飲んだ瞬間。青年の頭に激痛が走った。

「う…!」

 思わず頭を抱えたが、目だけは辛うじて手すりにぶら下がった光の姿を追っていた。

 片手で手すりを掴んだものの、もう片方の腕はぶらりと下げたまま、動かせないらしい。

 不自由な体勢ながら、何とか身体を持ち上げようともがいている。

 オーバーハングになった外壁は六階以上の高さがある上に、足元には、爆破によって槍の様にそそり立つ建材や鉄骨が、炎を伴って待ち構えていた。

 光に向かって、二つの小さな影が跳ねるように動く。が、しかし。化猫達が行く手を阻み二匹の影は分断され、合体する事も出来そうに無い。

「助けなけりゃ…」

 激しい頭痛にうめきながら青年が呟く。

――そうだ…俺が行く。退け――

 誰かの声が頭の中に響いた。

「え…? く…!!」

 どくんと頭の欠陥が脈打つのが感じられる。 更に激しい痛みが襲ってきた。

 息も出来ないほどの激痛に苛まれながら、それでも縛られたように光から目が離れない。身体の自由はまったく効かなかった。

 波のように襲ってくる痛みに次第に視界が擦れていく。

 不意に、ぐい、と、身体が誰かに押された様な気がした。

 そのまま、流されるような感覚と共に、意識は虚空の闇に飲まれていった。




 貴公子の腕の中で、青年が身じろぐ。

「降ろせ…」

 低い声が聞こえ、ゆっくりと頭を持ち上げる。

「トゥア・ドルフェス。大丈夫か? 何やら苦しんでおった様だが?」

 覗き込む貴公子に、黒い瞳が鋭い視線を返してきた。

「トゥア? 本来の意味で使っているのなら、お前もたいした狸になったな」

 形の良い唇に冷たい微笑みが浮かんだ。

「お前は…そうか。あれが何をしたのか…聞かねばならぬな」

 貴公子の目に、今までには無い奇妙な光が浮かぶ。

「さあ…降ろせ」

 先程までの青年とはがらりと変わった態度に、貴公子は冷笑を浮かべながら高度を下げていった。

 降下している間に、青年は数度拳銃を撃った。その度に化猫が跳ね飛んだが、しばらくすると皆立ち上がってくる。

 青年は激しく舌打ちをした。

「早く降りろ。ここでは遠すぎる」

「急かすな、落とすぞ」

 貴公子の冷たい声など耳に届いていない様に、青年は手すりにぶら下がったままの光を見つめている。

「相変わらず、光の事となると血相を変えるな」

 冷やかす様な声音には構わず、変貌した青年は無言でトリガーを引いた。

 光の腕に爪を立てようとしていた化猫が、悲鳴と共に弾け飛ぶ。

「ここでいい、もう降りられる」

 ある程度まで降りたところで、青年が片手を上げた。

「いや、久方振りだ。共に降りて戦おうではないか」

「いらん。お前が退屈しのぎに暴れて怪我をするのは勝手だが、後でこいつが、お前の取り巻き連中に袋叩きにされる。願い下げだ」

 自分を指さしながらまるで他人の様な言い方をする。貴公子はむっとしたように目を細めた。

「そうか、これ以上お前を抱いているのは、こちらも願い下げだ。さっさと降りろ」

 奇妙な会話の終了と同時に腕が離され、青年はテラスへと落下していった。

「久々のオリオンか…高みの見物をさせてもらおう」

 青年とは逆に上昇しながら、貴公子は楽し気に呟いた。



 かなりの高さから飛び降りてきた青年は、何時もの彼からは想像も出来ない敏捷さで危なげなく着地した。

 新たな敵の出現に、化猫達は牙をむき出して威嚇する。

「ふん」

 青年は無造作に拳銃を持ち上げ、トリガーを引く。

「ギャン!!」

 一匹が頭を上半分吹き飛ばされ、悲鳴をあげてもんどりうった。全身を痙攣させて二度と起き上がらない。

「化け物が」

 吐き捨て、次に襲いかかってきた化猫に銃弾を浴びせる。両目を打ち抜かれ、後頭部を砕かれてこちらも絶命する。

 続けざまに仲間を二匹殺された化猫達は、更に怒り狂い、乱入してきた強敵に向かって襲いかかってきた。

 目の端で化猫達の変化を察知した滉が、嬉しそうに反撃を始める。

 無表情な青年の口元に、有るか無しかの笑みが浮かんだ。

 素早い化猫の動きを正確に見極めて、最少の動作でかわしながら光が掴まっている手摺に向かって行く。

 青年に襲いかかった化猫は、全て頭部を撃ち砕かれて骸となっていた。

「光!!」

 青年が手を伸ばした瞬間と、意を決した女戦士が、壁面を蹴って身を躍らせたのが同時だった。

 細い身体がしなる様に翻り、大きく弧を描く。

 それを追って小さな影が跳び、両脇に支える様に取り付くと、尖塔の狭間を抜けて裏庭の方へ連れ去っていった。

 虚しく伸ばした手を軽く握り、青年は安堵の溜め息をついた。

「…たく……相変わらず、可愛げの無い女だ…」

 そう言いつつ、初めて嬉しげな笑みを浮かべる。

 断末魔の悲鳴が響き、五匹の化猫を相手にしていた滉が、二匹を仕留めていた。

 横から突進してきた化猫を、鮮やかに跳躍してかわす。間髪を入れずに一匹の頭をトンファーで砕く。

 しかし、体勢が戻らないうちに、それを狙った化猫が飛び掛かってきた。

「クソ!!」

 歯噛みした瞬間。銃声が響き、化猫の顔面が四散する。

 ニヤリと口元が歪んだ。

 惰性で振り降ろされる大きな爪を蹴り払い、そのまま飛燕脚に移って。後ろから来る化猫に叩きこむ。

 相手の身体が大きくよろけたところを、眉間に深々と鉄の棒をめり込ませる。

 ぐしゃりと確かな手応えを感じ、顔面の全てから血を吹き出しながら化猫は絶命した。

 トンファーの血糊を振り払い、滉は回りを見回した。

 累々たる化猫の死骸が血の海の中に転がっている。

 もう立っている者は、自分と、後ろにいるもう一人の男だけだった。

 軽く息を整えると、滉はにんまりと笑み崩れた。

 背後の気配で男が近寄ってくるのが判る。

「やっとお出ましか。お前らしいや」

 ゆっくりと振り向いて、見慣れた皮肉な笑いを浮かべた男を見る。

「よう、相棒」

 そこに立っていたのは、ドラゴ・ドルフェスではなく。紛れも無い。竜造寺龍也だった。

ついに現れたドラゴンメーカー。物語の核心がうごめきだす?

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