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11 Sadness・Night――哀愁の夜――

残された人々は……



 私、知ってたわ。

 貴方が私を見てたこと。

 ずっと前から。きっと、初めて出会った時から。

 貴方の視線が嬉しかった。この世界でたった一人、私を私として見ていてくれた人。


 あの日。

 私が死ぬために用意された白い部屋で。

 約束したわね。また遊びましょうって。

 私、帰ってきたわ。皆も揃ったわ。

 貴方だけがいないの。

 私たち、あんな事でお終いなの?


 本当にもう会えないの?

 帰ってきて、私を抱きしめて。

 いつまでも待っているわ…

 私の…D・D…



 客船シルクァルド号は、恒星トロンテクルの重力場から離れながら、跳躍ポイントまでの道のりをしずしずと進んでいた。

 衛星軌道から降りないことを前提に建造されたこの船は、巨大な美術品と讃えられ、華麗で豪奢な船体と共に船内の全てにわたって、アルゴルの美意識の粋が集約され、乗客もまた俗世間とは無縁なハイソサエティな階級の人々に限られている。

 そしてそのメインロビーでは、旅人の心を慰める晩餐会が連日のごとく開かれていた。

 静かな音楽が流れるなか、優雅に裳裾を引きながら、貴婦人たちがささやく様に会話をかわし、紳士達のエスコートで蝶が舞う如く踊る。

 中流以下の人々には天界の宴とも思われ、モラトリアムを信奉する人々には神への冒涜とも言えるこの宴は、平等を建前とする銀河社会にも、昔のように家柄や血筋によって成り立つものではないにせよ、歴然とした階級の差が現在にもあることを物語っていた。

 そんな華やかな空間を、霊切る様な悲鳴が引き裂く。

 貴婦人たちの色とりどりの花のなかで、一際異彩を放っていた黒百合の如き麗人が、いきなり胸を押さえて叫んだのである。

 彼女は目を見開き、苦悶に眉を寄せ、全身を貫く激痛に身体を弓なりに反らせて悲鳴をあげつづけた。

 何事かと振り返る人々のあいだをぬって、この場にはそぐわない地味なデザインのメンズスーツを着た長い黒髪の女が、貴婦人に駆け寄っていった。 

 しかし女がたどりつかないうちに、激痛に耐えかねた彼女は糸が切れたようにふらりと後ろへ倒れかかった。

 思わず息を呑んだ人々は、次におおきく安堵のため息を漏らす。

 さらに、さざ波の様に起こったため息は、美しさに対する感嘆を現すものである。

 いつの間に背後に回ったのか、一人の貴公子が気を失った貴婦人を抱きとめていた。

 黒髪に黒いドレスをまとった美女を軽々と抱き上げた彼は、腕のなかの女性とは正反対に、豪奢な金銀の糸で飾られたアルゴルの民俗衣装を身にまとい、黄金の髪の目も覚めるような美貌の持ち主。

 まるで古代の王侯貴族がそのまま現れたかの様な気品のある姿は、抱き上げた貴婦人の美しさと相まって、一服の絵を思わせた。

 貴公子の素性を知っている者ならば、その表現が正に的確であると答えるに違いない。

 彼は優雅な微笑みを浮かべて、まわりに立ち尽くす人々に目を向けた。

「私の連れは少々疲れたようです。今宵はこれにて」

 そういい残すと、彼は、人一人を抱き上げている事など感じさせない、軽やかな身のこなしで踵を返し歩きだした。

 思わず道を開けた人々に軽く会釈をして、人込みを抜けロビーを出る。

 声もなく立ち尽くしていた人々は、呆然とその後ろ姿を見送っていたが、彼が扉の向こうへ姿を消すと、(たちま)ち雀のさえずりのように噂と憶測を飛ばしはじめた。

 通路へ出た金髪の貴公子の横に、先程駆け寄ろうとしていた黒髪の女が肩を並べてくる。

閖吼(ゆるく)、彼女はどうしたのだ?」

 貴公子の問い掛けに女は首を振りかけたが、はたと気がついたように眉を寄せた。

「ひょっとしたら、父に何かあったのかも…?」

 貴公子はアクアブルーの瞳を見開いた。

「滉か?」

「ええ、たぶん…」

 女はじっと貴婦人の顔を見つめた。女としては少し低めの声が、彼女の知的な雰囲気を強調し、より女性らしく感じさせる。

 ここにもし、ドルフェスが居会わせたとしたら、きっと驚いたに違いない。

 なぜなら、閖吼と呼ばれたその女は、容姿から姿形まで、滉の娘、魅羅にそっくりであった。

 貴公子がそんな閖吼の横顔をちらっと眺めて、口を開く。

「ふむ、尋常な様子では無かったな。さては、あやつめ。死んだのかな?」

 言葉の内容とは裏腹に、彼は至極あっさりと言い放った。

 女が膝よりも長い髪をうるさそうにかきあげる。その顔は、貴公子が抱き上げている貴婦人にも生き写しだった。

「判りませんが、おそらく魅羅から何か言ってくるでしょう」

 貴公子はため息とともに首を振った。

「こんな時に難儀なことだな」

「何とか手を打ちます。それにしても、御前にこんな御雑作をかけたなんて知ったら、彼女はさぞ悔しがるでしょうね」

 女の古めかしい言葉に、貴公子はくすっと笑った。

「気絶する御婦人を抱きとめるのは、私の得技の一つでね。実に、妻には随分鍛えてもらったからな」

「ああ、香花様ですね。昔は父もよく抱きとめたと言ってましたよ。歩きながら倒れるのが得意技だったとか?」

「滉の前は亜唯の役目だったそうだ。しかし、私が一番多かったと思っている。何せ長年連れ添ったのだ」

 彼の得意げな言葉に、閖吼は面白そうに笑った。

「大事なお仕事だったんですね。あ?」

「どうした?」

「唇が動いている…」

 閖吼の言葉に彼は腕のなかの貴婦人を見下ろした。

 確かに彼女の唇は微かに動いていた。何かを伝えようとするかの様に。



 あの女が笑っている。

 薄紫の薔薇の向こう。

 金褐色の瞳が同じ色の髪と共に、日の光を受けて7色に輝く。

「ねえ、聞いて。私たちに家族が増えるのよ」

 晴々とした笑顔が、華やかな髪の輝きよりも際立って目に飛び込んでくる。

「名前は何てしようか?なんてね、私一人じゃ決められないわね」

 照れたように笑いながら、女は後ろを振り返る。

「あ…来るわ、あいつ物凄く照れてるから面白いの、貴方もからかってやればいいわ」

 彼女は笑いながらしなやかな手を伸ばして、薔薇の向こうの小道を歩く人影を呼ぶ。

 名残惜しい気持ちで女に手を伸ばす。

 しかし、その手が触れる前に、女は苦悶に眉を寄せその場にうずくまる。

 髪が華やかな輝きを失い、赤茶けた褐色に変わっていく。

 心臓が鷲掴みにされた。女に何が起こったのかは判っている。

 彼女の細い体には、死に神の息吹がかかっている。

──神よ…──

 壊れ物を扱うようにそっと女の体を抱き上げる。

 ぐらりと上体がかしぎ腕のなかに倒れ込んできたのは、女ではなく滉だった。



「滉…なに? 何が言いたいの?」

 ドルフェスは、涙に潤んだ魅羅の声で夢のなかから引き戻された。

「いいの、滉。声を出さないで。読めるから」

 滉の頭を膝に抱き上げてそう言いつつ、魅羅は血の溢れだす滉の唇に、自分のそれを押し当てて深く吸った。すぐに離れ、口のなかに吸い取った血を外に吐きだす。

「何? りゅう…ぞう…じの…猫…ね」

 心臓を掴みだされながらも滉はまだ生きていた、驚くべき生命力で彼は娘に何かを伝えようとしている。

「D・D? 彼を守るの? 判ったわ」

 自慢していたスーツを、父親の血で真っ赤に染めながら、魅羅は無理矢理微笑んで見せたが、黒い瞳からはとめどなく涙が流れていた。

「ええ…待ってるわ。大丈夫もう子供じゃないのよ」

 魅羅が不意に滉の頭を抱きしめる。最後のメッセージを伝え終えて、滉は娘の腕のなかでこと切れたらしかった。

「おやすみなさい。お父さん…」

 ドルフェスが聞いた限り初めてまともに滉を父と呼んで、魅羅は血溜まりの中で、滉の頬に口づけをした。

 ドルフェスはその光景を美しいと思った。

 再び暗闇が青年を包み込んでいく。



冬枯れた薔薇の園。

 薄紫の花は影も無く、ただ灰色の枝が風に揺れている。

 揺り椅子に女は座っていた。

 近づくと、女は振り返り、青ざめた顔に微笑みを浮かべる。

「知ってるわ…滉が死んだのね…」

 ため息とともに褐色の瞳は閉じられ、揺り椅子がか細い音を立てて揺れる。

「可哀相に…」

 女が呟いた。

「ネプチューンが啼いている」



 号泣するかの如き遠吠えが長く尾を引いて響き、その声に引き戻されて、青年は目を開いた。

 サンルーフから、ほの暗い街灯に照らされたビルが、影のように後ろへ流れていくさまが見える。

 ネプチューンは啼きながら夜の街を走っていた。

 辺りすべてが幻想の様に感じられる。

 身体には力が入らず、吐く息が自分でも火のように熱い。

 全身の関節が軋んで、リクライニングされたシートに横になっていることさえ苦しい。

 頭に何か冷たいものが巻かれている、触ろうとしてわずかに腕を動かしただけで、心臓に鈍い痛みがはしった。

「う…」

 苦痛に、思わず声がもれる。

「苦しいの?」

 ドライバーズシートから魅羅が顔を出した。

 顔や手の血は拭われていたが、彼女の服はまだべっとりと血糊で汚れていた。

「もう少しの辛抱よ、すぐ病院に着くわ」

 力づける様に魅羅が語りかけてくる。ドルフェスは、微かに頷いて返事にした。

「安心して、今最高のお医者様から解毒の方法を教えて貰うから」

 魅羅がそう言った時、柔らかな声が流れてきた。

『サン・ザ・サンより、リトル・ムーンへ、応答せよ。サン・ザ・サンより、リトル・ムーンへ』

「来たわ、待っててね」

 魅羅はコンソールに向き直り、通信機のマイクスイッチを入れた。

「こちらリトル・ムーン」

 回線がつながり、相手が話しだす。

『魅羅、分析は終わりました。データはこれでいいんですね?」

「ええ、そうよ閖吼、ドルフェスの血液データはそっちに送ったとおりよ」

 ユルクと呼ばれた相手は、魅羅よりは幾分トーンの低い、女性とも男性ともつかない、中性的で柔らかな声で答えてきた。

『大丈夫です、かなり特殊な毒物ですがこの量なら何とか持ちこたえるでしょう。ただ、高熱が3日は続くと覚悟してください』

 閖吼の返事に魅羅は安堵のため息をつき、ドルフェスに向かって指でOKサインを出してみせた。

「判ったわ。今、警察病院に向かってるの、入院させるべき?」

『当然です。遠くの名医より近くのヤブって言うでしょう? 僕が着くのは7日後ですからね。僕の送った処方箋を医師に渡してください。それで大丈夫、彼に今必要なのは、清潔なベッドと包帯、優しい看護婦さんですよ』

 魅羅はほうっとため息を付いた。

「私にも、清潔な服とシャワーが必要よ」

 閖吼は通信機の向こうで低く笑った。

『父さんなんてほっとけばいいのに』

「そうはいかないわ、何か言おうとしてたんだもの。それにあんな……」

 思わず魅羅が絶句する。閖吼は優しく言葉を続けた。

『万事派手好みの人ですから、結構楽しんでたかも知れませんよ。父さんは何て?』

 奇妙な会話だった。閖吼の言葉には、滉の死を悲しむ気配は微塵もない。魅羅もまた先程の慟哭とはうって変わって、結構さばさばとしている。

「それがね、さっぱり判らないの。ドルフェスを護れと、龍造寺の猫だって」

『後はすぐ戻るから待ってろ、かな?』

「その通り、勝手な言いぐさよね」

 魅羅と閖吼はくすくすと笑いあった。

「ところで、ママは?」

『今のところ、鎮静剤で眠っています。父さんは貴方にダイイングメッセージを残すために、全部ママに肩代わりさせたみたいですね。パーティーの会場で悲鳴を上げて倒れたんですよ、びっくりしました』

 さして驚いてはいないような口ぶりで、閖吼は淡々と話しす。

「やっぱり、じゃないかと思ったわ。ママ、起きたら激怒でしょうね」

『まぁ、なんとかなだめておきますよ。それより、龍造寺の猫っていうのが気になりますこんな判事物はあまり得意ではありませんけどね』

「私の頭の程度じゃさっぱり判らないわ。ママが起きたら聞いてみて、滉のことは、ママが一番判ってるもの」

 通信機の向こうで閖吼は微かに笑い声をたてた。

『ママに言わせれば、知りたくもないのに筒抜けだって事らしいですよ』

 閖吼の背後から、微かに音楽が聞こえてきた。

『ああ、こちらは後15分少々でワープに入ります。この手の船は超高次空間航行が長いから、しばらく連絡は出来ません。くれぐれも気をつけて、貴方がリセットになるのを感じるのは願い下げです』<

「判ったわ。でも早く来て…心細いの」

 魅羅の声が、初めて不安気に震えた。

『扉を開いて…今夜は僕が貴方を抱きしめています。サン・ザ・サンより以上』

 通信が終わり、魅羅は長いため息をつきシートに沈み込んだ。

「魅…羅さん…」

 苦しい息の下から、ドルフェスはやっと声を絞り出した。

「すみ…ません…俺のせ…いで…警部は…」

 魅羅は振り向くとにっこり笑ってみせた。

「何言ってるのよ、気にしないの」

「でも…警部は…」

「大丈夫よ」

 魅羅が、ドルフェスを励まそうと言葉を続けようとしたとき、通信機から女の声が炸裂した。

『魅羅! 滉の糞馬鹿野郎はどこ?! 目茶苦茶痛かったわよ! 滉!! そこにいるんならさっさと出てらっしゃい、このあんぽんたん!! 人前で大恥かかせて、どうしてくれるのよっ!!」

 魅羅は弾かれたように通信機に向き直った。

『ママ、おちついて…』

 向こう側で閖吼が慌ててなだめている、だが激昂した女には何も耳に入らない。

『滉! あんたに振り回されるのは真っ平よ! 痛いんだったら一人でやってなさいよ、聞こえてるの?! 男らしく出てらっしゃい!!』

「ママ、滉はリセットになったのよ」

 魅羅が言う。女の声が1オクターブ跳ね上がる。

『リセットォー?! だろうと思ったわ、あの女ったらしの大馬鹿野郎! 何でくたばったのよ!!』

 女の台詞は誠に辛辣であった。

 あらん限りの罵声を並べ立てて、心行くまで死者を鞭打つ女に、魅羅は滉の死に至るまでの顛末(てんまつ)をかいつまんで話して聞かせた。

 しかし、女の怒りは収まらない。

『この大事なときに、あいつのヘマで余計な仕事まで押しつけられるわけ?!冗談じゃないわよ。ダフネまでさらわれて、のんびり死んでる暇なんて無いのよ!こんなちんたら鈍くさい船に乗ってるってのに、私に何しろってのよ?!あのど間抜けの唐変木!!』

 通信機の向こうから響きわたる悪口雑言を聞きながら、ドルフェスは何となく笑いがこみ上げてきた。

 嬉しさと懐かしさが入り交じった変な気分だった。

 久しぶりに会った友が、昔通りで安心した。そんな感じだ。

 そして同時に、望み通りに目的を果たした様な深い満足感が広がり、嬉しすぎて涙さえ滲んでくる。

 滉に会ってから、初対面の人間を懐かしがる、などという変なことが起こるように成っている、これもデ・ジャヴの一つかもしれない。

 気分が良くなり、ドルフェスは口許をほころばせた。

 しかし、すぐに滉の死に顔が浮かび、嬉しさは半減する。

 魅羅は、ママと呼んだ女をなだめるのは諦めて、嵐の過ぎ去るのを黙って待っていた。女は滉の娘を相手にしていることなどお構いなしに、物凄い早口で爪先から頭のてっぺんまで、魅羅の父親を罵り倒してやっと落ちついた。

『あーすっきりした。で、死体はどうしてるの?』

 魅羅はそれまで呼吸していなかったかのように、大きなため息をついて口を開いた。

「ネプチューンのトランクの中に入ってるわ」

『早いとこ始末しておきなさいよ。あんなものすぐ腐るわよ。特にそっち、これから夏でしょう?』

 とんでもない言いようである。

 ドルフェスは仰天した。

身内の死を悲しむどころか、さも邪魔くさそうに腐るだの始末しろだのと言う、彼女の神経が信じられない。

しかし

「えー。あんなスプラッタ死体、もう触るの嫌よ」

 魅羅の答えも物凄い、先刻まで死体を抱いて涙していた人物とは思えない。

『ネプチューンに手伝ってもらいなさい。そっちに居るのはあんただけなんだから、仕方ないでしょ』

「でもぉ…」

 ぼやく魅羅を、無視して言葉を続ける。

『で、魅羅。阿呆のダイイングメッセージは何? あいつ何か言いたいから、私に肩代わりさせたんでしょ?」

 ドルフェスは女の言葉の奇妙さに、眉を寄せた。滉の所為で痛かったとか、肩代わりさせたとかいうのはどういう事なのだろう?

『さっき魅羅から聞きました。ちょうどママが起きたら伺おうと思ってたんですよ』

 向こう側で閖吼が口を開いた。

『何なの?』

『龍造寺の猫だそうです、後はドルフェスを護れ』

『何よそれ、ドルフェスてのは誰?』

『父さんの部下ですよ、現地調達の。怪物に集中的に狙われて怪我をしたんで、目下のところ僕の患者です』

 閖吼の答えに、女は小さく『ふうん』と興味なさそうに唸った。

「私には、滉の言ったこと、さっぱり判らないの。ママ判る?」

 魅羅が自信のない声を出す。

『龍造寺の猫…ね』

 女はしばらく考え込むような沈黙を置いて、次に納得したようなため息をつく。

『テラ暦生まれは古いこと言うわ…」

「え?」

『ネプチューンのライブラリィで、鍋島の猫騒動って引いてご覧なさい。伝奇趣味の滉なら、コレクションにきっと持ってるわ。ミドルアースの古い昔話よ』

「昔話?」

『ああ、知っています。化け猫でしょう? 飼い主の仇を討つために妖怪になる猫の話』

 閖吼が口を開いた。それを聞いた途端、魅羅とドルフェスはっと息を吸った。二人の脳裏には、毛のない猫の様な怪物に変わった、カイマン達の姿が浮かんでいた。

『まぁ、よく知ってたわね。そうよ、その猫の飼い主が龍造寺。まわりくどい言い方するから、とんだ判事物だわ』

「ママ、化け猫ってあいつらのこと?」

『スプラッタちゃん達だけじゃないと思うけどね。滉の心臓を持っていった奴、何て名だったっけ?』

「ケット・シー」

『ユーロ州の化け猫の呼び名でしょ? そこから連想したのかもしれないけど。魅羅、2匹のスプラッタちゃんは、ドルフェスって坊やを狙ってたのね?』

「そうよ」

『でも、滉がスプラッタちゃんになる前の連中を尋問したときは、そんな事吐かなかった訳でしょ?』

「ええ、こっそり自白剤も使ってたけど、何も出てこなかったわ」

『自白剤…相変わらず、考え無しのド阿呆ね。それでもそいつ等が変身するなんて判らなかった、て、ことは…?』

『メンタルブロックかな?』

 閖吼が呟いた。

「え?」

『本人も全く知らない。キーワードを聞くか見るかして初めて思い出すんですよ』

「キーワード…」

 鸚鵡返しに呟く魅羅の声に、ドルフェスは姿を変えるときのコスタの呟きを思い出した。

 そして、カイマンが叫んだ言葉。

「Dragon Maker…」

『今誰が言ったの?!』

 いきなり女が怒鳴った。

『魅羅、今の声は誰?!』

「ドルフェスよ、彼はスプラッタちやんが変身する時一番近くに居たの。何か聞いてたんだわ」

『Dragon Makerって言ったわね。何でそんな名が今頃出てくるのよ。あの糞爺ィ』

 女は通話機の向こうでファントムを口汚く罵った。

 滉の関係者は、気性の激しいタイプの女性が多いらしい。しかもファントムに対してはかなり下品な口調になる。もっとも、この女は全般的に口が悪いが。

 通信機から静かな音楽が流れはじめた。

『ママ、もうタイムリミットです』

 落ちつきはらった声で、閖吼が割り込んできた。

『魅羅、35時間後に又通信をください。アクセスポイントはΔ356、詳しいことはネプチューンが記憶しています』

『その時はちゃんと聞かせてよ。ドルフェス坊やからもちゃんと聞いておきなさいね。それと、まわりの人間は滉を含めてすぐに信用しちゃ駄目よ。いいこと、化け猫はひと…』

 女の声は途中で途切れ、ノイズに掻き消された。

「やれやれ、ママは相変わらずね」

 ため息とともに魅羅は独りごちた。

「今の方達は…?」

 ドルフェスはそっと身体をずらして、楽な姿勢になりながら魅羅に訊ねた。

「閖吼とママのこと?」

「うん…」

「閖吼は私の兄よ、お医者さんなの。ママは滉の妹で私と閖吼の義理の母。今のところは津川家の女王様ね」

 魅羅はくすくすと笑いながら、ドルフェスにウインクしてみせた。

「そういえば、何で魅羅さんは龍造寺なんですか? 警部は津川なのに…」

 ドルフェスは思わず、気になっていたことを訊ねた。

「私達、ある事情で養子に出されたの。子供のときに」

「警部とはくらしてなかったんですか?」

「そうよ、滉はいなかったもの」

 そういえば、そんな事を前に話していた。

「ごめん、立ち入ったことを聞いて…」

 ドルフェスは素直に詫びた。魅羅はけらけらと笑いながら、手をひらひらと振った。

「気にしない、気にしない。養子先はママのところだったから何も肩身の狭いことなんて無かったもの」

 魅羅は懐かしむように遠い目をした。

「ママともそんなに長くは一緒に居られなかったけど、養父の龍造寺が、実父以上に子煩悩な人でね、ママの後を引き受けて、私たちをどんな子供でも及ばないくらい可愛がってくれたわ。素敵な人でね、ママを心から愛していて、一生再婚しなかったわ」

 他人の家をせんさく詮索する気は無いが、魅羅の話は何かちぐはぐだった。ドルフェスは首を傾げながら、当たり障りのない質問をする。

「その方…もう亡くなったの?」

 魅羅はこくんと頷いた。

「宇宙船の事故でね。アルゴルの首都星ユルクレーナからの帰りに…身内はもうあの人だけだったから、とても悲しかったわ」

 彼女は黒曜石の瞳を悲しげに伏せた。

「親と呼べる人すべてに死なれてしまって、私たち本当の孤児になってしまったの、あれほど寂しくて心細いことは無いわ」

――あれ?――

 今度こそ、頭が混乱してきた。魅羅の言っていることは、まるで滉もダフネも今ママと呼んでいた女も、皆死んでしまっているように聞こえる。

 いや、熱の所為だ、それで変なふうに聞き間違いをしているのに違いない。ドルフェスはもっと頭がハッキリしたらもう一度聞いてみようと思った、間違ったままでは魅羅に悪い。それにしても、何であんなふうに聞こえたんだろう?

 怪訝そうに見つめるドルフェスの視線に気づいて、魅羅は慌てて微笑んだ。

「私の初恋の人なのよ?」

「え?」

 意外な言葉に驚いた。

 魅羅は悪戯っぽく舌を出した。

「龍造寺の父があんまりカッコ良かったから、他の男なんて全然魅力無くなっちゃったのよ。

だから、可愛い女の子の方が好き?私は年齢制限無しなのよ」

「そうなんだ…」

 何だかどっと疲れてきた。ドルフェスは頭がくらくらしてくるのを感じて、深く息を吐きだした。

 胸が苦しい。“ママ”の声を聴いていたときには拭われる様に消えていた、鈍い心臓の痛みが戻ってきていた。

―――私の初恋の人…――

 何故か魅羅の言葉が頭の中でリフレインされる。

 胸の苦しさは、毒のまわりの為だけでは無いような気がした。。

 何となく切ない。

 魅羅の明るさが、ひどく申し訳ない。

―マイッタナ…――

 頭のなかで、そんな言葉が聞こえた。

――ああ…警部は俺のせいで死んでしまったのに…魅羅さんは気を使ってくれている――

 ゆっくり世界が回りはじめた。暗闇が冷たい手を伸ばしてくる。

 滉の、何時も笑っていた顔が目に浮かぶ。ドルフェスは眠りに落ちながら、あの笑顔をもう一度みたいと切望していた。


                         *


 ネプチューンは暗い街をひた走っていた。街路樹のアーチをくぐり抜け、ウインドウに月明かりがまだらに落ちる。

 魅羅はドライバーズシートに座り、そんな光景にちらりと疲れた視線を泳がせて、ネプチューンのサブシートに寝かせたドルフェスを振り返った。

 彼は眠ったらしい、熱のために大粒の汗を浮かべ、荒い息を吐いている。額に巻きつけたアイスチューブなど焼け石に水の様な気がした。

 そのくせ顔は蝋細工みたいに白い。

 滉は彼を守れ、と言い残した。確かにあの二匹はドルフェスを狙っていた、そしてケット・シーと名乗ったファントムの代理人もまた、ドルフェスのことを殺そうとしていた。

 何だか何かが起こりはじめている様な気がする。滉は何か気づいていたのかも知れないだから、ことさら彼を守れと言ったのだ。

 魅羅は不安気に唇を噛んだ。

 閖吼に側にいてもらいたい。魅羅は心からそう望んだ。

 自分でも妙に思うほど自信がなかった。今この惑星コーチで彼女は一人ぼっちだった、頼りはネプチューンしか居ない。何とも言えない不安が心の中で重い石に変わってゆく。

 たまらなく寂しかった。ドルフェスに訊ねられるまま、身の上話などを話してしまったのも、何とか気を紛らわしたいからだったが、その話し相手も眠ってしまった。

 魅羅は閖吼を思い浮かべながら、彼の乗る船を探すように空を見上げた。

 ふと、見えない腕が両腕を抱きしめる感触を覚えて、魅羅は物思いから我に返った。

==扉を開いて、今夜は僕が貴方を抱きしめています==

 閖吼の優しい言葉が思い出された。言葉どおり、彼は魅羅を抱きしめている。魅羅の表情がゆっくりと解け、微かな微笑みが広がってゆく。

 たとえ暗黒の空間に隔てられていても、常に自分を抱きしめてくれる腕がある。何も恐れるものなど有りはしない。

 魅羅は深いため息をついて不安を追い払おうと努めた。

 滉と一緒にいて、置いていかれたり途中から一人でしなければならなくなる事なんて、今までだって山ほどあった、一人だけの任務だってしたことがある。

 今更小娘の様に怖がっているなんて馬鹿馬鹿しい。それに、今は無理でもじきに援軍はやって来るし、ドルフェスにしても、さっきケット・シーを撃退した腕前を見るかぎり、回復すればなかなかの戦力が期待できるだろう。そう、何も不安になることなど無いのだ。魅羅は自分に言い聞かせるように、楽天的な事ばかりを並べ立てた。

 それにしても、ドルフェスには驚かされた。

 魅羅は思い出して少し微笑んだ。

 滉の心臓を片手に持ったケット・シーが、ゆらり、と魅羅とドルフェスに迫ってきたとき、青年は奴の額に拳銃の弾をたたき込み、重症を負った奴は、そのまま路地の暗がりへ姿をくらました。

≪なんてそっくりなのかしら≫

 あの時、まだ硝煙の煙を立ちのぼらせる拳銃を片手に持ったまま、気を失ってしまった青年の顔を見つめながら、魅羅はどうしてもかの人の面影を偲ばずにはいられなかった。

 いつも血と硝煙の匂いをまとって、どれほどの危険のなかにでも苦笑を浮かべて入っていく男。魅羅と閖吼に大志津大小一振りを残し、彼女の男性観を歪めてしまった男。

 滉を太陽にたとえるなら、彼はまさに影そのもの、光のあるところに必ずあって、彼らを助け見守っていた人。

==見た目以外は全然違うけどね==

 恐らく滉も同じように感じていただろうギャップを考えて、魅羅はすこし笑った。

 きっと始めは、ナディーラの気を引くために借りることにした部下だったに違いない。始めて彼を見たとき、滉はどんな顔をしただろう。それに、後から来る連中はどんな顔をすることか。

==絶対教えてやらない、見て驚けばいいんだわ== 楽しい想像をしながら、ドルフェスの寝顔を眺めていると、コンソールパネルから静かな呼び出し音が響いた。

「こちらリトルムーン」

 魅羅の返事に答えて、パネルスクリーンにメッセージが表示された。

==DV,シャドーマザーよりベース,リトルムーンへ==「わお♪」

 魅羅は思わず歓声をあげた。

==現在321ε98q689を航行中。到着は120時間後の予定==

 120時間なら、コーチの時間でいえば80セクレット、約4日である。

「ほんと?嬉しいわ」

 心からホッとしたように魅羅はため息をついた。文面は淡々と続いていく。

==ビッグサン,は回収完了、コンティニュー中==

 魅羅はメッセージに向かってうんうんと一人で頷いていた。が最後の文面に顔をしかめた。

==身だしなみをきちんとする事、風邪をひかぬように気をつけること。無理は控えること。到着まで待機。シャドーマザーより以上==

「マザー…私を何歳だと思ってるの…?」

 世にも憎々しげに魅羅が呟く。

 ネプチューンが嬉しそうに吠えはじめた。魅羅が顔を上げると、赤いプラス模様が見える。

 言わずと知れた赤十字マーク。形のあまりのシンプルさの為、いっきに銀河内に広がった医療のシンボル。

 ネプチューンはスピードを早めた。


Angel Cry読者の方へ。

ついに閖吼の登場です。見比べてみてください。


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