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12  Dragon・Maker ――竜を造る者と呼ばれた男――

女の冷戦は、怖いのです。気合が入っている人は特に。




 息が苦しい、首が痛い。

 誰かが首を絞めている、誰かが俺を殺そうとしている。

 全身にぶつけられる、すさまじい殺気。恐ろしくて身体が動かない。

 何で?

「お前さえ生まれなければ良かったのよ」

 誰だ…

「死んでしまえ、お前なんて死ねばいいのよ」

 苦しい、止めてくれ。

 顔が倍に膨らんでいるような気がする。肺が空気を欲しがり、血を止められた頭はジンジンと痺れていく。

 自由を求めて両手を延ばす、柔らかく太い腕に触れた。いや、こちらの方が小さいのだ死の瀬戸際にいるこの体は、幼く小さなものだった。これでは相手の腕は振り払えそうにない。もはや甘んじて死を待つばかりだ。

 目を開いて、首も折れよとばかりに渾身の力で締め上げてくる、殺人者の顔を見た。

 血が凍った。

 焦点の定まらない黒い目を血走らせ、黒い髪を振り乱した痩せぎすの女。

 生気のない白い顔は、とても見慣れたものだった。

 女は色のない唇に、凍りついた微笑みを張りつかせたまま、口を開く。

「早く死になさい。お前なんて要らないのよ」

 呪文のように一本調子な声が、鬱血して破裂しそうな頭に、耳鳴りと共に響いてくる。

 手足が痺れ、顔がかぁっと熱くなり、次に痺れながら冷たくなった。

 苦しさが消え、浮遊感と共に全身が冷えてゆく。

 このまま死ぬのか…そんなに要らないモノだったのか…

 そうだ、あんたは弱すぎた。

 生きてゆく為の重さに耐えきれずに、俺を殺し、自分も殺してしまった。

 弱すぎた可哀相な女…

──母さん──

 絶望感と暗闇が来た。


「どうしたの?」

 涼やかな声に振り返ると、淡い空色の日傘をさした女性が立っていた。

 その人は、日の光に透けてしまいそうな、儚げな美しい人。

 ふんわりとした金髪を白いレースでまとめ、栗色の瞳に優しげな微笑みを浮かべて、こっちを見ている。

──天使だ──

 そう思った。

 天使は微笑みながらゆっくりと近寄ってきた。

 日傘を下において、白い腕が優しく伸ばされる。

 天使の祝福を待って、彼女を見つめた。

 天使が微笑む、白い手がそっと抱きしめてくる。

「貴方に、私の太陽と月をあげる。二人には貴方が必要なのよ」

 彼女の微笑みが光となって辺りを覆いつくし、全てが白い光のなかに消えていった。



 部屋一杯に光が溢れている。白い壁に光が反射して目が痛いほどだった。

 ドルフェスは眩しさに目を瞬かせた。

「D・D、目が覚めたのね」

 枕元で声がした、首を巡らせてそっちを見る。

 天使に良く似た黒髪の女が、嬉しそうに笑っていた。

「ここは何処だ…?」

 青年は自分がどこにいるのか判らなかった。

「病院よ、もう大丈夫、貴方まる3日間眠りっぱなしだったのよ」

 少し鼻にかかったアルトの声。

 ゆっくりと、包みを開くように記憶が鮮明になってきた。

 彼女は魅羅だ、自分は何と呼んでいたっけ…?

「リル・ダイアナ…」

 ふいに黒い瞳が衝撃を受けたように見開かれた。

「D・D、今なんて言ったの?」

 ドルフェスはもう一度繰り返そうとして困惑した。何だかとても呼び慣れた名を言ったような気がしたが、次の瞬間にはきれいさっぱり頭のなかから消えてしまっていた。

「あれ…? 俺、何て言ったっけ?」

「リル・ダイアナって私を呼んだのよ。覚えてないの?」

 魅羅の声には心なしかひどく切迫したものがあった。

「ごめん…。まだ頭がぼうっとしてて…」

「そう…」

 いぶかしむような目でしばらくドルフェスを見つめていた彼女は、諦めたようににっこり笑った。

「とにかく、目を覚ましてくれて嬉しいわ。おなか空いてない? ご飯にはまだ間があるけど、起きたら果物ぐらいなら食べていいって、お医者さんが言ってたから、何か剥きましょうね」

 いそいそと用意をしに立ち上がる魅羅の後ろ姿を眺めながら、ドルフェスは三ヵ月程前同じように病院で目覚めた時の事を思い出していた。

 そういえばあの時も起き抜けに何か言ったらしく、母が真っ青な顔で何といったと詰め寄ってきた。何を言ったかはさっぱり忘れてしまったが、考えてみると、あの時から自分のなかで何かが変わってきたような気がする。

 それにあの女の夢も、死に際の彼女の夢から別バージョンを見るようになったのは、あの後からだったとあらためて気がついた。そして、さっきの夢は何だったのだろう。あんなのは自分の記憶にはない。とりとめのない悪夢と言えばそれで終わりかもしれないが、それにしてはリアルすぎた。

 また、この頃感じるデ・ジャヴは何なんだろう。知っているはずのない記憶に戸惑ってばかりいる。まるで自分のなかで眠っていた別の何かが目覚めたように…。

 そこまで考えて、ドルフェスはぞっとした。自分のなかに別の何かがいる。考えられない事だが、夢も、デ・ジャビュもそれの記憶だとしたら?

 もしそうなら、それは何者なんだろう?

 夢をつなぎ合わせるなら、子供のとき母親に殺されかけて、天使に会い、あの女とすごしてその死を見取った人物というところか。デ・ジャビュを加えればその人は、滉と行動を共にしていた、とも思えた。

 滉と…。滉の死に顔がまざまざと思い出された。あの時頭のなかで誰かが叫んだ。

 もう二度とあいつが死ぬのは見たくない…と。

 不安が心を満たしていく、いつも笑っていた滉、自信に溢れ強かった滉。その滉が死んでしまった。自分を残して、魅羅を残して。

 この先どうしたらいいのだろう? 滉さえも簡単に殺す相手に、自分は何の力もない。その上得体の知れない誰かが自分のなかにいるとしたら?

「はい、どうぞ」

 目の前に、皿一杯に盛られた果物が差し出された。

「え…?」

 きょとんと目を丸くして、ドルフェスは皿を見つめた。その向こうで魅羅がにっこりと微笑んでいる。

「魅羅風フルーツパラダイススペシャルよ。ハイ、あーんして」

 果物の一切れをフォークで刺して口許に持ってくる、爽やかな香りに誘われて、ドルフェスは無意識のうちにぱくりと頬張っていた。

 甘酸っぱい果汁が口のなかに広がり、頬に走る痛みとともに、空っぽの胃を自覚する。


 クーキュルルルルルル…


 持ち主の自覚に応じて胃が自己主張を始めた。

 いきなり響きわたった怪音に、目を点にして見つめあった二人は、次の瞬間爆笑した。

「や…まいったな、おなか減っちゃって」

 ひとしきり笑い転げてから、真っ赤になりながら青年が弁明した。

「もーお茶目なおなか。こうなりゃもう大丈夫、どんどん食べて」

 笑いすぎて涙を浮かべながら、魅羅はドルフェスの口へ矢継ぎ早に果物を放り込んだ。

──馬鹿馬鹿しい──

 口一杯に果実を頬張りながら、ドルフェスは首を振って不安を打ち消した。

 自分の中に誰かがいるなんて、単なる気の迷いだ。毒で体が弱っていたから気力が萎えていたのに違いな

 果実が腹に納まると、落ち込んでいた気持ちが少し前向きになってきた。

 夢やデ・ジャビュは、いつか落ちついたら専門のセラピストにでも相談すればいい。そう、自分にはそんな事よりもしなければならない事があるのだから。

「魅羅さん。俺、かなわないかもしれないけれど、きっと、警部の仇を討ってみせるよ」

 決意を込めてドルフェスは、きっぱりと宣言した。

「へ…?何それ」

 魅羅は気の抜けた返事をした。

「俺では役不足なのは判っているけど、俺のせいで警部は死んだんだ、あんなに良くしてくれたのに何もできないなんて嫌だ」



 苦い思いを吐きだすように決意を述べる青年に対して、魅羅は不思議そうな顔で覗き込んできた。

「まだ熱があるのかしら?」

 白い手をドルフェスの額にのせる。

「魅羅さん、ふざけないでくれよ」

 折角の決意表明をうわ言あつかいされて、青年はむかっぱらをたてて魅羅を咎めた。

「だって貴方があんまり変なこと言うから。いつ滉が死んだの?」

「え…?」

 意外な言葉に今度はドルフェスが絶句した。

「夢を見たのね、ずいぶんうなされていたから。安心して、滉はちゃんと生きてるわ」

 子供にするように優しく青年の髪を撫ぜながら、魅羅はにっこりと笑ってみせた。

「本当に…?」

 惚けたようにドルフェスは呟いた。

「じゃあ、警部のダイイングメッセージや、車のなかでのママという人との通信も、すべて夢?」

「貴方を病院に運んでるとき、兄や叔母と通信してたのは現実よ。ついでに言うと私の身の上話もね、覚えてる?」

 黒い瞳が真っ直ぐに青年の目を覗き込んできた。その目には嘘を言っている様な影は微塵もない。

「うん。でも、あの時死体がどうしたとか言ってなかった?」

「ひどい熱だったから、記憶が混乱してるみたいね、滉が殺されてたら、私が悠長にここでのんびりしてるはず無いでしょう?」

 そういって、魅羅は極上の微笑みを浮かべてみせた。

「なら、今、警部はどこにいるんだ?」

 青年の問いに、初めて魅羅の瞳に困惑した光が浮かぶ。

「それは…」

 病室のドアのインターホンがやわらかなベルを鳴らした。

「あ…はい」

 慌てて駆け寄った魅羅が、小さな歓声を上げて訪問者を招き入れた。

 長身の魅羅の影から、頭一つ半は小さいクリーム色の髪が見えた。

「ドルフェス刑事、お元気そうでなによりだわ」

 25分署署長、モセ・ナディーラが、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべて入ってきた。

「署長」

 世にも嬉しそうな顔の魅羅が、モセの後ろにつつっと擦り寄るように立つ。さらにその向こうに褐色の髪が見えた。

──え…?──

 何となく嫌な予感がした。

「D・D、また入院したって聞いたから、心配してたのよ」

 はたして、魅羅を押し退けるようにして現れたのは、真っ赤なジャケットをはおったエミーだった。

 何時ものように唇の片端だけ上げる笑みを浮かべ、探るような目でドルフェスを見つめていた。まさか署長の前で厭味を言いもすまいが、予測の出来ない相手だけに、青年は我知らず体を固くしていた。

 そんな青年の脅えを肌で感じてか、エミーは皮肉な微笑みを唇の両端に広げた。

「素敵な看護婦さん付きでご満悦みたいね、安心したわ」

 来たな、とドルフェスは内心首をすくめた。

 しかしその他は何も言わない、さすがにTPOはわきまえているらしい。

「ジャクトーナの12分署から連絡を受けた時は本当に驚きましたのよ」

 にこやかにモセが口を開いた。

「だって、25分署の職員がバズーカ砲で街を爆破した。なんて言われたんですもの、私腰が抜けてしまいましたわ」

 くすくすと笑いながら、モセは大げさに首を振った。

「津川の捜査はいつも派手すぎて、地区担当の署長さん達の頭痛の種なんです」

 魅羅が申し訳無さそうに、口を開く。

「確かにその様ですわね。でも、初日のソルティドールで、彼の仇名の意味をよく噛みしめましたから、もう、何が来ても平気ですわ」

 滉の仇名Bomb Bay─爆弾庫─は警察関係者の中でも有名らしい、魅羅は深くため息をついた。

「ご迷惑でしょう? 申し訳ありません」

「いいえ、楽しいくらいですわ。あら、こんな事、私が言ったら不謹慎ですわね」

 モセは悪戯っぽく笑いながら首をすくめた。

「嬉しいですわ、今までそんな風に言ってくださった方はいませんでしたもの。モセ署長は度量の大きな方ですのね。津川も喜ぶと思いますわ」

 ドルフェスは、あくまで慎ましく、嗜みのある態度でさりげなく滉をこき下ろして、自分の点数を上げてゆく魅羅の巧みさに呆れた。

 滉と違って、搦手(からめて)からじわじわと迫っていく手法は、喉を鳴らす猫みたいな感じがして何だか可愛い。

「そうそう、Mr津川から、今朝ほど連絡が有りましたのよ」

 署長の言葉に、ドルフェスは一瞬心臓が飛び跳ねる。

「あの化け物を追跡中とかで、しばらく戻れない、と貴方がたに伝えて欲しいと仰っていらしたわ」

 不思議なことに、魅羅は奇妙な顔をした、だがすぐに微笑みを浮かべて頷いた。

「まあ、こちらに連絡すればいいでしょうに、津川の不精にも困ったものですわ。お忙しいモセ署長に伝言係みたいなことをさせてしまって、私からお詫び申し上げます」

 そう言って頭を下げる魅羅を、酷く冷たい目でエミーが見つめていた。

 しばらくの歓談ののち、モセは院長に会うために病室を出ていった。ふらふらとついて行こうとした魅羅は、すがるようなドルフェスの視線に気ずいてやむなく留まる。

 ドルフェスは、署長というセーフティロックが居なくなったエミーと、二人きりになるのは何としても避けたかったの

 案の定エミーはまるで値踏みするように、魅羅を爪先から頭まで根眼付けた。

 魅羅にしても、エミーの敵意に満ちた視線は始めから判っていた。

 黒髪の美女は、赤毛の女をまるっきり無視して、ドルフェスに微笑みかける。

「D・D、苦しくなくて?」

「ああ、大丈夫」

「果物もっといかが? まだたくさんあるわよ」

 ふと、枕元のサイドワゴンに、何か光るものがある。首を巡らせると、見たことのあるクリスタルの置物が目に入った。

 ネプチューンのサイドボードにあった、ダフネの3Gフォトスタンドだった。

「魅羅さん、これは?」

 ドルフェスが聞くと、魅羅は悪戯っぽく、くすっと笑う。

「お守りよ。貴方が健やかでありますように」

 滉の奥さんの写真が、何故自分のお守りになるのだろう。青年が首を傾げていると、完全に無視されていたエミーが苛々と口を開いた。

「綺麗な付き添い婦さんに随分御執心みたいね。D・D」

 どきっとした。エミーが居たことを完全に忘れていたのだ。

「何言ってんだよ」

 慌てて言い返すと、エミーの冷たい視線と真っ正面からぶつかる。

「あら、貴方が嬉しそうだから思ったことを言っただけよ。彼女が新しい恋人さん?」

 エミーの言葉に、魅羅がきょとんとドルフェスを覗き込む。

「な……何を馬鹿なこと言ってんだよ、魅羅さんに失礼だろう?」

 思わず赤くなりながら、ドルフェスは否定したが、エミーは片方の眉をひょいと上げただけだった。

「ずいぶんむきになるのね、お母様の事お話ししてあげたの? 彼女が苦労する前に理解してもらわなくちゃね」

「エミー、魅羅さんは津川警部と一緒に来られた銀河司法局の検事さんだよ」

 魅羅の身分を明かしても、エミーはかけらも怯まない、むしろ皮肉っぽい薄笑いをさらに深めただけだった。

「ふうん。銀河司法局の検事さんが、ただの地方都市の平刑事を随分甲斐々々しく看病てくれるのね、果物食べる? 苦しくない? 本当、お優しい方ね」

奇妙な節を付けて、歌うように刺のある言葉を並べてゆく。

ドルフェスはうんざりして、言い返すのも嫌になってきた。

「どうしたの、D・D。検事さんと話してるときはあんなににこにこしてたのにあたしにはだんまりなの?」

 得意になってエミーが詰め寄ってくる、とたんに、魅羅がたまり兼ねたように吹き出した。

「な…何よ」

「だぁってぇ。貴方のほうがずうっとD・Dに御執心みたいだから」

 エミーの目尻が、きりきりとつり上がる。

「何ですって…?!」

「私にはそう聞こえるわよ」

 黒い瞳と褐色の目が、真っ向からぶつかり合った。

「おあいにく様、あたしは誰彼かまわず優しくしなくちゃならない程、男に不自由してませんから」

「そうね、自分に振り向かない男なんて許せないって感じよね。でも、そんな男のほうが余計気になるんじゃないこと?」

 魅羅のすっぱ抜きに、エミーの顔がさっと赤くなった。

「よ…よくもまぁ、そんな根も葉も無いあてこすりが出来るわね、呆れたわ」

「あぁら、貴方には負けましてよ。何にやきもちを焼いてるのかは存じませんけれど、私がD・Dの側に居るのがお気に召さないなら、はっきりそう仰ったらよろしいんじゃなくて?」

 馬鹿丁寧な口調で魅羅が答える。慇懃無礼なその言い方は相手の神経を逆撫でし、エミーは憎しみに満ちた目で魅羅を睨みつけた。魅羅はそんな視線など塵ほども感じていない様に、穏やかに微笑んでいる。

はっきり言ってこの勝負、魅羅の方に分がありそうだ。

「馬鹿馬鹿しい、誰が焼いてなんているもんですか。男なんて履いて捨てるほど寄って来るわよ。そんな、デート中に他の女の名を呼ぶような男、こっちから願い下げだわ」

 魅羅が、そんなことしたの? と言いたげにドルフェスを見た。全然覚えがない青年はふるふるとかむりを振った。

「どうせ貴方もダイアナの身代わりなんでしょう。ね、D・D?」

 いきなり矛先が自分に向けられて、ドルフェスはきょとんとした。ダイアナなんて女は全然知らない。しかし、そのとたん魅羅は嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「嬉しいわD・D、そんなに私のこと思っててくれたの?」

 白い腕が滑るように首に回される。

「ダイアナって私のニックネームよ、リル・ダイアナ。さっきもそう呼んでくれたわね」

 そう言いながら赤い唇が近ずいてくる。

「え? あの…魅羅さん?!」

「魅羅って呼んで…」

 艶っぽい声でそう囁く、ぐいっと首に回された腕に力が込められ、どんどん唇が近ずいてくる。

──えー?!──

 唇に、魅羅の赤い唇が軽く触れる。赤ちゃんにするフェザーキス

 頭が真っ白になって硬直しているドルフェスにの顔中に、魅羅はキスの雨を振らせた。

「とんだ茶番だわ。どうもお邪魔様でした!」

 絡み合う男女の姿を見せつけられて、怒りに真っ赤になりながら、エミーは大股でドアに向かって歩きだした。荒々しく開閉スイッチを叩き、開ききるのももどかしく隙間に身体をねじ込む。

「D・D、夜中に死体の始末をする様な検事さんと末永くお幸せに!!」

 せめてもの捨て台詞にそうわめくと、赤毛の女は足音も荒く去っていった。

 ドルフェスに絡みついたまま暫くその足音を聞いていた魅羅は、ゆっくりと満足げな笑みを満面に浮かべた。

「ふん、見た目にしか自信が無いくせに、天下を取ったような顔してるからよ」

 いままで見たことの無い冷やかな視線でドアの向こうを見ながら、魅羅は吐き捨てる様に呟いた。そして硬直したままのドルフェスに向き直ると、顔中でにっぱりと笑ってみせた。そんな仕種はまるで悪戯っ子の様だ。

「あー、面白かった」

 満足のため息と共に呟いて、ふとドルフェスに気がつき、

「あら、御免ね。口紅着いちゃったわね。こんなのナディーラに見られたら変な誤解されちゃうわね」

 一人で喋りながら青年の顔中に着いた口紅を拭き取っていく。

「私、ああいう女って大っ嫌いなの。すっとしたわ。今の顔見た? おっかしいの」

 楽しそうにけらけらと笑いだす魅羅を、大円に見開いた目で見つめながら。青年はただエミーをからかうダシにされたことを理解するとともに、言いようのない憤りがふつふつと沸き上がってくるのを感じていた。

「魅羅さん…」

「何? D・D」

 楽しい悪戯の余韻に黒い瞳を輝かせながら、無邪気に魅羅が顔を上げた。

 何か文句を言ってやろうと口を開きかけはしたものの、彼女の余りにも天真爛漫な表情に、怒りを露にするのをためらってしまう。

「俺って一体何なんでしょうね?」

 思わずそんな遠回しな言葉を口にする。

 魅羅は不思議そうにドルフェスを見ると、覗き込むように顔を近ずけてきた。我知らず鼓動が早まり、視線が形のいい唇の上に行ってしまう。赤い唇が確認するようにゆっくりと動いた。

「何って…? 貴方はD・Dでしょ?」

 まだ毒が回っているのかと言わんばかりの魅羅の返事に、ドルフェスは深い嘆息をもらした。

「まあ…その通りなんだけどね…やれやれ、後が怖いな」

「あの女?そうね、蛇みたいにしつこそうだから、きっと仕返しを考えてるでしょうね」

 納得したように頷きながら、魅羅はドルフェスの肩をポンと叩く。

「頑張るのよ、D・D!」

 力強く励ましてくれたのはいいけれど、その原因は誰のお陰なんだろう?全身にひろがる脱力感とやるせない怒りを持て余しながらドルフェスは枕に深く顔を埋めた。

「今度顔をあわせたとき、どんな厭味を言われることか…」

 そんな愚痴を呟きながら、ふとエミーの捨て台詞を思い出す。

──夜中に死体の始末をする検事さん──

 背中を冷たいものが流れた。

 エミーは何を言ったのだろう?魅羅が夜中に死体の始末をしていた?まさか。 ただの嫌がらせだ。しかしいくらなんでも、意味もなくあそこまで突拍子も無い事を言うだろうか? それに一つだけ思い当たる節はある。

──早いとこ始末しておきなさいよ、─すぐ腐るわよ──

──えー、あんなスプラッタ死体もう触るの嫌よ──

 魅羅と叔母との会話がリフレインされる。

 魅羅は熱のせいで見た夢だといった。本当にそうなんだろうか?もしあれが現実だったら、エミーの言った死体とは滉の事だ。

 ドルフェスは眉を寄せた。

 魅羅が滉の死体を始末したとして。何で滉の殉職を隠しておく必要があるのか、何で夜中に一人でこっそり始末なんかしたのだろう、理由が判らない。

 病み上がりの自分に気を遣ってくれているのだろうか? それにしてはすぐに判ってしまう様な意味のないことだし、魅羅が嘘をついている様子など微塵もない。彼女は自信を持って滉は生きていると言った。

「どうしたの、D・D? また苦しくなったの?」

 考え込んでいる青年に、魅羅が心配そうに声をかけた。

「あの…魅羅さん」

「なに?」

 訊ねたいがハッキリさせるのが何だか怖い。

「いえ…何も」

 ゴニョゴニョと口のなかで言葉を濁していると、再びインターホンが鳴らされ、モセ署長が戻ってきた。

 魅羅の顔がパッと輝く。

「もう戻らなければならないので、ご挨拶していこうと思って」

 柔らかなハスキーボイスと共に、小柄な彼女がドルフェスの前に進んできた。例によって魅羅が後ろに擦り寄っている。

「お気遣い有り難うございます」

「もう毒は抜けたと院長さんが仰ってらしたわ、2〜3日中には退院できるそうですよ」

 にこやかにそう言いながら彼女は魅羅を振り返った。

「Mr.津川から今度連絡があったときには、ドルフェス刑事の回復をお伝えしておきますわね」

「まあ、有り難うございます」

 魅羅は世にも嬉しげな声を出した。

「モセ署長とめぐり会えて、私たち幸運でしたわ。ご親切が身に滲みます」

 極上の笑顔で答える魅羅を見ながら、ドルフェスは署長が滉からの伝言を持ってきたのを思い出し、心から安堵のため息をついた。

 大丈夫、滉は確かに生きている。エミーの言ったことは、ただの嫌がらせだ。

 ホッとして気が楽になった青年は、滉のお陰でどの星でも如何に冷たい扱いを受けるかを訴えて、モセの気を引こうとしている魅羅を改めて見つめた。

 黒髪に黒い瞳、落ちついた雰囲気の見た目とは正反対の、天真爛漫な性格。

少女のようで、大人の様で、気が強いわりにはしゃしゃり出る事はしない。くるくると変わる表情は本当の彼女がどれなのか判らなくする。それに無邪気でめげないとてつもない明るさ。

 付き合いの浅い相手には、ついつい構えてしまう自分が、いつの間にか親しげに口を利いている。そんな、暖かで親しみやすい笑顔。

 不思議な女性だ。

 これで男より女の方が好きとは、何とも勿体ない…。

 ふと魅羅と視線が合い、ドルフェスは真っ赤になった。

 魅羅は目だけで笑いかけると、モセとの会話に戻っていった。

 愛しい片思いの相手を、全身全霊で引き止めていた魅羅だったが、さすがにモセは腕時計を見て肩をすくめた。

「Miss龍造寺とお話していると、時間のたつのも忘れてしまいますわ。お名残惜しいですけど、もう戻らなくては」

「私こそ楽しかったですわ。お忙しいところを有り難うございました」

 ちらりと残念そうな表情を浮かべて、すぐに笑顔で隠しながら魅羅が答えた。

「さて急がなくては、テーラー刑事に置いてゆかれたら、私歩いて帰らなくてはならなくなるわ。ドルフェス刑事、お大事にね」

 品のいい仕種で別れを告げると、モセ署長は去っていった。

 正面ロビーまで送っていった魅羅は、病室に戻るなり深々とため息をついた。

「何てエレガントなのかしら、ホントに素敵♪」

 かなり熱が高そうだ。

「あんなレディ滅多に居ないわ、絶対ものにしてみせる!」

 決意も新たに、魅羅は天を仰いだ。そんな魅羅の様子を見ながら、ドルフェスは密かに嘆息した。

 まったく、彼女をこんな風にしてしまった、竜造寺という人物はどんな男だったのだろう。あの夜の記憶の半分は疑わしいが、魅羅の弁によれば、他の男がカスに見えるほどカッコ良かったらしい。

 そこでふと気がついた。竜造寺といえば、初めて会った時、滉が竜造寺を知っているかと聞いていた。ケット・シーも自分に向かって竜造寺と呼んだ。

 何だか無性に竜造寺に興味を覚え、青年は口を開いた。

「魅羅さん」

「何?」

「こんな事聞くのは失礼かもしれないけど、竜造寺って人はどんな人だったのかな?」

 うっとりとモセの面影を抱きしめていた魅羅は、そのまま夢見るように答えてきた。

「男のなかの男よ」

「あぁ、そーですか…」

 聞くんじゃなかった。ドルフェスが後悔していると、魅羅がポンと手を叩いた。

「そーいえば、私その事で貴方に聞きたかったんだわ」

 椅子を引き寄せ枕元に座る。

「ママと話してたとき、Dragon Makerって言ったでしょ? ママがうるさいの訳を聞けって」

 ドルフェスが、カイマンとコスタが変身する時にそう言ったのだと教えると、魅羅はなるほどと頷いた。

「ケット・シーの奴が貴方を龍造寺って呼んだわ、それがキーワードだったのね。でも、何でD・Mなのかしら?」

 魅羅はしきりに首を傾げている。

「D・Mって?」

「Dragon Makerの略よ、私は彼をそう呼んでいたの」

「彼?」

 魅羅は口許に手をあてた。

「ごめんなさい。貴方は何も知らなかったのね」

 わずかに体を動かして座りなおすと、魅羅はゆっくりと話しだした。

「Dragon Makerは私の義父、竜造寺龍也の仇名なの。アースで最も怖い男なんて事も言われていたわね。沈着冷静で、銃の名手で、剣の達人で、背が高くて苦みばしったハンサムで、欠点といえば、人間不信と女嫌い。と言うよりは、女はママ以外目に入らないほど熱愛していたって事かな? 政治家の寄り集まりだった銀河連合に、司法機関を組み込ませて、現在の銀河ネットワークの原型を作った人よ。Dragon Makerは銀河に跨がる龍を作ったの。でも龍を造る者が作り上げた最高の龍は、彼自身だって言う人もあるわ。性格は正反対なくせに、彼は滉の親友であり、仕事上でも最高のパートナーだったわ。滉ってすぐ暴走するからD・Mは散々苦労したって言ってた」

 楽しそうにくすくすと笑い、魅羅はその人を探すように窓へ顔を向けた。

「滉やママの行くところなら、たとえどんなに危険なところへでも、困ったなって感じで笑いながら飛び込んでいくのかっこいいでしょ? 私が生まれるずっと前に、ママを助けるために片腕をなくしたって聞いたわ、彼の義碗の冷たい感触を覚えてる。よく力のセーブが出来なくて、義手でグラスを砕いてはママに怒られていたっけ…」

「大切な人だったんだね」

「そうよ、私たち全員にとって、無くてはならない人だった。最高の理解者で、最大の保護者。そして絶対無二の親友。それがD・Mだったわ」

 ドルフェスは、悲しげに眉を曇らせた魅羅の横顔を綺麗だと思った。

「考えてみれば、一番貧乏籤を引いた人よね。滉とママに振り回されて、あげくの果てには、私と閖吼を育てなくちゃならなかったんだから。おまけに私たちが苦労しないように、あらゆる事をしてくれて、自分は、何の見返りも受けないうちに死んじゃった…」

「宇宙船の事故だったね」

「ええ、銀河司法局と警察機構の設立を果たして、各分局の設置の為にアルゴルのアルタイル・アルナスルに会いに行った帰りに、乗っていた船が爆発して…遺体のかけらさえ残らなかったわ。すぐにテログループが犯行声明を出して、アースの治安の要である竜造寺龍也を狙ったテロ活動だと言ったわ。勿論、そいつら全員、私と閖吼とエゼルとナゴフとアレクスで重犯罪専門の刑務所に終身刑で放り込んでやったわ。仇は討ったと思ってたのに…」

 魅羅はうつむいてドルフェスの手をギュッと握った。

「それが…ファントムの仕業だったなんて…」

 低い、怒りのこもった声で呻くように呟く。

「ケット・シーが言っていたわね、ファントムの希望で長い旅に出てもらったって。滉が逆上するのは当たり前よ。私だって出来るものなら、あの狒親爺を八つ裂きにしてやりたい。辛くてママには話せなかったわ。きっとママ、何も彼も放り出して復讐に飛びだして行くもの…」

 きつくドルフェスの手を握りしめたまま、魅羅は微かに肩を震わせていた。

 いつしか彼女の声はか細くなり、話し続ける言葉は殆ど独り言になっていた。

「滉がやられる前に、あいつの存在が判っていれば…みんなこんな目に逢わないですんだんだわ。

 滉やダフネ、ママとD・M、ケインにエミリ……みんな、ハッピーエンドになるはずだったのに…全部、ファントムが潰してしまった…」

 打ちひしがれた様に、うなだれて肩を震わせている魅羅の姿を見ながら、ドルフェスは何と言っていいものか当惑していた。

 何があったのか、今の話だけではさっぱり判らないが、家族がファントムの所為で引き裂かれる様な悲劇があったんだろう、そして、大切な人が失われ、両親の戻った現在でもその傷は癒えること無く血を流し続けている。

 青年は泣くのをこらえている様な魅羅の姿を、可愛いと思った。

 ふとその姿が、夢で見た泣きじゃくるあの女のうずくまった後ろ姿とダブる。

 何だか、たまらなくいじらしくなってきて、肩に触れようと空いている方の手を伸ばした。

 そのとたん。

「ファントム! 待ってらっしゃい、必ず息の根を止めてやる!!」

 病室中に響き渡る、魅羅の気合の入った雄叫びが炸裂した。

「あぁ、すっきりした」

 さっぱりすっきりした顔をして魅羅が頭を上げた。にんまりと笑みを浮かべる彼女にはさっきまでの嘆きはかけらも無い。

「? どうしたの、D・D?」

 手を伸ばしかけたまま凍りついていたドルフェスは、呆然と静止した形のまま、ゆっくりと後ろに倒れてゆき、深々かと枕に顔を埋める。枕と友達になりながら、青年は少しでも同情した自分を、心から哀れんでいた。




竜を造る寺の龍なり。

龍造寺は誤植です。

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