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1 8   A F U L L H O U S E ――――満員御礼――――

そして、血と炎でもてなす晩餐は始まった。




 ぴん! と空気が張り詰め、青年はうなじが逆立つような奇妙な感覚を覚える。

 回りの景色が一瞬歪んだ気がし、ドルフェスは思わず頭を振った。

「どうした?」

 貴公子の問いに、高所恐怖のせいと笑われるかとびくびくしながら、自分の感じている事を言うと、彼は感心したように微笑んだ。

「是を感知する者が居るとは驚いたな」

「どういう事ですか?」

 貴公子が開いている手をひらひらとさせて周りを示した。

「この裏庭一帯に、次元シールドを被せたのだ。極々薄いものだから猫共にも気付かれてはおらん筈だがな、お前が気付くとは思わなかった」

「次元シールド?」

 聞き慣れない言葉に青年が首を傾げる。

「つまりだな、位相空間を虚数関数曲線に沿って歪め、任意のフィールド内に展開させ…」

 楽しそうに説明を始めててくれたものの、聞いたほうが余計判らなくなった。

 耳を素通りしていく数式や数値に、ドルフェスが目を点にしていると、貴公子は小さく笑った。

「まあ、平たく言えば、異次元空間を薄く引き延ばして、椀の様に此処へ被せたと言ったところだな。D・V製の特注だ、通常のシールドでは猫に逃げられるからな」

 平たく言えるのなら始めから言ってくれれば、余計な恥をかかずに済んだのに。少し恨めしく思いながら、ドルフェスは、D・Vという名に、例によって懐かしさを感じていた。

 これは何なんだろう? 自分の中に居る誰かのか…?

 青年は貴公子を見た。彼ならば、自分に答えをくれるだろうか?

「これから何が始まるんですか?」

 自分の奇妙な記憶はひとまず置いて、ドルフェスは当座の疑問を貴公子に尋ねた。

「夜会だ、もう判っているだろうが猫共が私に会いにやって来るのでな、皆で心ばかりのもてなしをするところだ」

 つまり戦闘開始と言う訳らしい。

「貴方を狙って?」

「ああ、お前目当ても居ると思うが、大半は私だろう。特に盛装した奴等にとっては、私の首を取ることが、最大の望みだろうよ」

「なぜ…?」

 怪訝な顔をする青年に、貴公子は凄味のある冷笑を浮かべてみせた。

「私が奴等を裏切ったからだ」

「え…?」

 意外な言葉に青年が目を見張った途端、犬の遠吠えが響き渡り、左の森から火柱が立ち上がった。

「えっ!?」

 続いて雄叫びが上がり、矢継ぎ早に立ち上がる火柱の間を、無数の光線が交差する。

「ファンファーレが鳴った。晩餐(ディナー)を始めよう。厨房(アストロン)部隊、前菜(アベタイザー)を出せ、カップベアラー達はワインの給仕を始めろ」

『承知』

 貴公子の指示と共に、足元の森は俄に騒がしくなった。

 あちらこちらで光線が閃き、小規模な爆発が起こる。犬の遠吠えは休みなく続き、左手の森に、木々を焼きつくしながら、火柱は何本も立ち昇った。

「ひょっとして、ネプチューン?」

 聞き慣れた声に青年が首を傾げる。と、貴公子が笑い声を上げた。

「わんわん啼きながら火を噴く車は、他には居らんだろうな。滉が遊ぶのに、ネプチューンを除け者にするはずがないだろう?」

 言われてみればその通りだ、ネプチューンは実に楽しそうに啼いていた。

 きっと例のブラスターが、ボンネットから誇らしげに光っているに違いない。

 それにしても、こんなに派手な戦闘をして、迎賓館の中に居る地元警察の警備担当班や、表の報道陣に気がつかれない道理がない筈だ。

 今夜の夜会はアースのフランス式だと嘯きながらスープとサラダを指示し、支配人(メートルデ・ソル)にコースの進行を託し終わった貴公子に、自分の疑問を聞いてみた。

「此処と向こうは、次元が違う」

 簡単な返事だった。

「シールドの為、ですか?」

「そうだ、此処で何をやろうと、向こうには爆発の火などは見えないし、音や振動さえも伝わらん。向こうから見ればここには何もない。暗いだけの場所だ。そしてこちらから見れば、あそこの中には間違いなく平和だけしかない、目隠しをされた、偽りのものだがな」

 皮肉を込めて貴公子が微かに笑う。

 その微笑に、奇妙なほど歳を経た雰囲気を感じて、青年は改めて、年齢の判らないその横顔を見つめた。

 一際高くネプチューンの雄叫びが響きわたり、わりと近所の樹が燃え上がりながら倒れていった。

 明日、この裏庭を見た管理担当者は、真っ青になるに違いないな。などとぼんやり考えていると、その炎の中から、二つの影が空中に飛びだした。

 大きく弧を描きながら空中で交差し、金属を激しく打ちつけ合う音が響く。

 炎に照り映え、燃え上がる様に輝く髪が、一方の人物が誰かを教えていた。

「!?警部?」

 滉の姿はすぐに森の闇へと落ちていった。

「楽しそうだな」

 貴公子が幾分うらやまし気に呟いた。

 再び影が跳躍し、交差する。炎に浮かんだ影は、コスタと同じぬめぬめとした肌の化け物だった。

「出来損ないだな。あれ位ならすぐ終わる」

 貴公子の冷静な声の通り、滉の攻撃を受けた化物は、撃ち抜かれた鳥の様に力無く墜落していった。落ちてゆく骸を、ネプチューンのブラスターが捕らえ、火達磨にする。

「出来損ないって何ですか?」

「まともな猫では無いと言うことだ。証拠に毛がない。戦闘力もかなり落ちる。此処のように制限の無い場所ならば、滉の敵では無いな。そら、もう一匹」

 炎に追い立てられるように、無毛の化け猫が跳躍した。続いて滉が飛び、ネプチューンの火球が数発、滉の脇をすり抜けて化け猫の近くで爆発した。

 爆風に煽られてバランスを崩した化け猫に滉が迫り、手に持った横に握りの付いたくるくる回る短めの棒――トンファーだと貴公子が教えてくれた――を首筋に打ちつけた。

 撃墜された化け猫をネプチューンが焼きつくす。

 更に2匹の化け物が、降りてくる滉を迎え撃とうと木々の間から飛びだしてきた。

「危ない!」

 思わず声が出た。

「大事無い。滉に取っては願ったりだろう。ほら」

 確かに、落下中の動きがとれないところを狙われたはずが、滉は空中でくるりと体を丸めて化け猫達の爪をかいくぐり、やりすごした瞬間、肘とトンファーを後頭部にたたき込んで止めを刺した。

 粉砕された頭蓋骨が、グニャリと歪んでいく。

 同時にネプチューンのブラスターが2匹を捕らえる。刹那程の短い時間だった。

「凄い…」

 犬の群れを相手にして、あっと言う間に倒してしまった時を思い出す。

 あの時も並の人間ではないと思ったが、今、本格的な滉の戦闘を見せつけられると、彼が味方だということがどれ程心強いか、ウルが有り難がった訳が良く判る。

「なに、滉はまだまだ遊んでいる。ほら、まだお人好しの顔で笑っているだろう?」

 貴公子がからかうように言った。

「暗くて見えません」

 貴公子に馬鹿にされている様な気がし、かすかにむっとして、青年は答えた。

「そうか、お前には未だ、私の眼力は備わっていないのだな」

 妙なことを言われ、青年は首を傾げた。

「貴方の眼力を、何故俺が持つんですか?」

 青年の問いに、彼は品良く首を傾げてみせた。

「今に判る。トゥア・ドルフェス」

 何だか思いっきり子供扱いされた様な気がした。

 考えてみると、彼がさっきから自分の保護者面をしているのは何でだろう? そう、憤っている自分を宥めた態度は、まるで自分の子供をたしなめてでもいるかの様な感じだった。

 どうして彼はこんなふうな態度で接してくるのか、第一、何で彼は、自分をトゥア・ドルフェス と呼ぶんだろうか?

 貴公子に不愉快なものを感じて、ドルフェスは下の森に視線を落とした。このまま貴公子と顔を突き合わせていると、腹立ち紛れにどんな暴言を吐くかも判らない。

 アルゴル人社会で育ったドルフェスには、人前で自分を出すのは失礼だとする昔ながらの習慣が根強く刷り込まれていた。それは、個性を強調するアース人社会に移り住んだ今でも、青年の意識の根底をささえている。

 まあ、お蔭で人前ではつい構えてしまうので、取っつきにくいと、以前ゾルゲに言われたものだったが。

 そんな青年にも、堪忍袋の緒が切れるときは有る。今夜は色々ありすぎた。先刻の憤りも、貴公子に宥められたからといって消えたわけではない。

 実のところ彼に愚痴をこぼし続けても意味がないし、彼の優しさを嬉しく思い、親身になって話してくれているのに、何時までもこだわっていたら失礼だと思って、取り合えず引っ込めただけだ。

 閖吼には芯から腹を立てていたし、光の言ったことも、今だにある罪悪感と夢の女への思いを無視すれば、理不尽だと思っていた。

 実際此処で、あと一つか二つからかわれれば、森のなかでの光ではないが、今度は自分が激怒する番だろう。あんまりそんな事はしたくない。

 そこで青年は、森のなかでの戦闘に意識を逸らすことにしたのだった。

 そんなドルフェスの目に、今度は銀色の死に神に良く似た化け猫の姿が飛び込んできた。森の樹の枝を伝って、ドルフェス達の足元近くまで迫ってくる。

 その影を追って、滉の白い姿が、同じ様に木々の間を縫って飛ぶ。その身のこなしは、常人に真似出来る様なものでは無かった。自分なら、まず樹の枝まで飛び上がる事も出来ないだろう。

 妙なことで感心していると、近づいてくる化け猫をもう一匹の化け猫が攻撃した。

「あれ?」

 目を見張る青年の足元で、2匹の化け猫は絡み合って地面に激突し、飛び離れて双方睨み合う。再びもつれるように激しく攻撃を交わしはじめた。

「どうなっているんだ?」

あっけに取られて見ていると、同じように立ち止まっていた滉が、こちらを見上げて、何やら大きくジェスチャーをしはじめた。

ドルフェスには、そのジェスチャーの意味が何となく判った。

「やい、何て事するんだ人非人……て警部言ってますよ」

ドルフェスの言葉に、貴公子は本当に驚いたように目を見張った。実際こんなに驚いた顔を見るのは始めてである。

「お前、滉の手話が判るのか?」

「手話? いえ、手話なんて知りませんけど、そんな気がしたんです」

 訝しげに見つめ返してくる青年に、貴公子は初めて見たという様な視線をよこしてきた。が、其も一瞬のことで、また何時もの超然とした微笑に戻る。

「滉の使っているのは、現代の銀河標準語(ガラクト)に置き換えられた手話ではなく、大昔、アースの一地方で使われていたものだ。今では津川の暗号として使われている。あれを読めるのは、私達と津川の者だけだが、お前の勘はたいしたものだな」

 本当に感心した様に言われて、青年は首を傾げた。

「判りません。俺、この頃変なんです」

 青年の言い訳に貴公子は微かに目を開いた。

「どんな風に?」

 問われて、素直に話してしまおうかとドルフェスが躊躇したとき、別の化け猫が足元の巨木を駆け上がってきた。

「来た!」

 思わず悲鳴のような声を出してしまった。だが、貴公子は動かず、遙か下に居る滉さえも動かない。

 化け猫のかっと開かれた(あぎと)を見て、青年が胸元に忍ばせた拳銃を取り出そうともたついた時、化け猫の首に、何か細い紐の様なものが巻きついた。

 化け猫は首に巻きついた紐に引かれて、グンっと空中に巨体を踊らせ、断末魔の悲鳴とともに、その首が胴体から切り離される。

「滉! 護衛の助っ人やってるんなら、ちゃんとやってよね」

 聞き慣れた声がすぐ近くで弾けた。

「光さん…」

 声の方を見ると、光が化け猫並に巨大な動物に跨がって宙に浮いていた。

「遅かったな光」

 貴公子に、光は肩をすくめて見せた。

「私も忙しいのよ。ところで、オードブルからスープまで終了、メインディッシュを出す? 肉切り(カーヴァー)達が手ぐすね引いて待ってるわよ」

 そう言いながらにっこりと笑う。

 先程の激昂は影もなく、戦闘で高揚した彼女は、夢の中での笑顔以上に輝いていた。

 どきりとする。

 この笑顔も、自分に向けられるときには、また、冷たい視線に取って変わるだろうと思ったのだ。

それを見るのはとても辛い。

 だが、青年の懸念は杞憂に終わった。光はドルフェスに目を向け、更ににっこりと笑ってみせた。

「拳銃、出しといたら? 今みたいな時、すぐに撃てないでしょ?」

「あ…はい」

慌てて拳銃を引っ張り出すと、光はけらけらと笑い声を上げた。

笑い方が魅羅に似ている。

「シャドウの言ってた通り、本当に素直ねぇ。家の亭主とはえらい違いだわ」

 一人で納得して頷きながら、また一仕切り笑う。笑うタイミングまで魅羅と同じだった。笑うだけ笑うと、光はすっと表情を引き締め、まっすくに見つめてくる。

「D・D、さっきは御面なさい。滉の悪巧みに引っ掛かったお蔭で、あんたに八つ当たりしたわ。とんだ迷惑だったでしょ? 本当に御面なさい」

 意外なほどあっさりと謝られ、おまけにぺこりと頭まで下げられて、ドルフェスは狐に摘まれた様な気分になった。

 それに、D・D…?さっきは滉に、自分の前では二度とそう呼ぶなとまで怒っていたのに、この変心振りは何なんだろう…

「あー、すっきりした。後味悪かったのよね」

 光は嬉しそうな笑顔に戻った。

「さっきは頭に血が昇っちゃっててね、私って、腹が立つと見境ないのよ。ほんとに。何もかも滉が悪いのよ、それに坊ちゃん。あんたも同罪だからね。滉と一緒になって出歯亀してるんだから。まったくもう…丁度下に居るし、一発どついて来るわ。すぐ戻るわ、じゃぁね。アレス、GO!」

 光は言い訳のように一人で喋りまくると、そのまま巨獣を駆って下へ降りていってしまった。ドルフェスは茫然とその後ろ姿を見つめていた。

 訳が判らない。

 本当に、さっき怒っていた人と同一人物なんだろうか? またそっくりな別の誰かが、光を名乗って現れたのでは無かろうか。

 印象のあまりの違いに、青年が戸惑っていると、貴公子の忍び笑いが体を伝ってきた。

「さすがに照れくさいらしい。逃げていきおった。トゥア・ドルフェス。あれが、光だ。怒り狂ったかと思えば、次には笑っている。頑なに意地を張り通す癖に、自分の非に気づけば、あの様にすこぶる素直に謝ってしまう。変幻自在。滉とはまた、別の形で掴み所の無い女だ」

 貴公子は笑うために少し言葉を止めた。

「怒れば烈火の如く、微笑めば春風の如く。貴婦人から端っ葉、超一級の戦士まで、月が姿を変える様に、くるくる変わる。どれが本当のあの女の顔なのか、本人にすら判ってはいないだろうな、まったく気まぐれで振り回される。だが実に魅惑的だ。 難を言えばちと気が短い事か。あの女と付き合っていくには、多少の覚悟が要るだろうよ。まあ、退屈はしないがな」

 以前シャドウが光を評して、とても魅力的な人と言っていた。

 確かに、ある意味ではそうかも知れない。

 あの、人を引きつけずにはおかない生命力に満ちた笑い顔、視線を捕らえたら放さない金褐色の瞳。夢の中の光と同じ…いや、それ以上に美しかった。

 ふと、魅羅の顔を思い浮かべた。顔つきは良く似ている。だが印象は正反対だ。

 魅羅は滉と同じ天中高く輝く太陽を連想させる。

 光はまさに月だ、暗黒の虚空に白い炎を燃え盛らせる。

――そして、その炎の中には、水晶がある。炎で身を守りながら、その炎によって砕けていく、脆い水晶が…――

「まただ…」

 青年は思わず頭を振った。

「どうした?」

急に激しく首を振る青年に驚いて、貴公子が顔を覗き込んできた。

「え…? い、いえ、何でも有りません」

 慌てて答える青年に、貴公子は優しい眼差しで見つめた。

「お前は不思議な男だな」

「はあ?」

 貴公子はまた少し笑った。どうも彼はよく笑う人らし

「こうして体を合わせていると、お前の波動が伝わってくる。実に面白い」

「はぁ…波動…ですか?」

 貴公子はゆっくりと頷いた。

「うむ、今のように力を開放している時には、人の持つ波動を読むことが出来る。たいていは色で見えるのだが、お 前からは色と音が来る。これは津川の者達とよく似ている」

え?」

「滉は閃光と爆発音、らしいだろう?光ならば、青い真っ直ぐな光線とキン…と澄んだ響き。お前は、優しい水のせ せらぎと荒々しい波の音。そして、暗い夜の空色と青銀色…」

 青銀色…青年は何か心に引っ掛かるものを感じた。何だかとても懐かしい。

「本当に妙だ。何故、二つずつ見えるのかな?だが、一つはとても見慣れた物だ…」

 貴公子は面白そうに首を傾げていたが、ふと下を見てくすりと笑った。

「ああ、光が来るな、さっき笑っていたから、今度は怒っているだろう」

 百面相ではあるまいし、そんなにころころ変わるはずが…

「アルタイル!」

 光の怒声が響きわたった。

「本当に怒ってる…でも、アルタイル?」

 アルタイル、今迎賓館の中で、盛大なセレモニーを受けている老英雄と同じ名前である。ドルフェスは貴公子を見た。彼は微かに首を竦めてみせる。

「アルタイル! あんたねぇ、やっていい事と悪い事が有るでしょうが!! 何だってあんな事したのよ!」

 二人の横に飛び上がってきた光は、噛みつかんばかりの勢いで怒鳴った。

 貴公子は小さく溜め息をついてみせる。

「光、その名はトサマール(ここ)では呼ぶなと…」

「人非人相手に知ったこっちゃ無いわよ!! さぁおっしゃい! 何だってあんたまで化猫を造ったのよ!!」

 貴公子が化猫を造ったと聞いて、ドルフェスは戦慄を覚えた。

「化猫を、造った…?」

 抱き抱えられている状態で、なるべく体を離そうと試みる。

 相変わらず、彼の腕はがっしりしていた。

「トゥア・ドルフェス。怖がらなくても良い。確かに我々の陣に猫は居るが、私が造った訳ではない」

「じゃぁ、誰が造ったっての?」

 地獄の底から響くような光の声が、貴公子の言葉を遮った。相変わらず、光の剣幕などどこ吹く風と微笑みながら、彼は、怒れる女神に顔を向ける。

「ご先祖様」

「責任を転化するのは良くないわ」

「そうでは無い。我々は未だ、人を猫に変える技術は持ってはおらん」

 光はぴっと指を突き立てた。

「滉から、D・Vで分析したケットシーのデータが渡されてるはずよ。それ見て造ったんじゃないの? 滉も下でカンカンよ」

「光、ライファンを高く評価してくれるのは嬉しいが、たった半日で猫を10匹も造れる筈が無い。少しは私の言い訳を聞いてもらいたいな」

「自分で言い訳って宣言してどうすんのよ」

 光は呆れたようにくすりと笑った。彼女は魅羅と同じで、気分を変えるのが劇的に早いらしかった。

 そういえば魅羅は今頃どうしているんだろう? 今朝車の中で目を覚ましてから、未だ一度も姿を見ていない。

「で?どんな言い訳? 言っとくけど、志願者で化猫造ったって言っても、私達は許さないわよ」

「その前に、光、何やら下がにぎやかだぞ」

 貴公子の言葉に光が下を見る、ドルフェスも一緒にのぞきこんだ。

 激しく絡み合う2頭の巨獣と、5〜6人の、重装備に武装した人影を相手に、飛び回っている滉の姿が見えた。

「おやまあ、鈍くさい奴ね。あんなのにてこずってる」

 一斉射撃をかいくぐりながら反撃のタイミングを掴めないでいる滉を見て、光が口を尖らせた。

「しょーがない。手伝ってくるわ。アレス、行くわよ」

 跨った巨獣に、声をかけて、光が身を翻す。

 音もなく滑空していく後ろ姿を、ぼんやりと見つめていたドルフェスは、目の端に何か光るものを感じて首を巡らせ、息を飲んだ。

 赤い光点が三つ。強く輝きながら近づいて来る。

「ミサイルだ…!!」

 青年の声に、貴公子もその方へ首を巡らせた。

「うむ、その様だな」>

「落ち着いてる場合ですか?! 早く避けなきゃ」

 慌てる青年に、貴公子は微笑みながら首を振った。

「まあ、まて。トゥア・ドルフェス」 

貴公子の言葉が終わらないうちに、下方からきらりと一瞬光る物が飛び、次いでミサイルが爆発した。

「ほら、慌てるほどのことは無かっただろう?」

にっこりと貴公子が笑う。悪魔でも蕩かせる様な笑みを前にして、ドルフェスは、彼の糞度胸に薄ら寒さを感じてため息をついた。

「はいはい…。でも、今のは誰が?」

 もしやと思って下を見る、激しい地上戦を繰り広げている光が、こちらに向かって手を振って見せた。

「光のナイフは、相変わらず切れ味が良いな」

「今のは、光さんが?」

 地面からあのミサイルまで軽く100Mはあったはず。しかもナイフで? 銃なら納得できもしようが、手投げのナイフでミサイルを落とすなど、常識外れもはなはだしい。

 冗談と言って欲しくて聞き返したものの、貴公子はゆっくりと肯いた。

「それが光の仕事だからな。だがまあ、光も滉も忙しそうだ。後は、自分でするとしよう」

 そう言いつつ、にやりと笑って見せた方に、二人と同じように、宙に浮いている人影があった。



 淡い金髪が波打つように長く広がり、何処かの民族衣装の様な、ゆったりとした服装をしている。

 暗いので、性別は判らなかったが、腰のあたりに奇妙な装置を取り付けている。ごつごつしたフォルムから、重力遮断による浮遊装置だろうと思われた。

 そう言えば、貴公子はどうやって浮いているのだろう? 見た所、いや、自分の体で感じる限りでは、あんな大仰な物を付けているようには感じられない。かといって、コンパクトで、体にフィットするデザインの浮遊装置があるなんて、聞いた事はない。あればとっくに一般に出まわっている筈なのだ。

 もっとも、光も浮いていたし、この謎の多い人々のことだから、何があってもそう驚く事も無いだろう。

 新たな浮遊者がすっと滑るように近づいて来た。

 貴公子も、其れにあわせて体の向きを変える。ここまで近づくと、相手が男である事が判った。かなり整った顔立ちで、歳は貴公子と同じでよく判らなかった。 

「久しいな、カストゥア。達者で何よりだ」

 にこやかに声をかけた貴公子とは逆に、カストゥアと呼ばれた男は、苦い物でも口にしたような顔をしている。

「よくも、おめおめと、生き恥じを晒せたものだな。裏切り者め」

 カストゥアと呼ばれた男は、吐き捨てるように言い放つ。

「生き恥とは思っておらぬからな。お前も、些細なことで何時までもへそを曲げるのは止めて、そろそろ戻って来ぬか?(みな)も待っておるぞ。特にライファンがな」

 貴公子の言葉に、カストゥアは激しく頭を振った。

「黙れ!! 盗人猛々しいとはこの事よ!!」

 ブン!と右手を一閃させる。握られた直剣が月明かりにきらりと光る。

「先代様を謀殺し、その地位を掠め取った痴れ者のくせに。英雄と祭り上げられ、相変わらずの救世主気取りとは片腹痛いわ!!」

 剣先を貴公子に向け、カストゥアは息巻いた。

 ドルフェスは、時代掛かった男の罵りを、超然とした表情で聞いている、貴公子の顔を見た。

「砂伯カストゥア。お前は、私だけでは飽き足らず、兄者までも落としめるつもりか?」

 今まで聞いた事も無いような冷たい声だった。

「兄者の死がどのようなものだったか、お前が一番よく知っている筈だ」

 カストゥアはにやりと笑った。嘲るような哄笑だった。

「おお、知っているとも。お前が津川の双子と共謀し、如何に先代様を謀殺したか、この眼でしかと見届けたぞ」

 開いている方の手を握り締め、カストゥアは憎しみに歪んだ顔で貴公子を睨みつけている。

「あの時の、この腕の中で冷たくなっていかれる先代様の、無念に満ちた顔を、わしは決して忘れはせん。そうとも、わしは忘れんぞ! アルタイル・アルナスル!! お前の悪行を!」

──え── 

 来訪中の英雄の名を聞いて、ドルフェスは再び貴公子の顔を見た。

 兄殺しと罵られながら、彼は相変わらず超然とした態度を崩してはいない。ただ、冴え冴えとした碧い瞳が、心成しかいぶかし気に細められた様な気がした。

「カストゥアよ、何をされた?お前の波動が濁っている」

「黙れ!!!」

 カストゥアの叫びは、間近でおこった爆音にかき消された。

 憎悪を顕にした顔が紅い光に浮き上がる。貴公子を睨み据える彼の目元が光った様に見えた。おそらくこのカストゥアという男が、襲撃隊の頭目格らしい。

 その男がこれほどまでにこだわる先代、つまり貴公子の兄とは、どんな人物だったのだろう。そしてその人を貴公子が殺した…?

 にわかには信じられない。

 ドルフェスは眉を寄せた。そう言えばさっき滉達は、兄の仇討ちがどうとか話していた。

 竜造寺が仇だとか、滉の方を先にするとか…あれは、この事だったのか?

「砂伯カストゥア。参る!」

 ドルフェスがぼんやりそんな事を考えている内に、カストゥアは突きつけていた剣を構えて突進して来た。

「うわー!!」

 木々の燃える炎にぎらりと光る剣先を目にして、ドルフェスは悲鳴をあげた。

「銃を使えば良かろう?」

 いやに冷静な貴公子の声が耳元で聞こえた。

「あれ人間ですよ! 駄目です!」

「そうか、なら私がするか」

 ガキッと円月刀が直剣を受け止める。

「カストゥアよ、お前の剣の師は、誰だった?」

 円月刀を逆手に持ち、カストゥアの剣を押さえたまま、貴公子が笑いかける。

「うるさい !!」

  突き飛ばすように離れたカストゥアは、再び構え直し切り込んで来くる。

  その時、初めて貴公子が動いた。

 ドルフェスが後ろに引かれるような感じを覚えた時には、既にカストゥアの懐深く飛び込んでいた。

「!!! ?!」

 ドルフェスの声にならない悲鳴は、とっさに繰り出したカストゥアの直剣と円月刀の剣戟(けんげき)にかき消された。そのまま激しく切り結び、飛び離れる。

 不意を突かれた格好になったカストゥアは、何とか有利なかたちに持ち込もうとした。しかし、貴公子はカストゥアが少しでも体勢を立て直すような暇は与えなかった。一度(ひとたび)戦闘に入ると、彼は今までのゆったりとした動作からは想像出来ないほどの敏捷さで、空中を自在に動きまわり、次々と攻撃を加えて、攻め立てていく。しかも片腕にドルフェスを抱えたままで。

 どちらかと言えば、カストゥアの方が動きが鈍いように見えた。

  切りあわせるうちに浮遊装置の何処かが破損したらしく、カストゥアは、少しずつ高度を下げていく。ぐらりとバランスを崩した所で、貴公子がカストゥアの剣を弾き飛ばした。

「さすがは金の飛鷹。こんな装置などでは役にもたたぬ。何時までもいたぶっていないで、さっさと殺したらどうだ?」

 肩で息をしながら、カストゥアが歯ぎしりする。

「カストゥア、歪められた記憶と、偏った思考が、お前の剣を鈍らせている。思い出せ、私とお前が(たもと)を分かつた本当の理由(わけ)を。憎しみなど、何処にも無かったはずだ」

 貴公子の声音はやはり静かなままだったが、ドルフェスには、ほんの僅かに悲しげな響きが含まれているように感じられた。

「黙れ!偽善者。お前に(たばから)られた事など思い出したくも無いわ! さあ殺せ!!」

 淡い色の瞳が、ギロリと見開かれた。ドルフェスがカストゥアの狂気に近い憎悪の姿を見て、背筋に冷たい物を感じた時、

「なぁんだ!! 誰かと思ったらカストゥアじゃないのよ?!」

下方から光の声が響いた。 振り向くと、光と滉がアレスに乗って飛んで来る。

「おー。カストゥア。久しぶり!」

 滉が光の後ろで手を振っていた。

「随分見なかったなぁ、元気そうで何よりだ。騒ぎも一段落したし、後でまた一緒に酒飲もうぜ」

 およそこの場に似合わないのんきな台詞に、ドルフェスだけでなく、カストゥアも呆気にとられた顔をして双子を見ていた。平気な顔をしていたのは貴公子だけである。

「津川滉…?」

「何、ハトが豆鉄砲くらった様な面してんだよ。俺に決まってんだろう?」

 滉はいつもの人好きのする笑顔でカストゥアに笑いかけた。その目が不意に険しくなる。

「それにしてもお前がついててこの騒ぎってなぁ、どう言うこった? おまけにあの化け猫。何が起こってんのかとっくり聞かせてもらうぜ」

 光も同じように、真剣な顔でうなずく。

「そうよ、カストゥア。貴方はあんな酷い事をさせないためのお目付役でしょ? 人間を改造して化け猫にするなんて、酷すぎるわ」

 近づいて来た双子が口々に苦情を言い立てたが、カストゥアは凶悪な顔つきでにやりと口を歪めただけだった。

「?どうした?カストゥア。人相悪いぞお前」

「うんうん、なんか荒んでるわよ。何かあったの?」

 あくまで呑気に、双子は何の警戒もしないでカストゥアに近寄っていく。

――大丈夫なのかな…――

 不安な気分で、ドルフェスはカストゥアと双子を見比べた。

 案の定、滉の手がカストゥアの肩にかかった途端、懐に隠し持ったレーザーサーベルが突き出され、光と滉を串刺しにしようとした。

「警部 !!」

ドルフェスの声より一瞬早く、滉はアレスの背を蹴って宙に身を躍らせていた。

  光は素早く後退し、レーザーの切っ先をかわす。

 空中で一回転した滉は、、カストゥアの背後に回り込んで羽交い締めにし、同時に、拘束されたカストゥアの手から、光がサーベルをもぎ取った。二人分の重量に耐えかねた浮遊装置がグラリとバランスを崩して、左右に大きくゆれ始める。

「なにしやがる! 度が過ぎるぞカストゥア!!」

 滉の怒声と、カストゥアの大笑が重なる。

「何が可笑しい?!」

「黙れ偽善者共め! 先代様への冥土の土産に、お前の首を持って行きたかったがしかたが無い。アルタイル・アルナスル! 早くわしの首をはねろ!!」

 カストゥアの言葉に、双子は愕然(がくぜん)とした表情で貴公子を見た。

「アル…こいつどうしたんだ?」

「いつものカストゥアじゃ無いわ。何を言っているの?」

 端正な顔を初めて曇らせ、貴公子は、首を振った。

「我々は、兄者を謀殺した大罪人だそうだ」

「へ? カストゥア。何でお前が、んな事言い出すんだよ」

「そうよ、アルファルドの本心を教えてくれたのは貴方じゃないの。でなけりゃ私達、とっくの昔にアルタイルと殺しあってたわ……まさか…」

 光の声が途中で途切れた。彼女はぎゅっと目をつぶって俯いた。

 滉もまた、悲痛な表情でカストゥアを見つめていた。次第に激しい怒りの色がさしてくる。

 それは、以前ドルフェスが垣間見た、煉獄の炎を吹き上げる滉の姿に他なら無かった。

「カストゥア…お前…ファントムに喰われやがったな」

 貴公子は無言で足元を見つめていた。

 四人の下にあった森は、1/3を失ってまだちろちろと赤い舌を見せながら、白い煙を立ち上らせてはいたが、もう戦いの喧騒は収まっていた。

 ふと、真下にある空き地に、数人の人影が集まってこちらを見上げている。

 何人かは銃を持ち、残りの数人は何故か身仕度に忙しいらしく、しきりに上着を着たりズボンを履いたりしている。

「あれは?」

 ドルフェスの声に、貴公子ははっとした様に息を吸った。

「ああ、ウルとオルスだ。夜会はお開きのようだな。滉、光。下に降りよう。 カストゥアを、ライファンにも会わせねばならん」

  貴公子の言葉に、双子は無言でうなずいた。

  滉が顎をしゃくると、光は手にしていたサーベルで、カストゥアの浮遊装置を切断する。滉とカストゥアはそのまま落下していく。

 ドルフェスはひやりとしたが、無事に着陸するのを見て、安堵した。

 光がアレスの背に立ち上がった。腕を組み、背筋をすっと伸ばした姿は、神話の中から抜け出て来た様に美しく見えた。

「アルタイル。まだあんたの言い訳を聞いてなかったわ」

「言い訳はもう、本人に聞くと良い。下にいるオルス達だ」

 光の頬に苦笑いが浮かんだ。

「私達とおんなじ…御先祖様の遺産ってやつ?役には立つけど、有り難くはないわね」

 そう言うと光は、腕を組んだまま、アレスの背から身を躍らせた。滉と同じく、そのまま奇麗に着地する。

 光の後を追うように降下していたアレスは、途中で奇妙に輪郭が歪んだと思った途端、不意に二つに別れて、白と黒の二つの塊になった。

 光の足元に着地したそれは、白と黒のどちらも、尻尾のふさふさした小さな猫のように見える。

 ドルフェスが目を見張っていると、自分達もまた降下しているのに気が付いた。

 地面がゆっくりと近づいてくるのが判り、青年はこっそり安堵のため息をついたのだった。





カストゥアの悲劇。

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