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16 A・HERO・WORSHIP

親子の会話







パンケーキは、フライパンの上で焦げてたわ。

D.Dの奴、得意なものもこの程度か、ですって、馬鹿にしてるわ。

だって仕方なかったのよ、焼いてる最中にダフネが言い出したの。

「私、滉さんと旅行に行こうと思うの。半年程、アルゴルとセファートを回って来ます」

滉達って、結婚して18年近くなるのに、まだまともにハネムーンもしていないのよ。だから、私。快く魅羅と閖吼を引き受けて、滉に浮気させたら駄目よっ、て言ってあげたの。


パンケーキはその間に焦げちゃった。


焦げたケーキは、不吉の前兆だったのかも知れない。

あの日、滉達が旅立った翌日。今頃はステーションね、なんて言ってたら身体を眩しい光が包むのを感じたわ。

――――それっきり、私の半分は無くなってしまった。

宇宙ステーションは原因不明の爆発を起こし、滉達は星よりも遠い所へ行ってしまった。星に旅行に行った人が、自分が星になっちゃったなんて、笑い話にもなりゃしないわ。

 あいつったら、本当に馬鹿よ。


――――ああ…

…私の身体が壊れてゆく…

滉が居ないから。私の半分がもう何処にも居ないから…

ごめんねD・D、貴方が居るのに、滉が居ないと治らない。私の身体は治らないの。


悲しまないで、私を見ていてくれた人。

私が、滉の半分の存在だけで終わらなかったのは、貴方が見ていてくれたからよ。だから、ほんの少し待ってて、私達皆会えるわ。


きっと、何処かで…


約束よD・D、また、皆で遊びましょう…




光は、高く掲げられた自分の手を、ぼんやりと眺めていた。眠りながら誰かを探して差し伸べられた手は、ベッド脇の補助光に白く浮かび上がって見える。

「あの夢、しばらく見なかったのに…」

 軽い溜め息と供に起き上がり、もう一度伸ばしていた手を見る。

 夢の中で痛いほどこの手を握り締めていた、男の暖かく大きな手の感触が、まるで現実のものだったかの様に残っている。

 手に残っている感触にあわせて、幻の手を握ってみる。

光の金褐色の瞳から、人前では決して見せる事の無い涙が、一雫こぼれ落ちた。

「D・Dの嘘吐き、待ってるって言った癖に」

 そう呟いてから、すぐに自嘲の微笑みを浮かべる。

 ルール違反をしているのは自分の方だったから。

 普通の人間なら、とっくに終わっている人生のはずなのだ、それなのに、自分は反則の第2ラウンドを生きている。

一方的に龍造寺を責めるのは、手前勝手と言うものだろう。

 光は顔にかかってきた黒い髪をうるさそうに掻き揚げた。

 龍造寺の死を知ってから、金褐色の自毛を喪服代りに黒く染め続けている。もし龍造寺が知ったなら、しつこい女だ、と笑うかも知れない。

それでも良い、それで少しでも天国で自分の事を思い出してくれるなら…

そこまで考えて、無性に腹が立ってきた。こんな女々しさは自分には似合わない。

「坊っちゃんが変な事言い出すからだわ」

 光は苛立たしげに溜め息を付いた。

 無性に誰かに八つ当たりをしたくなってくる。

 あれこれ候補を考えて、ふと、滉は何をしているだろうと思った。

 こっそり感覚を延ばして、片割れの様子を探ってみる。

 心地好い加速感に包まれて、滉はネプチューンのシートにリラックスして座っている。

むかついた。

「そう…私が悲しんでるってのに、あんたは呑気に笑ってんのね」

同情の必要は無いな。光はにやりと笑った。

 滉に気付かれない様に、そっと手の甲だけ感覚を入れ替える。

 その手を思いっきり抓ねりあげると、すばやく元に戻し、反撃が来ないようにイメージの扉をきつく閉める。

「ふん…だ」

 鼻でせせら笑うと、気の済んだ彼女は、大きなあくびをしながら再び横になった。

 起床時刻迄はもう少しある。

 今度は夢など見ずに眠ろう、目が覚めたら又忙しい。


                        *


「痛ってぇー!! 何しやがるこのアマ!!」

ドライバーズシートで呑気にシャドウ相手に話していた滉が、いきなり片手を振りながら怒鳴り声を上げた。

「ママ?」

後部座席から、魅羅が首を出す。

「そうだよ、あのアマいきなり抓りやがった。」

痛そうに手の甲を摩りながら、滉はいまいましげに口を尖らせた。

「くっそー。完全にシャットアウトしてやがる。憶えてろよ、必ず仕返ししてやる」

「光さん、どうしたのかしら」

ディスプレイスクリーンの中で、シャドウが首を傾げた。

「きっと何か気に入らない事があったのよ。ママ、滉になら何しても良いって思ってるから、八つ当たりしたんだわ」

のんびりと魅羅が言う。滉は、深い溜め息をついた。

「八つ当たりで痛い目にあわされたらたまんねぇぜ。降りて来たらみてろよ」

 恨みがましくまだ手を摩りながら、滉が唸る。

 魅羅はけらけらと笑いだした。

「無駄無駄、もう忘れてるわよ」

「許さん!! 思い出させてやる」

 悔しがる滉をひとしきり笑ってから、魅羅はサブ・シートのドルフェスに目を向けた。

 賑やかな親子の会話をしりめに、彼はぐっすりと眠り込んでいる。

 長時間の緊張状態から一気に解放された彼の神経は、休息を求めて深い眠りを連れて来たのだった。

 そして、その後ろの座席には同じ様に眠り込んでいるエミーが居た。尤も、こちらの方は起きたら煩い、という滉によって、ネプチューンに乗せられるなり鎮静剤をうたれて、強制的におとなしくさせられているのだが。

仲良く眠るベースシティの刑事コンビを見ながら、魅羅は、小さな溜め息をついた。

「何でェ、まだこの姉ぇちゃんを連れて来たのが気にいらねぇのか?」

父親の声に、魅羅はかぶりを振った。

「確かにこの女は嫌いだけど、今更文句は言わないつもりよ。ただ、この大きな荷物、ふたつも抱え込んでどうするつもり?」

娘の言葉に、滉は軽く喉で笑う。

「D・Dもお荷物か?」

「今のとこはね、だって、そう思っていないとつい活躍を期待しちゃうのよ、やっぱり顔の所為ね。おまけに仇名まで同じなんだもの、混同してしまうわ」

妙にしみじみとした口調で魅羅が言う。

「今頃になって、この顔に出くわすなんて思っても見なかったわ。ところが性格は正反対、かなりギャップが激しいわよ」

「生まれ変わりかも知れねぇぜ」

滉の言葉に、魅羅はおどけた様に首をすくめた。

「D・Mが聞いたら怒るわよ、こんな軟弱者と一緒にするなっ、てね」

「あのオヤジならそう言うだろうな。けどなぁ…この似方はただごとじゃぁ無いぜ、子孫かクローンってな感じだね」

やはりドルフェスの横顔をみつめながら、冗談めかして滉が言う。魅羅は首を傾げた。

「D・Mには兄弟は……一応居なかったわよね、子供だって幻だけ…」

後の言葉は続かない、思い出すには辛い記憶だった。あの時の龍造寺の、悲嘆に暮れる姿は、今も魅羅の胸を締め付ける。

「コピーなら居たぜ」

滉の微かに冷笑を含んだ声が、魅羅の物思いを打切った。

「…思い出したくない」

 その男には、かつて散々煮え湯を飲まされたのだ。眉を潜める娘に、滉は苦笑した。

「ま、そう言うなって。旦那の親父って代物が旦那のクローンを弟として作ってたのは知ってるだろ? それが竜司のボケだが。そもそも自分が人間以上の生き物になるってぇ夢に執り付かれた奴でね、その為には自分の息子を実験台にする事にも全然ためらわねぇ。世界中から科学者集めて、日々竜司のスペアを切り刻ませたりしてたんだぜ」

そう言う滉の顔は、苦笑とも嫌悪とも言えない奇妙な表情を浮かべている。

「お前の祖父さんを助けるために乗り込んだ所に、そのスペアの保管所があったんだ…今思い出しても、気味が悪いぜ。なにせ…天井から床下までひしめくみてぇに並べられたカプセルん中に、全部旦那が入ってたんだ……まあ、竜司だけどな……それも素裸で…」

親子はとっても寒い視線を交わし合い、どちらともなく肯いた。

「そう…それは大変な物を見たのね」

「ああ、あんな物何百と見せられたら人生嫌になるぜ」

「初めて聞いたわそんな話。だからママ、年に一回離婚してたのかしら」

「いんにゃ、ありぁ趣味だろ。ま、そんな家庭の事情だからな、クローンの一匹ぐらい世間に紛れ込んで、この坊っちゃんの先祖になった可能性はあるかもしれない」

 父親の言葉に、魅羅は再び首を傾げ、暫く考えてから思い切ったように口を開いた。

「彼、私のことを、Little Dianaって呼んだわ」

「何だそりゃ?」

 今度は滉が首を捻る。

「D・Mが、私を誉める時に使ってた呼び名よ小さな月の女神(リルダイアナ)って…」

 滉は軽く笑って肩をすくめた。

「てェ事は、光がダイアナか…顔に似合わずロマンティストなんだよな、あの旦那」

 魅羅は形の良い眉を寄せ。

「D・Dに聞いてみたけど、自分がそう言った事なんて全然覚えて無いのよ、どう思う?」

 娘の問いに、肩をすくめて、滉は頭を掻いた。

「さてなぁ、こんなに時間がたってるってぇのに、本気でクローンってか? だけどな、コピーに記憶を移す技術は無いはずだぜ。部分的なもの以外はな」

魅羅は溜め息とともに大きく首を振った。

「やっぱり他人の空似って事にしておきましょう、およそ考えられないわ。アレクスじゃあるまいし」

「そうしたいのは山々なんだが、この坊っちゃんが、何であの化け猫に殺されかかってるのかが判らねぇ。そして、あいつ等が何で俺達や旦那の事を知っているのか…魅羅、旦那の事故の時の検死は誰だ?」

不意に聞かれて、魅羅はきょとりと目を丸くした。

「エ? 勿論、閖吼よ、私達がD・Mを他人に触らせるはずないでしょ」

「死体、見つからなかったんだよな…」

無言で肯く。

「あの宙域で見つかった旦那の義手が、死亡の決め手だったんだよな…」

「ええ…そうよ。あの事故の日、D・Mは私に通信をくれたわ。もうすぐ帰るって。戻ったら、皆で滉達のお墓参りに行こうって…約束したのに…」

涙を含んだ声が、赤い唇から漏れる。

うなだれた娘の頭に、ふわりと大きな手が乗せられた。

「俺も、お前達との約束を破っちまったよな。帰ったら動物園に行こうって言ってたんだよな」

 魅羅の黒髪をくしゃくしゃに撫ぜながら、優しさを込めた目で見つめる。

 しばらく成すが侭になっていた娘は、照れたような微笑みを浮かべて父親を見た。

「滉にとって、私達はまだ十二歳の子供のままかしら?」

滉は微かに苦笑した。

「ああ、空港で半分むくれながら見送ってる、あのちび供のままだ…」

滉は遠い日々を懐かしむ様に、ふっと視線を空に浮かせた。

「滉もD・Mも、それ以外の約束は必ず守ってくれてたから良いのよ。それに、滉は帰って来てくれたもの」

健気な返事に微笑みながら、軽く頭をたたいて手を放す。

「帰ってきたと言おうか、帰ってこさせられたと言うか…」

「良いじゃない、今が幸せなら」

「ま、そーだな」

にっこりと笑い会う親子は、性格も考え方も実に良く似ていた。

「さて、もっと幸せになるために、もうちっとしっかり考えようぜ。疑問は山積みなんだからな」

「そうね、このD・DじゃあD・Mみたいな名推理は望めないものね。ほんと、似てるのは顔だけなんだから」

ドルフェスが聞いたら、奈落の底に落ち込みそうな科白をさばさばと言い放ちながら、魅羅は、なんとなく嬉しそうに青年の寝顔に視線を向ける。

滉はそんな娘の仕草に、微かに目を見開いたが、何も言わず、ゆっくりと微笑みを浮かべた。

「滉さん、魅羅。もうすぐD・Vのシールド圏内に入ります。お疲れ様でした」

シャドウの静かな声が流れて来る。

「ほいよ」

 気楽に答えて滉は前方に目をやった。

 道は郊外にさしかかり木々の深く生い茂った所を進んでいる。

 その木々の枝葉の間に、アース風の洋館が見え隠れしはじめている。

「これでやっと飯にありつけるぜ。今夜の飯はブイヤベースにローストビーフ、ポテトとアスパラガスのサラダにジンジャーブレッドなんてね。ああ腹減った」

一気にまくしたてて一人肯く滉を横目で睨み、魅羅はスクリーンのシャドウにしかめ面をして見せる。

「マザー、滉の好きなものばっかりじゃない」

「俺の女房だ、当たり前だろう」

「うー」

「魅羅、デザートはキウイプティングよ」

シャドウのとりなしに、好物を聞いた娘は幸せそうに肯いた。

「うふ…、だからお母さん好きよ」

「どういたしまして。追跡波遮断の為、次元シールドを四重に張るわ。魅羅、閖吼との繋がりが切れるから、しばらく痛いわよ」

気使う母親の声に、魅羅は元気に肯いた。

「願ったりよ、早く閖吼を楽にしてあげたいもの」

滉はコンソールパネルにちらっと目を走らせ、少し首を傾げた。

「シャドウ、気になることでもあるのか?」

スクリーンの中で、シャドウは小さく首を振った。

「いいえ、用心の為よ」

滉の金褐色の瞳にまっすぐ見つめられながら、シャドウはにっこりと微笑むと軽く顎に手を当てた。

「滉さん。私、こっちのD・Dに彼の顔の事話してしまったけど、いけなかったかしら?」

 いきなり話題を変えられて、滉は微かに口許を引き上げた。金褐色の瞳と紫の瞳が一瞬絡み合い、夫婦だけの会話が成立したらしい。

「こいつが知ってたって、光と閖吼がびっくらこけばいいんだ。大勢にゃァ影響ねぇよ。それに、お前のこった、当然そん時の顔は記録してあるんだろ?」

にやりと意地の悪い笑い方をしてみせて、滉はドルフェスに顔を向け、『勿論です』という答を聞いて、さらに笑みを深くする。

「さァ、飯だ飯だ。魅羅、D・Dを叩き起こせ」

魅羅の笑い声が軽やかに弾け、ネプチューンの調子に乗った遠吠えがハモる。

 フロントウインドウには、蔦の絡まる洋館が、古めかしいたたずまいを現わしていた。



                    *

 コポコポ…コポコポコポ…

耳元で奇妙な音が聞こえる。だがとても聴きなれた音だ。

体を何か柔らかい物が包んでいる。

とても暖かい…気持ちが落ち着いてくる。

ここは何処なんだろう?

心地好い眠気が纏わりついて、体が重い。でも不快感は無い、これは何時もの事だ。

そう…ここはよく知っている所…安全な所だ…

睡魔が優しい手を差し伸べてくる、誘いに任せて眠ってしまおうか…?

――共鳴…切れた…?――

何処かから声が聞こえた。

――死んだの?――

――違う…――

切れ切れの声は、奇妙な緊張感を帯びている。興味が沸いた。

眠くてだるい目蓋に、やっと言う事を聞かせて目を開く。

一面の銀世界、青銀色に発光する壁が目の前にあった。

いや、壁ではない。細い糸のような物が繭の様に体を覆っている。

銀の糸は時折ふわりと動いて頬に触れる。柔らかくて気持ちが良い。

――データー…リンクして――

――…木馬には、何人入ったの?…――

――報告――

――…――

 声は擦れて聞えなくなった。

 もう駄目だ…眠くてこれ以上目を開けてはいられない。

 目を閉じる、すうっと体が重くなる…



「おい、D・D。いい加減に起きろよ」

滉の声で青年は目を覚ました。

フロントウインドウから差し込む日の光に、思わず顔をしかめる。

初夏の陽光が、さんさんと車内に降り注いでいた。

「あれ…?」

ドルフェスは目を瞬いた。

 車窓の外には、鮮やかな草の緑と、遠くに霞む防風林の新緑が優しいグラデーションを醸しだし、その上を覆う群青色に晴れ渡った空と競い合っている。

 実にのどかな田園風景が広がっていた。

「ここは…何処…?」

「私は誰?なんて言うんじゃねぇぞ」

 不機嫌な声で、つまらない冗談の様なことを言いながら、滉がドルフェスを横目で睨んでいる。

「警部…?俺、今まで寝てたんですか?」

 何時間寝ていたんだろうと考えて、恐る恐る訊ねると、滉はがっくりと肩を落とした。

「やれやれ…」

滉の様子にドルフェスは不安を覚えた。

外の風景とは正反対の不気味な緊張感の中で、黒い瞳と金褐色の目が交差する。

「あの…警部?」

 少し速くなった鼓動を感じながら、もう一度口を開いた。が、滉は呆れた様に青年の顔を眺めているだけである。

ドルフェスはさらに加速した鼓動を抑えるように、胸に手を当てた。上司に睨まれた位でドキドキするほど気の弱い方では無いはずなのだが、( セーレオ部長に怒鳴られてもこんなに心臓に負担がかかったことは無かった) 滉に見つめられると、どうしても心拍数が跳ね上がってしまう。

おまけに嬉しいような苦しいような変な気分にまでなってくるのだから始末が悪かった。

そして真先に浮かんでくるのが、彼に嫌われたのでは無いかという不安で、次にもっと側に居たいという切なる願いが沸き上がってくる。

まるで初恋に胸踊らせる少年に戻ったような感じだったが、ふと、自分の初恋が夢の女に対してのものだったことに気がついて、青年は大いに焦ってしまった。

滉は確かに夢の女とそっくりだったが、彼はれっきとした男性なのだ。

それに自分には、勿論滉にも、同性を恋愛対象にする趣味は無いはずだ。きっと…

 青年の目に、夢の女の顔がチラチラと浮かび、それがジト目で見つめる滉の顔と重なった。ひょっとして、現実には居ない女を恋い焦がれる余り、同じ顔なら男でもいいんだろうか…?自分はそこまで即物的なのだろうか?

 一人で焦りまくった青年は、助けを求める様に後部座席に目をやって、初めて魅羅が居ない事に気が付いた。

「あれ…?魅羅さんは?」

 滉は再び溜め息を付き、諦めたように首を振った。

「降りたよ、2日前に」

「へ?」

 滉の妙な言葉に、ドルフェスは点目になった。

「あの…?どういう事ですか?それに、俺達これから何処に行くんです?」

 訳も判らず疑問を連発する部下に、滉はぐいと顔を突き出す。

「お前、本っ当に憶えて無いのか?」

「え?」

 ドルフェスの背中を、何か冷たいものが走っていった。

「俺、何かしました?」

「そーか、覚えてないのか。なら教えてやろう。お前が化け猫に襲われてから2日経っている」

 険しい表情のまま、滉は口を開いた。そして言いにくそうに少し間を置き、青年の目を覗き込む。

「お前は2日前、寝ぼけて魅羅にキスしようとして投げ飛ばされ、それからおかしくなっていたんだ」

「ええ?!」

 ドルフェスは驚きの余り立ち上がりかけたが、いかんせんネプチューンの中である。

 当然、天井に嫌と言うほど頭をぶつけてしまった。

「あでっ!!」

 ついでに舌も噛んでしまったらしく、口と頭を抑えてうずくまる。

 そんな青年の狼狽する様を、気の毒そうに見つめながら、妙にしみじみとした口調で滉が追い打ちを掛けてきた。

「俺達は、化け猫に追いかけ回された所為で、軽い精神錯乱を起こしてるんだと思ってな。一応医者に看せたんだが、お前がその医者を叩きのめしちまって…」

 ここでためいき。

「で、(せがれ)に連絡をとったらトサマールにいい専門医を知ってるって事だったんでね。ま、お前さんのおっ母さんもあっちに居るって事らしいから、これからお前さんを連れていってさ、おっ母さんに詫びを入れようと思って、今宇宙港に向かってるところだ」

 滉の説明に、青年はただ呆然と聞き入っていた。

「そ…そうなんですか…」

 そんな彼を励ますように、何時もの人好きのする笑顔を向けて、アースから来た臨時の上司は言葉を続けた。

 ただしその内容は更に青年に追い打ちを掛けるものだったが…。

「まあ…ね。泣くは喚くは、あげくの果てには裸踊りまでする始末だったがね。ま、正気に返って何よりだ。善かった善かった、おめでとう」

 余りの衝撃に目眩がしてくる、両手で顔を覆ってうずくまった。

「は、裸踊り…俺、そんな事やったんですか…?」

 滉は真顔で頷いた。

「ああ、俺と魅羅の前でいきなり脱ぎだしたんだぜ。お前、腰の辺りに変な形の痣があるんだな。蝶々みたいなやつ。生まれつきか?」

 もう駄目だ……青年は絶望のどん底に突き落とされた気がした。

 確かに痣はある。滉の言う通りの形の…

 混乱して真っ白になってしまった頭の中で、軽蔑しきった表情で自分を見ている魅羅の顔が浮かんできた。何だかそれが酷く辛いことの様な気がして、ドルフェスはうずくまったまま硬直してしまった。

『滉さん!』

 ふいにシャドウの声が飛んできた。涼やかな声のなかに、何時になく厳しい響きが含まれている。

 ドルフェスは思わず顔を上げた。

『滉さん、悪戯が過ぎます。D・Dが困っているじゃ無いですか』

 スクリーンの中で、シャドウが強い目をして滉を睨んでいた。途端に滉が弾けるように笑いだした。身をよじらせて苦しそうに腹を抱えている。

「悪戯…?」

 呆気に取られて青年が呟くと、目に涙を溜め、息を切らしながら滉が文句を言う。

「シャドウ、面白いところで水を差すなよ」

 楽しそうに言い返す夫に、彼女はさらにキッとした視線を向けた。

『滉さん。部下を苛めてどうするの、可哀相でしょ。まあ…そうしたくなる気持ちも判るけど…』

「そうだろう? 何せこの顔だ、いっぺんこういうのをしてみたかったんだ。おまけに絶対厭味は返ってこねぇんだぜ、楽しいじゃ無ぇか」

『そういうのを、江戸の仇を長崎で取るって言うんです。滉さん意地悪だわ』

「そこまで言うかお前?」

「…あのう…」

 何故か夫婦喧嘩を始めた二人の会話に、ドルフェスは恐る恐る割って入った。

「どういう事なんでしょうか?」

 首を傾げる青年を振り返り、黒い目のなかに朴訥な光りを見た滉は微かにバツの悪い苦笑を浮かべて頭を掻いた。が、すぐににやりと笑ってドルフェスの肩を叩く。

「やー、悪ぃ悪ぃ。お前さんの寝顔を見ていたらどうにも我慢ができなくってね」

「それで…からかったんですか?」

「悪かった。すまん」

 全然すまなそうでない口調で滉が謝った。口調だけでなく、顔にも仕種にも、罪悪感のかけらも見当たらない。

「けーぶ…」

 ドルフェスは拳を握り締めて、自分が味わった絶望の何分の一かでも言い返してやろうと口を開いた。

 だが、いつもの人好きのする笑顔を満面に浮かべて彼を見ているアース人の視線に会うと、青年の決心はヘナヘナと萎えていく。

 思わず深い溜め息が出る。

「どうした?D・D。具合悪いのか?」

 きょとんと覗き込んでくる顔が、色違いの魅羅と重なる。

 似ている、顔以上に仕種と性格がそっくりだ。

 順番から言えば、こっちが源で魅羅は遺伝になるのか…?

 何にしても、好感を持ってしまう傍迷惑という、対処に困る性格には頭痛がしてくる。

 ドルフェスは再び深く長い溜め息を付いた。

「D・D、ほんとに大丈夫か? シャドウ、どうしょう?」

 不安気に眉を寄せた滉は、まるで子供のようにスクリーンに伺いをたてた。

『存じません。滉さんが悪いんじゃありませんか』

 津川家の中で、一人良識を持っているらしい奥方は、夫に冷たい返事をした。

 シャドウの態度におろおろしている滉を見ながら、わずかに溜飲を下げたドルフェスは、軽く息をはいて首を振った。

「いいですよ。どうせ俺、俺にそっくりな誰かさんの代わりの、玩具(おもちゃ)なんですから」

 何となくいじけた台詞になったが仕方ない。

 途端に滉の大きな手が、嫌というほど肩をどやしつけてきた。

「良く判ってるじゃねぇか。お前さんの取り柄はその素直さだ。その面で可愛げの無ぇ皮肉を言うようになったらお終いだぜ」

 物理的な衝撃に激しく咳き込みながら、ドルフェスは、何時まで素直な気持ちで居られるんだろうか? といぶかしんだ。まあ、滉や魅羅の傍迷惑はエミーの陰険さ加減よりずっとましだとは思うが。

「そういえば、エミーはどうしたんですか?」

 当て身を食らって延びていた同僚の行方を聞くと、シャドウの優しい声が返ってきた。

『私がお預かりしています。心配しないで、彼女は大丈夫よ』

 シャドウは、ドルフェスが二日間殆ど眠っていたと教えてくれた。その間ドルフェスとエミーは、シャドウの用意していた安全な場所で過ごし、エミーを残して二人は宇宙港に向かっていると言った。

「宙港に本当に向かってるんですね。でもどうして?」

念を押すドルフェスに、小声で「皮肉か?」と言い返しながら、滉は青年の膝にばさりと何か放り出した。

ドルフェスがそれに目を落とす、薄黄緑色の表紙に“要人警備要項”と表書きの付いたフアイルである。

「?何ですかこれ」

 首を傾げるドルフェスに、今度は滉が手短に説明をする。

サミット開催の先触れである視察団の構成メンバーで特に大物の人物が、予定を大幅に変えて、トサマールではなくコーチの此処、つまりベースシティへいきなり降りてくるのだという。それも単独で。

通達は二日前、お蔭で議会も警察も上を下への大騒ぎになっているらしい。

「それで、愛しのナディーラから、俺達にも歓迎式典の警備に加わってくれと頼まれたんだ。よく読んでおけよ、俺達の警備担当は東ウイングの屋上とフロアだからな。ついでに、俺達の下に三十人程配属される。お前さんにも十人位は面倒みてもらうぜ」

「お…俺? 無理ですよそんなの」

「だだっぴろい宙港をベースと衛星都市の警察だけで警備するんだぜ、人手が足りねぇんだ。お前二日も寝こけてたんだから元気だろ?」

 決めつける様に言い放たれて、ドルフェスはこめかみを引きつらせながら車窓の外に視線を泳がせた。

回りは相変わらずのどかな田園風景が続いていた。

柔らかな初夏の日差し、華やかで初々しい若葉の輝き。

ドルフェスは、落ち込んでいる自分を、あざ笑うかのような平和な光景に、はっきり言って八つ当たりな苛立ちを感じる。

 向上心が無いと言われるだろうが、自分の様な警官になって2年にもならないペーペーに、10人もの指揮を取るなんて出来る訳がない。視線を落とし、膝の上の警備要項をぱらぱらと捲りながら、青年はそっと溜め息をついた。

10km四方の広大な宙港に点在するターミナルに、それぞれ約500人の警官が配置され、警備内容や指揮系統が細かく記載されている。

特に厳重なのは、通称東ウイングと称される東方に位置する発着ターミナルで、此処だけ700人もの人員が置かれていた。

この員数の中に、自分と滉も含まれている事になる。

警備は建物の屋上から連絡用のリニアラインのステーションを始め、各作業室、管制塔、非常口は勿論のこと、作業員の休憩室、格納庫や果ては地下のパイプ室まで物々しい警備陣が敷かれていた。

呆れた事に、到着するVIPは、宙港から今度は航空機に乗り込み、直接迎賓館に入るのだが、その護衛に空軍の戦闘機が五機も付くことになっている。

いったいこれほどまでの警備をしなければならない人物とは、どういう人なのだろうか?

「警部、今日降りてくる人って、誰なんですか?」

 首を傾げながらドルフェスが尋ねると、滉は口をへの字に曲げて鼻を鳴らす。

「我儘な英雄だよ」

「英雄?」

ますます判らない。滉はそんな青年に優しい笑顔を向けた。

ドルフェスの顔がほんの少し赤くなった。

「お前さん『鋼鉄の大天使』って知ってるかい?もう一つの呼び名は『黄金の救世主』とか言われてたと思うけど」

「へ?あれ、何処かで聞いたことがある…」

「そりゃそうだ、学校で習うからな。アルタイル・アルナスルってのは覚えてるか?」

「ああ、共和国の建国の英雄ですよね、初代大統領の。どうも歴史は苦手で」

 言い訳をしながら頷き、ドルフェスは合点がいった様に滉を見た。

「じゃあ、今日のVIPっていうのは、アルナスル家の人なんですね」

 アルタイル・アルナスルを祖とする名門家は、今もアルゴル政府中枢にあって、強い発言力を持っていた。

そして彼らは、セファート王国との繋がりも深い。アルタイルの夫人が、セファートの王族の出だったからである。

 そんな名家の人物が来るのなら、この物々しい警備の訳も当然と言えた。

 納得している青年に滉は、

「ああ、アルナスルもアルナスル。アルタイル・アルナスル御当人さ」

とさらりと言い放つ。ドルフェスは仰天した。

「え? でも、その人二百年前の人でしょう?」

 滉は情けなそうに溜め息をついた。

「お前さん、本当に歴史が苦手なんだな。アルタイルの享年って聞いたことあるか?」

 言われて青年は首をひねった。

「さあ…? 知りません」

「知ってるわけねぇよ。まだ生きている。自分の国の元国家元首のことだぜ、しっかり覚えておきな。はっきり言って、社会科も苦手なんだろう?」

 ドルフェスは赤面して頭を掻いた。

「面目無い…でも、長生きですねその人」

 照れ隠しに笑いながら、ドルフェスは感心してしきりに頷いてみせる。スクリーンからシャドウの忍び笑いが漏れていた。滉は諦めたように肩を竦めた。

「アルタイルはパストアス皇家の血を持っているからな、銀河で最も長命な政治家だよ。あいつの寿命はあと二百年はあると言われている。とっくの昔に第一線を退いちゃあいるが、まだまだ中央政府内ではあいつの発言は絶対命令並に扱われてるしな。もっとも、それを一番嫌っているのは、当の御本人なんだがね。その癖…」

 銀河最高のVIPを、まるで友達の様に言いながら、もう一度肩を竦めてみせる。

「都合のいい時だけ自分の立場を利用して、こんな我儘を押し切っちまうんだから。まったく、回りの者が苦労させられるって訳だ」

「でも、もし彼が此処で暗殺でもされたら大変な事になりますよね」

「そう。お蔭で俺達まで駆り出される始末さ。おう、そろそろ見えてきたな」

滉の言葉に顔を上げると、田園は海で途切れ、その向こうに白く輝く尖塔がそそり立つ平坦な島が浮かんでいた。

ベースシティを宇宙と結ぶ玄関口。ミ・ラ・クルスレーナ(輝ける紋章)宇宙港である。


*

『既にご存じの様に。

ミ・ラ・クルスレーナ宙港は、七つのターミナルと百基の離着床。それを取り巻く様に設置された航空機の発着レーンやリニアラインのターミナルなどによって成り立ち。

 それらが、ミ・ラ・クルスレーナという名の表す通り、上空から見下ろした時に第一期入植隊のシンボルマークを形作っています。

 まさに、トサマール星系で最初の入植があった我がベースシティの歴史と誇りを表した宇宙港といえるこの場所に、今日、ついに、母星アルゴルの栄光が降り立ったのです。

 建国の祖。絶対王政アルゴル帝国を倒し、共和国を打ち立て、現在の平和を築いた英雄。

 アルタイル・アルナスル閣下。

 生きながらにして、既に伝説そのものとなった偉人の到来は、我等ベース市民にとってまさに、ミ・ラ・ユルクルドナ“輝ける栄光の時”そのものといえるでしょう』

 部屋の隅に置かれた誰かの携帯TVから、人気キャスターのドラマティックな声が響いていた。

「D・D。お前、東ウイングの屋上にいたんだろ? 御一行様見た?」

 警備モニターの画面を眺めながら、TVのアナウンスに聞き耳を立てていた男が、のんびりとドルフェスに声をかけた。

「いいや」

 ドルフェスが首を振ると、彼は小首を傾げた。

「宙港組じゃぁ一番近くて見晴らしのいいとこだったんだろう?」

「離着床までは遠かったし、式典なんかすぐ終わって、さっさと飛行機に乗り込んじまってたよ。それに、俺は報道陣を抑えとくので手いっぱいだったからね」

 シャトルの到着する東ウイングの屋上。離着床側をびっしりと埋めつくした報道カメラの群れを思い出して、ドルフェスは忌ま忌ましげに溜め息をついた。

 いったい、何処からあれだけの数の報道陣が涌いて来たんだろう?

 ベースシティのTV局の見慣れたマークだけではなく。恐らく惑星コーチの各都市のTV局やひょっとしたらトサマールからも来ていたかもしれない。

 いずれにせよ昔も今もTV局を駆り立てている不思議な数字、視聴率のために、機械の目達は、墜落防止強化樹脂ドームの壁にへばりついていた。

 その大群はそのままこの迎賓館の外門にバトンタッチされ、今度はホロカメラを捧げ持った星間メディアの記者達を加えて、特殊力場を巡らせた瀟洒な柵の向こうから、中で行われている歓迎セレモニーの様子を伺っていた。

 カメラは様々な形をしている。

 固定型もあれば、浮遊しているものやタイヤで移動しながら、ゆっくりと鎌首をもたげて回りを見回しているもの等、みなすべて、てっぺんに立てた小旗から、レンズの捕らえた映像を中継車のカメラマン達に送っていた。

 ドルフェスは、警備モニターの映像と、TVの上に浮き上がった正面玄関のホロを見比べてみた。

 TVの中では、実際にはそこに居ないレポーターが正門の前に立って、今夜のセレモニーの内容を説明している。

『スケジュールどおりならば、今中では、アルナスル初代大統領への、歓迎の晩餐会がとり行われている筈です』

「当たり前だよねぇ。その為にコーチ中の政治家が集まって来てんだよ。お蔭で俺達まで駆り出されて、おっさん達が飯食う姿を見せつけられるって訳だ。やだねぇ」

 男は別のモニターに写る会食の様子を指さして溜め息をつく。

「仕様がないさ、トレオン、これも仕事だぜ」

 ぼやく同僚に、ドルフェスは苦笑した。

「こんな事警備員にさせろよ。警官の仕事じゃ無いでしょう? って言いたいよね。でもさ、D・D。あんたも大変だよね」

彼は暇つぶしの愚痴を言いながら、モニターの画面をあちらこちらと切り換える。

「何?」

「病み上がりだってのに、も一遍入院する羽目になるし、病院は火事になるし、宙港とこっちを掛け持ちさせられるし。おまけに四六時中一緒なのが、ゲリラに殴り込み掛けたり、分署で化物と大立ち回りする様な物騒な兄ィちゃんだもんね。ホント、よく体が持つよね」

 しみじみと同情してくれるのは有り難いが、火事も分署の騒動も実は自分が原因である。ドルフェスは引きつった苦笑を浮かべて凍りついていた。

「おんやぁ?」

 彼は妙な声を上げて、モニターの一つを覗き込んだ。

「どうした?」

 ドルフェスの問いに、彼はモニターを指さす事で答えた。促されるままにドルフェスも覗き込む。

 麗々しく着飾り、豪華な晩餐の席に着いた紳士淑女の中に、モセ署長のにこやかな笑顔が加わっていた。

「へぇー。署長ってこんな席に出れるんだ」

「侮れない婆さんだね。見てよ、本部長官より席次が上だよ。前々からシティの上層部に顔が効くのは知ってたけど、ひょっとして、署長ってアルゴル本星のいいとこの出かもね」

 確かに、そうでなければ一介の分署署長が出られるような席ではない。

「署長って凄いんだね」

 感心する二人の男の後ろで、TV画面は今日十何回目かの、シャトルから降り立つアルタイル・アルナスル翁の姿を映し出していた。

『ご覧頂いているのは、今日の到着の模様です。アルナスル初代大統領閣下は体調も良く、宇宙港での歓迎式典では、無事ベースに着けて安心した。この星の人々の心からの歓迎を受ける事が出来て嬉しい。と述べられました。』

 ホロ画像には、布を髪と紐に編み込んだシャルクタという正式な民族衣装に身を包んだ豊かな白髭の老人が浮かび揚がり、にこやかに手を振っていた。ドルフェスの前のモニターには、同じ老人が主賓席に座っている。

 高齢ではあるが、気品に満ちた容貌は、かつて至高の輝きとまで讃えられた美貌を忍ばせる。

 しかし、柔和な微笑みを始終浮かべ、優雅でゆったりとした所作を見せている姿からは、父殺しの汚名を敢えて被り、反乱軍を指揮して、銀河に名高い軍事帝国であったアルゴル帝国を転覆させた将軍としての姿は想像できなかった。

「これが鋼鉄の大天使か…」

 滉の言葉を思い出して、ドルフェスは呟く。

「へぇ、D・D古い名前を知ってるねぇ」

「うん、警部に教わったんだ」

「じゃ、これは知ってる?エルムリアの恋人達っての」

 同僚の言葉に、ドルフェスは首を振った。

「有名なラブロマンスだよ。アルゴル帝国の崩壊と、その引き金になった銀河大戦の元凶になったのは、アルタイル・アルナスルとセファートの王女との恋だったってやつ」

「へぇー」

「エルムリアってのはセファート王家の保養星で、昔そこで両国の和平会議が行われたんだけど、アルタイル・アルナスルと王女様がそこで恋に落ちて、その為に戦争になって、二人は引き裂かれた。 で、彼はその恋を貫くために驀進して、ついに戦争を終結させて、王女様と結婚にこぎつけた。と、まぁ。女の子が好きそうな話だけどね」

 ドルフェスはもう一度モニターの中の老英雄を見た。

「今からじゃ想像もつかないな」

「そうだねぇ、こんな爺ちゃんになっちゃったらねぇ。でもまぁ、詳しい話はじきにTVでするよ。あいつら当分この爺ちゃんを追いかけるだろうからね」

 彼は呑気にそう言い放った。TVのキャスターは、まだ熱っぽく英雄を讃え続けていたが、一般庶民の意識はこんなもんである。

「キュイ?」

 不意に足元から声がした。

「ん?」

 覗き込むと、ドルフェスの靴に片足を乗せて、銀色の奇妙な動物が見上げている。

「あれ、お前確かトリトンだっけ? どうしたの?」

 ドルフェスの問いに、トリトンは器用にドルフェスの膝を伝ってコンソールに飛び上がり、モニターの横に置いたインターコムを鼻で押した。

「え? 付けろっていうのか?」

「クュウ」

 トリトンに促されてドルフェスはインターコムを取り上る。

「可愛いねえ。それ何?」

 同僚の問いに、ドルフェスは説明に詰まった。

「えーと、警部の飼い犬の子供」

「? 犬には見えないよ、新種?」

「俺にも良く判んない」

 首を傾げながらインターコムのスイッチを入れる。微かな呼び出し音のあとに、滉の元気な声が飛びだしてきた。

『おーい、D・D、トリトンはそっちに行ってるか?』

「あ、はい。済みません、お呼びだったんですか?」

『いんや、たいした用じゃ無いから気にすんな。ただ、一寸やってもらいたい事が有るんだ』

「はい」

『ちょっくら、トリトンの後について来てくれ』

「え?どこにですか?」

『来れば判るよ。じゃな』

 笑いを含んだ様な滉の声色に、ドルフェスは一抹の不安をかき立てられながら立ち上がった。

「おや、お呼ばれかい?」

「うん、一寸行ってくる」

「物騒で綺麗な兄ぃちゃんに宜しくね、体を厭えよD・Dィ」

 モニター室を出るドルフェスの背中に、同情を込めた励ましが送られた。

「有り難う」

 礼を言いながらドアを閉めたドルフェスは、既に数メートル先で待っているトリトンへ足を向けた。



そして、その先には……

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