1 LONG・LONG・A・GO――昔々…――
ああ、あの、変な夢だ。
白い部屋には溶け込むような白いベット。そこに横たわるこれまた白い肌の女の手を握りながら。ぼんやりと窓の外を眺めている。
窓の外は、青い空と青い海、水色に染まっていそうな風が窓の白いカ−テンを揺らしている。
現実感の無い白と青のコントラスト。
何処にも影はないのに影絵のように感じる光景。
そのなかで、唯一、現実感を持っているのは、両手で握りしめた白い女の手………
さっきまで物凄く熱かった手が、両手の中ですーっと冷えてゆく。その熱さを引き止めるように、手に力を入れて絞りだすような声が出る。
「逝くな…逝かないでくれ」
体が砕けそうな、いいようのない喪失感。失いたくない、という切望。心臓に痛みを与える悲しみ。
「俺では駄目なのか? 何も出来ないのか?」
涙を流していたかもしれない、体に震えが走り、更に強く女の手を握る。手がピクリと動いた。
「貴方だけよ……私を見ててくれた人……」
微かな、ため息のような応えに、初めて窓から女に目を移す。白いシ−ツに広がった褐色の髪が、死にかけた女の血のような気がし、目に滲みる。
「見ることしか、できなかった。」
女が、髪と同じ色の目を細めて笑った。儚い、消え入りそうな微笑み。
「それが…嬉しかった……ずーっと楽しかった……」
「もう、見れなくなるのか?」
「大丈夫よ…私達、御縁があるから…又皆で遊べるわ…」
「そうだな、俺とお前とあいつらと、皆で。」
そう答えると、女は白くなった唇でにっこりと笑った。
「そうよ…だから私…ちょっと眠るわね…皆が揃うまで…ね…」
心臓が、氷の手で鷲づかみにされた。だが、無理矢理笑顔を作り頷く。
「ああ…おやすみ」
女は目を閉じると、氷の様になった手にほんの僅か力をこめて、握り返してきた。思わず更に力がこもる。
女は微かにふふっと笑うと、ふうっと大きく息を吐く…それが最後だった。
女が周りの白に同化する。思わず女の名を叫ぶ。
「!!!!」
そこでいつも目が覚める。
D・Dこと、ケリー・ドラゴ・ドルフェスは、何時もの夢からいきなり現実へ浮上した。首筋から背中は汗でびっしょりと濡れ、額や頬に髪が張り付いている。
黒髪の青年は、パトロールマシンのドライバーズシートをリクライニングさせた楽な姿勢のまま、はれぼったい両目を擦って、初めて自分の涙に気が付いた。
一気にねむけが吹っ飛んだ。
青年は黒い目を大きく見開き、慌てて回りを見回す、幸い側には誰も居ない、長身を長々と伸ばし、彼は大きくため息をついた。
頭のなかをあの夢がぐるぐると廻っている。
白い部屋、青い海と空、褐色の髪と目の女。女の手を握っている自分。まるでシネムービーの一場面の様に繰り返し繰り返し、あの場面だけを視る。
観る度に二度と観たくないと思うのだが、反面あの女をもう一度見たいとも思う。
あの夢は一体何なのだろう? 青年は昔から幾度となく繰り返した疑問を自分に問うてみる。
答えは判らない。
女を看取るなんて経験はしたことはない。
彼の母も健在だし、母の他には身内らしい身内もおらず、恋人と死に別れたなんて事もない。
ドルフェスは首を振った。夢は所詮夢だ。 昔からあの夢を見つづけていたお陰で、いつの間にか夢の女が自分の理想になっていたが、あの女は決して現実にはいない。
その事は、あの女の面影を重ねた女達が、みな嫌というほど教えてくれた。彼女達は、ドルフェスが自分に他の女を重ねていることを鋭く感じ取って離れていった。
『貴方が見ているのは私じゃ無い』という捨て台詞を残して。
何だか気分が落ち込んでいる。きっとエミーに振られたせいだろう。
エミーは、同じ課に働く女刑事だった。ベースシティのダウンタウンにある、25分署でもNO1の美人、そしてNO1の気の強さを誇り、何でも思った通りにならないと気の済まない女。
始めはいつものように、夢の女と同じ髪と目の色に魅かれ、気の強さに裏打ちされた、物怖じの無さが気に入ったのだが、付き合って1週間で最悪の相性だと気が付いた。
おそらく、彼女の方でもその事に気が付いてはいただろう。あまり楽しい出来事とは言えない、数々の言い争いと、いきなり言い渡された一方的な別離宣言を思い出して、彼は深い溜め息をついた。
気を取り直して、ドルフェスは、夢の女の姿を思い浮かべてみる。
褐色の髪は絹糸の様に柔らかで、おそらく肩よりは長く、白い卵型の顔を額縁のようにつつんでいる。
小さめの形のいい唇、すっきりととがった顎、秀でた額、高くすうっととおった鼻筋。
そして、アーモンド型のけぶるような褐色の瞳。
白くほっそりとした、指の長い手の感触も思い出してみる、刺すような悲しみが思い出されたが、その後に、懐かしい様な甘やかな気持ちが沸き上がってきた、思わず口もとが緩む。
「百面相か? D・D」
心臓が飛び跳ねた。
慌てて声の方へ首を巡らすと、開けてあった助手席の窓に肘を付いて、相棒のゾルゲがニヤニヤ笑いながら彼を見ていた。
「ゾルゲ…いつから?」
顔が火のついたように熱くなり、自分でも赤くなっているのが判る。
「今さっき一回りしてきた。いやぁ面白い目覚めの体操だな、顔しかめて、そんで泣き顔して、やらしいニター笑い、エミーとやってるとこでも思い出したか?」
「な…!」
彼女とは一週間前に終わっている。言い返そうとして止めた、これはゾルゲの何時もの手だ。
彼は年下の相棒をからかって楽しむ悪い癖がある。
青年は助手席にもぐり込むゾルゲに不機嫌な表情をして、無言の返事とした。ゾルゲは嫌らしい含み笑いでドルフェスに応酬する。
ギアをローに入れ、マシンは静かに浮き上がった。
*
「変な噂を小耳に挟んだぜ」
ゾルゲはまだにやにや笑いながら口を開いた。
「どんな?」
「トルフアルガー地区やエルカサル地区の人けのない倉庫街に、化けもんがうろついてるんだと」
「ふうん」
ドルフェスの返事は興味が無い事をはっきりと示していたが、ゾルゲは構わず続ける。
「どっかの金持ちの阿呆が、DNA をいじくって作った身の丈3mはあろうかっていう犬みてぇな奴だと」
「まさか」
鼻で笑いかけたドルフェスの前に、ゾルゲは人指し指を立ててチッチッと、左右に振った。
「すげえのはこっからよ、その阿呆が持て余して捨てたか、自分で逃げだしたかはどうでもいいとして、そいつが夜な夜な野良の動物や浮浪者を食ってるって話だ。その食った跡ってのが、食い散らかした死体で血の池地獄、目ン玉は転がってるは、壁に舌が張りついてるはでもう、スプラッタムービーなんてままごとに見えるってこった」
青年は顔にかかる前髪をうるさそうにかきあげた、黒い直毛はなかなかゆうことをきかない。
「トルファルガーやエルカサルってうちの分署の管轄だろ?そんな報告聞いたこと無いぜ、どっから聞いたんだ?」
ゾルゲはおどけて舌を出した。
「親愛なる我等がガセネタ屋、酔いどれレイフさ」
「だろーなぁ、酒代くれてやったのか?」
「ま、慈善事業さね」
「あの親父、こないだは銀河の涯から信号が来た。なんていってたぜ、酔っぱらいの御託なんてほっとけば?」
ドルフェスの言葉に、ゾルゲはゆっくりとかぶりを振った。
「家の子の子守話にちょうどいいんだ」
「寝る前に泣くんじゃないか?」
「俺の伜をなめるなよ、この手の話しはキャンデーより好きなんだ」
「さすが!」
「だろぉ」
パトロールマシンをのんびりと流しながら、二人はひとしきり笑いあった。