14 Resuscitation──起死回生──
前回はバイオハザード。さて今回は?
暗闇のなかに、男が立っている。
トレンチコートを肩に引っかけ、ダークスーツを着て、腕組みをしている。
皮肉な薄笑いを浮かべた顔は、何てこった、俺だ。
しかし何て冷たい笑い方だ、こんな顔を俺はしたことはない。はずだ。
そいつが口を開いた。
「女を助けたいんなら、まず、一人前に、自分の身を守れるようになってからにしてもらいたいもんだな」
なんだそりゃ?
「何時まで津川のお荷物になっているつもりだ? 自分のことは自分でやれ。授業終わり」
そいつは言いたいだけ言うとくるりと踵を返して歩きだした。闇に身体が隠れていく。
ちょっと待て、戻ってこい。何が言いたいんだ、俺にどうしろって言うんだ。
お前は何者だ。ひょっとしてお前が元凶か?
お前が……
「Dragon Maker!!」
ドルフェスは、自分の声にはたと我に返った。横でシャドウが驚いたように見つめている。
「シャドウさん…」
惚けたように見つめ返すと、シャドウはくすっと笑った。
「驚いた、貴方も化け猫になったかと思いましたよ」
「え…?」
「でも、なるべく静かにね、ケット・シーに見つかったら、もう逃げ道は無くてよ」
やんわりとたしなめられて、ドルフェスは頭を掻いた。
「済みません」
素直に謝ってしまう。ドルフェス達は林のなかの茂みに身を潜めているところだった。もっとも、シャドウはホログラフなのだから、実際に隠れているのはドルフェス一人と言える。
「俺って呑気ですね、どうもうたた寝をしてたみたいです」
自嘲し、本気で反省する。シャドウがケット・シーの後ろに滉が居たから、魅羅は大丈夫だといった言葉に安心して、滉との待ち合わせ場所である此処でうかうかと居眠りなどしてしまった。
「あんまり緊張しすぎると、人間って眠くなるらしいですよ。命の瀬戸際には特にね」
好意的な解釈で、シャドウは青年を慰めた。
「それに、ほんの一瞬だったみたい。頭がかくんと落ちて、すぐにDragon Makerって」
どうやって投射しているのか、シャドウは茂みの木の葉のなかで光も発せずに浮かんでいる。
薄紫の髪や目、身体を木の葉が透けるその姿は、まるで本当の妖精のようだった。
この人が滉の妻であり、その上魅羅ともう一人閖吼という人の母親だというのは、実際に話していても信じられない。シャドウに見とれながら、ドルフェスは優しい言葉に感激した。
「本当に済みません。皆さん俺のために苦労しているのに…」
自責の念にかられてもう一度謝ると、シャドウは首を振った。
「貴方のためだけじゃないわ、いいえむしろ、貴方の災難は私達のせいかも知れない」
「え…?」
シャドウは寂しげな微笑みを浮かべて、ドルフェスを見つめた。
「この事件の発端は、ミドルアースで私が攫われたことに始まっていると、滉さんは考えています。ダフネが、と言ったほうが貴方には判りやすいかしら」
言いつつ小首を傾げる。
「自宅に奇怪な化け物が乱入してきたの、門の側で植木の手入れをしていたのよ。エゼルも間に合わないくらい門の側に居過ぎたんです。迂闊だったわ。そこでダフネの意識は途切れて、私がトレースしても見つかりません。滉さんはダフネの行方を探して、此処の異変を知ったの。そして…後は貴方が見聞きしたとおり」
かい摘みすぎた説明は、返ってドルフェスを混乱させた。
「警部は化け物の調査に、連合から派遣されて来たんでは無いんですか?」
「ええそうよ、連合のメインコンピュータのGENが、滉さんと魅羅を此処に派遣したんです。ダフネ誘拐の時、私が記録していた化け物たちが、ベースのバイオクリーチャーによく似ていたから。事件の関連性を認めるということになったの。ダフネはファントムと居るのが、確認されました。私としては全身鳥肌が立ちそうな事ですけどね」
滉達が来た理由は判った。でも、何だか混乱が納まらない。
「ダフネさんと貴方は違う人なんですか?」
「違うと言えば全く違うし、同じと言えば同一人物であると答えましょう。詳しいことはもっと安全な所へ行ってから、きちんとお話します、今はこれぐらいしか言えません」
きっぱりと言い渡されてしまうと、それ以上聞くことが出来なくなってしまった。
「判りました」
不承不承頷く、と、シャドウはくすくすと忍び笑いをもらした。
「貴方は素直ね。同じD・Dでも、こうまで違うのかしら」
「え…? D・D?」
「貴方の災難の源、龍造寺龍也のもう一つの仇名です。彼の名前を平たく伸ばすと、Dragon Make Temple of Dragon─龍を造る寺の龍なり─っていうことになるでしょ? だから頭文字を取って、D・Dって光さんが付けたんです。私たち4人だけの特別の名前よ」
「光さん?」
「滉さんの双子の妹。魅羅達はママって呼んでいるわ」
青年は、威勢のいい怒鳴り声を思い出した。
「ああ、あの人ですか。何だか凄く元気な人だった」
「ふふっ気が強くて優しくて、ちょっと気まぐれだけど、根は真っ直ぐな人よ。貴方も一度会えばきっと好きになると思います。とても魅力的な人なの」
ドルフェスははたと気がついた。
「この拳銃、彼のですか?」
持っていた拳銃を見せると、シャドウはにっこりと頷いた。
「ええ、光さんが彼に送った銃です。ネプチューンのお守りだったはずだけど、きっと貴方を見て、彼が帰ってきた様な気になったのね。あの子はD・Dが大好きだったから…」
「え? どういう事ですか?」
青年の問いに、シャドウはきょとんとした子供っぽい仕種で、まじまじと見つめ返してきた。
「もしかして…誰も貴方に言っていなかったのかしら?」
「何をです?」
「貴方が、龍造寺龍也に瓜二つだっていうこと」
シャドウの言葉に、ドルフェスはかくんと口を開けた。
「ええー!?」
*
ケット・シーは魅羅をぶら下げたまま、連絡通路に穿たれた大きな穴を憎々しげに見つめていた。
折角作った操り人形たちも、バリアーの衝撃でもう使い物にならない。
変形も解け、ただの骸となって転がっている。
もっとも、始めの変化の時に、固体としての生命活動は停止していた。この女達はもともと素地が弱すぎた。
まあ、破裂しなかっただけマシというものだろう。
病院の周りに居るはずの部下達からいずれ連絡が有るだろうが、これで三度、ドルフェスを取り逃がしてしまった。主人は何というだろう。
ケット・シーは首をすくめた。ドルフェスを殺し、奴の首を持ち帰ることが至上命令なのだ、こんな津川の小娘などおまけにもなりはしない。
めんどくさい。せめてもの腹いせに、切り刻んで食っておこう。津川滉の心臓は美味かったし身体によく馴染んだ、この娘もさぞ美味い血肉を持っているに違いない。
「ではお嬢様、私のなかで生きてもらいましょう」
残忍な喜びを感じながら、ケット・シーは喉を鳴らした。
「父親の許可なしに、んな事をしてもらっちゃあ困るぜ」
声に弾かれてケット・シーは振り返った。
信じられない人物がいる。
「津川警部…!?」
厭味な白い三つ揃いを着て、滉がにやにや笑いながら立っていた。
「ああそうさ、俺の心臓はお前さんの口に合ったみたいだな。魅羅まで食いたがる所を見ると、さぞ美味かったんだろう?」
「ええ確かに、あんなお美味い心臓は、今までいただいたことは有りませんよ。またいただけるとは夢のようです」
滉は笑いながら一歩踏みだした。
「そうか、俺もお前さんの心臓が欲しいぜ。もっとも、毛だらけの心臓じゃぁ食うこたあできねえな」
滉の右手が一閃し、ケット・シーの左頬を何かがかすった。
「!?」
鋭い痛みを感じて、頬が切り裂かれたことが判った。カランと金属が床に落ちる音がして、背後の床にメスが転がる。
「いい目つきだねぇ、お前さんのそんな目が見たかったんだ」
憎悪に満ちたケット・シーの視線を真っ向から見据えながら、滉は冷たい笑いを更に深めた。
「私の顔に傷を作るとは…」
「許せねぇってか? 皆同じこと言いやがるな。ま、心配すんなって。毛だらけで、どこに怪我したかわかんねぇよ」
言い終わらないうちに、再び右手がメスを飛ばし、今度は反対側の頬に痛みがはしる。
「ま、左右あったほうがバランスいいだろ?」
ケット・シーはわなわなと体を振るわせた。
「お戯れが過ぎますね。お嬢様のお命は惜しくないのですか?」
脅し文句に滉はぽんと手を打った。
「さぁそこだ、俺の女房は頭いいだろ?」
にやっと笑いもう一歩前に出る。
「お前の主人とやらがファントムだったら、魅羅を楯に取るような無駄はさせない」
「なんですって?」
ケット・シーは間抜けた返事をした。
「それに、俺が死んだなんて思うはずが無い」
青紫の瞳が探るように細められた。
「この間はお前のはったりに見事ひっかかっちまった。お蔭で心臓も新品さ。今夜はお前の番だ、大事な箱入り娘を傷物にしてくれた慰謝料、きっちり払ってもらうぜ」
アース人は殆ど上体を動かさずに、ゆっくりと間合いを詰めてくる。と、その足取りが一瞬にぶり、冷笑が強張った。明らかに傷を追っているのを隠している。
得たりと、ケット・シーの目が細められた、恐らく自分がもぎ取った心臓を、クローン臓器を使って移植し、その傷が塞がっていないのに違いない。
たいした生命力だが、それならば自分の敵ではない。ケット・シーは慎重に滉との距離を計りはじめた。
魅羅は両手足の激痛が、何処かに吸い取られるように消えてゆくのを感じ、次第に意識を取り戻した。全体重が掛けられ、千切れそうな気がしていた首の痛みも、同時に消えていく。
感謝で涙が滲んだ。
唯一無二、この世に身体を分け合って生まれてきた、閖吼の献身が痛みを取り除いてくれている。
津川家に生まれた双子は、触覚を繋げ合う事が出来、互いの感触や痛みを自分の身体に移し替える力がある。今、閖吼は何百光年もの隔てをこえて全身に魅羅の痛みを引受け、彼女に活力を与えていた。
「貴方は不死身でいらっしゃる」
ケット・シーの声が聞こえた。
魅羅は薄く目を開けた。薄暗い廊下に滉の白い姿が鮮やかに浮かび上がっている。その姿が左右に揺れるのは、ぶら下げられた自分がぶらぶらと揺れているせいだろう。
閖吼と感覚を交換している魅羅には、閖吼が横たわっているらしいベッドの感触しか感じられない、目だけで揺れる大きさを量り、彼女は肩と腰にそっと力を加え、ケット・シーに気付かれぬ様に身体の揺れを大きくしていった。
「本当に驚きましたよ、私の主人が、貴方には気をつけろと言った意味がやっと判りました。地獄の門から戻ってくる方法を是非ともお教え願いたいものですな」
饒舌になったケット・シーとは反対に、もう滉は口を開かなかった。間合いが詰まった瞬間に、全精力を込めた一撃を仕掛ける、もはやそれ以上の余裕は無いに違いない。そしてその時が奴の最後だ。
ケット・シーはぐるぐると喉を鳴らして、滉が近づいて来るのを待った。
滉の右手から、矢継ぎ早に数本のメスが飛ぶ、ケット・シーの獣の目は、待ち構えていた攻撃を正確に捉え、業と片足を浮かせると、身体をそらせてよけるのと同時に、猛然と突進してきた滉の胸目掛けて、泳がせた足を突き出した。
足は五本の爪を刃物の様に伸ばし、それ自体が一個の生き物の様にぐうっと伸びる。足の形は変わり、手のように指を広げて、つぎが当たっているはずのアース人の胸に飛び込んだ。
意外なことが一気に起こった。
もはや逃すまいとほくそ笑んだケット・シーは、爪を白いベストに弾かれた。にやり、と片頬を引き上げた滉が、その足を蹴り上げる。
バランスを崩したところに、無力にぶら下がっているだけと思っていた魅羅が、反動を利用してぐいと身体ごと横に揺れる。思わず魅羅に引っ張られる形になり、辛うじて踏みとどまったものの、魅羅を掴んだ腕を泳がせて無様に空を漕く。
と、その時、それまで動かされなかった滉の左手が一閃し、風きり音と共に何か大きなものが、魅羅をつかんだ腕を持ち主から切り離す。
「ギヤウン!!」
ケット・シーは激しい悲鳴を上げた。
背後の壁にガッキと大きな鉈が突き刺さる、滉はこれを背中に隠していたために上体を動かさなかったのだ。
手負いの獣は残った手で、まだ鉈を投げた体勢の滉に振り降ろす。
滉は片腕でその爪をはたき飛ばし、そのまま後ろへ飛ぶと、両手を支柱にして宙返りを打った。
着地したとき、反動で壁まで転がっていた魅羅を庇うように、娘の肩に優しく手を乗せている。
こんな動きが怪我人に出来るはずがなかった。
ケット・シーは大急ぎで黒い血が吹き出る傷口を皮膚の組織で覆いながら、凶悪な牙を覗かせて滉を睨み付けた。
不死身のアース人は、ちいっと大袈裟な舌打ちをしてみせた。
「外したか。頭狙ったのによ」
悔しげに眉を寄せたが、すぐに気を取り直したらしい。
「ま、いっか。茨城童子にしちゃあ毛深すぎるが、慰謝料の手付けとして、この腕をもらっとくぜ」
まだ蠢いている腕に、魅羅の小太刀を突き立てて滉が言う。
「訳の判らない事を…」
歯の間から呻くように声を絞り出す、滉は更ににんまりと笑った。
「猫に昔話を話しても無駄だねぇ。三歩歩けば忘れるんだから」
「それを言うなら、三年飼っても三日で恩を忘れるでしょ?」
転がったまま魅羅が茶々をいれた。
「怪我人は黙っとれ。さて、お次は蚤だらけの首といこうか?」
ゆらりと立ち上がる、ケット・シーはじりじりと後づさった。
信じられないが、滉は怪我一つしていない。油断させるためにその振りをしたのだ、クローン? まさか、自分ほどの生命体を作りだせた現在の科学力でも、記憶を完全に移植させたコピーを造る事は出来ない。印象の強いエポック的な事か、または常に同じ記憶を伝達させて言った場合のみだ。しかし、クローン以外にこんな短期間で、心臓をえぐられた身体を元に戻すことは考えられない。
「なるほど、貴方は本当に不死身だ…」
賛美ともとれる呟きがケット・シーの口から漏れる。
滉はゆっくりと首を振った。
「いいや、俺はもうとっくに死んでいる。言うなりゃゾンビだ。一度死んだ人間が、二度も死ぬ訳ゃねえだろう?」
「200年前に…ですか?」
滉の眉がぴんと跳ね上がる。
「ああ、それだ。お前の首を貰うのは後にして、竜造寺を殺した張本人の名前を聞かしてもらおう。ま、ちょっと見当は付いてきてるんだがね」
連絡通路に開いた穴から、ホウホウと鳥の鳴き声の様な声が響いてきた。
途端にケット・シーは身を翻して跳躍し、穴の端に三本足で着地する。
「上等な猫は、犬よりも主思いなものですよ。ではいずれまた、改めて」
言うなり、黒い獣は穴に身を投じた。微かに草を踏む音がして、猫が地面に降り立った事を知らせる。
「ちっ!!」
激しく舌打ちした滉は、魅羅を抱き上げると、小太刀に刺したままのケット・シーの腕を、無造作に娘の膝に乗せる。
「汚い!!」
痛みが無くなって元気なものの、骨の砕かれた両手足の動かせない魅羅は、顔をしかめて父親を睨み付ける。
「服ぐらい買ってやるから我慢しな。大事なサンプルだ。それより、どうもD・Dが見つかったらしい、急ぐぜ」
「うん」
「よし、いい子だ」
素直に頷く魅羅の頬に軽くキスすると、滉は人一人抱き上げているとは思えない速さで廊下を走りだした。
*
かくんと開かれたドルフェスの顎は、外れたんではないかと思うくらい長い間、開けっ放しだった。
シャドウは口に指を当てて回りを見回している。
「しー、声が大きいわ」
「すっ…すびばせん…でも…俺が…?」
どうにか答えたものの、停止した思考回路はそう簡単には動かない。
「俺が?」
青年は馬鹿みたいに繰り返した。シャドウはにっこりと頷く。
「ええ、初めて見たとき、私本当にびっくりしました。警察署でネプチューンに乗ってきた時よ、クリスタルで見てたんです」
「はぁ…」
「それに、滉さんがD・Dって呼んでるし、彼が生き返ってきたかと思いました」
「はぁ…」
「すぐに違う事は判りましたけど、貴方を見たら、光さんも閖吼も、きっとびっくりするでしょうね」
楽しそうにくすくすと笑うシャドウを、ドルフェスは口を開けたままぼんやりと眺めていた。
そう言われてみると、思い当たる節がある。署長室での滉は、自分の顔を穴が開くほど見つめていた。
その後の龍造寺を知っているかという問いも、やっと意味が判った。
人間モドキとのカーチェイスで、わめく自分に何で渋い顔をしたかも理解できた。
それに魅羅は、初めて会ったとき、D・Mと言って抱きついてきたではないか。
あれはそういうことだったのだ。
魅羅の言う男のなかの男、滉の親友、連合警察機構の生みの親。それが自分と同じ顔をしていた…?
同じ顔でふと思い出した。あの夢。
「シャドウさん…そのD・Dってトレンチコートにダークスーツなんて着てました?」
はたして彼女はにっこりと頷いた。
「ええ、彼のトレードマーク。滉さんは古臭いって散々腐していたけど、D・Dは大人の男の着るものだっていって、知らんぷりしてたわ」
「俺、その人見ました」
「え?」
意外な言葉に、シャドウの目が見開かれた。
「さっき、うたた寝したとき、夢で…」
ドルフェスは自分の言った言葉に自信無く首を振った。
「まさかね…俺、彼の事全然知らないのに…」
「彼、何か言いました?」
「何時まで津川のお荷物になっている、自分のことは自分でやれ、と…」
ドルフェスを見つめながら、シャドウは頷いた。
「間違いなくD・Dだわ、同じ顔のよしみで貴方に助言してくれたんですね」
単純に納得して、シャドウはくすくすと笑った。魅羅の脳天気は母親譲りに違いない。
「それにしても、何てD・Dらしい言い方かしら」
「そうなんですか?」
「ええ、相手を自殺させたいのじゃ無いかと思うくらい、きつい皮肉を言う人でした。私もよく、とろいとか地味だとかって言われて泣かされたわ。アレクスもよくしょんぼりしてたし」
「え…?」
魅羅に聞いていたのと、何だかイメージが違う。
「気に入った相手には特に言うの、滉さんを女ったらしの脳天気とか、後先見ない猪男なんてね」
最高のパートナーの台詞とは思えない。
シャドウは懐かしそうに彼の話を始めた。
魅羅の話を聞くかぎりでは、滉の信頼に行動で答える、寡黙で冷静な男を想像していたが、けらけらと笑いながらシャドウの話す竜造寺龍也は、とんでもない皮肉屋で、愛情表現の代わりに厭味を言い、確かに滉と共に平気で危険をくぐり抜けるが、その前に必ず釘を刺す。どちらかと言うと、一言多いタイプの男だった。
しかも、滉と龍也の言い合いは幼稚園の園児達の口喧嘩の様だったと言われ、初めのイメージはがらがらと音を立てて崩れていった。
頭を抱える青年の前で呑気に笑っていたシャドウは、ふと笑いを止めて素早く回りに目を走らせた。
「D・Dに言われたとおり、私ってとろいわ」
自嘲気味に呟くシャドウのただならぬ様子に、ドルフェスははっとした。
ホウホウ…
遠くで気味の悪い鳥の鳴き声が響く。回りの空気がピンと張り詰めた。
何かが居る。
闇のなかで、得体の知れない物が蠢いている気配が伝わってくる。
「こんなに近づくまで気がつかないなんて…」
シャドウの声が、闇に吸い込まれるように小さくなった。
青年は拳銃を持ち直し、冷静さを保つためにゆっくりと息を吸った。
「D・D、相手は2体。前と後ろ、左へ逃げて、ゆっくりと。バリアーで貴方の気配を消します」
シャドウの囁きに頷き、そっと身体を移動させる。藪の枝に触らないように気をつけて木の幹を回り込む、藪を抜けると視界が開けたが、逆に身を隠す物が何もないことに恐怖を感じた。
「駐車場はどっち?」
シャドウの姿が、少し離れた木立のなかに現れ、右の方を指し示す。意を決して駆けだそうとすると、片方の手を突き出して、ゆっくり、というジエスチャーをした。
月明かりの中を、身をさらして這うように進むのは、かなり勇気がいった。鼓動の早まる胸を抑えながら、どうにかシャドウのところまでたどり着くと、彼女はふっと掻き消えてしまった
「シャドウさん!?」
「クリスタルの内蔵エネルギー温存のため、映像を切りました。大丈夫、クリスタルを持っているかぎり、私は一緒です」
静かな声が耳元で囁く。
「慎重にネプチューンまで移動してください。彼らは貴方を見つけています。目の前に現れたら撃って、ただし乱射はしないで、弾も残り少ないわ」
一緒に居るとは言っても、姿が見えると見えないとでは大違いである。ドルフェスは暗闇のなかに立ち尽くして、沸き上がる恐怖感と必死で戦っていた。
どうしていいか判らなくなり、しんと静まり返った林のなかを見回して途方に暮れてしまう。
──自分のことは自分でやれ。授業終わり──
竜造寺龍也の、馬鹿にした様な冷笑が頭に浮かぶ。
──畜生──
ドルフェスはきつく唇を噛んだ。
滉に助けられ、魅羅に庇われ、今はシャドウに守られている。確かに津川のお荷物だと思う。
もう少ししっかりしなくては。
青年は長く息を吐きだすと、身体を低くして林のなかを歩きだした。
敵が自分を見つけているのならば、必ず何処かから襲ってくる。五感に神経を集中させて、一歩一歩、月明かりがまだらに影を落とす中を進んで行く。
ホウホウ…
鳥の声がした、心なしか近づいている。
拳銃を握る手に、じっとりと汗がにじむ。あせっては駄目だ。ドルフェスは自分に言い聞かせた。どんな時でも、慌てる奴から死んでゆく。
──やばい時は、下っ腹にどーんと力を入れるんだ。肝心なのはな、俺はやれるって、信じることだ──
新米の時、ゾルゲかそう教えてくれた。ドルフェスは口を一文字に結び、ぐいっと前を睨み付ける。
来るなら来い、ゾルゲの仇を討ってやる。青年は心のなかで何度もそう繰り返した。
前方の木立がまばらになり、木々の間から駐車場が見えた。広い駐車場の中程に、懐かしいネプチューンの真っ赤な姿が在る。
もう少しだ。青年の足が我知らず早まった時。
ガササ…
右側の茂みが微かに揺れた。
どきりとして足を止める。そっと様子を伺うがもう音はしない。
冷や汗を拭って、再び歩きだす。
ガサ…
今度は左側。思わず身体がすくみ、足が止まる。しかし、やはりしんとした林が広がっているばかり。頭上で、あの不気味な鳥が啼いている。
──猫に狙われた鼠──
ケット・シーを思い出しながら、そんな気がしてきた。
鼠だって追い詰められれば猫を噛む。脳天に風穴を開けてやる。ドルフェスは歯を食いしばり拳銃を持つ手に力を込めた。
ザザ!!
不意に頭上の梢が鳴る。上から殺気を感じたと思ったとき、無意識に身体が動き、青年は転がるように前に駆けだした。
後ろで虚しく地面を掴む気配がした。振り向くと、青白い塊がうずくまっている。
「ひ…」
思わず悲鳴が漏れる、むくりと起き上がったそれは、3ヵ月前、ゾルゲの身体と青年の手首を切り裂いた白い死神だった。
何も考えないうちに腕が上がる。続けざまに3発、しかし当たらない。白い死神は青紫に光る目をあざ笑うように細めた。
「くそ!!」
トリガーハッピーになり掛けるのをかろうじて自制し、ドルフェスは死神に背を向けて走りはじめた。
しかし、捕食動物の前からいきなり逃げだすのは、してはならないことの第一項目である。死神は、走りだした無力な獲物に向かって猛然と襲いかかる。
背後に迫る気配に青年が振り向いたときには、ぐいと伸び上がった死神の爪が、頭上から振り下ろされんばかりだった。
「うわぁ!!」
叫んだ途端足がもつれて、ドルフェスは草むらに転がった。幸いにもそれで死神の爪を避けた形となり、死の爪は再び地面を引っかくだけに終わる。
転がりついでに茂みへ逃げ込んだドルフェスは、そのまま木立を楯にして走りだす。木々の間からライトの光とエンジン音が聞こえ、ネプチューンの遠吠えが高らかに響きわたった。
駐車場の低い囲みにたどりつきかけた時、目の前に死神が飛び下りた。拳銃を構えるより早く、赤い光線が走り、とっさに飛び退けた白い毛先を微かに焼いて、ドルフェスの後ろの木が燃え上がった。ネプチューンお得意のブラスター攻撃である。
「ネプチューン、俺まで殺す気か!」
倒れてきた木の幹を避けて、どうにか囲いを乗り越えながら、ドルフェスは折角の救い主に不満を表明する。
詫びのつもりか、鼻声でくんくん啼きながら、ネプチューンが走ってくる。もう大丈夫だ、青年は安堵のため息をついた。が、互いに走り寄る車と人との間に、もう一匹灰色の影が走り出る。
「!?」
ネプチューンのライトを逆光で受けて、それは覆いかぶさるように伸び上がる。
「D・D、車の陰に!」
シャドウの声が耳元で叫ぶ。指示のまま、ドルフェスは2列に駐車された車の列に飛び込んだ。
ドン! と鈍い音がして、ネプチューンの急ブレーキが響く。目の端で撥ね飛ばされた灰色の塊が一端地を転がって、バックでひき殺そうとするネプチューンの車輪を逃れ、影が走る様に向こう側の列に飛び込むのが見えた。
死神といい、灰色の影といい、どちらも野性動物そのままの敏捷性と瞬発力を持っている。カイマンや看護婦達とは段違いに素早かった。
カン!
金属同士がぶつかる音が耳元でした。
嫌な予感を感じて目を上げる、はたして、すぐ側のボンネットに、死神が背を丸めて飛び掛からんとする瞬間だった。
「げ!?」
だが死神はひらりと車の陰に飛んだ。追うように光線が走り、遙か向こうの柵を吹き飛ばす。
車の間に入ってこられないネプチューンは、ぐるぐると列の回りを走りながら、ドルフェスの側に近寄る化物達をブラスターで牽制していた。
「早くネプの所に行かなきゃ、被害が大きくなる」
外れ弾が柵を壊したり木を燃やしたりしている有り様を見ながら、青年は列の切れ目をめざして走りだした。
ドルフェスのスピードに合わせて、ネプチューンが併走する。ドアが開かれ、飛び込めと言わんばかりに吠えたてた。
「よし!」
一台分の空間が開けた。ドルフェスがネプチューンに駆け寄る。再びその間に灰色の影が飛び込んでくる。
今度はネプチューンも容赦しなかった。まだ空中にいる奴の身体にブラスターをたたき込む。悲鳴も上げずに黒こげとなった灰色の獣は、褸屑みたいに車の陰に落ちる。ドルフェスは、ふう、と息をついた。途端、車が爆発した。
「うわー!!」
爆風に飛ばされたドルフェスは、次々に誘爆していく車に撥ね飛ばされ、病院の正面ロータリーの入口まで転がり出た。
ようやく立ち上がり、傷一つ無いことに驚いたが、身体が薄紫に光っているのに気がつき、シャドウに感謝した。しかし、回りを見ると、自分だけのささやかな幸せに浸っている時では無いのが判る。
「なんてこった…」
真っ赤な火柱の立ちのぼる駐車場を、しばらく呆然と眺める。
ネプチューンの姿は見えない、あの炎のなかで、爆発に巻き込まれてしまったのだろうか?
「ネプチューン!!」
呼べど応えは無い。
「そんな…」
ドルフェスはふらふらと炎のほうへ歩きだした。その前に、炎を背にして、死神が立ち上がった。
「!?」
青紫の目が赤い炎よりも鮮やかに浮き上がり、きらりと火柱を反射する爪がドルフェスの頭上高く振り上げられる。
──来るな!──
声にならない叫びを上げて、拳銃が火を噴く。
「ウギャーウー!!」
弾は確かに死神の腹に吸い込まれ、青白く光る毛皮に黒い染みが広がった、だが、死神の腕はその速度を変えること無く、青年の脳天目掛けて振り下ろされた。
──今度こそ、もう駄目だ──
ドルフェスは絶望した。
その瞬間、辺りが光に包まれた。
紫の光球に弾き飛ばされて、死神は一端大地に叩きつけられ、次に脱兎の如く近くの木立へ逃げ込んでいく。
「今のうちです。道路に逃げて。ネプチューンは無事です、回り込んで道路で貴方を拾います」
シャドウの声に励まされて、ドルフェスは転がるように走りだした。
白い影が木立の枝を、道路に向かって飛び移りながら移動しているのがちらとかいま見える。
頭の中はもう真っ白だった。
ただ前に向かって走る。それだけでさえ、何故そうしているのか判らなくなってきていた。
つんのめりながら道路に飛び出ると、目の前に車が止まった。ドアが開き、運転席からサブシートに身を乗り出して、女の白い顔が突き出される。
「D・D! これは何事!?」
エミーだった。
長い放浪の果てに、初めて懐かしい顔に出逢ったような気がして、ドルフェスは身体中の力が抜け、危うくその場にへたりこむところだった。
「エミー…」
この際相手が天敵のエミーであっても、ケット・シー達に比べれば砂漠のオアシス並に嬉しく思える。
「何なのよ、この騒ぎ」
エミーに説明しようと口を開きかけた時、ドアミラーに写る背後の風景に黒い大きな影が見えた。
──ケット・シー──
青年は無言のまま、エミーを押し込む様にして車に乗り込んだ。
「出せ!! 逃げるんだエミー!!」
いきなり乗り込んできた闖入者に、エミーは褐色の瞳をつり上げて睨み付ける。
「説明を聞くまで動かないわ!」
常識に則って叩きつけられる抗議の声など、異常な世界からの逃亡者には頬に当たる風程の意味もない。ドルフェスは無言で窓を開け、迫り来る黒い影に数発たたき込んだ。
「くそぉ!」
当たっているはずなのに、ケット・シーの動きは変わらない。
「何それ!? 拳銃? どうしたのあんた!?」
エミーの声が跳ね上がった。ドルフェスは振り返りもせずに怒鳴る。
「早く出せ! 死にたいのか!!」
青年の剣幕に思わず気勢を削がれたエミーは、泥と草の汁に汚れた背中を睨み付けて、乱暴にアクセルを踏み込む。
運転手の気持ちを素直に表して、車はすさまじい勢いで夜の街に走りだした。
多分。ダーシュオブケルベロス(ゲームしていないのであてずっぽうです)
Angel Cryのキャラがちらちら出てます。名前だけ(笑